プロローグ
【私記:RE:ER・25663】
転生管理機構《Re:incarnation》暫定運用要綱(抄)
記録者:主任研究員 綾崎 純一(日本・統合危機対策学際研究室)
終末時計──核・気候・生物・AIなどの脅威を総合評価し、破滅(午前零時)までの残り時間を可視化する警告的指標。
それが、残り三十五秒となった。
地表環境の不可逆的劣化、局地紛争の連鎖、地球への負担が加速度的に上がり、取り返しのつかない状況にまできている。しかし人類は見て見ぬふりを決め込んだ。
「移住」という選択肢もあったが、それも現実的な意味で失いつつある。地底都市計画は掘削・維持に要するエネルギー収支が破綻。宇宙居住は軌道上物流と放射線対策、そして何より時間が不足した。技術は進歩しても、猶予はそれ以上の速度で縮んでいる。
人類が絶滅する日はそう遠くない。
私の所属する国連環境研究機関においても諦めの色が濃くなりつつあった。
この報告は、終末までのタイムリミットに対し、既存の工学的手段ではなく、情報・文化領域に埋没していた現象を救済手段として再定義し、管理運用する試みの記録の一部だ。
転機は、二年前の「帰還事例」だった。
SNS上で拡散された一連の投稿は、当初、典型的なデマにしか見えなかった。交通事故の当事者とされる若者が、現場で死亡と判断された直後、何事もなかったかのように起き上がったという。発見時に認められた頭部損傷、両下肢の複雑骨折などの外傷は、立ち上がった時点で跡形もなく消失していた。衣類の破損のみが残存していた点が、その不自然さを際立たせていた。
さらに、当該人物はこう証言したとされる。
「異世界を救ったら、戻ってこられた」
──異世界。
私はその言葉を、しばらく黙って反芻した。この世界とは異なる世界が実在するのなら、崩壊しつつある地球を捨てる手段が、理論上成立する。突飛な妄想ではない。生存のための仮説。
私はこの研究を前倒しする必要があると判断した。異世界移住計画は、雲を掴むどころではない。手を伸ばすことすら許されない禁忌に近いと感じた。
手がかりとなったのは「異世界転生モノ」と総称される創作群であった。
漫画、小説、ゲーム──フィクションの器に流し込まれてきた共通構造は、偶然の一致にしては精緻すぎるように感じた。
死。女神。能力付与。転送。現地適応。成長。救済。あるいは平穏な生活。
創作物が異世界の仕様書であるはずはない。だが、もし逆に、仕様が先に存在し、それが人類の想像力へ「影」として投影されてきたのだとしたら?
私は作者と、帰還事例の当事者(あるいは模倣者)を可能な限り集め、ヒアリングを実施した。物語の類型を「儀式」として抽出し、手順化し、再現性を検証する。研究というより、禁忌の翻訳に近い作業であった。
その末に一つの結論へと辿り着いた。
異世界側とのコンタクトを確立しなければならない。
変人、狂人と蔑まれようが、体裁を気にする時間はない。私は余命幾ばくもない者、判決確定後に死刑執行を待つ者、事件・事故の現場で死を受け入れつつある者に接触し、懇願した。
「女神と話がしたい」──と。
罵倒され、殴られたこともあった。それでもなお、言葉に反応する者は少なからず存在した。「転生」「異世界」「女神」。それらに、希望の眼差しを宿す者がいた。時代がそうさせたのか、あるいは異世界転生という概念が、すでに社会へ深く浸透していたのか。理由は問わない。必要なのは結果だけだった。
一年も経たないうちに、私の前へ「女神の使い」を名乗る男が現れた。ジーンズに黒いパーカー、大きめのフードを深く被り、顔を見せないように振る舞っている。
そんな若者っぽさが不信感を抱かせるが、そのときの私には信じる以外に道はなかった。
その男は、異世界側の事情を語った。異世界では魔王や魔物と総称される脅威が恒常化し、現地人の戦力のみでは均衡が保てない。
だから別世界の魂を呼び込み、戦力として運用しているという。言葉の端々には、躊躇と謝意が混じっていた。こちらの魂を一方的に消費していることへの罪悪感、おそらく、その類だろう。
いずれにせよ、その感情は交渉上の余地を生む。私は、対等な取引へ引き上げることが可能だと判断した。
なぜ、地球側の魂が必要なのか。女神の使いの説明によれば、別世界の魂は神族と称される存在と相性がよく、神の奇跡──すなわち強大な能力、いわゆるスキルの付与が可能になるのだという。
魂が形のない無垢な意識の概念と理論付ければ、外部からの干渉によりその構造を変化させることも可能ということだろうか?
しかし、スキルの付与には著しい個体差があり、再現性が低く、場合によっては実用に至らない脆弱なスキルも存在すると語った。
神から授かる力……にわかには信じがたい。しかし、疑う必要性は皆無。異世界転生という現象の実在を、確定させること。それさえ出来れば他はどうでも良かった。
そして使いの者は、こう付け加えた。
「強く優秀な魂を提供してくれ」
それは私に強く優秀な人間を殺せということだと解釈した。
しかし、スキルの付与における再現性の高低差があるのなら、魂の持ち主の能力は比例しないのでは? そう疑問を投げかけた。
「確率の問題だ」
確かに、優秀な人間が転生後も優秀である可能性は高い。しかし、そんな理由で優秀な人材の命は奪えない……いや、どんな人間であれ、私がその命を奪うことは、私の目的と真逆だ。
「肉体が滅んでも、魂は存在する。そして、こちら側の条件を満たせば、再び元の肉体を復元し、魂を還すことも可能だ」
なるほど、その現象が異世界から帰還した者達の証言か。
理屈はどうあれ実例がある以上、信用せざるを得ないが、だからといって自らの手で他の人を殺して良いはずがない……。
いや、しかし、私の呈する異世界移住計画の根本的原理が、こちら側の人間の魂を異世界に送る。つまり転生させることなのだから道理は通る……だが。
私は自問自答を繰り返し「やはり私には無理だ」と肩を落とした。
「この世界の人間の情報を提供すること、お前の使命はそれだけだ」
女神の使いは口元を緩めた。
それは、この男が私の情報を元に殺人を犯すと言うことか……だから接触してきた? 国連組織の一員である私だから……。
「条件がある」唇を噛み、私はこう告げた。
・転生した人間の動向を把握できるようにすること
唯一にして最大の権限。研究とは再現精度を高めるための試行錯誤。人類を救うためには絶対に欠かせない。
「……前向きに検討しよう」
その日、男はそう言い残して去ったが、翌日には許可が下りたとの吉報を持って現れた。
そして、異世界を救うために共闘しているという出資者たちも紹介された。
表向きは新興宗教の布教基金。裏では転生した経験のある資産家たちによる組織《Re:incarnation》
異世界の知識、あるいは転生で得たスキル。詳細は控えると言われたが、それらの恩恵により財を築いた者達により結成され、世界に広がりつつあるとのことだ。
その組織の規模を知り、もしかしたら私はなにか重大なミスを犯したのかもしれないと恐怖感に苛まれた、しかしもう止まることはできなかった。
異世界を救うための組織と、人類を救うための施策。
その相反する倫理の渦に巻き込まれつつも、異世界という別次元の研究に没頭する中で出会った青年。
後に《Rewind Driver》通称、輪廻の駆動者と呼ばれる彼の観測は、ほどなくして始まった。




