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私の人権は無視か、コラ

 おかしい。最近ヴィラと2人きりになるタイミングがある。

 カジャは変化にすぐ気付いた。以前ならカジャとヴィラを同じ空間で2人きりになどさせられないと監視が厳格に行われていたのだから。最低1人は監視がいたのだ。ヴィラがベッドで倒れている間に世話をしている時でも、ちょっとした人の出入りなんかにですら目がはずれなかったものを。

 この外国で騎士共の気が抜けたとでも言うのだろうか。はたまたカジャの奇行が治まっていると判断したのか。


 浄化の旅は遂に国外へ突入。もう2国目になるのだが、外国の病花を昇華するのは首都の近隣にあるたった1輪だ。その国の護衛までついて護衛人数は倍以上に膨らんでいるが、今まで以上に早足で旅は進んでいた。

 まあ前回は終戦したとはいえ敵国だったのだから長居はしたくないのだろう。戦後の旅の記録では降伏したはずのエージ国首都では一個軍隊に囲まれたとあるし、全ての国を仮想敵国内として警戒するのも想像に難くない。

 目的地の病花まで行って昇華して、歓迎パーティを開きたいという申し出をすげなく断りとって帰る。

 単にカジャ以外に神経を集中していて細事にこだわれなくなっただけなのかもしれない。とも思ったが、ワイエルンを見れば、サッと顔をそらされる。この男はそれで貴族社会のなんやかんやを切り抜けていけるのだろうか……。


 とはいえ、騎士連中の中で立場が最弱な男を狙って情報を炙るのもカジャの主義に反する。かと言ってチェイザリーの腹を探ろうにも以前からカジャとは目を合わさない男だ。自制してるつもりだろうが苦い顔は丸出し。男共はあれで気づかれていないつもりなのだろうか?

 静かにヴィラは読書に興じている。外は暗く、部屋の外にはパンドラの騎士が配置され一日の終わりはもう近い。今回の道中はひたすら馬車を走らせるばかりで、合間に宿へ泊まる強行軍と言っていい。しかも幾日も、もちろん明日も。


 ハンチェスタがヴィラの足元に膝をつく。

「我らは明日の準備のために休ませていただきます。退室させていただいてもかまいませんか、ルグワイツ様」

「ああ、おやすみ」

「失礼致します」

 代表で表明したハンチェスタの後ろで騎士達が頭を下げる。扉の外に立つ騎士2人以外は隣近所の部屋で休む。

 全員出て行くのを、カップを口につけていたカジャはジーッと横目で見ていたが、扉が閉じ、しばらくしてから呟く。

「なんのつもりなのかしら、本当に」


 以前ならこうだ。

『何をしている。貴女もほら立って』

 もしくは部屋に監視役がついていた。それがどうだ?部屋にはカジャだけが残されている。大事な大事なヴィラの元に。信頼されたと思うにはカジャの方が騎士の腹の内が信用できない。

 ヴィラは溜息をついた。

「カジャは気にしない方がいいよ」

「ヴィラはあのおっさんらが何考えてるか知ってんの?」

「推測なのだけれどね。でも、それに関して僕は協力したくないから流したいんだ」

 本から目を離さないヴィラは、そのまま表情を固くした。

「珍しいわね。なんでもハイ、ハイ、国家権力に屈してるヴィラが」

「そんなこと初めて言われた」

 ヴィラは一気に噴出して笑顔を戻す。

「冷凍人間にされて、あれ駄目、これ駄目って四六時中監視軟禁拷問受けてるのに、喚き散らして脱走図らないんだから屈してるでしょうが」

「拷問って」

「あんな毒物食べさせられて毎回衰弱させられてんのに自覚もないって?あんた、虐待されてるのよ」


 本を開いたまま伏せて、ヴィラは冷めたコップに手を伸ばす。

「神様として崇められたくて、やってるんだとは思わないんだね」

「はあー?唯一の楽しみが知り合った人間の残した物に触れて、寂しさを紛らわせることって堂々と言ってる子供が何言ってるの?」

 口を開いて呆然とカジャを見上げる。

「そんなヴィラが拒絶することを、あのおっさん共が私を使ってやろうとしてるんでしょ?なんなのよ。知らなかったら対策できないでしょ。それとも知らずに私が協力しちゃっていいわけ」

