2章 姉弟の目的、その名の意味
前作のネタバレあり。
ご注意を。
「どういうつもりだ?」
「ん〜?」
ヴェノストは少年を引っ張りながら、楽しそうだ。
人通りがどんどん少なくなってきて、それに反比例して少年は不安になってくる。
「ど、どういうつもりだって、聞いて、うわあ!」
髪の毛を突然引っ張られ、目の前に顔を突きつけられる。
(ああ、まただ。全然違う奴になったような……)
凶悪そうな、顔。
「うるせーぞガキが」
「うっ……」
「今、お前は誰のおかげでこうしてられると思ってんだ⁉ ああん⁉」
「ひぃっ!」
思わず、叩かれでもするか、と身構えると、また、くるり、表情が変わる。
獣のような獰猛さが消えて、女らしい穏健そうな雰囲気になった。
そして、そうなった少女は、髪をそっと離して、困ったように笑う。
「あーっと、ごめんね。それで、どういうつもりかって?」
「う。……ああ」
少年は目の前の存在を図り兼ねていた。
何より、恐れていた。怯えていた、と言ってもいい。
要は、この彼とも彼女ともつかぬ誰かが、たまらなく恐ろしかったのだ。
「どういうつもり、ね……むしろ君にそれを聞きたかったんだけど……」
「え?」
「ねぇ、何で盗みなんてしたの?」
それは、と言葉に詰まった。簡単に答えられる質問じゃない。
「国のせい? それとも、君の親とか、家族のせい?」
「それはっ!」
「それは?」
「それは……言えない」
ヴェノストが動くと、また何かされるのか、ビクッと肩がはねた。
しかし想像に反して、ヴェノストの手は、少年の頭を軽く撫でただけだった。
「そっか」
その優しい手に、少年は思わず涙が出そうになった。
なぜかは分からない。久しぶりに感じた、人の温度だからだろうか。
すん、と鼻をすする。
しばらくの間、手は優しく頭を撫でると、置かれた時と同じように、ふわりとどけられた。
(この人は一体何なんだろう?)
優しかったり、突然、怒り出したり。
(そういえば……)
“砂糖と躾”
奴隷商人のその手法を示した言葉だ。
(まるでその通りだ)
そう思って少年はぶるりと震える。
(奴隷商人なのか、この人。だからおれを殺してないのか?)
そんなことを考えていたものだから、声をかけられて、少年は飛び上がった。
「そうだ! ねぇ」
「っ! はい!」
「?」
その様子にヴェノストは首を傾げ、まあいいやと呟くと、
「私の弟を紹介するね!」
「弟?」
魔術師の弟、だったか。
少年は更に混乱した。
ここには、それらしい人はいない。
なのに、ヴェノストは、紹介するという。
(……?)
首を捻る少年に、ヴェノストは愉快そうにクスクス笑った。
そのままぐるん、と表情を変える。
「姉ちゃん……ヴェノストの弟、ヴァルヘムだ。よろしくしたくねーけど、よろしく」
その顔は、また、凶悪そうな笑みを浮かべていた。
「ど、どういう、ことだ……?」
「……よく分かんないけど、つまりあんたの、」
「あんたじゃないよ、ヴェノ。弟はヴァルね」
ヴェノストはニコニコ笑ったままだが、妙に迫力がある。
気圧されたように頷く。
「……ヴェノ、さんの中にヴァルさんがいる。
しかもヴェノさんは才能値100の剣士で、ヴァルさんは、すごく強い魔術師ってこと……だよな」
「そうそう」
全くもって理解できないが、嘘を言っている様子はない。
(100級剣士に強い魔術師……? 本当に無敵じゃないか!)
「訳が分からない……」
「分からなくていいんだよ」
クスリ、とヴェノストは微笑した。
(ああでも、聞いたことがある)
二つの魂を持つ者。
彼女たちは、それなのだろう。
「で、そのお二人さんが、俺に何のようなんだ?」
「えっとね」
とヴェノストは照れたように笑った。
(こうして見ると、異国の風情はあるが、それなりに可愛いんだけどな……)
内側にあんなのがいるなんて恐ろしすぎる、と少年は内心つぶやいた。
「あのね、私、学舎に行こうと思って」
「学舎⁉」
(やっぱりこの人、貴族か……)
学舎の費用は高い。庶民の給金では、一年働いて一ヶ月通わせるのがやっとだ。
それに通おうなんて、貴族か、それ並みの大商人の娘に違いなかった。
「金はあるのか? 高いぞ」
聞くのも馬鹿らしい話だ、と少年は思ったが……予想に反して、ヴェノストは首を振った。
「ううん、お金はないんだよ。お母様にもお父様にも、援助しないように頼んだからね」
「ハァッ⁉」
(巫山戯ているのか……いや、違うんだろうな)
真面目な顔をしている。とても巫山戯ているようには見えなかった。
「それでね、お金を稼ぎたいんだけど!」
「稼げばいいじゃないか」
実際、彼女とその弟なら、並の依頼はこなせるだろう、と少年は思った。
もっとも、少年が見たヴェノストたちの能力なんて、まだその一端に過ぎないのだけれど。
「稼げないんだよ。知らないかな、未成年《18歳以下》は一人じゃ依頼を受けられないの」
「……ああ」
忘れていた。
そもそも少年は冒険者になる気なんてない、しがないスリだ。
そんなことを、特別覚えておく必要もない。
「本当は一人じゃないんだけどねー、まあでも、それを説明するのも面倒だし、あんまり、ヴァルのことは知られないほうがいいって」
「そうか……え?」
(ちょっと待て。俺はその弟のことを知ってしまったんだぞ?)
