5章 青色の魔石、路地裏の暴力
(納得がいかない!)
とヴェノストは口を尖らせた。
思っていたとおりの残念な朝食を食べた後、今はとりあえず調整師のところに向かっているのだが……。
ちらりと後ろを向くと、楽しそうについてくるフェオミア。
一夜で何があったのか知らないが、やたらフェオミアがヴァルヘムに懐いているのだ。
ヴァルヘムも随分とフェオミアを気に入ったようで、何何と伝えてくれ、だとか、何何はどうかと聞いてくれ、だとかそんなことばかり言ってくる。
(私は伝言かかりじゃないってば!)
とヴァルヘムには伝わらないようにしながら、思った。
フェオミアの、昨日とうってかわったニコニコ顏も、なんだか気に入らない。
そして、フェオミアもまたヴァルヘムに話しかけようとするので、それも気に入らない。
そのため、ヴェノストは今、ちょっと苛ついているのだった。
ついにプチンと来てしまったのはその数分後である。
本日何度目になるか分からない、
「あの、ヴァル兄に、」
というフェオミアの声に、
「ああ、もう!」
と言ってある店に入っていった。
その怒気のこもった声に、フェオミアは思わずその場で固まってしまう。
それからしばらくじっとしていたのだが、出てきたヴェノストは、青色の魔石のついた首飾りを二本、手に持って出てきた。
「はい、これ」
その声にはもう怒った色はなかったのだが、なんとなくおずおずと受け取った。
「これは……?」
「心理伝達の魔石だよ。これで、伝えようとすれば魔石を持つ者同士なら、声に出さずに意思疎通が可能なんだ」
つまり。
ヴァルヘムとフェオミアが会話ができるということだよ、あげる、とヴェノストが言うと、フェオミアは目をキラキラ輝かせて、すぐさま首にかけた。
(全く……男ってあれだよね、男同士で話す方がいいんだよねー)
密かにヴェノストは拗ねてみるが、フェオミアが喜んだのは、別にヴァルヘムと話せるからというだけではない。
フェオミアは、殆どもらったことのない他人からの贈り物が、数少ない“自分のもの”が増えたことが、たまらなく嬉しかった。
「あ、ありがとう、ヴェノ姉!」
「う、うん」
いつの間にかヴェノ姉と呼ばれてる。
けれど、昨日は見せなかった無邪気な笑みと、感謝の言葉に悪い気はしない。どころか、愛着が湧いてしまう。
ごほんごほん、と咳払いをした。
「調整師のところ行った後に、服屋にでも行こうか。冒険者装束、買わないとだし……」
「本当か⁉」
やった! と喜ぶフェオミアを微笑ましく見ていると、その顔に一瞬だけ、寂しそうな色が見えた。
いつもそうだ、とヴェノストは小さくため息を落とした。
(この子は、一体過去に何があったのだろう?)
楽しそうにしていながら、どこか寂しいような、辛いような表情が垣間見えるのだ。
勿論、ヴェノストに詮索する気はないし、でも、話してくれるようになったなら、知りたいとも思う。
(もっとも……)
フェオミア自身は、自分のそんな表情に気づいてないんだろうな。
ヴェノストは、誰知らず、再びため息をつくのだった。
(仕方ないよな、にやけちゃうのは)
フェオミアは自分の顔をペタペタと触りながら思った。
今まで、年上というのは脅威でしかなかった。年齢と、それに比例する身体を武器に、フェオミアに暴力をふるい、いたぶるだけの、粗暴で最低な者たち。
(でも、この二人は違う。
優しくて、強くて、温かい——俺の仮初の家族)
そんな風に、姉ができて、兄ができて、しかも首飾りもくれたのだ。
(嬉しくない、訳がない)
だからにやける。
しょうがない、しょうがない、と心中で呟く。
が、ヴァルヘムに伝わっていたらしい。
『何がだ?』
と聞かれて、ああ、心理伝達ってこんな感じなんだ、と思った。
それから答えようとして、腕がグイッと引っ張られる。
「え?」
身体が止まった時、視界に映ったのは、見慣れた裏路地。
そして、裏路地に住むやつらの中でも、とびきり悪質な集団。
強盗どころか、殺人だってなんだってやる者ども。
何人もの人を殺してきたやつら。
油断していた。確かに浮かれていた。
でも。だからって。
(ここで、死にたくない。やっと、俺だって幸せに……!)