「……話を持ちかけられた時点でカジャは怒ると思うけれど」

「じゃあ、それによって私が吊るし上げられたり激怒してマルテアンのおっさん蹴り倒すことによって追い出されたり減給されたり言い負かされて策略に乗せられたりしないように情報提供しなさいな」


「子供」

 物凄く沈痛な顔でコップを回しながらヴィラは呟く。

「あ?」

「僕がカジャを気に入っているようだから、君が相手なら僕が子供を作る気になるのではないかと考えているんだと思うよ。関係が進展しやすいように2人きりになれるようにしてるんじゃないかな。もしくは、騎士の目がない所でそういう事を成すかもしれないって」

 カジャは目をパチクリとしてヴィラの後頭部を見た。コップの中にある水面を見ているヴィラ。まだ17年しか生きていないヴィラ。

「あんた私の年齢知ってたっけ?」

「ザグアイナが27歳だったのはさっき本で読んだけれど?女性に年の話は不味いかなと」

「25よ」

「前より若くなっているんだね」

「なるか、ボケ。なんでよりによって私で妥協しようとしてんの、あの連中。ああ、そうか、あんたが子供欲しくなくて拒否してるからか。なら安心しなさい。連中が何を画策してもありえないわ。例え、狙い通り私がヴィラに懸想するようなショタコンだったとしても」

 肩を落としてヴィラは苦笑する。

「17でその言われようは傷つく……」

「私子供産めないわよ」


 もし、誰かと愛し合ったとしても、永遠に我が子と出会うことは無い。

 カジャの人生統計。パン屋で売り子兼作り手として働き、身寄りの無いものが集まるホームに寄付していく。将来的にはそこで世話をし、世話をされつつ没する。

 両親こそいないが天涯孤独というわけでもない。あまり密ではないが親戚付き合い程度もある。孤独ではない。一人ではない。だから別に困らない。ただ、いつか会うのだと思っていた子に会えないことに落胆した。

『結婚しよう、幸せにする』と言われ、夫になるのだと思っていた男は離れていった。とても子供が好きな男だったから『ごめん』という言葉だけが残された。不誠実だとは思ったが憎む気にはなれなかった。

 ただ、幸せに満ち溢れた約束が守られなかった悲しみはいつまでも残る。


 ヴィラは目を瞑る。

「何度か無神経なことを言っていたと思う。ごめん」

「不問に処す。でもまあ、体のことはとっくに悟りを開いてんのよ?別に子供の面倒を見たくなったら、子守りの仕事でも引き受けるし、孤児院にボランティアしに行く手だってあるんだからね。旅の途中で腹が立ったのはたった1回、マルテアンに産んだこともない女が口出すなって言われた時だけね」

「残酷な事を……」

「そういえば思い出したわ。あの連中、私が子供を産めないって事を知らないみたいだったわね。どうせ身辺から何から調べ上げてやがると思ってたのに、あの時、私が黙った理由も分からないみたいだった」

 頭を振ってヴィラは頭を垂れる。

「ザグアイナが何処にいるか魔法で辿って、結果が出てすぐの出発だったから調べる時間なんてないさ」

 ヴィラは両膝に肘をつき、両手で頭を抱えた。カジャは苦笑いになる。

「そこまで思いつめなさんな。時々はあることなのよ。毒と事故と欠落ばっかりは、さしもの病花でもね」

 だからこそ、欠落者はバレた瞬間に『神の祝福をも受けぬ者』と呼ばれ、忌み嫌われ、縁起の悪い者として扱われる。ただでさえ顔に傷持つ女だ。


 言葉を探してヴィラの口が声を出さずに動き、まっすぐにカジャを見て声を吐き出す。

「色んな国が、僕を巡って戦争をしたのは知っている?」

 パンドラを我が国へ。病花の災いを祝福へ。

「ザグアイナの本にも載ってたわね」

「僕が全ての病花を昇華させられるなら、起きる事はなかった。でも、僕は神と呼ばれるだけの生身だ。いつか寿命は尽きる。できるだけ長持ちさせるために1年と期限をつけたものの、運が良くても老衰で死ぬ」

