犬達との出会い。
教室の内部が、静寂に包まれた。
その空気を知ってか知らずか、目の前の男はまた平然と言い放った。
「東柚月さん! 僕と付き合って下さい」
もちろん、教室内部全ての人間が固唾を呑んでこちらを注目している。
私は、呆然となり思った。
こいつ……正気なの? と。
「……で、無視して帰ったわけだ」
「当たり前でしょ? 意味わかんない」
あの男、何て名前だったっけ? えっと、そう! 確か凪だ。
凪が苗字なのか名前なのかは知らない。そもそも、大学に入学して講義が始まったのが1週間前で、履修が同じになったのは3日前。話をした事もなければ、性格も知らない。せいぜい「見た事あるな」ぐらいの他人だ。
「公衆の面前で大告白! どんな子なの?」
さっきから、雅が五月蝿い。興味深々、垂れ流し状態だ。
「どんなって……犬みたいなヤツ?」
「犬! 犬かあ。それは可愛いね。尻尾振って柚月さ~んって来たんだ」
「そ。尻尾見えたもん」
「ははっ。いいじゃん飼ってあげたら? 凄い特技とかしてくれるかもよ~」
「うちのマンション、ペットお断りなの。それに飼う気ないし」
「可哀想~。犬君」
可哀想と言いながら、笑ってる雅の方が酷いと思うよ。
「まあ、そんなこんなで疲れた。だから今日は帰るわ」
「え? 今からお茶しようって言ってたじゃん! さっき」
「うん。気が変わった。お茶はまた明日でいい?」
「ま……いいか。公衆の面前で告白されるなんて、それはそれはお疲れだもんね」
「そ。帰って寝る」
そのまま雅に手を振って、校内を出た所で別れた。
「……はあ。ちょっと悪かったかな」
雅とは入学式の日に知り合った。さっぱりしていて、あんまり根にもつタイプの子じゃなくて、何となく馬が合ったとでも言うのか、行動を共にする事が多くなった。
何でも興味を示しておもしろがるので、まあ、今日の講義が別々だったのだけが唯一の救いだ。
目撃されてたら、あんな冷やかしじゃ済まなかっただろう。
「それにしても……」
春先にはヘンな男が多い。本当に気をつけなければ……。
そう思いながら、私は電車に乗り込んだ。
4月、大学入学を機に私は1人暮らしを始めた。
どうって事のない地方都市の小さな町で、学生用ワンルームマンションの下がコンビニになっている、家賃6万円の小さな私の城。アルバイト先もマンション下のコンビニに決まり、正に住職近接。大学までも電車で1駅。まあまあ、いい所が見つかったと素直に喜んだものだ。
大学からマンションに戻り、部屋へ入ろうとして、何か違和感を感じた。
「ん?」
通過した隣の部屋の前にもう1度戻る。
「ん? 凪?」
紙に書かれてテープで貼られた表札。そこに『大澤 凪』の文字を発見する。
「……まさかね」
まさか隣に住んでいるとか? いや、まさか、そんな偶然ないに決まってる。
「でも凪って珍しい名前。凪、凪、凪……かあ」
「呼んだ? 柚月さん?」
驚いて振り返ると、そこには人懐こそうな笑顔を浮かべた「犬」がいた。
「お隣さんって知ってて、声かけて来たんだ」
声をかけるというより、いきなり「付き合って」と言った気がするが、そこは軽くスルーしておく。
「うん。柚月さん、下のコンビニでもバイトしてるでしょ? だからよく見かけてたんだ。ここ数週間ぐらい。……で、親しくなりたいなあって思って」
ニコニコ笑顔を一切崩さない。本当に尻尾が見えそうな程、いきなり懐いてきている。
「そうなんだ。まあ、お隣さんだし今後とも宜しく。それじゃあ」
こちらとしては、一切親しくする気はないけど。まあ、社交辞令だ。
踵を返して立ち去ろうとしたら、どこかで犬が鳴いた。
「え?」
今、ワンって言った? このマンションペット禁止なのに……。一体どこで?
何となく辺りをキョロキョロ探していると、大澤凪の動きが落ち着かなくなった。
「まさか……あんたじゃないでしょうね?」
「ちっ! 違う!!」
噛んでますけど? 目が泳いでますけど?
怪しげにジッと見つめると、大澤凪は物凄くバツが悪そうな顔をして「……内緒にしてくれる?」そう言って、自分の部屋のドアを静かに開けた。
「あんた……バカでしょ?」
大澤凪の部屋は、当たり前だけど私と同じワンルームの造り。
その狭い部屋の中に、3匹の子犬がいた。
「だって、ほっとけないでしょ? 人として!」
同族だからでしょ。と口から出かかったけど、黙る。
流石にそこまで軽口を飛ばせるほど親しくはない。
どう対処していいのかわからずに、玄関で立ち尽くしている私の足元に一匹の子犬が擦り寄って来た。
茶色と白が交じった可愛い子犬だ。
「茶トラ。ダメだよ。柚月さん困るよ」
「茶トラ?」
「そう、その茶色いのが茶トラ。後、この白いのが白ウサギ。で、このちょっと薄い黒なのが灰色狼」
動物の名前に別の動物の名を付ける。どういうネーミングセンスなんだろう?
そんな話をしている間に茶トラは私の足をよじ登ろうと、足をカリカリし「クゥーン」と鳴く。そしてウルウルした瞳で私を見つめる。
「あーもう!」
そんな瞳で見つめられると、構わないではいられないじゃん!
私は茶トラを抱き上げて、頬ずりをし、頭を優しく撫でた。
「柚月さんは、きっと犬が好きだって思ったんだ」
私は大澤凪の部屋に上がり、茶トラを膝に乗せ、何故だか向かい合ってお茶などを飲んでいた。
初めて会うも同然の男の部屋に上がりこむとは、私も信じられない行動を取る。
まあ、相手も犬系のニコニコ男だし、いきなり襲われるとか、そんな事はないだろう。
「なんで犬好きって思ったわけ?」
「う~ん……。感……かな」
「でもさ。ここペット禁止だよ。どうするわけ? 3匹も拾っちゃってさ」
「じゃあ! 柚月さんは見過ごせる? 目の前で保健所に連れて行かれようとしてる子犬を見捨てる事が出来る?」
「……出来るよ。だってそんなの、その場限りの自己満足じゃん。この子達と同じような目に合っている全ての犬を救う事は出来ないし、何より、飼えもしないのに貰って来る方が迷惑だよ。無責任だよ」
ちょっと言い過ぎたかな? と思ったら案の定、大澤凪は目を潤ませ始めた。
「ちょっと、泣かないでよ。わかった! もう知ってしまったから仕方ない。私も何とか飼い主を探してみるからさ」
今泣いた子が笑うとでも言うのだろうか? 大澤凪は泣き顔から一瞬で笑顔になり「柚月さん!!」と抱きついてきた。
「ちょ……止めてよ! わかったから!」
私と大澤凪の間に挟まれてしまう形になった茶トラが驚いて、膝から飛び降りた。そして、いきなり大澤凪に軽く噛み付いた。
「いたっ……わかったわかった。茶トラも柚月さんが好きか。そうだね! 僕達ライバルだね!」
「……は?」
「柚月さん! 僕と茶トラ、どっちと付き合いたいですか?」
「…………は?」
さあ、選べ! とばかりにグイグイ迫ってくる、大澤凪と茶トラ。
その2択……何なの?? 強制??