7.長い夜
「乾杯~!!」
二葉の音頭で勢い良く揚げられたグラスを合図に祝宴が始まった。
五葉は合図とともに怒涛のごとく美しく盛り付けられた料理の襲いかかり、大喜びで次から次へと平らげている。その横で、嬉々としている五葉とは対照的に、いまだあっけにとられて、信じられないといった表情の遠野がいた。
「なんや、なんや、遠野!えらい元気ないやんか。そないショックやったんか、楓ちゃんが十三の奥さんやていうの。」
小ぶりの飛騨牛の串焼きをほおばりながら、二葉がニヤニヤした顔で遠野に聞いた。
遠野はハッとして我に返った。
「そ、そんなんじゃないです!」
強く否定した遠野の顔は真っ赤になっていた。
「えらい声で驚いてたもんなぁ。楓ちゃん、ほんまかわいいし。一目惚れやったぁ?でも、残念やったなぁ。楓ちゃんはな・・うちのもんなんやでー!あははははは!」
二葉は意地悪そうにそう言った後、遠野を見下ろして勝ち誇ったように笑った。
「それを正しく言い直しますと、姉さんのものでもないですよ。」
上品に鯛の切り身を口に運びながら、十が冷ややかに言った。
「ちっ!」
「そうよ、ふーちゃん。楓ちゃんは楓ちゃん。誰のものでもないわ。そーよね、楓ちゃん。」
一葉は優しく、さとすようにそう言うと、にっこりとした笑顔を向けて楓に聞いた。
「はい!楓、十三のお嫁さん!かんぱ~い!ミーオ!」
そう笑顔で答えた楓の天真爛漫で大きな声は 場を一気に包み込んで和ませた。
遠野は不思議な気持ちになっていた。
天真爛漫な楓の声を聞くと自然と心が落ち着いてくる。
そして笑顔につられるように、自分の中にとても楽しい気持ちが湧き起こってくるのである。
(教授の奥さんだった事には驚いたけど、楓さん・・本当に不思議な人だ・・。)
いつしか、心の中で遠野は微笑みながらつぶやいていた。
「まあ飲め、遠野君。隠しとったわけじゃないが、ちょっと照れくさかったんじゃ。こう見えて我輩、なかなかシャイなもんでの。これから、楓ともどもよろしく付き合ってくれると、嬉しいんじゃがのう。」
教授は遠野のグラスにビールを注ぎながら落ち着きのある笑みを浮かべて言った。
「もちろんです!教授。こうなったら、とことん付き合わせていただきますからね!私の方こそ、よろしくお願いいたします!」
そう言った遠野の顔には、先程とは打って変わって生気が満ち溢れていた。
二人は顔を見合すと、お互いにくったくのない笑顔で笑い合った。
「あ、遠野そのあわび食っていいか。」 五葉は口いっぱいにロブスターを頬張りながら遠野に聞いた。
「はい。どうぞ、どうぞ。」
遠野は美味そうに煮込まれたあわびの乗った皿を五葉に渡しながら、改めてテーブルに並んでいる料理の豪勢さに感心していた。
(凄いな・・。よくもまぁ、これだけの食材が揃うもんだ。)
そう思いながらテーブルを見回していた遠野は、ある不思議なことに気が付いた。
楓の前にある膳だけが、なぜか木の実ばかりが集められたものなのである。
世界中の様々な木の実が色とりどりの古伊万里とおもわれる小皿に少しずつ盛られて、楓の前に並んでいた。楓は二葉とにこやかに話しながら、時折その木の実を一つ掴んでは口に運んでいた。
「教授、楓さんの所だけなぜ膳が違うんですか。」
遠野は不思議そうな顔で教授に聞いた。
「うむ、楓達アルマスは木の実が主食なんじゃ。というか木の実しか食さんのじゃよ。太古の昔から人間は植物の恩恵に与ってきた。それは今も変わりはせん。人類最古の種族の一つであるアルマスが木の実しか食さん体質で、それだけで生命を十二分に維持できるという事実は、むしろ我々人間の本来あるべき姿なのかもしれんのう。」
教授は感慨深げに答えた。
「確かに・・。それはある意味、最も自然と調和した形と言えますね。では、アルマスの方々は人体の構造も我々とは少し違っているんでしょうか。」