「そんな頃まで国が存続してるとは思えないけど。あんた100年単位で起こされてんでしょう」

 50で死ぬにしても、3300年も先の話だ。

「あらゆる可能性を考えるんだろうね。それに僕1人では効率も悪い。同じような力があれば、他国の病花を昇華させることだって可能だ。でも、僕以外に病花を昇華させる体を持つ者はいない。何より突発的に僕が死ねば、世界中で最も病花の咲くこの国は一気に滅ぶだろう」

 遥か昔、パンドラが生まれる前の話。

 病花を体内に取り込んでいたのは奴隷だった。病花の毒で死んだ奴隷の体からは昇華されずに漏れ出る毒で周辺を汚染した。

 元は、ヴィラも奴隷だったということになる。だから見出された。

「彼らは僕の子という保険が欲しいんだ。病花を昇華させられる新しい存在。増やすことができれば、多大な管理は不必要になる。他国へも恩が売れる。けれど、これだけはどうしても協力したくないんだ。これが僕の事情。不愉快な思いをさせて申し訳ないけれど」

「当然の権利でしょ。あんたが悪いわけじゃないから謝らなくていいわよ」

 馬鹿馬鹿しいとすら罵りたくなるお国事情には、ほとほと腹が煮えくり返る。






 ザグアイナはパンドラが眠りについた後、チェイザリーに家督を譲っている。カジャは腹に手を当てる。

 ザグアイナが妻とした女も不妊だったのであろうか。それとも彼自体が子をなせない理由でもあったのか?パンドラが眠りについた部分までしか語られていない物語り。

 ヴィラが語ったザグアイナとのやりとりは本に描かれていなかった。

 今まで記録を順に読んでいったせいでザグアイナの足取りはよく頭に入った。もう訪問予定にあがっている病花も残りわずかだ。そう、ヴィラが眠りつけられる日はそう遠くない。

 本を読んでみれば100年前と比べ、なんと平穏な旅だったことか。トラブルと言えば、せいぜいカジャが騎士と頻繁に言い争っていたぐらいだ。それと時々、ヴィラがカジャに唆されて下品な物に手を出して叱られたり。

 このまま例年通りにいけばの話だが。


 抗わないヴィラ。言われるままに病花を昇華し、願われるままに封じられ、覚醒し、そして独りで思い出に浸り生きていく。出会いと別れを繰り返し、再会など望めないまま独りで。

 ザグアイナはそれを哀れんだのか。それで無責任な約束でも良しと慰めたか。1年にも満たない短い月日でしか接していなくとも、ヴィラが物の通りも知らない子供でないことは知っていただろうに。冗談や夢物語を口にする顔には見えなかったし、物語りの中の騎士の性質がそれならば、ヴィラの口にしたザグアイナこそ嘘くさい。

 哀れみが何の花実になるというのか。

 そんなものを後生大事に嬉しそうにするヴィラが、楽しそうに本のページを開く少年さえ『自由になりたい』と言ったならば。


 首を振る。

 引っかかっている事はまだある。公式の記録にまで残されたザグアイナを前に出した英雄譚。何故、この男だけを国は特別に祭り上げたのかだ。

 確かに凄腕の剣豪で物語りにある通り活躍したのだとしても、今までの記録形態を崩してまで国の記録に残すだろうか。トラブルがあったとしても、それまでは特別にとりあげられず、愛想もなく事実だけを連ねていたというのに。個人の日誌ではないのだ。関係各所が目を通すものなはずだ。広く目に留まるからこそ、一般向けに誰かが娯楽として売り出したのだろう。

 貴族は、国は、人間は、どういう時に特別な行動をとるだろう。こんなにも不自然で、違和感を与える程に他人を褒め称えるのは。感動した時?悲しんだ時?いいや、少なくともカジャが考える人間は、このままでは不味いと感じた時に画策して行動する。どうすればトラブルを覆い隠せるかに奔走する。

