第7話 積みあがるもの
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朝の支度に、迷いがなくなっていた。
以前は何度も荷物を確認していた。忘れ物がないか、足りないものがないか、不安になっては手を止めていた。
今は違う。
必要なものが分かっている。
槍。簡単な食料。包帯。余計なものは持たない。
ロイは腰紐を締め直し、立ち上がった。
「早いね、今日は」
宙に浮かびながら、リアが言う。
「無駄が減っただけだ」
「ちょっと冒険者っぽい」
ロイは苦笑した。
「死ににくくなっただけだよ」
だが、完全に否定もできなかった。
歩き出した時、足の運びが軽い。踏み出しと同時に体が自然に次の動きを選ぶような感覚がある。急に速くなったわけではない。ただ、無駄に力を使わなくなっていた。
《足運び》。
名前通りの、地味な変化だった。
だが確実に違う。
東ダンジョンの中は、今日も静かだった。
湿った空気。ぼんやりと光る壁。足音だけが響く通路。
ロイは曲がり角の手前で止まり、耳を澄ます。
気配なし。
視線を左右に走らせ、背後を確認してから進む。
「前より遅いね」
「急ぐ理由がない」
奥へ進むことが目的ではない。生きて戻ることが目的だ。
それを忘れなければ、大きな失敗はしない。
通路の先で、ゴブリンが現れた。
一体。
距離は十分。
ロイは落ち着いて槍を構える。
突く。下がる。間合いを保つ。
棍棒が振り下ろされる前に距離を外し、再び突く。動きはまだ洗練されていないが、焦りはなかった。
やがてゴブリンが崩れ落ちる。
息を整えながら、周囲を確認する。
背後、異常なし。
「安定してきたね」
リアが言った。
「……まだ早い」
ロイは首を振る。
勝てることと、安全であることは別だ。
それはもう分かっている。
その後も、ロイは無理をせず進んだ。
戦える状況だけを選び、危険になりそうなら引く。戦わずにやり過ごした場面もあった。
倒したゴブリンのドロップを確認し、持ち帰る価値があるかを判断する。重さと値段を頭の中で天秤にかける。
全部を持ち帰る必要はない。
損をしないことが大事だった。
しばらく進んだところで、ロイは足を止めた。
壁に、細い線が張り付いている。
光をわずかに反射する、透明な糸。
「……なんだ、これ」
「紐?」
「違うな」
ロイは近づかない。
触れる理由がない。
「知らないものには触らない」
「慎重だね」
「生きてるやつは大体そうだろ」
そのまま、別の通路へ進む。
胸の奥に、小さな違和感だけが残った。
次に現れたゴブリンは、一体だった。
問題なく倒せる距離。
ロイは槍を構え、いつも通り間合いを取る。
突く。避ける。下がる。
だが――。
戦闘の最中、別の足音が聞こえた。
背後。
反射的に距離を取る。
通路の奥から、もう一体。
(二体)
まだ大丈夫だ。
逃げられる。
そう判断した瞬間、横の通路から影が動いた。
三体目。
さらに、奥からもう二体。
気づいた時には、五体のゴブリンが通路を塞いでいた。
ロイは動きを止めた。
冷静に数える。
一体なら勝てる。
二体でも、逃げられる。
だが五体は違う。
前も後ろも、距離がない。
「……まずいな」
リアが小さく言う。
ロイは答えなかった。
槍を構え、横へ動く。隙間を探す。
だが通路が狭い。逃げ道がない。
一体が飛び込んでくる。突いて押し返す。だが次が来る。
距離が詰まる。
足運びで後退する。体勢は崩れない。だが、数が多い。
棍棒が肩をかすめる。
衝撃でバランスが揺れる。
もう一体が踏み込んでくる。
(無理だ)
判断は早かった。
だが、遅かった。
退路がない。
槍を弾かれる。
足がもつれ、倒れる。
視界いっぱいに、ゴブリンの影が広がった。
痛み。
息が詰まる。
それでも頭は冷静だった。
(囲まれたら終わりだ)
次は、数を見誤らない。
光が消える。
目を開けた。
見慣れた天井だった。
しばらく、体を動かさなかった。
呼吸を整える。胸の痛みはない。腕も、足も、問題なく動く。
生きている。
それを確認してから、ゆっくりと起き上がった。
頭の中には、さっきまでの光景がはっきり残っている。
五体。
通路を塞がれた時点で、もう逃げ場はなかった。
「……数か」
小さく呟く。
慎重でも、どうにもならない状況がある。
それを理解しただけでも、無駄ではない。
その時だった。
「あ、そういえば」
リアが、思い出したように声を上げた。
「言い忘れてた」
「何をだ?」
「ステータス。見てないでしょ?」
ロイは眉をひそめた。
「……ステータス?」
「うん。ほら、意識すれば見えるやつ」
あまりにも軽い口調だった。
「最初にダンジョン入った時から見れたんだけどね」
「……先に言え」
「だって普通みんな知ってるし」
リアは悪びれもなく言う。
ロイは小さくため息をついた。
「どうやって見るんだ」
「自分のことを知ろうって思えばいいだけ」
曖昧な説明だった。
だが言われた通り、意識を内側に向ける。
自分の状態を確かめるように。
すると、自然に情報が浮かび上がった。
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ロイ・マルクス
固有スキル:《撤退》
習得スキル:《足運び》
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それだけだった。
数字も、細かい説明もない。
だが、十分だった。
ロイはしばらく、その情報を見つめる。
「……消えてない」
「よかったね」
リアが頷く。
「死んでも、魂が覚えたものは残るんだね」
ロイはゆっくり息を吐いた。
確信に変わる。
死んでも、すべてが無駄になるわけではない。
積み上がっている。
だが――。
「だからって、死にたいわけじゃない」
「知ってる」
リアが笑う。
ロイは視線を天井に戻した。
五体に囲まれた状況を思い出す。
あれは判断ミスではなかった。
ただ、数が多すぎた。
「勝てない数がある」
静かに呟く。
なら、やることは一つだ。
「遭遇しない方法を考える」
慎重に進むだけでは足りない。
数を管理する。
危険になる前に離れる。
生きて帰るために。
ロイはゆっくりと立ち上がった。
次にやるべきことは、もう決まっていた。
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