12.ナバロフ
未確認飛行物体の襲撃から15分。
シルバーバードは安定飛行に戻していた。
「ふーっ、ようやく巻いたかのう。」
教授は額の汗をぬぐいながら、安全装置の解除ボタンを押した。
雪のかまくらのようになって機内を包んでいた白い泡状の無数の球体が壁に吸収されて元に戻っていく。同時に三人をしっかりとシートに押さえ込んでいた頑丈なアームも速やかに収納されていった。
三人はようやく窮屈な束縛から解放された。
「奴らは何者だったんでしょうか?」
アームに固定されていた腕をさすりながら遠野が聞いた。
「うむ。はっきりした事は言えんが、『敵対者』という言葉を使っておったことからして、もしかすると奴らはライジング・サンだったかもしれんのう。いずれにせよ危なかったわい。」
教授はシートからポンと立ち上がると楓のところへ進んで行き、手をとって楓を起こしてやった。
「間違って襲われたんだとしたら、たまったもんじゃないですね。なにせ殺されかけたんですから。」
遠野は憤まんやるせないといった様子だった。
「ま、そういう連中じゃ。」
なかばあきらめた様な表情で教授は答えた。
シルバーバードはその後、安定飛行を続けていたが、しばらくしてコクピットから再び連絡が入った。
「コクピットより連絡いたします。只今、ロシア空軍のナバロフ大佐より通信が入っております。いかが致しましょうか。」
「ん?!ナバロフか!つないでくれ。」
教授はどうやらこの空軍大佐をよく知っているらしく、さして驚いた様子もなく答えた。
「こちらはロシア空軍のナバロフだ。高峰十三は乗っているか。」
かなりぶっきらぼうな野太い声がスピーカーから流れた。
「乗っておるよ。久しぶりじゃな、ナバロフ。」
教授は缶コーヒーのプルタブを片手であけながら答えた。
「お~!十三か!久しぶりだ!俺だ、ナバロフだ!」
野太い声が一段と大きく響いた。
「聞こえとるよ。相変わらず図太い声はかわらんのう、お主。」
「図太いは余計だ。美声と言え、美声と!お前も元気そうだな、十三。」
「うむ。なんとかやっとる。じゃがどうしたんじゃ、急に連絡なんぞしてきおって。ロシア領空の飛行許可なら正式にとってあるはずじゃぞ。」
「ああ、実はその事で連絡したんだ。飛行許可は正式に出ているが、お前達が着陸予定だった空軍基地周辺の治安にちょいと問題が発生してなぁ。そこから北東約500Kmにある旧空軍施設の方に着陸してほしいんだ。」
「ん!?あの辺りの治安に問題じゃと?閑静な所ではないか。」
「ま、民族がらみでいろいろとあってな。どうしてもというなら、なんとか着陸できるように手配するが、旧空軍施設の方へまわってもらえると正直ありがたい。ほら、美味い酒の『アクアビット』も用意しておくから!」
「・・・・・・・」
教授の顔が急に険しくなった。
教授は少し考え込んだ表情をした後、すぐに
「そうか!アクアビットがあるのか!それを聞いたら行かん訳にはいくまい。わかった、ナバロフ。旧空軍施設へ降りる事にするわい。なにせアクアビットは絶品じゃからのう。」
と、先程見せた険しい表情とはうらはらに明るい声で答えた。
ナバロフは教授の返答を聞くと、なぜかすぐには答えず少し間をあけてから言った。
「すまないな、十三。では、旧空軍基地で待っている。本当にすまない・・・。」
ナバロフの野太い声は、先程までとは違って心なしか少し小さいように聞こえた。
「なぁに、気にするな、気にするな!美味い酒をご馳走になるんじゃ、こっちも最高に美味いつまみを用意して行くわい。期待して待っとれよ、ナバロフ!では、現地で会おう!」
教授は明るくそう言い終わると、ナバロフとの通信を終了した。
教授の表情にまた険しさが戻ってきた。
「どうかしたんですか。」 遠野が教授の顔をのぞきこむようにして聞いた。
「うむ。かなり困ったことになっておるようじゃ。」
遠野と楓の二人を見渡しながら教授は答えた。
「ナバロフは生粋のロシア人の飛行機乗りでの、我輩の信頼できる親友の一人じゃ。その男が『アクアビット』を飲みに来いと言っておる。」
教授は信じられないと言った表情で言った。
「それがどうかしたんですか。」 遠野は不思議そうに聞いた。
「『アクアビット』という酒はノルウェーの酒じゃ。ロシア人は、まず飲まん。ロシア人が飲むのは『スミノフ』や『ストリチナヤ』『ズブロッカ』といったウオッカじゃ。それに『アクアビット』は船乗りの酒なんじゃ。飛行気乗りのナバロフが用意するわけがない。」
「どういうことですか。」
「これは隠語じゃ。」
「隠語?」
「うむ。『来てはいけない。来るな』という意味じゃ。恐らくナバロフは何らかの弱みを握られて、我輩達を旧空軍施設に来させるよう脅されておったんじゃろう。だから奴はアクアビットを飲みに来いという隠語で我輩達に『来るな、罠だ』と警告したんじゃ。」
「罠!!」 遠野はギョッとしておもわず大きな声をあげた。
「それでは、旧空軍施設に降りると言う事は、罠の中に飛び込むと言う事なんですか。」
遠野はかなり驚いた表情で教授に言った。
