第6話 持ち帰る価値
毎日20時投稿
朝の空気は、少し冷えていた。
ロイは机に肘をつき、ぼんやりと天井を見上げていた。目は覚めているが、すぐに動く気にはなれない。
頭の中で、昨日の動きを繰り返していた。
曲がり角の位置。足音の響き方。視界の狭くなる場所。
(一体だと思い込むな)
それだけは、強く残っている。
倒せるかどうかではなく、危険になる形を避ける。そう考えるようになってから、ダンジョンの見え方が少し変わっていた。
「今日も行くの?」
空中で寝転がりながら、リアが言う。
「ああ」
「慎重すぎない?」
「死ぬよりいい」
短く答え、ロイは立ち上がった。
強くなる実感はない。ただ、死なない確率を少しずつ上げているだけだ。
それで十分だった。
東ダンジョンの入口は、今日も変わらず賑わっていた。
何人もの冒険者が出入りし、素材の売買をしている商人の声が響いている。
ロイはその中を抜け、迷わず中へ入った。
湿った空気が肌にまとわりつく。
ぼんやりと光る壁。足音の反響。
もう、この空気にも少し慣れてきていた。
慎重に進む。
曲がり角の前で止まり、耳を澄ます。視線を動かし、背後を確認する。
何もいない。
それでも、すぐには動かない。
数秒待ってから、ゆっくりと角を曲がった。
「前より遅いね」
リアが言う。
「急ぐ理由がない」
ロイは答える。
奥へ進むことが目的ではない。生きて戻ることが目的だ。
しばらく進んだところで、ゴブリンが現れた。
一体。
距離は十分ある。
ロイは落ち着いて槍を構えた。
突く。下がる。間合いを保つ。
動きはまだぎこちないが、無駄が減っている。焦らず、確実に距離を維持する。
やがてゴブリンが崩れ落ちた。
息を整えながら、ロイは周囲を確認する。
背後。横。気配なし。
その時だった。
ゴブリンの体が淡く光り、消えていく。
代わりに、床に小さな巻物が残った。
「……?」
ロイは眉をひそめる。
「それ、落としたよ」
リアが指差した。
拾い上げる。
手のひらほどの大きさの、簡素なスクロールだった。淡い光がわずかに残っている。
「スキルスクロールだね」
「……これが?」
ロイは巻物を回しながら観察する。
見たことはある。市場に出回ることもあるが、高価で、商家の帳簿の中でしか触れたことがない代物だ。
使用すればスキルを獲得できる。
だが――。
「使わないの?」
「……分からない」
正直な答えだった。
強くなるためのものだというのは分かる。だが、内容も確認せずに使うのは怖い。
巻物に浮かび上がる文字を読む。
《足運び》
派手さはない。
攻撃でも、防御でもない。
「地味だね」
リアが言う。
「ああ」
だがロイは考え込んだ。
逃げる時。距離を取る時。体勢を崩さない動き。
今までの自分に足りなかったのは、そこだった。
それでも、すぐには使わない。
売ればそれなりの金になる可能性もある。装備を整える資金にもなる。
しばらく黙って考えた後、ロイは巻物を握り直した。
「……使う」
「いいの?」
「逃げるのに使えるなら、無駄にはならない」
巻物が淡く光り、手の中で崩れた。
一瞬、足元が軽くなった気がした。
それだけだった。
「……分からないな」
「すぐには変わらないよ」
リアが笑う。
ロイは一度足を動かしてみる。違和感はない。ただ、重さが少し減ったような感覚があった。
気のせいかもしれない。
その直後だった。
奥の通路から、別の気配が近づいてくる。
足音。
もう一体。
ロイはすぐに判断した。
「戻る」
「戦わないの?」
「勝てるかもしれない」
ロイは振り向かないまま答える。
「でも、生きて帰れるとは限らない」
距離を取り、来た道を戻る。
追ってくる様子はない。
入口が見えた時、ようやく肩の力が抜けた。
外の光が、やけに明るく感じた。
ロイは深く息を吐く。
手の中には、もう何も残っていない。
だが、確かに何かを持ち帰った感覚があった。
「全然進んでないね」
リアが言う。
ロイは小さく笑った。
「進んでるよ」
少しだけ間を置いて、続ける。
「死ななかった」
東ダンジョンの入口を見上げる。
まだ先は長い。
だが、ようやく歩き方が分かり始めていた。
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