4.温泉秘話②
遠野が案内された部屋は、山腹の少し開けた平地に設けられた『月光』と呼ばれる離れの点在する特別エリアの中にある「桐壺」という離れだった。和と洋が不思議と融合し、周りの自然ともうまく調和のとれた見事な建物で、玄関の框の片隅にフランク=ロイド=ライトのサインが小さく刻まれていた。
次の間での嵐のような出来事があってから、ここへ案内されるまでの移動だけで10分の時間を要していた。途中、案内係の美弥は遠野をいろいろと気づかってくれて「いろいろと、驚かれることもおありでしょうが、大丈夫ですよ。十様をはじめ、皆とてもお優しい方達なので、きっと後でちゃんとご説明がありますからね。」とやさしく声をかけてくれた。そして、『秘湯の宿 たごさく』の全貌についても色々と説明をしてくれた。それは、移動時間をゲストに全く感じさせない超一流のもてなしだった。
『秘湯の宿 たごさく』は美弥の説明によると、敷地面積はおよそ350haで、これは東京ディズニーリゾート三つ分ぐらいに相当するらしい。一山全体が「たごさく」で、正面玄関は山すそにあり、小型ジェットが発着可能な滑走路、ヘリポートも完備されている。正面玄関はかなりモダンな造りらしく、何でも建築の鬼才と呼ばれたアントニオ=ガウディが存命のときにデザインしたものらしい。正面玄関から続くなだらかな丘斜を利用した「日輪」と呼ばれるエリアの宿泊棟には最新設備が整い、客室数は300を数える。また、山の内部には巨大なドームが造られており、水泳からサッカーまでさまざまなスポーツを全天候で楽しむことができる。まさに、要塞である。山の中腹のエリアは「架橋」と呼ばれ、段々畑状に部屋が並んでいる。このエリアの部屋は十の見込んだ世界の若手建築家が一部屋一部屋を担当しデザインしたらしい。そして、山上付近の少し開けた平地にある、別名サンクチュアリ(聖域)と呼ばれる特別エリアがここ「月光」ということである。ちなみに裏口と呼ばれていた場所は「たごさく」の最も高い場所にあって、今は使われていないが、「たごさく」創生の場所として、とても大切にされているらしい。
「たごさく」が現在の発展を遂げたのはひとえに、十の手腕による所が大きく、一度来た客は必ずリピーターになり、今や全世界に「たごさく」マニアが存在しているという。十の戦略により「鎖宿」とよばれる完全秘密主義を守っており、世間一般には「たごさく」の存在はほとんど知らされておらず、けっして旅行雑誌やガイドブックにも載らないが、フランスのミシュランから特例のセブンスター7つ星を送られている。「たごさく」は今や知る人のみが知っている世界の頂点に君臨する「幻の宿」なのである。
遠野はいぐさの良い香りのする畳の上に大の字になって、ぼんやりと天井を見つめていた。
遠野の通された「桐壺」はメインの18畳の和室とそれに続く12畳ほどのベッドルーム、そして8畳の広さのパウダールームからなっていた。風呂は十人はゆったり入れる程の立派な檜の内風呂で、その奥にはこれまた、十五、六人は入れる広さの、豊かな自然を抱いた風流な露天風呂があった。満々とたたえられたお湯は「いつでもどうぞお入りください」といった様子で入浴者を待っていた。
遠野は何も考えられずにいた。
考えようとしても、その瞬間から思考が止まり、まったく訳がわからなくなってしまう。
遠野はいつしか考えることをあきらめ、
ただただ、ぼんやりと部屋の天井を見つめていた。
コン!コン!コン!コン!
しばらくして、玄関の扉が4回叩かれたかとおもうと、ガラガラと扉が開かれ、教授の大きな声が聞こえた。
「遠野君、入るぞ!」
「あっ、はい。」遠野は身を起こして和室の入り口に目をやった。
和室に入ってきた教授は、洒落た浴衣に大島紬の丹前を羽織っていた。
「なんじゃ、寝とったんか。」
「はい、すこし・・・。」
遠野は、心なしか元気なく答えた。
「風呂にでも一緒に入るかの。この「桐壺」の露天風呂は格別じゃから。」
教授はそう言ってにっこり笑うと、遠野を風呂へと誘った。
内風呂を通って外へ出ると、辺りは薄暗くなっていた。
夜にさしかかった風が少し肌寒い。
教授は勝手知ったる者のようにザブザブと露天風呂に入っていった。
遠野もその後に続いて、そろりそろりと湯船に足をすすめた。
広い露天のいい位置まで来ると、二人はどっぷりと湯に身を沈め、岩を枕に空を仰いで顔を並べた。
「ふーっ。生き返るわい。」
教授は気持ちよさそうにそう言うと、両手で湯をすくって、顔を一度、二度こすった。
遠野もそれにならって、顔を洗うと、最後に濡れた手で髪を後ろにかき上げた。
オールバックになった髪型は、端正な遠野の顔をよりいっそう凛々しく見せていた。
「この温泉の湯は『綿雪の湯』と言ってな、白くてふわふわした綿毛のような湯の花が、湯の中を無数に漂っておるんじゃよ。その姿はまるで湯の中に雪が降っているみたいなんじゃよ。ほれ、湯の中をよーく見てごらん、遠野君。」