 この本で読むザグアイナは、まさにパンドラの騎士とはかくあるべきと印象づける。

 こんなことならチェイザリーの屋敷でもっとザグアイナについて調べていれば良かったと、歯噛みしたところで後の祭りだ。顔の『傷』が痛む。そう急かさなくても考えているだろう、ザグアイナ。


「昨日、何かあったのか?」

 ワイエルンが話しかけてきてカジャは顔を跳ね上げた。一気に周囲の音が戻ってくる。ジリジリと目の前の釜戸からパン生地が焼ける音がする。屋敷の人間に調理の邪魔だとばかりに横目で見られていた。

 外国で賓客に当たるパンドラを自腹で宿に泊められないと招かれた貴人の屋敷で、パンを作りたいと希望する風変わりな従者であっても却下はできないらしい。口では邪魔と言えない屋敷の使用人から自主的に場を空けて隅の方へ移動する。それに付いて来るワイエルンはカジャ以上にキッチンで異彩を放っているが、本人はそういう空気に慣れてしまったらしく周囲を気にした様子なく、カジャに続ける言葉を探していた。

 生真面目で貴族の階級のしがらみに囚われた煩い男が、カジャに毒されたとしか言いようはなかろう。

「その、部屋に残った時にルグワイツ様とのやりとりで、こう」

 言い淀んでいるということは、男女ツガイにすればとか考えて交配させようとした事に多少は非常識を感じているというわけか。いくら貴族とはいえ、そうでないと人間として困る。


「ねえ、ワイエルンさん。前にヴィラは石造の神じゃないって言ったわよね。あれ、どういう意味」

「は?また変な所から会話を拾ってくるな……。どういう意味も何も、あの方はコールドスリープで1017年に渡って生きていて、この国を守り続けていらっしゃるが、実質はまだ17年しか生きてらっしゃらない生身の人間だろう。聖人を俗物と比べるのもなんだが……弟よりもまだ幼い」

 困ったような顔をしてワイエルンは周囲を見回してから、小声で洩らす。

「貴女がルグワイツ様と話している時には、普通の少年みたいに戯れる事もある。先人であるザグアイナ殿に劣っているとは考えていないが、旅の始めに彼を求められたのは孤独からだろう」

「そう、ワイエルンさんって意外と考えてるのよね」

「時々感じるんだが、貴女は男がみんな馬鹿だと思ってるだろう」

 頬をヒクヒクさせながらワイエルンは何か飲み込んで、それから溜息に変える。


「だからいっそ不確定な生まれ変わりになど頼らずに、貴女を一緒にコールドスリープさせて未来に送れたならと旅の間ずっと思ってる」

「私の人権は無視か、コラ。自分で行け自分で」

「今回は貴女のお陰でパンドラの騎士がルグワイツ様をお慰めするようなシーンなんてなかっただろうが。今更忠告するのもなんだが、結構恨まれてるんだぞ。接する栄誉が奪われたってな。それに一介の騎士がルグワイツ様に追随して眠ることができたのなら、それこそ生まれ変わるなどと言わずに貴女が前例にでもなっていただろう。しかしまあ、ザグアイナ家の当主もかねておられたようだから身の上としては不可能だっただろうが」

 だが実際には子供もできずに直系は絶たれた。そしてチェイザリーの祖先が次の当主となり、ザグアイナは死した。

 何を思っていただろう。

 命の最後には、ヴィラへ残した約束を守るべく神へ祈りでも捧げていたのだろうか。ヴィラの寂しさが癒されますようにとでも。






 久しぶりに呼び出しをくらったカジャ、おっさん面談再びである。

 かなり無茶をしてヴィラを連れまわした以外には、改まってゴチャゴチャは言ってこなくなっていたのに珍しい話である。だが、ヴィラに内密で腰をすえて、というのならば話題はアレについてだろう。