なれるはず、なのに。
そんな声にならない思いが、集団のボス、暴力と呼ばれる男の一声で押しつぶされる。
「おい、盗人のチビよぉ」
盗人。フェオミアは、その呼び名が、もう自分のものでないように感じた。
「お前さぁ、お貴族様に拾ってもらって、調子乗ってんじゃねえか?」
ヴェノストは貴族じゃないし、俺だって調子に乗ってない……と言おうとしたが、暴力の眼光で口を開けなくなってしまった。
怯えるフェオミアを、彼らは嘲笑う。
「別に俺らは、お前を殺そうなんて思っちゃないぜ? 路地裏者のよしみだ、ただ……」
それ、くれよ。
暴力の指は、まっすぐに青い魔石に伸びていた。
分かっている。フェオミアだって、この状況なら、渡すのが得策だと。
しかし。
「い、やだ!」
条件反射のように、声が出た。
ああ? とあからさまに苛立った声で、威圧される。
それだけで、フェオミアの身体は、もう完全に動けなくなった。
震えすらない。
けれど、彼の口だけは、切り離されたようによく動いた。
「絶対に嫌だ! これをお前らなんかに渡すか‼ 死んでも渡さねぇ!」
空気が凍てつくようになって、それから急激に燃え立つ。
意思とは関係なしに、ぶわっと汗が吹き出した。
それでも。
(これを渡したら、俺は盗人に戻っちまう! ヴェノ姉やヴァル兄との絆が、絶えちまう!)
そんな強迫観念のような思いが、フェオミアを奮い立たせる。
「へえ」
暴力の声には、もはや怒気でなく、殺気がこもっている。
しかし、表面上はまるで穏やかに、むしろ笑みすら浮かべているのだ。
(怖い)
あまりにもちぐはぐなそれは、フェオミアの恐怖を煽る。
フェオミアはその声から逃げたく思ったが、逃げることなどできやしない。
聞き漏らすこともできず、ただそこにいた。
「くれねぇなら、もうしょうがねぇよな」
暴力は言う。
「お前を殺して——あいつらも殺そう」
あいつら。
それが誰を指すか気づいた時、フェオミアの身体は勝手に動いて、暴力が路地裏から出るのを阻止するように立ちふさがっていた。
「そんなことは、させない!」
冷静に考えるなら、魔術も使えないだろう暴力たちが、ヴァルヘムに敵うはずもないのだが……そんなことは、頭からすっぽり抜けていた。
フェオミアは、できたばかりの、仮初の家族を守るために、動いていた。
そんなフェオミアに青筋をたてて、暴力が今にも、その膂力を以って襲ってこようとした、まさにその時。
コツ。
と、路地裏の入口で靴音がした。
暴力たちの視線につられて、フェオミアは後ろを振り向く。
一人の少女、いや少年が、牙をむき出して、そこに立っていた。
「ヴァル兄……」
「おう」
応じる声には、隠しようもない殺気。
それにいささか怯んだ暴力だが、周りに仲間もいることだし、優位を確信しているのだろう、馬鹿にしたような調子で挑発する。
「おいおい、死に急ぐなよガキ。こいつを殺した後で、お前も殺してやるからよぉ」
「は?」
その声から、分からないのだろうか。
ヴァルヘムから漏れ出す強さが。
フェオミアは、敵前でありながら、そんなことを思った。
(いや、分からないんだろうな。自分よりも年下で、しかも小柄。おまけに暴力は、世間知らず貴族化なんかだと思ってる)
その偏見が、目を曇らせた。そして、それは、命取り。
「おいおい、恨むなら俺じゃなくてこいつを恨めよ? 俺がその首飾りくれっつったが、こいつは死んでも渡さねえって言った。なら殺すしかねぇだろ?」
その言葉に、ヴァルヘムは、じっとフェオミアを見つめる。
それから——くるりと入れ替わった。
「えっ⁉」
思わず出た声に、暴力たちの視線は一斉にフェオミアに集中した。
けれど、当の本人はそれどころじゃない。
(どうして、ヴァル兄じゃなくてヴェノ姉が⁉ 何かあったのか、問題とか。ならまずい、こいつらとヴェノ姉が戦うなんて……!)
そして、それらの視線は今度は一気にヴェノストに向く。
「いや、最初はさ、ヴァルヘムにやらせようと思ったの。その方が早いし、楽だしね。でもさ」
ゆらゆらと、ヴェノストの身体から漂う覇気は、見間違いではない。
暴力はまだ耐えているが、その仲間はもう完全に萎縮していた。
「私の、可愛い弟がさぁ、私があげたものを守ってくれてるっているのに、姉が弟たちに任せて隠れてるわけにいかないでしょう?」
そのまま、ゆらり、ゆらりとヴェノストは暴力に近寄っていった。
横を過ぎようとした時、フェオミアはヴェノストを止めようとした。
しかし、止めようもなさそうな雰囲気に呑まれ、止めることができない。
気づけばヴェノストは、暴力の前に立っていた。
危ない、と言うより先に、暴力は拳を振り上げた。
目をつぶる暇もなく、フェオミアはそれを見ていた。
勝敗は、一瞬でついた。