遠野は少し身をおこして、言われるままに、じっと湯の中を見つめてみた。
それは、とても幻想的な光景だった。
本当に湯の中には雪が降っていた。湯の中には、真っ白で見るからにふわふわの雪のような湯の花が無数に漂っていた。薄く照らし出したやわらかな月の光がそれらを照らし、また反射して、夜の銀世界を演出していた。それらは、まさにゆったりと宙に舞う綿雪のような不思議な光景だった。
「さて、何から話すとするかのぉ。」
教授は落ち着き払った声で遠野に言った。
「何からでも結構です。教授におまかせいたします。」
遠野の声もまた、とても落ち着いていた。
「うむ、落ち着いておるようじゃの。」
教授は少し安心したように、そう言って何度かうなずくと、ゆっくりと遠野の方に向き直った。
そして、話し始めた。
「まずは我輩の、そう高峰家について話すとするかのう。少し驚くかも知れんが、これから話すことはすべて真実じゃ。しゃれや冗談は言わんので、固定概念を捨てて、どうか心して聞いてほしい。」
いつもどこかユーモラスな教授の表情が、いつになく真剣で、その目はまっすぐに遠野を見つめていた。
「先程、次の間で会った二葉と十の二人は、まぎれもなく我輩の姉じゃ。」
「姉!?ですか。」遠野は真剣に聞きなおした。
「うむ。義理の姉とかではなく、正真正銘の血のつながった姉じゃ。二人とも我輩よりもはるかに年上じゃ。」
「とても、そうは見えませんでしたが。教授よりも少しお若く見えた十さんはともかく、二葉さんは完全に女の子ですよ。」
「確かに誰が見てもそう見えるの。じゃが、二葉姉ちゃんは、れっきとした高峰家の十三人兄弟の次女なんじゃ。長女に一葉という、凶暴な二葉姉ちゃんと違って、とても物静かな姉がおるんじゃが、この二人は双子なんで、年齢的には我輩をふくめた兄弟達の中で最も年上にあたるんじゃ。ちなみに我輩は十三番目の末っ子で一番若いと言うことじゃ。」
「・・ですが、普通あの容姿はありえませんよ。」
遠野がそう言うと、教授は『普通』と言う言葉に敏感に反応して言った。
「『普通』と言う言葉は、あくまで今世界で大多数を占めるマジョリティ(多数派)の人間の基準にとっての事じゃ。我輩達高峰の人間や楓達アルマスの『普通』の基準は明らかに異なっておる。『一見は真ならず』じゃ。」
「と、言いますと。」遠野はぐっと身を乗り出した。
「二葉姉ちゃんの年齢は、1700歳をゆうに越えておる。西暦245年生まれじゃ。」
さすがの遠野もこれには驚きを隠せなかった。
一瞬言葉を失ったが、遠野は声をしぼりだすようにして聞いた。
「・・・で、ではあの容姿は・・。」
教授は続けた。
「マジョリティにとっては、まさしく十代前半の女の子と映るじゃろうな。じゃが、我輩達にとってみれば、二葉姉ちゃんの少女の様な容姿は、1700歳という年齢に見合ったごく『普通』の成長なんじゃ。」
遠野は暫し神妙な顔つきで考えをめぐらせていた。
「年齢は1700歳をゆうに超え、少女のような容姿・・・。それが普通の成長・・。」
いま、遠野の頭の中のスーパーコンピューターは驚くべき速さで事態の解析に努めていた。
「遠野君、ここで改めて君に告白せねばならん事がある。」
教授はそう言って大きく一度夜空を仰ぐと、ふたたび遠野に向き直った。
遠野を見つめる教授の眼差しは、いつになく落ち着きを宿した力強さを持っていた。
「高峰の人間は、真希少種じゃ。」
「!!・・・。」
「楓達アルマスがそうであるように、我輩達もまた、古よりその血脈を受け継ぐ真希少種族の一つなんじゃ。我輩の研究室に入った君には真実を知る権利がある。いや、君は知らねばならん。そして、君ならばその真実を受け入れ乗り越えていくことができる。我輩はそう確信しておる。今回、君の歓迎会と称して君を旅行に誘ったのは、この『たごさく』で真希少種の存在と本当の姿を知ってもらうためじゃったのじゃ。まあ、楓に来てもらう羽目になったのは予定外じゃったがの。」
教授はそう言うと、穏やかな笑みを浮かべて遠野を見つめた。
「・・・真希少種。」
教授の告白に遠野は最初言葉を失いかけた後、つぶやくように言った。
そして、まだ考えがまとまらない内に教授に聞いた。
「真希少種の存在は理解できました。また、その特殊能力についても実際に楓さんを通じてこの身をもって体験しましたので、理解できます。しかし、1700歳の少女というのはいくらなんでも・・・。一体これはどのように理解したらいいのでしょうか。」
遠野の目は真剣に答えを懇願していた。
「うむ、君の疑問はもっともじゃ。じゃが、その質問に答えるには、高峰という真希少種族の特徴と真希少種の歴史、いや、『普通の人間』であるマジョリティの真実の歴史について説明せねばならん。かなり長い話になってしまうがそれでも良いかのう。」
「もちろん!望むところです!」
間髪いれずに遠野は即答した。
そこには目をキラキラ輝かせ、探究心に火がついて喜々としている遠野の表情があった。