 横にいつものお目付け役の1人チェイザリーがついている他にはハンチェスタとマルテアンしかいない。だというのに無駄に豪華な借り宿は広く寒々しい。窓もないとは。

 立ったまま腕を組んでカジャは斜めに壮年の騎士を見下ろす。

「座りたまえ」

 マルテアンの提案に腕を組んだまま手首を振る。

「お断りします」

「立ったまま話すというのか」

 眉に皺を寄せて呆れる男に、カジャは溜息をつく。

「ガキ相手に誘惑しろって話なら断るっつったんですよ。第一、清く正しいはずのパンドラの騎士がパンドラ種馬扱いしていいわけ?そもそも、その種馬に企み全部バレてるんだけど。その話なんでしょう?」

 マルテアンが目を見開く。

「た、種馬などと!」

「常識で考えてもみて欲しいですよね。あんな思春期まっさかりの難しい年頃に、無理やり女あてがって喜ぶ奴も確かにいるけれど、あの子を歴代禁欲的に育ててきちゃったんでしょうが。そもそも女にだけ開放的になれつっても無理な話ですよ。しかも子供を作りまくれって普通に萎えるって」

「パンドラをゲスな言葉で貶めるのは止めろ!まったく下品で目も当てられぬ女だな!」


 立ち上がって身を乗り出すマルテアンに、対抗するように胸をはって顎を突き出すカジャに、静かにハンチェスタが座ったまま口を開く。

「感性の違いによる反感はあれど、これはカジャがルグワイツ様に対して常々憂慮している事項の解決にも繋がる。ここで承諾する話でもない。話だけでも聞き、よく考えてみればよい」

 顎を引っ込めてカジャは眉根を寄せる。

「解決?」

「カジャの価値観で語るところのルグワイツ様は、ただ人の少年なのだろう」

「そうですね。貴方達にとっては信仰対象なんでしょうけど」

 笑って、困って、考えて、寂しがる。あれを少年と呼ばずに何だと思えと言うのか?

「ではその少年として語ろう。今、その少年に全ての災いを1人で昇華していただいている。ただの少年であれば尚その使命は辛く険しいものであろうよ」

「ハンチェスタ殿!」

 マルテアンの責める口調を無言で受け流し、ハンチェスタは呼吸を置いて続ける。

「昇華させる神力を持つ者が増えるとあらば、それだけルグワイツ様にかかる負担は確実に減る。こちらとて、病花はパンドラだけが昇華すべきという執着はない。子々孫々であれば力を受け継ぐ希望はある。そうなれば、これからはコールドスリープや生活の縛りは緩まり、場合によっては自由も選択として考えうる」


 沈黙がおりる。

 頭の中にハンチェスタの言葉が反芻された。今すぐ言葉を返すには、これまでの納得できない流れよりも譲られた比較的都合の良い話だ。

 隣で黙って無表情に立っているチェイザリーはもちろん、少々説得の仕方に納得のいかなさそうなマルテアンも口を開かずにいる。ハンチェスタはカジャの頭の中に自身の言葉が染みこんで行くのを眺めているようだ。

 カジャは最初の音が出ずに口で無音を紡ぎ、迷った。そして「少し考えてみますよ」と答える。


 部屋を出て、チェイザリーが扉を閉める。無駄に広い廊下の中途半端な場所でカジャは顎に手を当て立ち止まっている。それをチェイザリーはうつむき加減にして見ていたが、決意したように眉を寄せてその重い口を開いた。

「この任務を受けるべきです。このまま旅が終わればケイアルティスは汚名をそそぐに至らない」

 思考が止められた。今までそらされていた目が、ジッとカジャの目を責める色を乗せて見つめていた。

「100年前のアレからチェイザリーはザグアイナの親類として重い責任を今も追及され続けている。貴女の存在で良い思いをしたことはない。それでも、この任務を成果としてあげることができれば、この立場が少しでも報われるかもしれない」

