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なんつう弾けてない十代だ!

 パン屋の朝は早い。カジャは目が覚めて外で空気を吸うべく廊下を横切って、ヴィラの部屋から苦しそうな嗚咽を聞く。扉の前に見張りの騎士がいない。迷わずカジャは扉に手をかけて開け放つ。

「おえぇっ……」

 口から苦しそうに唾液を吐き出すヴィラの口元に騎士が桶を支えている。真っ青な顔色は前よりも酷く、息はヒューヒューと笛でも鳴らしているようだ。肩で息をしながら胸元の服を握り締める手は震えている。

「ヴィラ!」

 カジャは風が吹けば倒れそうな少年の体を支えると、全身が湯に手を突っ込んだように熱い。ヴィラが喉にも手を当て、涙を目に溜めている。

「何?一体どうしたっていうの!?酒でも飲ました?まさか毒を」

 ヴィラは応えられずに、また嗚咽する。すでに吐けるものはないらしく、いつから嘔吐しているのか分からない。


 部屋の外からゾロリと人の気配がして、ハンチェスタが口を開いた。

「病花を昇華する間、ルグワイツ様は3日程休養をとられる。たいがいは息が苦しく、嘔吐を繰り返し、胸が早鐘を打ち、体に熱を持ち、頭が朦朧として脱力、全身に痛みを持ち、腹が痛み、暴れ水のような便をする。この状態で無理に旅をした場合には吐血するなど、悪化すると記録にある」

 ベッドの側に立つハンチェスタは部屋にそろう騎士を振り返り指示を飛ばす。

「廊下の護衛は夜の通りに交代しながら休憩、他の者は室内にも待機し身の回りを整える。それからカジャ」

 見た事も無い人の苦しみように、カジャの頭がグルグルと回る。病花が封じているという災厄?無事ではなかった。こんなもの毒が効かないなんて言えない。

「付き人として直接の世話は主にカジャの任とするが、休息の間は私が変わる。できるか」

 睨み上げる。

「こんな風になるって知ってたのね。病花が口にすればこうなる毒花だって」

 上背のあるガッシリとした壮年の騎士は、遥か上からカジャを見下ろす。

「平民とて病花が封じている『病』のことは学業で知らされているはずだろう。毒とはまた種類を異ならせる。人の体を崩し、蝕み、あらゆる苦痛をもって人を死に導き、人でなくならしめる瘴気だ。よく見ておけ。我らが何から開放されているのかを」

「イかれてんじゃないわよ。こんなの子供にさせることじゃない」

 血管を浮かべてヴィラを抱えるように引き寄せるが、ヴィラの方が顔をあげて首を振り、いつもの声を水にくぐらせたようにして苦しそうに押し出した。

「僕は死なずに、外に漏らさずに昇華できる唯一、だから、死ぬ程でもなく治まるから、大丈夫だよ、カジャ」

 やっと押し出した声を否定するかのように激しく咳き込み、たまらずベッドの上に横倒しになる。カジャが支えたものの、魚が跳ねるように体を丸めて身をよじる。

「何が大丈夫なのよ」

 苦い顔でカジャは騎士に目をやる。

「着替えと氷とシーツとクッションを持ってきてください。とにかく、少しでも楽になるように」


 それから3日はこの状態が続いた。交代せよと言われるのを跳ね除け、カジャは夜も昼もなくベッドのわきでヴィラにつきそった。食事も受け付けないヴィラに付き合ってカジャも食べなかった。


 もう1000年も昔に失われた『病』の記憶を、この国の誰もが持たない。

 本当に、死ぬのではないかという気持ち悪さが離れなかった。ヴィラは呼吸もまともにできないくせに「大丈夫だよ」を繰り返す。繰り返しながらカジャが握る手を握り返す。

 大丈夫なわけがない。

 それなのに、時間に余裕はあまりないと4日目にはフラフラなまま出発を勧告された。カジャが騎士達に怒鳴り散らすのに、頼りない歩みで割って入り、ヴィラは旅路につくと言う。この状態は尾を引いて、細々と続くのでキリがないのだと。次までには治まるからと。よくもこれで『病花の災厄が効かず、綺麗さっぱり昇華できる』と言えたものだ。

