豚しゃぶは幼女になってしまうのか
「ふぅ、終わった終わった」
「せんぱーい、こっちも終わりましたー」
「じゃあ、店長に確認取って帰るか」
昨日と違って夕方からのバイトなので、非常に気が楽だ。
しかも明日は休みと来た。
こりゃあもう祭りだな。
「店長、上がっても大丈夫ですか?」
「ん? んー、まぁいいよー」
「あれ、何かやる事残ってるんですか?」
「やることならいくらでも残ってるよー、残業してく?」
「いえ、結構です」
藪をこれ以上突く前に撤退するに限る。
大学へ行ったはずなのに教科書の入っていない鞄を取ると、裏口から外へ出る。
流香ちゃんも外で待っていてくれた。
「では、お疲れ様でーす」
「お先にー」
「あーい」
なんか自然に帰る感じになった。
せっかくだし、途中まで送っていくか。
まぁ、二人きりじゃないんだが。
「さぁ帰ったらあそぼーねー」
「う、うん……」
例の板チョコ幼女も一緒だ。
なんか流香ちゃんのテンションに引いてるようにしか見えないが。
「んー」
「あ、この子眠いんじゃないのか?」
「そっかーもう夜だもんねー」
板チョコ幼女が目をごしごし擦っている。
そりゃそうだ。この時間は店が閉店してる時間だ。
昼間は遊びまわってるんだし、この時間には眠っててもおかしくはない。
「すいません、ちょっと荷物持ってて貰っていいですか?」
「おう」
「よいしょっと」
ねむねむ状態の幼女を抱きかかえる流香ちゃん。
幼女は数分で眠りに落ちた。
にしても流香ちゃんの荷物、やけに重いな。
「うーん可愛いですねー」
「どうする? 飯食ってこうと思ってたんだけど」
「あー、この子がいたら無理ですかね」
ふふ、なんだか家族みたいですねーと小さな声で呟く流香ちゃん。
聞こえてるぞ。聞こえないフリするけど。
「あ、そうだ。じゃあウチ来ません?」
「え?」
「ちょうど今、女の子化せずに食事をする方法を研究してるんですよ。良かったら一緒に」
「あぁ、じゃあお言葉に甘えて……」
あれ? 流香ちゃんってお父さんは出張か何かでいないんだったよな?
お母さんは今入院中だし、もしかして家には流香ちゃん1人なんじゃ……。
ってことは、まさか流香ちゃんと2人っきり?
流香ちゃんの家で?
「んー、二人ともケンカしちゃダメだよぉー」
「あぁ、こいつがいたか」
「へ? 何か言いましたか?」
「いや、何でもない」
世の中、そんな甘くはないようだ。
「ただいまーっと」
「し、失礼しまーす」
流香ちゃんの家は、結構立派なマンションのそれなりの階にあった。
何だろう、凄い緊張する。
女の子に誘われて家に行くなんて、幼稚園以来だ。
流香ちゃんは眠っている板チョコ幼女をソファーに寝かせると、料理の準備に取り掛かった。
キッチンから包丁の音が聞こえる。
「あれ?」
そういえば、キッチンから他の声が聞こえないな。
俺の家だったら、冷蔵庫とか、お菓子コーナーとかから幼女のやかましい声が聞こえるもんだが。
寝てるんだろうか。
「流香ちゃん、ちょっと冷蔵庫開けていい?」
「あ、どうぞー」
他の家の冷蔵庫を開けるってのは失礼な気もしたが、流香ちゃんが良いって言ってるしまぁいいか。
ガチャっと開ける。
「おぉ、凄い整理されてる」
「お母さんがいつも、冷蔵庫は綺麗にしろって言うので」
「へー」
中には、様々な食材が入っていた。
全てが幼女化していない食材だ。
そうか、幼女になってない食材使わないと意味ないもんな。
「お、凄い量の肉」
「しゃぶしゃぶを試そうかと思って。ちょっとそこの豚肉を取ってくれませんか?」
「はいよー」
しゃぶしゃぶか。
それでどうやって幼女化しないんだろう。
「お待たせしましたー」
「おぉ」
そこそこの量のお肉が運ばれて来た。
卓上には、コンロが置かれていてその上に鍋がセットされている。
少し出汁の効いたお湯が沸騰している。
「いいですか先輩、この肉と鍋は近づけちゃ絶対ダメです」
「おう」
「テーブルの端っこと端っこにセットして、準備完了です」
ちなみに、テーブルにはそれ以外にどんぶりが2つ置いてある。
その中には、豚しゃぶ用のタレが入っている。
牛肉の場合、失敗した時のダメージが大きいからな。
「いいですか、まずはお箸で豚肉を掴みます。掴んで下さい」
「掴んだ」
「そうしたら目を瞑ってください」
「おう」
現在、食材は幼女化していない。
あくまでも、豚肉と沸騰した出汁扱いなのだろう。
確かにこれは料理ではない。
組み合わせれば料理になるが。
「行きますよ、豚肉をお湯に入れてください!」
「おう!」
「薄めに切ったので、10秒ぐらい軽くしゃぶしゃぶして下さい」
「分かった」
「……今です! 豚しゃぶの元に付けて食べて下さい!」
手にはまだ箸の先に豚肉の感覚がある。
だが、なんとなく分かる。
目を開けたら、そこには幼女がポンッと出現するような気がする。
つまり、目を開ける前に食べてしまえ作戦だ。
「むぐむぐ……美味しい!」
「先輩、目を開けないでくださいよ!」
「分かってる分かってる」
なるほど、小さな器ではなくどんぶりに豚しゃぶの元を入れたのは、大きい器の方が間違って手に入れたり、汁が跳ねたりしない為か。
考えられてるな。
食材を並べ、目を開けないで食べ物状態にして食べる。
だからしゃぶしゃぶなんだな。
「先輩、第二波行きますよ!」
「おう!」
なんか楽しくなって来た。
二回目、三回目も上手く行った。
食えてる、豚しゃぶを食えてる!
……ご飯が欲しいけど!
しかし、幸せな時間はそう長くは続かなかった。
ピンポーンというチャイムの音が、家に響き渡ったのだ。
「……まさか、流香ちゃんのお父さん?」
「だといいですけど、多分宅急便だと思います。ちょっと出ますね」
こんな時間に? と思ったが、どうやら流香ちゃんが通販で頼んだ物らしい。
時間指定で、大体このぐらいの時間に届くようにしたとか。
バイトとかで、昼間はいない事が多いからな。
「ではどうも、ありがとうございました」
「はーい、ありがとうございましたー」
「何買ったの?」
「日記ですよ」
宅急便の人を送り出し、荷物を自分の部屋に運ぶ流香ちゃん。
へー、日記なんて書いてるんだ。
2人でリビングに戻ってから、ハッと気づいた。
「ねーねー、君だーれー」
「んー、眠いのにー」
今までいなかった幼女が、ぐっすり眠っていた板チョコ幼女に絡んでいた。
間違いない、こいつは豚しゃぶ幼女だ。
宅急便が来て、つい目を開けてしまった。
「……とりあえず、火を消しましょうか」
「そうだな……」
豚肉は数切れ食べられた。
あの店に比べると、格段に美味しい食べ物だ。
食べ物が幼女になってから、一番美味しい食事だった。
しかし、お腹の空腹は未だ満たされないままだった。