「何を言ってるんですか、チェイザリーさん?どういうこと?」

 口を開き、チェイザリーは言うのかと思われた。だが、一度口を閉じて何か言葉を飲み込み、変わりに別の言葉を紡いで視線はそらした。

「ケイアルティス・ザグアイナ、貴女の記憶がまるでないことを憎らしく思います。こんな不名誉な罪を受け継がせておきながら」

 ワイエルンが廊下の向こうに現れたのを見て、チェイザリーは黙って反対側に去って行った。お目付けが離れたのを見てワイエルンが謎に眉をあげてカジャの横に添う。カジャはチェイザリーの言葉とハンチェスタの言葉が渦巻かせながら、腹に何か一物を抱えた男の背を見送った。


「どうしかしたのか?」

 貴女はまた何か言ったんだろう、という無言の半目が向けられたが、カジャは口を歪めた。

「私、ザグアイナじゃないわ」

 話は見えなかっただろうが、ワイエルンは少々考えて、笑って溜息をついた。

「……そうかもしれないな。ザグアイナ殿と言えばパンドラによく仕えた騎士の模範、俺の憧れる英雄の1人でもあるし、国を守るためにパンドラがいかに必要かを知らしめた人だからな。パンドラの業を邪魔しようとした貴女じゃ、真逆過ぎる」

 軽く言うので、カジャも重い思考を一時横に置いた。

「まさかワイエルンさん、ザグアイナの本とか読んでたりするの?」

 当然というように胸をはってワイエルンは頷く。

「愛読書だ」

「ぐぅ……なんか複雑」

 己ではないと言ってはいても、お前だと言われた奴が物凄くリスペクトされていると微妙な気持ちになるもので。本物のパンドラの騎士に、物語りのパンドラの騎士が受けている事実が可笑しくもあった。この真面目な職務態度、実はザグアイナに憧れてのものではないだろうな、とも思ってはみたが、真実を知ると余計に複雑な気分になる気もして、カジャは謎のままにしておくことにする。

 なにより、謎のままにしておけない問題を投げつけられたばかりだ。






 説得してやるから、庶民じゃどう頑張っても口に入らない高級な茶菓子を買ってきて、邪魔が入らないティータイムをさせやがれ。という要求はすんなり通った。

「奇妙だなぁ」

 優雅にカップを傾けるヴィラは、カジャに不信な目を向ける。

「いやにすんなりカジャの余興に許可がおりた。いつもならもう少し粘るなり、却下するなり、強烈な監視がつくだろうに。ワイエルンもチェイザリーすらいない。何か裏で手を回したの?」

「子供は素直に美味しいお菓子で喜んどきなさいよ。とりあえず、本題が出る前までは」

「君からそういう単語が出たことに傷つく。なんとなく察してしまう僕は大人だと思わないかな?」

「物理的に大人になるのがそんなに嫌か。まあ、聞きなさいよ。自由になるために」

「自由?」

「同じ体質を持つ子供さえできれば、ヴィラ『は』開放される。不自由な人間を複数に増やしてしまうでしょうけど、負担が分散されればここまで物みたいな扱いは避けられるはずよ」

 ヴィラは肘をついて苦笑する。なるほど、そういう話に釣られたのか、と。

「恋愛には理想もあるでしょうけど、そうね、好みの女とかいないの?別に今すぐじゃなくてもいいのよ。選択として考えてみたらって言いたいだけだから、別に何百年先でもね。もしなんなら、恋愛期間をとるためにコールドスリープを免除しろって我が侭もありだと思うのよね」

 早口に言い切る。どうにも気まずく感じるのは、今までカジャが批判し続けてきた事を己がしようとしている罪悪感だ。唯一と言ってもいいくらいヴィラが嫌がっているものを。

 カジャが喋り終わるのを茶菓子を置いて、ヴィラは緩慢に答えた。


「駄目だよ、カジャ」

 苦笑とも泣き顔ともつかない、口角をあげた笑みが浮ぶ。期待に添えない罪悪感を持って。

「子供は駄目だ」

 本能的にカジャは表情を消して押し黙る。何か、見逃してはいけない情報を全て拾い上げるように、頭の中をぐるりと見回して忘れている情報がないものか探した。

 いや、やはり知らないのだ。

 何故?