 まだ苦しそうに大きく呼吸を繰り返すヴィラの手を握ると薄っすら汗ばみ、まだ熱を高く持っている。言い足りない口を引き結んで、左右に揺れるヴィラが倒れないよう誘導する。






 馬車で揺られつつ窓の外を眺めるカジャ。

 カジャの町からまた随分と遠ざかった。1つ目はカジャの町や城に程近い場所にあるものだったが、遠くに咲いていると報告されている物にも訪問しなくてはならない。持ち運び出来る類の物ではないからだ。

「ほら、以前の君の領地が近い。少し遅くになるけれど、寄ってみようか」

 真っ青なヴィラが楽しそうに提案する。夕刻までに到着しそうな町を通り過ぎ、すっかり日が落ちた頃になりそうな地点だ。君の領地というのはカジャに対してらしい。

「私、領地なんて持った事なんか無いわよ。平民舐めんな」

「カジャ」

 マルテアンの声にカジャはすぐさま言い直した。

「領地なんて持ってるわけありませんだろうが、馬鹿」

「言い直した意味が無い。いい年して、それで通す気か!」

 マルテアンはついに年齢まで出して叱りだした。一番小うるさいのはマルテアンではあったが見ていると副官のようなものらしい。直接的な護衛の指揮はハンチェスタがとっているように見受けられた。とどのつまり常に馬車で顔を合わせるということだ。

「怒鳴らないでくれません?私怒鳴られると怒鳴り返したくなる性分だし、ヴィラが頭に響くらしいから」

「この」


 マルテアンの血管が切れそうな横から、静かにハンチェスタが口を挟む。

「ルグワイツ様、ザグアイナの直系は絶えて久しく、領主は現代のパンドラの騎士にも属すチェイザリーに移っています」

 30代位のお兄さんで外を走ってる中にそんな名前の男がいた気もする。ハンチェスタが窓から指差した馬に乗ってるのは、カジャが付いて来ることになった時にひときわ困惑していた者の1人だ。

「君の子孫って事になるのかな」

 興味を持って乗り出すヴィラにマルテアンが首を振る。

「ケイアルティス・ザグアイナ殿の代でザグアイナは絶えております。彼の従兄弟の子がその後を継いだと記録では残っておりました」

 驚いてヴィラはカジャを見る。

「君、婚約者はどうしたんだい」

「婚約って事は結婚してなかったんでしょ。破局したかどうかしたんじゃない?子供が出来なかったとか。よそ様の家族計画事情なんて探るもんじゃないわよ」

「なんて事を。玄孫くらい抱かせて貰おうと思っていたのに」

「そのお孫さんが既にヴィラより大きいお姉さんとかだったら、どうするのよ」

「小さいお子様である事を祈るばかりだった。旅の唯一の楽しみだって知ってただろうに、君はまったく」

「ちょっと、なんか私がいき遅れたみたいな会話になってるから止めてよ。私は自分で結婚しない道を選んだの。大体本当に冷凍されてたっつうんなら自分で子供作っときなさい。自分の子孫に会えてしまうわ」


 馬車の中に沈黙が落ちる。

 カジャはすぐさま自分でフォローした。

「年下の少年にやる話じゃなかった」

「いや」

 自分の腕を抱いて笑うヴィラは、朗らかに。

「だったら、カジャが生んでくれる?」

 パンドラ様の頭をはたき落したカジャに馬車の内外から非難が飛び交った。






 到着したのは夜の町。一行よりも先駆けしたチェイザリーにより領地の兵士が並び立って道を作っていた。彼らにより屋敷まで先導されたが、宿とは違って客人を迎える準備は急ごしらえで整えられたのだろう。慌しく誘導され炎が照らす門でハンチェスタを交え何かを話し合っている。

 貴族の屋敷になど入った事のないカジャは、屋敷に迎え入れられてからもキョロキョロして入口で立ち止まっていたが、外で馬を屋敷の人間に引き継いできた騎士の出入りで中に促されていく。その中の1人、ワイエルンがカジャの背を押す。

「懐かしい気でも感じたのか」

 前世云々を信じれば、ここは元がザグアイナの屋敷という事になる。古い造りだ、立て直していないのかもしれない。

「私は町からそう遠い所に行った事は無いわよ。こんな馬車で2日もかかる屋敷なんて知るわけないじゃない?」

「それは良かった。以前は己の物であった領地が他人の物などと感じるのは」

 ワイエルンが高い天井を貫くような階段を見上げる。

「少し辛かろうからな」

 視線をさらう階段の上には男の肖像画がかかっていた。遠くてはっきり見えないが、その前に立つヴィラは静かに微笑んでいる。隣に立つチェイザリーに何か説明を受け小さく頷きながら。


