第3話 はじめての一歩
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家を出てからしばらく、ロイは黙って歩いていた。
朝の街は、いつも通りだった。市場へ向かう商人の声。パンを焼く匂い。荷車の軋む音。何も変わらない、平和な朝。
それなのに、どこか現実感が薄い。
三か月後、この景色はなくなる。
そう思ってしまうからだった。
東ダンジョンへ向かう道を、装備を整えた冒険者たちが歩いていく。笑いながら、今日の稼ぎの話をしている者もいれば、無言で武器を担いでいる者もいる。
ロイは無意識に足を止めた。
あの日も、こんな朝だった。
同じように人が歩き、同じように笑っていた。その数時間後には、すべてが崩れた。
「顔が暗いよ」
肩のあたりで、リアがくるりと回った。
「まだ死んでないのに」
「……縁起でもないこと言うな」
「もう一回死んでるから、今さらでしょ?」
軽い口調だった。だが、その言葉は事実だった。
ロイは小さく息を吐く。
「慣れるもんじゃない」
「だろうね」
リアはあっさり頷いた。
そのまま、二人は歩き続ける。
やがて、石造りの大きな建物が見えてきた。冒険者ギルドだ。
入口の前には、すでに何人もの冒険者が集まっていた。素材を担いで戻ってきた者、これから潜る者、依頼票を確認している者。朝だというのに、内部からは賑やかな声が漏れてくる。
ロイは一度、足を止めた。
ずっと憧れていた場所だった。
だが今は、違う感情が混ざっている。
ここにいる人間の多くが、三か月後には死ぬかもしれない。
そう思ってしまう自分がいた。
「入らないの?」
リアが覗き込む。
「……入るよ」
ロイは扉を押した。
中は想像していた通り、いや、それ以上に騒がしかった。金属のぶつかる音、笑い声、酒の匂い。壁には討伐依頼や採集依頼の紙が並び、受付には列ができている。
ロイは場違いな気分になった。
自分だけが、ここにいる理由を分かっていないような感覚。
「新人?」
横を通り過ぎた冒険者が、ちらりとロイを見る。すぐに興味を失ったように仲間の方へ戻っていった。
その視線に、悪意はない。ただ、慣れた目だった。
ロイは受付へ向かう。
「冒険者登録をしたいんですが」
受付の女性は慣れた様子で頷いた。
「はい。初登録ですね。お名前を」
「ロイ・マルクスです」
「年齢は?」
「二十歳」
書類が手際よく進んでいく。商家所属の確認、身元保証の確認。すべて問題なく終わる。
「では、スキルを確認しますね」
ロイは一瞬だけ、息を止めた。
成人の儀で告げられた、自分の固有スキル。
《撤退》。
意味のないスキルだと笑われた名前。
受付の女性の視線が書類に落ちる。
ほんの一瞬だけ、手が止まった。
すぐに動き出す。
「……はい、登録完了です。こちらがギルドカードになります」
それだけだった。
表情も、声色も変わらない。
だが、ロイには分かった。
何かが一瞬だけ変わったことが。
「ありがとうございます」
カードを受け取り、受付を離れる。
背中に視線を感じた気がしたが、振り返らなかった。
近くで話していた冒険者の声が耳に入る。
「新人か?」
「さあな」
それ以上は続かない。
興味を持たれなかっただけだ。
それが、逆に現実だった。
ギルドを出ようとした時、背後から声がかかった。
「おい」
振り向くと、三十代くらいの冒険者が立っていた。鎧は使い込まれ、腕にはいくつもの古傷がある。
「初めてか?」
「あ、はい」
男は少しだけ笑った。
「無理すんなよ」
それだけ言って、仲間の方へ戻っていく。
悪意はなかった。
本気でそう思っている声だった。
ロイはしばらく、その場に立ち尽くした。
「思ったより普通だったね」
外に出ると、リアが言った。
「……普通だよ」
ロイは肩をすくめる。
「俺は弱い」
言葉にしても、悔しさはなかった。
事実だからだ。
帰還石で代用できるスキル。戦闘経験もない。商家の息子が急に冒険者になると言い出しただけ。
そう見られるのは当然だった。
「怒らないんだ」
「怒る理由がない」
ロイは歩き出す。
「正しい評価だよ」
リアは少しだけ目を細めたが、何も言わなかった。
武器屋の前で、ロイは足を止めた。
店先には剣や斧、槍が並んでいる。どれも見慣れない重さを持っているように見えた。
「何買うの?」
「高くないやつ」
「夢がないね」
「壊れるかもしれないからな」
店の中に入り、一本一本手に取る。重さを確かめる。振ってみる。
剣は近すぎる。
斧は重い。
短剣は怖い。
最終的に手に残ったのは、一本の槍だった。
「それ?」
「ああ」
間合いが取れる。近づかなくていい。危なくなったら離れられる。
戦うための武器ではない。
生き残るための武器だった。
「逃げる気満々だね」
「死にたくないだけだ」
金を払い、槍を受け取る。
手に持つと、思っていたよりも軽かった。
東ダンジョンの入口が見えてきた。
人の出入りはいつも通りだった。笑いながら入っていく冒険者。疲れた顔で戻ってくる者。入口付近では素材の買取をしている商人もいる。
平和だった。
あまりにも、普通だった。
ロイの足が止まる。
ここから溢れた。
あの日、魔物が。
悲鳴と血と、崩れる音。
体がわずかに震える。
「入る?」
リアが聞いた。
ロイはしばらく答えなかった。
入口を見つめる。暗い穴の奥は何も見えない。ただ、静かに口を開けているだけだ。
やがて、ロイは首を振った。
「……いや」
「怖い?」
「当たり前だ」
正直に答える。
そして一歩、入口から離れた。
「今日は見るだけだ」
周囲を見渡す。どんな装備の冒険者が多いか。どのくらいの時間で戻ってくるか。傷の具合はどうか。
観察する。
覚える。
同じ失敗をしないために。
リアがくすりと笑った。
「ほんと、変な冒険者」
「そうかもな」
ロイはもう一度、ダンジョンの入口を見た。
今度は、逃げずに。
ただ、距離を測るように。
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