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会場は普通の居酒屋の座敷部屋。
長方形の木製テーブルを挟み男女が四人づつ向かい合って座っている。女子は鮎美の先輩達、男子は誰も見たことがない面子だった。
「まず自己紹介から始めましょ」
合コン幹事の李絵子が軽やかにそう言い、始まる自己アピール。自己紹介など学校でしかしたことがない鮎美は、緊張で脇の下に変な汗をかく。女子のトリを務めることになった彼女は先輩達の様子を見ながら脳裏で自分が言うべきことを必死で考える。
合コン、軽い気持ちで参加したが、こんなに緊張するものであると知っていたら来なかったと後悔がする。が、今さら逃げることもできない。そして無常にも、考えがまとまらぬまま、鮎美の番がやってきた。
「あ、あの、私は黄沢鮎美と言います。先輩達と同じ会社で二十三才です。宜しくお願いします」
結局とっさに出てきた言葉それだけだった。先輩たちのように何か気の効いたことを言おうかと思っていたが、場慣れしていない彼女にそのような芸当は無理だった。真面目一筋の鮎美はそれだけ言うと、ぺこりを頭をさげて座布団に座りなおす。あまりにも短い、面白みのない自己紹介に一瞬ぽかんと間が空くが、一人の男が口を挟み場が和む。
「鮎美ちゃんね。よろしく」
笑顔も一緒にそんな挨拶をしたのは、真向かいに座る二十代の男。彼女とは正反対の髪質の黒髪には天然なのか、どうなのか、緩やかにパーマがかかり、視界を邪魔しないようにかきあげられていた。両耳の揉み上げはしっかり手入れされ、綺麗に整えられている。
優しそうなハンサムな男の笑顔はこれまた爽やかで、鮎美の緊張を一気にほぐした。
「じゃ、次は僕から行きます」
そう言って男が立ち上がる。男はすらりと背が高く、身につけている黒地のスーツがよく似合っていた。
「僕は山岸信乃輔。他の奴らと同じ雷津商事に勤めています。現在彼女募集中なので宜しくお願いします」
そう紹介し終わると、男子から冷やかしが入り、鮎美の隣に座る先輩達から熱い視線が送られる。そんな中、幹事の李絵子だけは少し冷たい視線を彼に向けていた。鮎美はそんな彼女に少し違和感を覚えたが、店員が生ビールを持ってきて、皆がわいわいジョッキを片手に取り始め、思考を停止させられる。
自己紹介が終らぬまま、乾杯の音頭が取られ、飲み会が始まる。その後に取ってつけたように自己紹介が続けられたが、李絵子を除く二人の先輩の興味は信乃輔だけのようだ。肉食女子を体で表すごとく、二人は鮎美の視界を遮って話しかけていた。
しかし、当の本人は二人に相槌を打ちながらも、鮎美にせっせと話を振る。彼女は戸惑いながらも、質問されるので答えるしかない。彼が彼女に興味を持っているのは一目瞭然で、二人は徐々に諦め始め、他のまあまあイケテル三人に目標を変えていった。
(……なんでだろう)
信乃輔に話しかけられながら、その疑問が脳裏から消えなかった。
眼鏡をとったからモテ子に変わったんだ、というような甘い考えは既になくなっている。
彼は世に言うモテ男だった。
その男が自分に積極的なのがわからず、鮎美は戸惑うばかりだった。
しかし、お酒がすすむにつれて、彼女も酔い始め思考は再び明るい方向に反転。目の前の男は、これまで会った中でも上位のイケメンだ。同僚で今朝ファスナーが開いていると注意してきた山本といい勝負ができそうなくらいだった。
彼氏ができないくせに、理想だけは高い鮎美は、徐々に彼に好かれているような錯覚に陥る。
そして、最後にはやっぱりコンタクトレンズにしたから、気に入ってくれたのだと思うようになっていた。
「鮎美ちゃん。僕と二人っきりで飲み直さない?」
飲み会が進み、馬鹿騒ぎが始まっていた。信乃輔は周りが煩いのか、鮎美の耳元に唇を寄せてそう囁く。ふっと息がかかり、くすぐったい思いと同時に彼女は妙に恥ずかしい気持ちになる。