「そうかしら」

 そうなのかもしれない。前世の記憶などというものが本当にあるかどうかは関係なく、何不自由なく暮しているように見える貴族は、単に腹が立つ。ただ、それを強く自主的に感じるほどは失敗した人生は送っていないつもりだ。何より不愉快だと感じるものがあるとすれば、約束を忘れていると言われることかもしれない。誓いを破ること、それはカジャが今までで一番不愉快に感じた想いだった。

 そんな遺産を奪われたという独占欲などではなく。


 騎士達の間を縫って一応ヴィラの側に向かって行く。まだあの少年の状態はまともではない。そして、そうなる原因を分かっていてやらせた貴族連中も、カジャの常識に通じるとは到底信じられない。






 宿とは違い、己の屋敷に招いた形になる貴族としては、歓待の意味をかねて豪勢な晩餐とするつもりであったようだ。ただゆっくりと過ごす方向でとヴィラが希望したため、余興云々を控えた食事会となった。

 貴族の何か細かい基準にのっとった席順が、今回はチェイザリーが屋敷の当主であることで若干変化されているらしく、ヴィラの隣にチェイザリーが座している。ヴィラの逆隣はハンチェスタがいつも通り固めている。カジャは本来なら席につくことを許されない身分ではあるが、ヴィラの要望から、いつもはチェイザリーの位置にいる。つまり席が一つずれたカジャは、チェイザリーの隣にいた。

 どうせなら別に付き人らしく給仕に回っても良かったのだが、チェイザリーにやんわり断られた。

 チェイザリーが小難しい挨拶や主賓に当たるヴィラへこと細かに気配りを配す間は良かったが、気安い中弛みの空気で一息ついた瞬間に黙々と食にありついていたカジャと目が合ってしまう。至近距離だ。カジャは貴族の嗜みを特に気にせず音だけ立てないように綺麗に物静かに食べるのみだったが、目が合って何も喋らないというのも気まずい。

「いただいてます。お上品な礼儀作法知らなくて、すみませんね」

「いえ、最低限のマナーがあれば問題無いでしょう。ご自由にお食べ下さい」

 チェイザリーは目をそらした。

 前世を信じる口であれば、話しをするのもはばかられるのかもしれない。ワイエルンが自分の領地を他家に奪われて云々と言っていたのを思い出せば、チェイザリーにとっては気まずいどころではないのだろう。貴族の思考回路など、貴族ではないカジャにとっては夢想に過ぎず終わる。

「パンドラの騎士であったケイアルティス・ザグアイナ氏の使っていた部屋は、私が、今は使用しています。家具は、上等な物が多く、直しはありますが、いくつか現存させており、よろしければ整えさせて部屋を準備できますが」

 考え、迷い、言葉を選ぶチェイザリーに、カジャは目を見開いて首を振る。

「使用人の部屋とかでいいですって。私そういう雇用契約だから。私は別にザグアイナさんですって認めて来てるんじゃないんで気をもまなくていいですよ。せいぜい、ヴィラの部屋から遠く離されなければ」

 困ったように目をさまよわせて、カジャを見下ろしチェイザリーは眉尻を下げて小さく愛想笑いを落す。穏やかにしているヴィラの顔色は、灯りの光で多少だが良く見える。それでも出会った当初の、単に青白いだけの少年レベルにまでは戻っていなかった。

「ガキの言動に振り回されないでくださいな。そりゃ上司があれじゃ貴方達はだだ困りでしょうけど」


 前の席に座っている離れたマルテアンが口を挟む。

「城で認められた確固とした術師により見出されている。カジャがザグアイナ殿である事は事実である。ルグワイツ様は同じ魂であれば現世の性に同質や近似性を求められていない。特別に要請がなければ扱いの決定はルグワイツ様へ伺い立てなさい」

「は」

 素直に従ったチェイザリーとは反対にカジャは逆を向いて顔を歪めた。それを見咎めた者が眉をひそめたが、一番遠くに座るワイエルンが目で止めろと一番熱線を送ってきている。あの男もパンドラの騎士というエリート栄誉職についているからには、どこぞの領地を持つ有力貴族か何かのはずなのに、どうにもそうは思えない苦労性を感じる。