全身に悪寒が奔る。
第一、ヴェノストの目的が分かっていない。なぜ少年にヴァルヘムのことを教え、そして、少年に何をしようと、あるいは何をさせようとしているのか。
何もわかっていないのだ。
「そんなに、緊張しないでよ」
少年の心中を見透かすように、ヴェノストは微笑んだ。
しかし、少年の背筋には冷や汗が流れるだけで、安心出来はしない。
「俺に、何をさせたい?」
「何を? えー、今までの話聞いて分からなかった?」
無言で頷く。
そっかー、とヴェノストは嘆息した。
「やってもらうことは一つだけ。私と依頼を受けて欲しいの」
咄嗟に言葉が理解できず、少年は思考を停止した。
(依頼、を、受ける? 誰が? 俺とこの子……たちと?)
「いやいやいやいや! 俺にゃ無理だって!」
「できるよ、君なら出来るって。だから目ぇつけてたんだよ?」
「目ぇつけてたっ⁉」
「うん」
そうだよ、とヴェノストは微笑む。
「だって君、私が市場に入った時から私を見てたでしょ」
(気づいていたのか……それじゃあ)
あの警戒心なさそうな様子も罠だったと、そういうことか。
「最初はね、それこそ警吏に突き出すつもりだったんだけど」
ビクッと肩がはねる。
その様子を、ヴェノストはチラリと見て、言葉を続けた。
「でも、気配を消すのも結構上手だし、姿もなかなか見えないし。それでね、君の姿が見えた時にさ、あ、いいな、と思って」
何が、と聞くと、ヴェノストは、宝物を披露する子供のように楽しそうに、
「君、多分だけど、才能値がすごく強いよ」
(え?)
少年は、自分の才能値なんて知らない。
大抵の人間は、自分の才能値を知らないまま生きていく。
調整師に才能値を調べてもらうだけで金がかかるためだ。
それに、冒険者志望でもなければ、知る必要のないことである。
(でも、才能値を、見抜くだと……?)
金がかかるのは、それだけの手間がかかる、ということである。
才能値を調べる行為——閲覧だけで、2リム(約3時間半)は要するらしい。
一種、人の根本見抜くような行為が、簡単なはずがないのだ。
(この人は、何者なんだ……?)
ああ、ここで一つ訂正せねばなるまい。
少年は、自分の才能値の数値《﹅﹅》は知らないが、自分の才能値が高いということは知っていた。
もっともこの事実が意味を持つのは——今よりずっと先の話なのだが。
「ともかく、君はきっと強い冒険者になれるよ! それにね、協力してくれたら、学舎に入れるようにしてあげる!」
「ほ、本当か!」
学舎に通える。
(通いたい)
と思う。
少年は特に、学舎に対する憧れが強かった。
通えるものなら。
そう思わなかった日はない。
しかし、日々生きていくので精一杯で、無理だと、そう思っていた。
それが、通えるというのなら、命以外の何をかけても構わないぐらいだ。
しかし、このまますぐ協力するのは癪だった。
「もし、協力しないと言ったら……」
「ん?」
それなら、とヴェノストは笑う。
やはり、邪気のない顔で笑う。
「警吏に突き出すだけだけど」
(……全く)
少年は観念した。
笑顔でそんなことを言える人間に、敵う訳がないのだ。そもそも、
(俺には、選択肢なんてなかったんじゃないか……)
「……分かった。協力する」
「良かったぁ! あ、ねぇ、今度こそ、君の名前教えてよ!」
(本名を名乗るなんて、いつぶりだろう)
少年は思った。
普段は盗人としか呼ばれない少年、知る人が殆どいない、本名。
「俺の名前は……」
少年は、久しぶりにその名を口にした。
「フェオミア、だ」
それは、キュロイアに生まれながらも、捨てられ、存在を隠蔽された王子の名だ。
ネクセルっていうのは、この世界の言語で、“学舎”って意味です。
ネクセルという名前の学舎じゃないです。