10.旅の始まり
「ところで十三、いつ出発するんですか。」 十が聞いた。
「そうじゃのう。エルザをあまり待たせてはいかんから、明後日には発とうと思う。」
「わかりました。では、そのように段取りいたしますね。」
「いつも、すまんのう姉ちゃん。」
教授は頭の後ろをかきながら、恐縮そうに十に言った。
「教授、楓さんの里帰りと言う事はコーカサスへ行くんですか。」
「そうじゃ。コーカサス地方の秘境にアルマスの里はある。博士はそこで長老に会えと言うておる。我輩も昔、長老には会うた事はあるが、その時は特別何もヒストリアの手がかりになるような話はせんかった。じゃが今回はきっと博士が何かをつかんでおるはずじゃ。長老と話すことで、ヒストリアへの道が開けるかもしれん。」
いつになく教授の眼光がきらりと光っていた。
「私もお供いたします。」
遠野が真剣な眼差しで申し出た。
「ここまでお話をうかがっておいて、行かない訳にはまいりません。さんざん驚かされましたが、今はヒストリアの真実を究明したい気持ちでいっぱいです。自分に何ができるかはわかりませんが、きっとお役に立ちます。どうか、私も連れて行ってください。」
遠野は自分自身の中に沸き起こった『探求』への熱い想いを視線に込めながら教授に懇願した。
「ふっ・・・無論じゃ。君にも付いて来てもらうよ。なにせ君の頭脳は特別製じゃからの。」
教授は一瞬何かを思い出したかのように笑うと、遠野の申し出を快諾した。
「ミオ一緒!おじいさんきっと喜びます!」
楓がくったくのない笑顔でそう言った。
しかし、遠野はその本当の意味をまだ理解してはいなかった。
「失礼します。たごさく特製デザートをお持ちいたしました。」
美弥が丁寧に部屋の入り口で三つ指をついて頭を下げていた。その横にはパティシエの渾身の一撃ともいえる新鮮かつ美しいデザートの品々が置かれていた。
「美弥、SR-71の整備をお願いします。2日後に使います。」
「承知いたしました。十様。」
十の手際の良さは超一流である。十は早速、2日後の出発に備えて飛行機の整備を美弥に頼んだ。
「さぁ~!デザート、デザート!こっからはデザートパーティだぜ!遠野、おまえの歓迎会なんだからさ、たっくさん食えよ!」
五葉はバシン!と遠野の背中を一発叩いたかと思うと、早速色とりどりのデザートに挑んでいった。
その後、祝宴は笑い声と時折上がる悲鳴を織り交ぜながら、明け方近くまで続いた。
紫式部がたごさくの常連で、ここで源氏物語を執筆して各離れに名前を付けたという話や上杉謙信が実は女性で二葉の大親友だったという話。真希少種族は現在世界的なネットワークを持っていて、たごさくがその中枢の役割を担っているセンターであると言う話。実在するヴァンパイアの一族に、獣人の一族の話。途中、教授が二葉に余計な一言を言って、飛び蹴りをくらうなどの波乱はあったが、そのどれもが遠野を驚かせ、彼の好奇心をかきたてた。
中でも最も遠野を驚かせたのは、高峰の一族が持っている高い治癒の能力だった。遠野の足が擦りむいている事に気づいた五葉が「おれが治してやるよ」と言って手をかざしたかと思うと、一瞬にして傷を治して見せたのである。なんでも自分の生命エネルギーを傷に集中させることで高速に治癒できるらしく、またエネルギーを他人に分け与えることで他人の傷や病気をも治すことができるという。この能力は教授も含めたすべての高峰の一族が持つ能力らしい。
この日一日は遠野にとって、人生で一番長い日となった。
アルマスの楓との出会い、教授をはじめとする高峰の一族、そして歴史の真実。それらすべてが彼にとって衝撃であった。しかし、同時に二葉や楓達みんなとの裏表のない会話は、遠野の心に不思議な安心感と奇妙な懐かしさを与えていた。それは、彼が生まれて一度も体験した事がないはずなのに、どこか懐かしさを感じさせる、自分を素直に表現できる、心と心が自然と触れ合うとても不思議な感覚であった。
この日は、彼が今まで当たり前のように過ごしてきた日常・常識との完全なる決別の日になった。
すべての真実に触れてしまった遠野の人生は、この日を境に新しく始まったのである。
二日後、早朝。
教授と遠野の二人は楓と共にアルマスの里へ向かうため、十が用意してくれた飛行機の前に立っていた。
「遠野君、富士急ハイランドのドドンパというやつに乗ったことはあるかね。」
「いえ、ありません。」
「では、F1マシンに乗ったことは。」
「あるわけないじゃないですか。」
「そうか・・・。それくらい最初、歯をくいしばらんといかんのじゃが・・・。」
教授はなにやら意味深げにつぶやいた。
「は?なにがですか。」
「いや、これじゃよ。」
教授はそう言うと、十が用意した飛行機を指差した。
「SR-71改、通称ブラックバード。米軍が開発した超音速偵察機じゃ。通常は一人か二人乗りなんじゃが、これは内部を特別に改造してあっての、六人程が乗れるようになっておる。エリア51で実験的に造られ、眠っておったものを十姉ちゃんが独自のルートで持ってきたんじゃ。たごさくが保有しておる飛行機の中でも最速を誇っておる。まぁ、マッハ3は楽に出るのう。」
「な!?・・・・・」 遠野は言葉に詰まって、ブラックバードを見上げた。
「ベテランの操縦士でも加速時に気を失う事があるらしいが、ま、死にはせんじゃろう。」