「ヴィラ」

 呼び捨てるたびにマルテアンが注意しようと口を開けるが、それより早くいつもヴィラが返事をしてしまう。

「なんだい」

「ここにこれて良かった?」

 顔色は悪いままで、本当ならば早くベッドに突っ込んでしまいたかった。それでも気持ちを優先するのを止めなかったのは、ザグアイナの肖像画を見上げる少年が、ただ懐かしそうに目を細めるからだ。年季を感じる昔に生きていた人間の顔を見て、少し寂しそうに。

「そうだね。君にそっくりな血縁者には会えなかったけれど、肖像画には確かに君がいた。来れて良かったと思うよ」

「そう、良かったわね」

 ここでザグアイナの話の1つでも出来るものなら、それが一番喜ぶのだろうが、あずかり知らぬものを受け入れる程の何をも持たぬ。何をも与えられぬ。だから、せめて今は邪魔をすまいと。






 夜半、トイレに行くついでに階段の踊り場を見下ろす。結局カジャの寝床は護衛騎士達と同じように貴賓扱いとなった。ヴィラの部屋に近い場所となれば、そうなって当然ともいえるが。

 元々遅くに到着した事もあって会話は早々に終了し、就寝とあいなった。特に記憶などないカジャを相手にしても、ヴィラが期待するような何かなど成立するはずもない。

 階段に飾られた肖像画は歴代の主人だろう。中心にあるのが恐らく。


 カジャは階段を下りて肖像画を見た。派手さのない馬鹿真面目そうな男が仏頂面で黙り込んでいる。柔らかさなど欠片も無い冷たい男に見えた。それこそ仕事一直線だ。騎士の中に不心得そうな者はそれこそいないが、この男には気遣いすら感じなさそうだ。絵には描いた人間がそのモデルに感じた感情が映る。そうカジャは思う。十代の少年が懐くタイプじゃないだろう。

 後悔や影、そういう空々しさ。「あまり好きになれる顔ではないな」と呟いた。

 それからザグアイナの鼻の辺りから右の顎骨辺りまで続く幾筋かの裂傷を触れない位置から指で辿る。カジャの浮かんでは消える顔のものとまったく同じ場所にある、それ。カジャの顔にチリチリと痛みミミズ腫れが浮かぶ。それだけで止まらずソレはプチ、プチ、と裂けて血が薄っすら滲んだ。顎に伝う感覚を手で拭う。


 階段を上っていくと、騎士の1人が扉の前に立っている。ヴィラの部屋の前で、カジャを一目すると特に目に留めず見張りを続行する。外からの侵入を万が一にも許さない守り。という言葉と同時に感じたのは、中から逃がさない鎖の番。

 今夜は静かに眠っている。

 次の病花に辿り着けば再びヴィラは病を飲み干してのたうち回る。全ての病花を処分すれば、一夜と言わず100年の眠りにつくという。本当に冷凍保存になどしているというのだろうか。使い終わった道具のように。人間を1000年近く道具のように出したり仕舞ったりしてきたと。それを何の疑いもせず許しているというのだろうか。知り合いが死んで、生まれて、カジャが死んで、それでも眠り続ける、そういう存在が本当にいると。

 あの少年は病花のように病を少しずつ溜め込んで、最後には病花のように散るのではないだろうか。ならばその時の災いは誰が納めるつもりだろうか。その時、ヴィラは災いとして扱われるのだろうか。

 なんにせよ何1つとて気に食わない。

「そんな方法にすがる連中、あんたにとっての忠実な人間でも誠実な人間でもなんでもないわよ。何がパンドラ?持ち上げられはしていても少しも愛されてないじゃない」

 不快感が増した。

 かつてのそんな連中の1人だと言われているのだ。

 それがカジャ1人の感覚であって、これは正しい事だという満場一致だとしても到底受け入れかねる。だからと言って、ヴィラの本心など聞きだせる立場であるはずもない。

 片腕を伸ばして笑顔でいるのは拒絶か、助けを請う期待なのか、神のみぞ知る。






 馬車の座る部分が若干厚くなっていた。

「長旅だから沈み込むくらい柔らかくないと体が壊れるから」

 ヴィラが注文をつけていたらしい。後、席替えがあってヴィラの隣にマルテアン、カジャの隣はハンチェスタとなっている。斜め前になったので、とりあえず殴る拳は届かないだろう。まあもろにそういう意図だ。