「そうじゃ。良い所に気がついたのう。楓達アルマスは太陽光と水そして少量の木の実から生命エネルギーを作り出す人体の構造をもっておる。そして、それにふさわしい器官が発達しておるんじゃ。じゃが人体構造が違っておるのは、なにもアルマスの種族に限ってだけではない。世界に存在する真希少種族の中には、我々とは全く異なった構造を持つ種族も数多くおるんじゃよ。むしろ、我々とほとんど同じ人体構造を持つ種族などほとんどおらんと言ってもいいぐらいじゃ。遠野君、君はこの真希少種族の人体構造の違いについてどう考えるかね。」
教授は遠野が投げかけた質問に、ビールの入ったグラスを傾けながら答えると、逆に遠野に聞き返した。
「進化の・・過程による違いでしょうか。でも、そこまで人体構造が違うとなると、もはや『普通の人間』としての規定からはずれると思います。」
遠野が少し考えて、そう答えた時、二葉は飲んでいた切子のグラスを静かに置いて言った。
「遠野、あんたの言う『普通の人間』ってなんや。」
妙に落ち着いた声の質問に、遠野は少し戸惑いながらもすぐに答えた。
「えっ・・。それは、私たち大多数を占める人類の事です。教授の言い方を借りればマジョリティという事になりますが。」
「人数が多いし、その基準こそが『普通』で『普通の人間』なんやと、そう思ってんねんやな。」
二葉は「普通」という言葉をやや強調しながらも穏やかな口調で聞きなおした。
「はい、そう思っています。」
遠野はきっぱりと答えた。
「うちらから見れば、あんたが『普通の人間』て言うてる大多数の人間は、『異常な人間』なんや。」
そう言った二葉の眼に冗談はなかった。
その言葉は1700年の歳月を生きてきた者だけが知る威厳にも似た重みを持っていた。
「どういうことでしょうか。」
遠野はたまらず二葉に聞き返した。
「ほんまの歴史については、まだ十三から聞かされてへんみたいやな。」
二葉はそう言うと、ちらりと教授に視線を向けた。
教授は二葉と視線を合わせて頷くと、再び遠野に眼をやって話しはじめた。
「風呂場のつづきになるが、人類の真の歴史について話すとするかの。なぜ二葉姉ちゃんがいま『普通』という言葉に敏感に反応したかもこれでわかる。君は先程、進化の過程という言葉を口にしたが、それでは、人類の進化の歴史について君はどう理解しておる。」
「はい、一般的にはおよそ400万年前のアウストラロピテクス(南の猿人)に起源があり、その後の進化によるホモサピエンスの出現によって、今現在の我々があると理解しております。」
遠野は毅然として答えた。
「うむ。すると君は人類の歴史というものは約400万年程度じゃと考えておるという事じゃな。」
「はい、最新の研究結果からも400~500万年あたりかと推測されます。」
教授はそう言い切った遠野の顔をしげしげと見つめ直して真剣な表情で言った。
「おかしいと思わんか。」
「は?・・何がでしょうか?」
「速すぎるんじゃよ。その進化のスピードが。地球という星が生まれてどれだけ経っておると思っとるんじゃ。その中においてたかだか400万年程度で、このような進化は速すぎるんじゃ。というか、絶対に起こらん。生命の進化というものの過程は、その星の歴史に比例するものなんじゃ。それこそ何億、何十億年もの歳月が必要になる。生命とは、それを生み出した星とともに緩やかに成長していくものなんじゃ。君は本気で人類の起源が400万年程じゃと信じておるのかね。もう一度固定概念をはずして冷静になって考えてみるんじゃ。君の頭なら何が正しくて、そうでないか、すぐに理解できるはずじゃ。」
遠野はしばし言葉を失った。
「速すぎる進化・・。」
遠野は一言そうつぶやきながら、教授の語った意味を改めて考えてみた。
遠野は幼少の頃より神童と呼ばれた程の男である。一を聞いて十を知るどころか二十も三十も知ってしまう彼の頭脳は、今超人的な速さで事態の解析を行っていた。
そして、彼の頭のスーパーコンピューターは、ハッと何かに気づかされたように一つの結論を導き出した。
「教授のおっしゃる通りだと思います。改めて考えてみると・・。なぜ今までこんな簡単な事実に気づかなかったのか。なぜ疑問すら抱かなかったのか。・・本当に自分でも不思議です。今の人類の進化はあまりにも速すぎる・・。こんな進化は、絶対に・・・ありえない!」
何かを悟ってしまったように答えた遠野に対して、教授は続けた。
