探知
ノエルの店で皿洗いをするようになってから、数日が過ぎた。
最初は、賄いにありつくためだけだった。
皿を洗い、床を拭き、客が帰ったあとのテーブルを片づける。
それだけでも、坑道の中で石を砕き続けるよりずっとましだった。
なにより、ここには温かい飯がある。
怒鳴り声ではなく、人の笑い声がある。
「リンネ、新顔のお客さんの注文よろしく」
「はい」
「良い返事だ」
ノエルは鍋をかき混ぜながら、ちらりと俺を見た。
少し吊り気味の青い瞳は相変わらず勝ち気そうなのに、不思議と落ち着く。
最初はかなり年上だと思っていた。
言葉の端々に余裕があって、店の空気を自然に仕切っていて、どこか大人びて見えたからだ。
その認識がひっくり返ったのは、常連の酔っぱらいが余計な話を振ってきたときだった。
「ノエル、あんたももう三十路近いだろ。そろそろ身ぃ固めたらどうだ」
「余計なお世話だよ」
ぴしゃりと言い返したノエルに、俺は思わず顔を上げた。
「三十路?」
「なんだい、その顔」
「い、いや……もっと年上かと」
言った瞬間、しまったと思った。
だがノエルは怒るどころか、目を細めて笑った。
「苦労してると老けて見えるかい」
「違います。落ち着いてるというか……」
「じゃあ、あんたはいくつなんだい」
「……えっと、いくつだっけかな~」
鉱山から帰ったときは、自分の顔が酷く老けて見えたけど、今はなんだか若々しく思える。
トーチャーって人が幾つなのかは、ステータスに乗っていないから本当に分からない。
「ふ~ん、しらばっくれるのかい」
ノエルがいたずらな顔で睨んだ。
「年齢なんて意味ないですよ」なんとか誤魔化そうとした。
「鉱夫なら就業手帳持ってるだろ? 見せなさい」
就業手帳? ボロボロのズボンに入っていたアレかな?
思い当たる物を差し出した。
「なんだい、同い年じゃないか」
「そうなんですか?」
自分でもビックリした。
「今日から敬語禁止令ね」
ノエルは肩をすぼめながら言った。
「はい、わかりました……わかった」
俺が言い直すと、ノエルはゲラゲラと笑った。
「そんなに笑わなくても」
「すまん、すまん。まぁこれからもよろくたのむよ、皿洗い」
言って、ノエルは肩を揺らして笑った。
つられて俺も笑う。
その瞬間、店の空気が少し変わった気がした。
雇い主と行き倒れを拾った相手、というだけじゃない。
ほんの少しだけ、距離が縮まったような気がした。
それから、ノエルは時々俺をからかうようになった。
「ほらリンネ、そっちの注文」
「はい。ええと……煮込み二つと黒パン一つ」
「声が小さい。そんなので客商売できるかい」
「俺、元々こういうの向いてなくて……」
「向いてないって顔してるね。でも、やりゃできるよ」
注文取りをしながら、俺は何度もノエルに助けられた。
皿を落としかければ、ひょいと受け止める。
客に絡まれそうになれば、軽口ひとつで追い払う。
俺が疲れていると、何も言わずにスープを少し多めによそってくれることもあった。
そのたびに、胸の奥が妙にあたたかくなった。
母親に似ている、と思ったことがある。
子どものころ、無理しているとすぐに見抜いて、勝手に飯を盛ってきた母のことを。
けれど、ノエルは母とは違う。
同い年で、俺よりずっと逞しくて、口が悪くて、よく笑う。
そして何より、時々ふっと見せる横顔が、妙に綺麗だった。
だから、その感情を“懐かしさ”だけで片づけるのは、たぶん違うのだと思う。
ある夜、店じまいのあとだった。
常連たちが帰り、皿も洗い終え、ノエルが帳簿をつけている。
俺は床を拭きながら、珍しく彼女の手が止まっていることに気づいた。
小さく、ため息が落ちる。
振り向くと、ノエルは帳簿の上に視線を落としたまま、珍しく表情を曇らせていた。
「……どうかしたんですか」
声をかけると、ノエルは顔を上げて、ああ、と短く返した。
「別に、大したことじゃないよ」
「大したことじゃない顔じゃないですけど」
「生意気言うようになったねぇ」
いつもの調子で返してきたが、声に張りがない。
俺が黙って見ていると、ノエルは観念したように肩をすくめた。
「最近、この辺の鉱山で働き手が減ってるんだよ」
「減ってる?」
