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Re:winDriv:eR《リワインドライバー》~人類転生計画~  作者: 長月 鳥


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7/9

ノエル

 鼻先をくすぐる匂いで、意識が戻った。


 肉の焼ける香ばしい匂い。

 野菜を煮込んだ甘い匂い。

 それに、焼きたてのパンの匂いまで混じっている。


 腹が鳴った。

 空っぽの胃が、目を覚ませと叫んだのだ。


 重いまぶたを開けると、そこはさっきの食堂の中だった。

 木のテーブル。煤けた梁。壁に吊るされた鍋や木杓子。

 小さな店だけど、不思議と息苦しさはない。むしろ、外の空気よりずっと温かく感じた。


「起きたかい」

 声のしたほうを見ると、俺の息の根を止めにかかった女性がカウンターの向こう側で頬杖をついている。

 目の前のテーブルには、湯気を立てる皿がひとつ置かれている。

 肉と豆を煮込んだような料理に、焼いたパンが添えられていた。


「食べなよ」

「え……」

「うちの店先で野垂れ死にでもされたら、評判に響くだろ」

 彼女はそっけなく言って、顎で皿をしゃくった。


「冷めるよ」

「で、でも……俺、金が……」

「ないのは見りゃ分かる。だから今は黙って食えって言ってんの」

 ぶっきらぼうな言いようだったけど、皿から立ちのぼる湯気が優しく包んだ気がした。

 俺は思わず深く頭を下げた。


「……すみません」

「いいから食べな」

 それ以上は何も言えなくて、俺はパンを掴んだ。

 まだ温かい。指先に伝わる熱に、一瞬だけ手が止まる。

 次の瞬間には、夢中でかぶりついていた。

 柔らかい。

 ちゃんと小麦の味がする。

 それだけで泣きそうになる。


 煮込みも口に運ぶ。

 塩気がある。肉の旨味がある。豆がほろりと崩れる。

 たったそれだけのことが信じられなくて、俺はほとんど息継ぎもせずに食べ続けた。


「……まともなもん食ってなかったって顔してるね」

 半ば呆れたように言った。


 硬くて味のしないパンだけの生活のあとでは、この皿の中身がご馳走どころか奇跡みたいだった。

 俺は皿に顔を落としそうな勢いで食べ尽くしてから、ようやく息をついた。


「おいしかったです」

「そりゃどうも」

 彼女は鼻で笑ったが、少しだけ口元が緩んだ気がした。


 俺はテーブルの上に置いたままだった硬貨を見て、小さく眉をひそめた。

「あの……これって、本当にそんなに安いんですか」

「ん?」

「さっき、犬の餌代にもならないって」

 彼女は硬貨を指先でつまみ上げた。


「十枚でパン一個ってとこだね」

「……え」

 思考が止まった。

 十枚で、パン一個。

 じゃあ俺が何日も死にそうになりながら掘って、受け取ったあの袋は。

 あれ全部で、パン一個。

 胸の奥が、すうっと冷えた。


「……俺、だまされたのかな」

 気づけば、そんな言葉が漏れていた。

 笑い話にもならない声だった。


 彼女は怪訝そうに眉をひそめた。

「だましたっていうか、鉱夫なんて珍しい鉱石でも掘り当てなきゃ、そんなもんだよ」

「そんなもん……」

「なんだい、あんた。働く前に言われなかったのかい?」

 俺は答えられなかった。

 言われたかどうかすら分からない。気づいたら坑道の中でツルハシを握っていて、ただ必死で生き延びていただけだ。


 女はしばらく俺の顔を見ていたが、やがてため息をついた。

「言われてない、って顔だね」

「……」

「まあ、当たればデカい仕事ではあるけれども、掘り当てたところで無事でいられる保証もないらしいけどね」

 ……保証。高価な鉱石を掘り当てても奪われる可能性があるってことだろうか。

 あんな環境ならあり得るかもしれない。


 彼女は空になった皿を片づけながら、今度は少しだけ柔らかい声で言った。

「これからどうすんのさ」


 どうする。そう聞かれても、答えなんてなかった。


 鉱山に戻ったところで、また同じ地獄が待っているだけだ。

 だからといって、行くあてもない。

 異世界を救う方法なんて、まだ何一つ分からない。未来を助けるために戻ってきたのに、今の俺はパン一個の値段にも届かない。

 情けなくて、惨めで、どうしようもなかった。


「……分かりません」

 絞り出した声は、自分でも驚くほど弱かった。


 彼女は腕を組み、少し考えるように黙り込んだ。

 そして、いかにも面倒そうな顔で言った。

「鉱山に戻る気がなかったら、ここで働いてみるのはどうだい?」

「え?」

「手伝いの子が急に辞めちまってね。皿洗いだけでもやってもらえると助かるんだけど……」

 思わず顔を上げる。


「うちも余裕があるわけじゃないから、給料もそんなに出せないけど。犬の餌代よりはマシだと思うよ? もちろん賄い付きだ」

「いいんですかっ」

「な、なんだい乗り気だねぇ」

 彼女は肩をすくめた。

 鉱山になんて絶対に戻りたくないし、野垂れ死にもごめんだ。

「一生懸命頑張りますっ、雇って下さい」と、叫んだ。

「食べたら元気になったようだね、良いこった。じゃあ自分で食べたのと一緒に、早速洗ってもらうかね」

 そう言って彼女が顎で指した厨房の奥には、皿が山のように重なっていた。


「あの」

「なんだい」

「名前……聞いてもいいですか」

 一瞬だけ目を丸くして答えた。


「ノエルだよ」

「ノエルさん、ありがとうございます。俺はリンネって言います。ナンド・リンネです」

 嬉しさのあまり、本名を口にしてしまった。

「リンネか、良い響きだね」

 ノエルは笑ってそう言った。

 その笑顔を見て、一瞬ドキッとした。


 少し吊り気味の大きな青い瞳。

 日に焼けた肌に、うっすらと散ったそばかす。

 高めの鼻筋の下で、薄紅を帯びた唇がやわらかく弧を描く。

 髪は無造作にまとめられ、服装も働きやすさ優先なのだろう。

 それでも、引き締まった体つきやエプロン越しにも分かる女性らしい線が目を引く。


 きっとこの人は、きちんと着飾れば誰もが振り返るような美人なのだろう。

 そう思った。

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