「無理はない事なんじゃ、君ですら気づかなかったのは。生まれてからずっとそう教え込まれて来たんじゃから。そして、これは時間の経過の違いにも原因はある。我々真希少種族と比較してマジョリティの寿命はあまりにも短い。長生きしても100年程じゃ。これでは400万年と言われると何か気の遠くなるような長さだと、錯覚さえしてしまう。そこに落とし穴があったんじゃ。」
教授の言葉は、見事に真相を射抜いていた。
「では、真の歴史とは・・。」
遠野は次の答えを懇願する真剣な眼差しで教授を見た。
「ここから先は落ち着いて聞いてほしい。」
いつになく真面目な様子で教授は前置きすると、どっかりと遠野に向かってあぐらを組みなおして、話し始めた。
「真の歴史とは、二つある。一つは『真の人類の歴史』、そしてもう一つは『マジョリティの真の歴史』じゃ。『真の人類の歴史』とは、地球の誕生とともに育まれてきた生命の歴史であり、この星によって産み出され長い長い年月を星の成長とともに歩み、様々な環境に適応して進化を続けてきた、地球の古来種であり真の人類である『真希少種の歴史』じゃ。そもそも『普通の人間』という言葉は、この星の歴史を考えれば真希少種を指すことになるんじゃ。先程、二葉姉ちゃんがマジョリティを『異常な人間』と言うたのはこの事からなんじゃ。真希少種の歴史はまさに地球の歴史そのものであり、その進化の過程も何十億年という星の成長に比例してきた。この『普通』の人類の生命の数は、当初より決して多くはなかったが、一概に長寿であり、星を脅かすような爆発的な繁殖能力も持っておらんかった。自分たちが星から生まれたものであり、星の一部だという事を自覚して、尊重し合い、この星に存在する事象や生命といった様々なものとの調和はかり緩やかに進化の道を歩んできたんじゃ。夜という事象と調和して進化した種族もおれば、獣と呼ばれる人とは違った生命と調和して進化した種族もおる。世界には決して表舞台にはめったに姿を見せないが、色々な真希少種族が今も存在しておるんじゃ。そして、この真希少種族こそが、この地球で正常に進化した『普通の人間』なのじゃ。一つ目の歴史、『真の人類の歴史』とは我々も含めた真希少種族の歴史のなのじゃよ、遠野君。」
教授はそう語り終えると、ビールが三分の一ほど残ったグラスに手を伸ばした。
楓は冷えたビール瓶をひょいと取り上げると、うれしそうに教授のグラスにビールを注いだ。グラスには決め細やかな白い泡が綺麗に立ち上がり、まるで麦の合唱を見ているようだった。
遠野は神妙な表情で教授の話に聞き入っていたが、教授に習って自分のグラスに手を伸ばしてそれを取ると、入っていたビールをぐいっと一息に飲み干した。
「なるほど・・。すべての様相がわかってきました。」
そう答えた遠野の顔には、かつての神童の面影があった。
「おめぇ、あったまいいなぁ。おれなんて半分くらいしかわかんなかったぞ。」
隣で五葉が、極太のゲソの唐揚げをはみながら、いたく感心した口調で遠野に言った。
「それは、五葉姉さんが食い気に走ってたからです。」
十が緑茶をすすりながら、冷静に言った。
「あ、やっぱそう?さすが十、よっく見てるなぁ。」
五葉はそう言って豪快に笑いながら、続いて笹団子をひとつ口にほうりこんだ。
遠野はそんな五葉を尻目に、あらためて教授の方へ向き直ると、今最も気になっている質問を教授に投げかけた。
「我々人類の、いえ『マジョリティの真の歴史』とは、どのようなものなのでしょうか。」
遠野の質問に、一瞬居合わせたみんなの動きが止まったように思えた。
教授はビールでできた白い髭をたくわえながら静かにグラスをテーブルに置いて、遠野を見た。
その時、教授の横から二葉が口を開いた。
その目はしっかりと遠野を見据えていた。
「8000年や。」
「えっ。」 遠野は一瞬何を言われたのか理解できずに二葉を見つめた。
「8000年、今大多数を占めてる人類の歴史はたったの8000年なんや。」
二葉は威厳のある落ち着いた声で遠野に言った。
遠野の顔からすべての表情が失われた。
二葉の告白は、遠野の思考を奪い去るには十分の、あまりにも衝撃的な内容だった。