お酒ではまったく顔色を変えなかった彼女だが、その頬は恥ずかしさで真っ赤に染まっていた。
「可愛いね。鮎美ちゃんは」
初心な様子に男はクスッと笑い、立ち上がると男性陣のリーダーのところへ向かう。二人は一言二言交わし、笑みを交わした。そして鮎美の側に戻ってくると「行こうか」と腕を掴んだ。
「え?!」
料金の支払もまだで、誘ってくれた李絵子の姿も見えなかった。
「待ってください。まだ」
「大丈夫。僕が代わりに払っておいたから。李絵子さんには重田から伝えておくって」
重田とは先ほど話していた男のようだった。彼女の考えを読み取ったように答えられ、腕を掴む彼の手に力が籠った。
「おいで」
強引だがそう甘く囁かれて、断れるはずなく、夢見る彼女は彼について店を出た。
§ § §
平日の夜。それでも繁華街の夜はサラリーマンやOL、学生としか思えない男女で溢れていた。
信乃輔は鮎美の腕を引いたまま、その人混みを縫うように足早に進む。
「あの、」
一緒に飲み直すはずだった。しかし、彼は居酒屋やバーなどの店に目を向けることもなく、繁華街の奥へ入っていく。
見えてきたのは、スナックやキャバレー、ラブホテルが立ち並ぶ風俗街の一角。
「どうしたの?」
彼女が立ち止まり、男の足も止まる。戸惑っている鮎美の様子がわかるはずなのに、彼は優しげな笑みを絶やさぬままだ。
「ここって」
「君だって、子供じゃないだろう」
その言葉で彼女は意味を知る。男性経験はまったくない。しかし、彼女が読んでいる少女漫画でもそういうシーンはあった。またとっくに成人している彼女、聞きたくなくてもそんな情報は頭に入ってきていた。
二人で飲むことに同意した時点で、そのように考えられていたと思い、鮎美は顔色を失う。
彼氏ができることを望んでいた。一緒に食事を共にしたり、映画を見たり、楽しそうだと思っていた。そして行きつく所が、その行為だということを彼女も理解している。だが、段階を踏んでいって、そうなるつもりだった。
「いやです」
いくらイケメンだと言っても今日会ったばかりの男。鮎美は顔を上げるとはっきり宣言する。
彼は一瞬唖然とした顔を見せたが、口に手を当て笑い始めた。
「馬鹿だな。もったいないって思わないの?僕みたいなイケメンが最初の相手になるなんて、普通なら光栄だって思うべきなのに」
(信じられない!この人!)
信乃輔の言葉、うすら笑い、それらは彼女が彼に抱いていた感情を一気に冷めさせるには十分なものだった。
「帰ります」
男の腕を振り切り、くるりと背を向ける。
「駄目だって」
しかし、彼は鮎美の腕を再び掴んだ。
「今日は絶対にやりたいんだよね。しかも処女と。だから、付き合ってもらうから」
まったく自分勝手の言葉である。世の女は彼のためにある、そう思っている男だけが吐く台詞だった。
「離して!」
自分が彼に好かれていると勘違いしたことが恥ずかしかった。持っていたショルダーバッグのストラップを持ち、バッグで男の顔をしこたま打ち付ける。
「いたっつ!何するんだ。このブスがっ!」
男が怯んだ隙に、鮎美は一気に駆け出した。
信乃輔が追いかけてくることはなかった。怒り心頭であるが、追いかけるほどのエネルギーはなかったようだ。
久々に全力疾走をした彼女は、息を切らせて近くのベンチに腰を下ろす。
平日の午後十時、人込みは若干減っていた。
頭上の街灯は壊れているのか、明かりはついていない。暗闇に溶け込んだ彼女は、誰の目に止められることもなかった。
「馬鹿みたい……」
そんな言葉が口から出る。
あの男に好かれていると思い、ほいほいと彼の言う通りについて行った。
彼は鮎美が男慣れしてないことに気が付き、それで興味を持ったにすぎなかった。好きとかそういう感情では決してなかった。
――このブスがっ!