 子供を嫌いなわけではないだろう。ザグアイナに子孫がいなかったことを、あれほど失望した少年なのだ。女を厭うわけでもない。己の保身に淡白過ぎるヴィラ。自由など天秤にかけて悩むでもなく、特定の誰かを想う顔でもなく、ただ引く。


「何人生まれたのかは教えてくれなかったけれど」

 両腕をさすり、ヴィラは細く息を吐く。

「100年前、目を覚ました時には全て『失敗だった』と。隔世遺伝も考えて交配してみたり、血を濃くするために僕の子供同士でも交配させてみたけれど、『駄目だった』と。『使い切ってしまった』ので、『申し訳ない』けれど、また子供を作りなおすようにと言われた。この国は昔から変わらない」

 ヴィラの家族については神話の中にも一切触れられていない。だが、そう、語られずとも今、想像がついた。一族郎党を試さなかったわけがないだろう。こんなにも稀有な能力を、血で受け継いだものだと考えなかったわけがないだろう。それでなくともヴィラは元々奴隷なのだ。病花を口にして死ななかったからパンドラにされたということは、7歳で生け贄に選ばれた奴隷だったはずだ。そしてその家族ならば、病花を処理するために挑まされ、ことごとく絶命しただろう。

 そして、何百年もたって再び残酷な仕打ちは繰り返された。だからヴィラは断言する。昇華させられるのは己だけだと。

 そして拒絶する。無残に使い捨てられ、殺され、実験に使われるだけの……。


 ヴィラの肩が強く握られ、後ろに押されて顔を振り仰ぐ。怒りの形相のカジャがヴィラを見下ろす。

「ザグアイナはそれを知っていた?」

 感情が高ぶって声は震えていた。

「どうだろう」

 わざわざヴィラの口からは言わない。助けてとは一言も口にしない少年だ。だが、100年前にヴィラが子供を作ることを拒絶した時、周りは非常に焦っていた。危険な旅の間ですら、どれだけ女に迫られたか知れない。ほぼ襲われたと言っても過言ではない過激な状態でも、パンドラの騎士達は助けに来ることは無かった。

 戦後、敵も多くいた波乱の旅だったのだ。危険に満ち、簡単に部外者を信じられないような状態で、パンドラの部屋に身元の分からない女が侵入できるはずがない。女がパンドラの部屋でかせられた使命を騎士達は当然把握していただろう。

 アレを考えれば、今回は呆気にとられるくらい無理強いされていない綺麗な旅だ。もっとも、自殺でもされてはかなわないと思っての事なのか、旅から帰った後に待っているのかもしれない。

 肩をつかむ力が強くなる。多少痛かったが、ヴィラは抵抗しなかった。この程度で我慢の限界になどならない。どれだけ大事にされていても、7つまでの奴隷時代に受けた痛みは鮮烈過ぎて忘れられないのだから。


「答えなさい」

 カジャは大きく息を吸った。怒鳴るのかと思えば、カジャは静かに囁いた。

「ヴィラはパンドラを続けたいの?」

 あの夜の問いから十分に考える時間があった。それでも答えは変わらない。

「助けてと泣き喚くには年を重ね過ぎてる。僕は神だ」

「遠くの国では、あんたがいなくてもやっていけてる!」

「声が大きいよ」

 ヴィラの頭をカジャの手が押さえ込んで伏せさせる。お互いの顔は見えなくなった。

「ザクアイナは知っていたのね?」

 少し考えてからヴィラは答えた。

「知っているからこその気遣いは感じていたよ」

 ヴィラの傍らにある本を鷲づかみにしてカジャは部屋を出て行く。カジャを追ってくる声はなかった。扉の前に立っている騎士は表情1つ変えていない。部屋の会話が簡単に筒抜けるような安い部屋ではない。

 カジャはあてがわれている部屋に入り、扉を閉じるのと同時にザグアイナの本を壁に投げつけた。扉に背を当てて大きく息を吐き、吸って、呼吸しながら、ズリズリと座り込んで膝に顔をうずめる。

 こんな事実は暴力だ。

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