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3.温泉秘話①

1966年型アルファロメオジュリアスプリントGT。


これが高峰教授の愛車である。


美しいという形容が陳腐におもえるほどの、艶やかなボディライン、いかにも美味そうな完熟トマトを連想させる鮮やかなイタリアンレッド、そして、一たびその心臓に火が入れられると歌いだすエンジンのカンツオーネ。そのすべてにおいてドライバーとそれを見るものを魅了する、世界的な芸術の一品。

それが、まさにこのアルファジュリアである。


そして、この名車中の名車であるアルファジュリアにとって、もっともふさわしくない場所のひとつこそが、ここ「秘湯の宿 たごさく」専用駐車場だった。


人家を遠く離れた信州の奥地。の、そのまた奥の、すれちがう車が一台もない、か細い一本道をえんえんと走ったつきあたりの山頂付近に「秘湯の宿 たごさく」はひっそりと建っていた。


外観は完全にくたびれていて、茅葺の屋根が斜めにかしいでいる。玄関のまわりの壁にはズラリと年代物の金属製の看板が貼られ、なぜか由美かおるばかりの様々な看板が笑顔で来客を歓迎している。玄関横の「専用駐車場」と手書きで書かれた立て看板が申し訳なさそうに立っている所には、止まっている車は一台もなく、燃えるようなイタリアンレッドの教授の車だけが、膝ほどまでにおい茂った草の中、これでもかというぐらいアンバランスなコントラストを主張するかのように置かれていた。



「やれやれ、やっと着いたのう。ギリギリ間に合ったわい。なにせ時間にうるさい女将がおる宿なもんでのう、ひやひやもんじゃったわ。ところで、遠野君、車酔い大丈夫かね。」


トランクの荷物を降ろしながら教授は、青い顔をして這い出してきた遠野に聞いた。


「だ、大丈夫です・・・。」


楓が少し心配そうな顔で、足元がふらついている遠野を支えた。


「だ、大丈夫ですから。ありがとうございます、楓さん。でも、もう本当に大丈夫ですから。」


ひきつった笑顔をつくりながら、遠野は精一杯強がってみせた。


「さあ、まいりましょう!」


ふらつく足取りで遠野は先頭をきって玄関へむかった。



「秘湯の宿 たごさく」の玄関扉は昔ながらの大きなガラスがはめ込まれてある木製の扉で、ガラスには『たごさく』と金色の文字で書かれてあった。かなり古い木でできているようだが、厚みは普通の木製扉の三倍以上あるようで、くたびれはてた外観にはあまり似つかわしくない扉だった。



三人が玄関の前に立ち、遠野が扉を開けようと手を伸ばした瞬間、分厚い玄関扉が「スーッ」と両方向へ自動的に開いていった。


(自、自動ドア!?)


一瞬あっけにとられた遠野を尻目に、教授と楓はあたりまえのように中へ入って行った。



三人が玄関から一歩踏み込んだその先には、くたびれはてた外観とはまったく違った世界が広がっていた。



そこには、なんとも品の良いお香のかおりが漂い、美しい桃山様式にまとめあげられ、豪華絢爛にしつらえられたロビーが一行をむかえていた。世界屈指の一流ホテルや老舗旅館が贅の限りを尽くして造ったとしてもこれほどのロビーはできないのではないかと思わせるほど、そのロビーは気品に満ち溢れていた。



「いらっしゃいませ!高峰様。お待ちしておりました。」


上等の西陣を身にまとった十人程の若い女中らしき女性達が、礼儀正しく一列に並び、正座で深々と三人に丁寧なお辞儀をした。


「お世話になるの。」教授はにっこりと笑って手荷物をあずけた。


「長旅、本当にお疲れでございましょう。ただいま、お飲み物をご用意いたしますので、どうぞ、次の間にておくつろぎください。後に女将もごあいさつに伺いますので。」



リーダーらしき女中の案内で三人はふかふかの絨毯の上を通って、次の間へと案内された。



案内された次の間は、明るい中庭に面した部屋で、窓からは銀閣をほうふつさせる見事な月見台や悠然と錦鯉の泳ぐ池が見えた。窓越しに見えるその風景はまるで絵葉書のようだった。



楓は錦鯉が気に入ったらしく、窓ガラスにへばりついてニコニコしながらじっと池をながめている。



遠野は、先程から部屋中をながめまわしては、一人でしきりに感心と感動を繰り返していた。



「あの違い棚の黒茶碗は、正真正銘の光悦です。その向こうの大皿は全盛期の柿右衛門の逸品で、現存するものはオランダアムステルダムの美術館にある一品のみ。驚くべきは探幽の真筆の掛け軸と山楽の襖絵。そして、欄間の彫り物にいたっては快慶と左甚五郎に間違いありません!ここはまるで、美術館だ。いや、へたな美術館なんか裸足で逃げ出す品揃えです!教授、ここは一体なんなんですか!?」