「な、そ、そんな・・・・・。」 みるみる遠野の顔から血の気が引いていった。
「十姉ちゃんのモットーは『時間は有効に使え』じゃ。我輩達をいち早くアルマスの里へ送りたかったんじゃのう。親心ってやつかのう。」
教授はそう言うと、からからと笑いながら楓と共に飛行機のステップを軽やかに上がっていった。
遠野はただ呆然と立ち尽くしていたが、すぐに二人の重装備をした操縦士がやって来て、遠野の腕を両方からガッチリとつかんだ。
「さ、ご搭乗を。」
「い、いや、まだ心の準備が・・・・・。」
遠野は若干の抵抗を試みたが無駄だった。
操縦士達にに抱えられ、なかば引きずられるようにして遠野は無理やりブラックバードに引き込まれていった。
間もなく、ブラックバードのエンジンが甲高い唸り声を上げて、一瞬機体をブルッと震わせたかと思うと、その黒い機体は、全長が3キロはあろうかという滑走路を凄まじいスピードで駆け抜け、瞬く間に大空に舞い上がってていった。
そして、その後には、遠野の悲痛な叫び声だけが無常にも響きわたっていた。
離陸直後、凄まじいGの洗礼を受けた遠野はブラックバードが安定した巡航にはいっても、まだぐったりとした様子だった。
「まったく、乗り物に弱い男じゃのう。」
教授は呆れ顔で言った。
「そ、そんな問題では・・ないと、思いますが・・・。」
遠野は絞り出すような声で返事をした。
楓が冷たく冷やしたタオルを持ってきて、遠野の額に優しくおいて手を当てた。
「あ~、冷たくて気分が落ち着きます・・。ありがとうございます、楓さん。」
よほどタオルの冷たさが気持ち良かったらしく、遠野の声に少し張りが戻った。
「まぁ、良い。そのままでいいから、少し我輩の話に耳を傾けといてくれ。」
教授はそう言って、ポンポンと遠野の肩をたたくと話を続けた。
「まだしばらくは着かんから、君に二つほど話をしておこう。一つは君も気になっておるじゃろう、これから会うエルザと父親のヨハン・フロンコンスティン博士についての話じゃ。」
教授はニヤリと微笑みながら遠野を見て言った。どうやら、遠野が強い関心を示す話題であることを良く知っているようであった。
「彼らが真希少種族じゃという事は話したが、彼らの種族について少し話をしておこう。実は、彼らの種族は前回の淘汰の時に、そのほとんどが滅んでしまったんじゃ。」
「えっ?!」
「彼らの種族はもともと大西洋にあった島に暮らしておっての、大変すぐれた高度な文明を持っておった。しかし、淘汰の際、大規模な海底火山の連続爆発に巻き込まれてしまってのう、島もろともそのすべてが海に沈んでしまったんじゃ。かろうじて生き残ったのはたったの三人、それがヨハン、エルザ、サランなんじゃ。」
「たった、三人ですか・・・・・。」
「そうじゃ。異変を知った近くの海人族が急いで救助に駆け付けたんじゃが、なんとか保護できたのは、この三人だけだったんじゃ。ただ、この三人も当時、そうとうな重傷を負っておってのう。なんとか命はつないでおったが、体の損傷があまりにも大きかった。それは高峰の治癒能力をもってしても完全な回復は困難なほどだったんじゃ。」
少し憂いを帯びた遠い目をしながら、教授は話を続けた。
「何千年もの長い長い間、深海での眠りによる治療が続けられたが、やはり回復は難しかった。そこで、もともと彼らの種族で最高位の科学者だったヨハンは、今まで培った最高の機械技術と、彼らが独自の方法で産み出した特殊な金属を使って、新しく自分たちの体のパーツを作ることにしたんじゃ。ほんの少しの使える部位を極力残しながら、機械と残った人体とを融合させる。ヨハンは全く新しい体を作り出し、まず自分で試したんじゃ。そして、その良好な結果から、その後エルザとサランにもその体を与えたんじゃ。」
教授はどこから取り出したのか、缶コーヒーのタブを開けるとスッと遠野に差し出した。
「それって、人造人間。いや、半機械人間になった。ってことですか。」
遠野は差し出されたコーヒーを受け取りながら答えた。
「うむ。そういうことになるのう。じゃが彼らが生き残っていくには、それしか道は残されておらんかったんじゃよ。ちなみに、彼らの種族の名前は、住んでいた島の名前も一緒じゃが『アトランティス』という。」
「!!!」 遠野は持っていたコーヒーを落としそうになった。
「そして、彼らが独自の技術で産み出した特殊な金属こそ『オリハルコン』と呼ばれる伝説の金属なんじゃ。」
「!!!!」
遠野は一瞬言葉を失ったが、静かに一度目を閉じると、何かを思い出した様子で、一言一言を噛み締めるようにして言った。
「・・本当に・・・実在、したんですね・・・・・。」
遠野は少年時代より、アトランティスの存在を信じていた。ずっと信じ続けてきたアトランティスが『実在した』という事実は彼にとってなんとも感慨深いものだったのである。
「では、博士やエルザさんはアトランティスの末裔なんですね!」
急に思い出したように、元気な張りのある声で遠野は教授に聞いた。
「末裔ではなく、元住人じゃよ。彼らは生粋のアトランティス人じゃ。」
「あ!そうか。本物のアトランティス人・・・。いや~、エルザさんに会えるのが本当に楽しみですね!」
そう言った遠野の顔は、まるで遠足を楽しみに待つ無邪気な子供のようだった。