「珍しいレアストーンがあまり採れなくなってるらしくてね。それに、坑道の奥で魔物が出ることも増えてる。割に合わないってんで、逃げるやつも出てきた」
俺は手を止めた。
魔物。珍しい鉱石の減少。
それが、そのままこの店にも影響しているのか。
「鉱山が閉まるかもしれないって噂もある」
「そうなったら……」
「この店も、厳しいだろうね」
ノエルは、なるべく軽く言おうとしたのだろう。
でも、その言葉の奥にある不安は隠しきれていなかった。
「最悪、よその場所への移動も考えなきゃかね」
「あてはあるの?」
「あるわけないさ。一からやり直しだ」
きっぱりとした声だった。
「住み慣れた土地を離れるのは、そりゃ寂しいさ。でも、食っていけなきゃ意味がない」
その横顔を見て、俺は胸の奥がずきりと痛んだ。
この人は、ずっと一人でそうやって耐えてきたのだ。
店を回し、客に笑い、平気な顔をして、それでも先の見えない不安を抱えている。
「俺に、何かできることないですか」
気づけば口にしていた。
ノエルは少しだけ目を丸くし、それからゆっくり首を横に振った。
「ないよ、皿洗いで十分だ」
「でも」
「ない。あんたはまず、自分がちゃんと食っていけるようになりな」
厳しい言い方だった。
けれど、その優しさくらいもう分かる。
分かるからこそ、悔しかった。
何もできない。
助けられてばかりだ。
未来を助けるために異世界へ戻ってきたはずなのに、目の前のノエルひとり助けられない。
そんな気持ちを抱えたまま、数日が過ぎた。
転機は、昼過ぎの客足が落ち着いたころにやってきた。
扉を勢いよく開けて入ってきたのは、見覚えのある顔だった。
坑道で俺に怒鳴っていた、小太りで無精髭の男だ。
「おうノエル! 今日は景気がいいぞ! この店で一番いいもん持ってこい!」
上機嫌だった。
いつもの煤と疲れにまみれた顔じゃない。頬が上気し、声にも妙な弾みがある。
その理由は、腰に提げた革袋だった。
袋の口は閉じているのに、俺には中身が見えるような気がした。
革の向こう側で、何かが脈打つように光っている気がした。
初めての感覚で言い表せないけど、凄く貴重な物のような気がした。
「……そこに何が入ってるんだ?」
気づけば、口が勝手に動いていた。
男は足を止めて、怪訝そうに俺を見る。
「は? なんだお前、俺のレアストーンは渡さねぇぞっ」
男は、革袋を大事そうに隠した。
その瞬間、全身にぞくりと鳥肌が立った。
探知。
ステータスにあったスキル名が、頭の中に浮かぶ。
アルスだった頃は使い方も分からなかった。
けれど、今のこれは間違いなく、それだ。
ノエルが目を瞬かせる。
「レアストーン? 本当に?」
「本当だともよ! 今日は久々の大当たりだ!」
男は袋を軽く叩き、下卑た笑いを浮かべた。
俺の心臓が早鐘を打つ。
もし、このスキルで良質な鉱石の場所が分かるなら。
もし、レアストーンを見つけられるなら。
ノエルの店を助けられるかもしれない。
この町を、少しは持ち直させられるかもしれない。
それに、金が要る。未来のところへ戻るにしても、この世界で動くための軍資金は必要だ。
行かない理由がなかった。
その夜、店じまいのあと、俺はノエルに切り出した。
「もう一度、鉱山に入ろうと思う」
ノエルの手が止まる。
「……何言ってんだい、あんた」
「探知のスキルがあるんです。たぶん、良質な鉱石の場所が分かる」
「たぶん?」
「まだ確信はないです。でも、今日のあの男の袋の中身が、見えた気がした」
ノエルはしばらく何も言わなかった。
それから、深く息を吐く。
「危ないことをする顔してるよ」
「危なくても、やる価値はあります」
「また野垂れ死んじまうじゃないのか?」
「それでもです」
俺が言うと、ノエルは眉を寄せたまま、やがて小さく笑った。
「ほんと、変なとこだけ頑固だね」
止められると思っていた。
けれどノエルは、完全には止めなかった。
「行くなら、せめて生きて帰ってきな」
その一言が、妙に胸に刺さった。
翌朝、俺は再び坑道に入った。
探知は、確かに働いた。
暗い岩肌の向こうに、微かな光の筋が見える。
人には見えない道筋みたいに、それは細く奥へ続いていた。
俺はその感覚を頼りに、掘り進めた。