「気遣いが足りなくて、申し訳ない」

 謝ったヴィラにカジャはこのクッションが自分に対する配慮であった事を知る。確かに馬車でほとんどを連日過ごすのは慣れないものがあったが表に出した覚えは無い。貴族という輩に少々舌を巻いた。町の男共と言えば女の顔に愛想に騙され、適当に操れてしまうものである。こんなに素早く看破されて良いはずがない。初対面から何日しか経っていないと思っているのか。

「平気よ。別に妊婦や怪我人じゃあるまいし」

「僕が気になるんだよ。以前みたいに頑丈そうな肉体をしててくれれば、ね」

「男じゃなくて悪かったわね。別に振動やそこらで儚くなったりしないわよ。それでもまあ、しんどい時に横になるのにはちょうど良いかもね」

 誰かが降りれば居眠りするのに十分な広さだ。むしろカジャの家のベッドより上等だろ、これ。

「慣れない旅で疲れたの?」

「いや、あんたがだよ。顔色はよくなったみたいだけど、どうなの?」

「少しは気だるさが残っているけれど気にしなければ忘れる程度かな」

 すぐに大丈夫だという少年ではあるが、そこで変に事実を捻じ曲げる様子は感じられない。病花を厳重に警護している立派な砦や、その近くにある町宿で十分に休養できない以上、移動中の負担を減らす準備は最初からされて然るべきでもあった。当人が別の理由で指示するのもおかしな話だ。


 思考のついでに病花を保護している砦へ標的を移す。砦は絶え間なく病花を管理するために、兵士が十分に駐屯できる設備を備えていた。何せ病花は100年に1度実るというだけで、100年間は同じ場所に生えている。まかり間違って枯れているのが発見されようものならば、首をぶった切られかねない空気があった。言葉通り目を離さずに交代で世話をしているのだろう。たかが花1輪を。

 病花など見たことがないはずだ。あれでは実質一般人には公開されない花と言ってもいい。いや、今もカジャは果実を見ただけで花を見たわけではないのだ。ヴィラに昇華させるために開花時期は全てそろえられている事だろう。カジャが生きている内に花が咲くのを目にする可能性はない。


「病花ってどんな花なの?」

 挿絵か何かで教科書に載っていた気がしなくもないが、生活に関係のないものを覚えているほどのインテリではない。ヴィラは眉を上げて楽しそうに首を傾げ、顎に指を当てて考える。

「薄い紫かな。最初は薄いピンクで段々と濃く濁って醜悪な匂いになっていくんだとか。実になってしまえば近づいた時にしか匂わないけど、花の散り際はそれだけで人を不快にさせ飛ぶ鳥を落す勢い。僕も実になった頃合いに起こされているから、子供の頃に1度見た事があるくらいなんだよね」

「うわあ」

 想像するだに、病花を飲んだヴィラはしばらく胃からその醜悪な匂いで悩まされるのではないだろうか。臭い食べ物を食べた時にいつまでも残るアレみたいなものだ。

「味は?」

「なんだろうね。7つの頃から食べてるし病花の味としか形容し難いんだ。似た物は思い当たらないかな。多分道草に生えている草を食べればどれかはアタる気がするんだけれど」

 もはやマルテアンからすら言葉遣いへツッコミは入らないらしい。ただ黙々としているだけだ。それはそれで会話し辛い。席も離れたし。そもそも少年と壮年の騎士2人というのが問題だ。ヴィラと同じ位の年齢の騎士をどうして採用しなかったと言いたい。女がいて華やかとか最早次元が違うだろう。せめて「それは大変ですなー」なんかの愛想が挟める人選は必要だろう。それともカジャがそういう会話要因として同行しているから、おべっか放棄なのか。


 寡黙な騎士2人と、ガチで馬車の密室から景色眺めるだけ旅行。カジャならグレる。肖像画に見たザグアイナという男も雄弁ではなかっただろう。むっつりしたあの外見通りならば。いや、逆にマルテアンのようにブツブツ小言を垂れ流すタイプか。