そう怒鳴られたことを覚えている。
眼鏡をはずしてもブスはブスなのだ。実際のところ、わかっていたことだが、鮎美は自分で自分に魔法をかけた。眼鏡をはずせば、変身できると。
朝と昼でそれは幻であり、現実はそんなに甘くないことを突き付けられていた。しかし、初めての合コン。イケメンと呼ばれる部類の男に声をかけられ、誘われて、錯覚してしまった。
「本当に馬鹿……」
鮎美は込み上げる涙をこらえようと、両手の平を瞼に押し付ける。そして大きな息を吐き、心を落着けようと試みた。
ふと、ブルブルと振動を感じた。顔を上げ、発信元がバッグであることに気がつく。バッグを開けると音楽が聞こえ、着信によって光っている携帯が見えた。
「もしもし」
「黄沢さん?!大丈夫?」
電話をしてきたのは合コンに誘った李絵子だった。
「ごめん。本当。あの山岸って男。手が早いって知ったのに!今どこ?大丈夫?」
(だったら先に言ってくれればよかったのに)
彼女の心配そうな声音を聞きながらも、鮎美は疲れた頭でそう思う。彼女を責めたい気持ちはある。しかし、あの男について行ったのは、騙されたのは鮎美自身だった。
「大丈夫です。どうにか逃げることができました。もう私は帰りますので、また明日。代金は明日会社で払いますから」
自分でも信じられないくらい鮎美はさらっと言って電話を切る。
(考えてもしょうがない)
鮎美は目を閉じて、もう一度深く息を吐くと立ち上がった。
彼女は傷ついていた。しかし、怒りを彼女にぶつけることが筋違いであることは理解していた。
§ § §
最寄りの駅で降りて、自宅まで歩く。
コンタクトレンズの初日にしては長く装着したため、それは彼女に頭痛を与え、気分の悪さに拍車をかけていた。吐くほど酔ってはいない。しかしいいお酒の飲み方ではなかった。しかもあの男から逃げた時に全力疾走し、悪酔いもいいところだった。
鮎美はふらふらしながらも足を進める。
自宅に近付くと、自宅の前に長身の影が見えた。それは男のようで、彼女は警戒しながらも近づく。男まで数メートルの距離になり、その男がまだ男とは呼べない年頃の弟の幼馴染であることわかった。
(なんでこんな時間に?)
腕時計を見ると、もう十一時を過ぎていた。
家が隣だとは言え、小学生は外出してはいけない時間である。
「彼氏ができたのか?」
彼女の姿を見た少年は、開口一番、そんな台詞を漏らす。
「……いや、できてない。っていうか、それよりも何でここにいるの?おばちゃんに怒られるわよ?」
順児の母親は面と向き合うとたじろいでしまうくらい、体格のいい、プロレスラーのような女性だった。そして規律も厳しい方で、こんな時間に少年が外に出ることを許すタイプではなかった。
「できてないのか」
しかし少年は鮎美の後半の台詞を聞いていなかったらしい。マイペースにそう呟くと安堵したような表情を見せる。
彼女は意味がわからず、とりあえず自宅に帰ってもらおうと口を開く。
「もう遅いから家に戻らないと、おばちゃん、本当に怒るわよ。私は先に帰るからね。じゃあね」
一人にされたら心細くなるだろう、母親もそろそろ息子が外に出ていることに気づくだろうと、彼女は少年を置いて自宅の門をくぐろうとした。
するとぐいっと腕を掴まれて、彼の前に立たされる。
「俺と付き合え」
鮎美の前に立ち、見下ろしながら長身の少年はそう言った。
身長に反して幼さが残る顔に、怖いくらい真剣な表情が浮かんでいる。
「え?!」
(いや、付き合うって、そういう意味!?いや、ありえないから)
「眼鏡はずしたから、すごく綺麗になった。だから誰かに取られるかもしれない。だから、その前に俺と付き合え」
戸惑う彼女に少年はギュッと腕をつかんだまま、そう告白する。
『眼鏡はずしたから、すごく綺麗になった』
それは鮎美にとって待ちに待った言葉だった。が、相手が違う。夢に描いたのは同じ年齢か、少なくても成人男性だ。小学六年生。体は鮎美よりかなり大きいが、まだ子供といえる十二歳ではない。
二十三歳の彼女と十ニ歳の少年。十一歳年の差、そんなカップルは世界にはごまんと存在している。だが小学生と付き合うなんて、彼女には想像ができなかった。
「えっと、順児。悪いけどお姉さん、疲れてるから、君達の新しい遊びには付き合いきれないわ」
どう答えればいいのかと思いついた台詞。そう言えば、悪い冗談だと言ってくれると信じて、鮎美は口にした。
しかし、少年はむっと怒りの表情を見せると、彼女を強引に引き寄せた。
「遊びなんかじゃないから」
そして、一人で真っ赤になると、驚きで目を丸くする鮎美を残して、隣の自宅に走って戻った。
(えっと、えっと。もしかして、私、今抱きしめられた?ぎゅって?)
男いや、男と言うのは語弊があるが、身長だけなら立派な男である。その男に彼女は抱きしめられた。
初めての経験である。
鮎美は頬を薔薇色に染め、その場にへたり込む。
(……でも小学生なのよね)
予想外、想定外。
しかし、彼女が待ち続けてきた春は訪れたようだった。