「うむ・・・。遠野君、すまんが少し寄り道をさせてくれ。君には危害が及ばんように、我輩と楓で君を完全に保護するから。じゃからほんの少しだけ付き合ってほしい。ナバロフには貸しがあるんじゃ。」
普段のどこかユーモラスな表情とはかけ離れた、真剣な眼差しで教授は遠野に答えた。
教授の今まで見たことのない熱い視線を感じた遠野はしばし沈黙した後、口を開いた。
「・・・わかりました。きっとナバロフさんは教授にとってかけがいのない親友なんですね。友の窮地に駆け付ける。私もそういう男でありたいと思っています。行きましょう。ナバロフさんを助けに。私の事はどうぞお気になさらないで下さい。不肖この遠野、幼少の頃より剣術においても神童と呼ばれてまいりました。私、薩摩示現流の免許皆伝でございます。自分の身は自分で守れます。」
遠野は自信にあふれた笑みを浮かべながら、瞳に炎を灯らせていた。
「薩摩示現流というと、あれかのう。たしかチェストォー!と叫びながら思いっきり光速の剣を振り下ろすという流派じゃな。」
「はい。いかにもその通りです。私も光速の剣を振り下ろせるようになるまで、何万回いや何十万回も全力の素振りを振り続けました。そして、ようやくその光速の域に達し免許皆伝となったのです。私の渾身の一撃を受けきれる者などこの世に存在しないと自負しております。」
「薩摩の一撃目は死んでもかわせ、か。たしかに昔そう言われとったのう。でもあれって、もし一撃目をかわされたら、次はどうなるんじゃ?」
「え!?・・・・」
意図しない質問に遠野の頭は一瞬空白になった。
「いや、だから一撃目をかわされたとしたら、その後はどうなるんじゃ。」
遠野はいままで全くかわされた後についてなど、考えたこともなかった。
「・・・・・・・・・・・。」
遠野は完全に答えに窮していた。
遠野はしばらく黙って考えた後、スッと顔をあげたかと思うと平然とした様子で教授に言った。
「まあ、それはさて置き。今はこの後の対処法を考えることが大切です。」
「いや、だからその後は・・・。」
「その後も前もありません。今置かれたこの現状の打破を第一優先に考えなければ。こんな時にそのような些事に関わってはいられません。」
「君も強引な男じゃのう。」
教授はなかば呆れ顔で言った。
「恐れ入ります。」
遠野らしいと言えばきわめて遠野らしい変わり身の早さだった。
「所で教授、ナバロフさんを陰で脅している連中とは、先程襲ってきた連中と同じではないんでしょうか。」
「うむ。その線はかなり濃いのう。我輩達に振り切られてたんでナバロフを使ったと考えられる。恐らくこういう事態を予め想定していて、以前よりナバロフと接触し弱みを握り、何かあったら持ち駒の一つとして使おうと考えておったんじゃろう。」
教授の推測は鋭かった。
「ナバロフさんの弱みとは何なんでしょうか。」
「それは100%人質じゃ。ナバロフという男は、自分の命惜しさに人を売るような安っぽい男ではない。しかし、人の命の為ならば、奴は己の命を惜しげもなく引き換えにする。ナバロフとはそういう男なんじゃ。そこを利用されたんじゃろう。誰が人質に囚われておるのかわからんが、奴の背後には必ず奴が守ろうとしている命がある。それは間違いないと断言できる。」
旧知の友を語る教授の言葉には確かな説得力があった。
「人質ですか。ではその解放も視野に入れて臨まないといけないですね。」
そう語る遠野の頭の中では、すでに様々な策がめぐっていた。
「楓、がんばります!ナバロフ、とてもいい人です。ナバロフ、私達の結婚とても喜んでくれました。私、ナバロフから結婚式でこれ、もらいました。」
楓はそう言うと、胸元からひとつの小さな木でできた十字架のついたネックレスを取り出した。
それは手作りの木の十字架だった。形こそ無骨だったが、とても丁寧に作りこまれていて、十字架の周りには小さな文字で『愛』『平和』『自由』など希望に満ちた言葉がぎっしりと彫り込まれていた。
「その十字架はナバロフの手作りなんじゃよ。我輩達が結婚すると知った奴は、楓の笑顔が永遠に守られますようにと、その十字架を作ってくれたんじゃ。でかい図体と野太い声に似合わず、慣れない細かい作業をしおってのう。結婚式の当日に絆創膏だらけの手で楓にプレゼントしてくれたんじゃ。」
三人は楓の手に置かれたナバロフの手作りの小さな十字架をじっと見つめていた。
「ナバロフ、とても優しい人です。楓、必ず助けます。」
いつも微笑を絶やさない楓の顔は、いつしか強い信念を宿した瞳を持つ表情へと変わっていた。
「私も早くナバロフさんに会ってみたいです。そして、必ず助けましょう。彼の守るべき人と共に。」
遠野が穏やかだが力強い声で言った。
「うむ。」
短く教授が答えた。
三人は互いに顔を見合わせて目で確認しあうと、小さく頷きあった。
しばらくして、コクピットから地上の旧空軍施設の管制塔より着陸誘導の通信が入ったとの連絡が入った。
シルバーバードは銀色の機体を輝かせながら徐々に高度を下げていき、いよいよ罠の待つ旧空軍施設へと着陸態勢に入っていった。