遠野は興奮ぎみに教授に聞いた。


「ん?『秘湯の宿 たごさく』じゃよ。我輩のちょっとした知り合いが経営しとる。」


教授は、さして驚く様子もなく答えた。


「いや、そういうことではなくてですね・・。」


遠野が続けようとした時、扉の向こうで先程の女中の声がした。



「失礼致します。お飲み物をお持ちいたしました。それと、女将がご挨拶に参りました。」


分厚い座布団にどっかりと座ったまま、教授は扉に向かって返事をした。


「どうぞ。」


教授が声をかけると、ゆっくりと扉がひらいた。



先程の女中が正座をし深々と頭を下げ、横には漆塗りの盆にのせられた綺麗な薩摩切子のグラスと飲み物が入ったガレの水差しが置かれていた。



女中の後ろには、二人の女性の姿があった。



一人は40才前後だろうか、凛とした顔立ちで、髪を上に束ねている。きっと名のある作者の作であろう朱色のくしと、銀のかんざしが彼女の威厳をひきたてていた。着物も落ち着いた色彩の西陣の特上物で、女中のものとは明らかに違って見えた。



もう一人はまだ十代前半に見える童顔の女の子で、長い碧の黒髪が額でまっすぐに揃えられていた。まるで日本人形のような容姿をしていたが、好奇心を秘めたいたずらっ子の様なきらきらした光がその瞳に宿っていた。彼女もまた、特上の赤い着物をまとっていた。



二人は次の間へ入ってくると阿吽の呼吸で正座になり、遠野にむかって三つ指をついて丁寧にお辞儀をした。


「本日は『たごさく』へようこそお越しくださいました。わたくし、当館の女将を務めさせて頂いております、とうと申します。遠野様に置かれましては初めての来館、なにかとお心細い点もございましょうが、お気づきの事などなんなりとお申し付けくださり、気持ち良く当館でのご滞在を楽しんでいただければ幸いでございます。」


十と名乗った40才前後の女将のあいさつは、その顔立ちと同じく凛としていた。


続いてもう一人の女の子があいさつした。


二葉ふたばいいます。よろしゅうおねがいいたします。」


女の子の言葉には少し京訛りがあった。童顔とあいまって、それがかえって愛くるしかった。


言い終わると、二人はもう一度遠野に向かって深々とお辞儀をした。



「こ、こちらこそよろしくお願いいたします。」


自分だけに向けられたとても丁重なあいさつに、少し戸惑いながらながらも、遠野は答えた。



(もお、ええか?)・・・二葉



(まだです。後二秒。頭をさげてください。当館のしきたりですから。)・・・十



(もおええやんか!もお、経ったて!)・・・二葉



(しかたないですね、まあ、いいでしょう。)・・・十



突然いきおい良く、二葉は顔を上げたかとおもうと、



「楓ちゃーん!久しぶりやー!」と大声で叫びながら満面の笑みで、楓に飛びついていった。


楓もうれしそうに二葉を抱きしめた。


「今日来るってきいたし、ずっと待ってたんやでー。せやけどぜんぜんこーへんし、おかしいなぁっておもてたら、裏口から来たって!うち、正面玄関で朝からずーっと待ってたんやでー。」


二葉は、よほど楓に聞いてほしかったらしく、一息にしゃべった。


そして、今度は思い出したように振り返ると、楓に向けていた愛くるしい眼差しとは正反対のするどい眼光で教授を探した。


教授はいつのまにか部屋の扉のところへ移動していて、こっそり出ようとしているところだった。


「待ち・・!あんたのせいや。あんた、なに裏口からはいってきてんねん。」


二葉の低い声が教授の動きを捕獲した。教授は一瞬ピクッとしたが、そのままかたまっていた。


「いっつもいっつも裏口からはいってきて!あんたの人生全部裏か!楓ちゃんが一緒のときはちゃんと正面から連れて来たりーな!楓ちゃん、かわいそうやんか!ほんまに!何考えてんねんな、十三!」


二葉は烈火のごとく教授を叱り飛ばした。


「わ、我輩は騒がしいのは苦手なんじゃ。正面の雑踏は合わんのじゃ。姉ちゃん知っとるじゃろう。」


教授は蚊のなくような声で言った。



(ね、姉ちゃん?・・・?)



「そんなん、あんたの勝手やろ!楓ちゃんが、かわいそうやて言うてんねや!我輩はどーでもええんや、我輩は!あんたのせいで、うちかて朝から待ちぼうけや!一番に楓ちゃん迎えてあげられへんかったやんか!」


畳み掛けるような二葉の口撃が続いた。



「私、裏口好きです。」



楓は優しい笑顔でそう言うと、ふんわりと二葉を後ろから両手でつつんだ。



「あ~、楓ちゃんはやさしいな~!ほんま、優しい子やわ~!」


二葉は楓に振り向くとまた、愛くるしく楓に抱きついていった。



嵐のようなやりとりに遠野の頭は全くついていけていなかった。



「もう、いいですか。お姉様。これ以上遠野さんを混乱させるわけにはまいりませんので、みなさんをお部屋へご案内いたします。後ほどゆっくりと十三は、かわいがってください。」


毅然とした声で十が言った。



(お、お姉様??・・・十三・・??)



「さあ、遠野さん、お部屋へご案内いたします。美弥が案内いたしますのでついて行ってください。」


十はそう言うと扉のむこうに控えていた先程の女中にむかってうなずいた。


「は、はい。」


気の抜けた返事をし、まるで狐につままれたような感覚を覚えながら、遠野は美弥に従って長いふかふかの絨毯の敷き詰められた廊下を歩いていった。













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