「ヴィラは前世でもこんなむさ苦しくて、重苦しい雰囲気で旅をしてたわけ?友達作る暇もないんじゃないの」

「前世って、僕は生まれ変わったわけではないんだけれど。まあ護衛の筆頭は側にいてくれた方が安全性が高いし、いつもなら車窓から気の利いた騎士が何かしら会話をふってくれるかな。友達というと、一所には留まらないから知人はそもそも限られてきて、そうだな、いなかったわけではないよって感じかな」

 カジャはハンチェスタの方に標的を変える。

「パンドラの騎士って名誉職だから誰でもなれるわけじゃないって気配は分かりますけどー、せめて数人位はもう少し考慮して年齢近いの準備するべきじゃないですか」

「若すぎる者には未熟な者が多い。資格ある者の中から確かな者が選別され、きたるべき日のために育成されている。パンドラの騎士という点では妥協は許されないのだ。だからこそ必要な者はルグワイツ様の要請に合わせて迎えいれている」

 目を向けられて、まさにお前をその役目で雇ってんだよ。という感じを匂わせた。それにしてもカジャは女である。ヴィラが騎士と話している姿も見かけるには見かけるものの、カジャに言わせれば「何冷めた会話してんのさ」という事務的な感じが否めない。町中で馬鹿笑いして馬鹿騒ぎしている少年や、若さゆえのやっちまった感が満載な男共を見て欲しい。それともお上品な貴族さん方はこれが普通だと言うのか。なんつう弾けてない十代だ!

 友達というにはカジャですらヴィラとそれなりに年齢が離れている。女では少年の猥談にはついていけないかもしれない。いやいや、こんな顔してどんな事を考えているのか分からないのが男というものだ。純粋培養で天使か神かみたいな脳みそお花畑はいくらなんでも何かが可哀想だ。

 ニコニコとカジャを見ているヴィラの面を見ながら玉汗がカジャに浮かぶ。

 ありえそうで怖い。

 女遊びに連れまわすには性別の壁が厳しい。こんな時だけ思うに、ケイアルティス・ザグアイナは一体何をやってやがったのかと、カジャは過去のパンドラの騎士に難癖をつけてみる。仕事だけしてたんだろうな、と。






 昼に辿り着いた病花を昇華させて、遠巻きのカジャ達に近づいてきたヴィラは夜までにまともな宿に行こうと即馬車に乗り込んだ。ヴィラの希望だ。浄化が行われた後には休めるような設備がやはりあるようなのだが。

 殴らないからとマルテアンを抑え、再び元の席順でヴィラに膝を貸して横にさせた。どう見たってカジャには倒れかけたヘラヘラ強がっている少年である。ガチムチ野郎ばっかり周りにいるから余計に子供に見えてくるもので、断るヴィラだろうが羞恥プレイだろうが強制、拒否却下。

「肉厚があって気持ちよかろうが!」

 自虐ネタも飛び出すというものだ。

「厚みという意味でならハンチェスタの方が凄いと思うけど」

 膝の上にいるヴィラがごつく硬そうな太ももに目を向けて笑い、下からカジャを見上げる。

「女性の柔らかな感触は確かに良いよね」

「あー、はいはい」

 髪を掻きあげて揃えて撫で付けるとヴィラはご機嫌だ。そうしてると余計に幼く見える。


 いや。

 意図的にそう育てているのか?7つの幼子の頃から病花を食べている。そこからまともな生活はしていたのか?1000年の冷凍。その昔に義務教育は?家族は?

 額に当てていた彼女の手は短く震え跳ねた。不思議そうにヴィラが見上げて声をかける。

「ザグアイナ?」

 そんな邪悪な歴史が許されるわけがない、と思いたい。思いたいが事実そうだと言っているのは本人達だ。何かの貴族的比喩か、からかいでなければ。

「カジャ、不快になったのなら起きよう。軽口のつもりだった」

 ヴィラが上半身を起こそうとする。その大人びた、貴族びたかも知れないが、その口に手の平で蓋をかけて膝に押し戻す。

「おやすみ、坊や。ちょっと喋り過ぎね」

 ただ、それが真実であったなら・・・・・・・。

 頬に指をはわせると、頬の傷がまた浮かび上がっていた。薄れてはまた表れる。昔あるところにいた陰気な騎士が、何かの後悔を主張しているように。

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