3章 王都の宿、少女の交渉
ようやくヴァルヘムが肉刺し串を食べ終わり、ヴェノストに戻った時を見計らって、フェオミアは半ば叫ぶように声をかけた。
「お、おい!」
「なーに?」
ズンズン、と女らしくもなく進んでいくヴェノストには、ついていくのがやっとだった。
この女、どうなってるんだよ、とフェオミアは心中で毒づく。
ヴェノストの歩調は、いっこうに緩まない。
「ど、どこへ行くんだよ……!」
「んー」
ヴェノストは答えない。
しばらく進むと、彼女はある場所でいきなり立ち止まって、くるり、と振り返った。
「ここ!」
「え?」
周りを見回す。
年季の入った看板。蔦の這った壁。崩れかけの煉瓦に、外れたり割れたりした窓。
外からでも分かる、いかにも古ぼけた——宿屋。
「宿屋?」
「ピンポーン!」
「ぴん、ぽ、ん?」
「あ、いや……大正解!」
(ぴんぽぉんというのはよく分からないが……。ともかく、ここってことか?)
目的地が。
この、ボロい宿屋?
「はぁあぁあ⁉」
誰もが思わず振り返るような大声。
うるさいよー、とヴェノストは耳を塞ぐ。
幸いにして周りには人は少なかったので、そこまで目立つようなことにはならなかったが。
(え、いや、だって……)
「あんた、」
「ヴェノストね」
「ヴェ、ヴェノストさん、貴族なんだろ? こんな、ボロっちい宿に泊まる気じゃないよな⁉」
当の宿屋の主人が、ボロっちいとは失礼な、と中から叫んだのはフェオミアの耳には入らなかった。
(てっきり、王都の貴族御用達の宿屋に止まるものだと思ったのに……)
フェオミアは、ヴェノストに聞こえないように舌打ちする。
正直、ここならいつもの寝床である廃屋とたいして差がない。
苦労してついてきた甲斐がないというものだ。
(学舎の学費を貯めるっつっても、こんなとこから節約する必要はねぇだろ……)
フェオミアはそんな風に考えたが、しかしヴェノストの返答は、その予想とは全くもって異なっていた。
「私、貴族じゃないよ?」
「え?」
(き、貴族じゃない……⁉)
フェオミアの驚愕をよそに、ヴェノストはのほほんとした様子である。
「それに、肉刺し串買ったでしょ? あれでね、あんまりお金残ってないんだ」
「はぁっ⁉」
「ということで、本日泊まるのは、このホテル! はい、レッツゴー! イエイ!」
(ほてる? れ、れっつごぉ? いえい? よ、よく分からないけど……)
今 日 は こ の 宿 に 泊 ま る と い う こ と か?
「い、いやだぁああ!」
(貴族宿のはずだったのに!)
はいはい黙るー、とニコニコ微笑みながら、ヴェノストはやはり女らしくない膂力で、フェオミアを引っ張って行った。
「先程は連れが失礼なことを申しました。こちらで何日か宿を取りたく思うのですが、朝夕二食付きとなると、一日当たりいくらでしょうか?」
外での様子が嘘のように丁寧なヴェノストに、フェオミアは思わずポカンとなった。
それは、恐らく外の会話に聞き耳を立てていたのだろう宿屋の主人も同様だった。
(まあでも、初対面の人に“笑顔で敬語”っていうのは、日本人の特性だよねー)
ヴェノストはそんなことを思う。
上野里美だった時——礼儀には厳しい両親によく注意されたのを、思い出しそうになる。
しかしそれを振り払って、表面は全く笑顔を崩さない。
呆然としていた二人だが、フェオミアよりもわずかに早く正気に戻った主人は、気を取り直すようにヴェノストの要望を伺っていく。
「ええと、二部屋ですかい?」
「いいえ。一部屋で結構ですけど」
これには、まあフェオミアは知れない話だが、ヴァルヘムとフェオミアが同時に
「おい」
と声をあげた。
が、そんなことはお構いなしに、窓は欲しいだとか、煙草の臭いがついているのは嫌だとか、ヴェノストは幾らかの条件をあげていく。
運のいいことに、それに当てはまる部屋があった。
「この部屋なら、130リオだ。10リオ硬貨13枚か、銀貨1枚と10リオ硬貨3枚。二食二人分ついてこの値段なら悪くないだろ?」
その値段に、ヴェノストはキッと視線を尖らせた。
人の感情の機微には敏いフェオミアは、ヴェノストに楽しそうな感情を見てとった。
「風呂もないのにですか? 115リオ」
「少し行けば公衆浴場があるだろ、125リオ!」
「それってもしやここから25ゼム(1キロ)くらいのところにあるあそこのこと言ってるんですか? 105リオ」
「……水道も便所もついてんだろうが、120リオ!」
「共有ですし、数が少ないのは知ってますよ、100リオ」
「うぐっ……! ベッドだってちゃんと羽毛だぞ、115リオ」
「藁より安い抜け羽鳥のですよね95リオ」
「食事だって、ちゃんと肉が出るんだ、110リオ!」
「ああ聞きました、木材のように固くて味がしないと。90リオ」
「酒も出そう、105リオ」
「別料金取る気ですね。それに私は酒は飲みません、90リオ」
「くぅっ……! 分かった、100リオだ! それより下は無理だ、これでダメなら別の宿を探せ!」
ヴェノストは、腰から布袋をとり、吟味するようにその中を見る。
「いえ、100リオですね。いい宿がとれました、ありがとうございます」
にっこり、笑った。
突然始まった値切りにワタワタとしていたフェオミアだが、どうやら終わったらしい、と一息ついた。
宿屋の主人は、疲れたように鍵をよこす。203室と書かれた鍵だ。
(この人は……本当に)
行こっか、とヴェノストはフェオミアを促す。
しかし、クルッと振り返って、
「あ、でも、私冒険者になるので、その時、美味しい肉などは提供しますね!」
と言った。
(しかも最後に、冒険者だと知らせつつ、その利益を提示する……)
抜け目ないな、とフェオミアは小さく笑った。
1リオは30円位です。
肉刺し串は、塩牛という特殊な肉を使っているので、ちょっと高いですが、その分サイズも結構でかくボリュームのある一品ですw
また、食材は輸送費がかかる為、遠くのものはかなり高くなります。
塩牛はちなみに、北大陸に元々いた牛で、西大陸では、北部でしか育てられていません。
キュレイアは比較的南部の国なので、塩牛は高くなるわけです。
キュレイア以南の国は、もうあまり塩牛は食べません。
加えて、王都は物価が高めです。