第8話 女騎士は不器用な性格でした
アテナとの勝負に敗れたバイオレットは、約束どおり俺に稽古をつけてくれることになった。
彼女が自宅に戻るのはだいたい十八時頃。
簡単な食事をとったあと、十九時から二十二時まで――三時間みっちり。
俺は、スパルタ教育という名の地獄に叩き込まれた。
初日、まずは実力を測るために模擬戦を行ったのだが――開始から十秒も経たずに、俺は地面に転がっていた。
「……全く、話にならないな」
木刀を肩に担ぎながら、バイオレットは冷ややかに言い放つ。
まあ当然だろう。かたや王国騎士団第六隊の隊長、かたやレベル1の俺。彼女から見れば、赤子と戦っているようなものだ。
だが、そんな俺をバイオレットは見捨てなかった。
稽古のあと、彼女は黙って鞄から分厚い紙束を取り出すと、俺に手渡してきた。
「……今のままでは話にならん。だから――私が不在の間も、一人で鍛えられるように組んできた。訓練は……サボるなよ?」
そう言って用紙を差し出すとき、バイオレットは小さく咳払いをして、少しだけ視線を逸らした。
どこか照れくさそうに。
この世界にパソコンもコピー機もない。それなのに、彼女は三十ページにも及ぶ訓練スケジュールを――すべて手書きで作ってくれていた。
そこには――素振り百回×三セット、ランニング十キロなど、びっしりとやるべきことが記されていた。
さらに、「悠真は刀を振るとき、一打目が大振りになる傾向がある」「攻撃がいつもワンパターンなので、フェイントやバリエーションを増やすこと」といった、具体的なアドバイスまで丁寧に書き込まれていた。
そのおかげか――いや、俺の持つ「経験値七七七倍」の能力もようやく活きてきたのか。バイオレットとの訓練を始めてから一週間が過ぎた頃には、さすがに対等とは言えないものの……三分間の実戦で、なんとか倒れずに立っていられるほどには成長していた。
平日は夜の稽古となるため、近くの道場を借りて訓練を行っていた。一方、普段ひとりで訓練する時は、人目のない場所を選んで黙々と汗を流していた。
「私は訓練には付き合わないわよ。忙しいのだから」
そう言って、アテナが俺の訓練に付き合うことはなかった。
……とはいえ、内心ではずっと疑問に思っていた。
――忙しいって、一体なにをしてるんだ?
その答えは、案外すぐにわかった。
「サラさん。今日は大物が釣れたわよ!」
「サラさん。大物の猪を狩ってきたわ!」
……そう、アテナは釣りや狩りをしていただけだった。
魚くらいならまだ理解できる。だが――ある日、体重百キロをゆうに超える猪を肩に担いで帰ってきたときは、本気でドン引きした。
けれど、サラさんはまったく困った様子もなく、むしろ目を輝かせていた。
「まあ、美味しそうね! どう料理しようかしら!」
……強い。この家の女性陣、みんな強い。
とはいえ、さすがに六人では食べきれないので、近所の人たちを三十人近く招いて、自由に使える町内会のような広場でバーベキューを開くことになった。
その場では、「百キロ超えの猪をひとりで仕留めた英雄」として、アテナは近所の人たちから一目置かれ、当の本人も、まんざらでもない顔で褒められていた。
その食事会の場で、ジョンさんたちは近所の人たちに、俺とアテナを「シャーロットの命の恩人であり、冒険者でもある」と紹介してくれた。
近所の人たちは俺たちを不審がることもなく、むしろ温かく迎えてくれた。
会って一時間も経たないうちに、俺たちはすっかり打ち解けて肩を組み、酒を酌み交わしていた。
きっと俺たちがこんなにもすぐ受け入れられたのは――このジョンさん一家が、皆に愛されているからなのだろう。
ジョンさんは一見すると強面だが、とても面倒見がいい。仕事仲間らしき若者に「ジョンさん、聞いてくださいよぉ」と甘えられても「まったく……困った奴だ」と微笑みながら、愚痴を黙って聞いてやっていた。
一方で、五十を過ぎた年配の男性からは「ジョン、お前には期待してるからな」と肩を叩かれていたりする。
まさに、誰からも信頼されているという感じだ。
サラさんも愛嬌があり、老若男女を問わず誰からも好かれていたし、シャーロットも明るい性格のおかげで、同い年くらいの子どもたちが自然と集まってきていた。
……ただ、その一方で、ひとりだけ様子が違う人物がいた。
バイオレットだ。
彼女の周囲には、あまり人が寄ってきていなかった。
「なんだ、バイオレット。お前……まさか、ボッチなのか?」
「なっ……ば、馬鹿者! 私がボッチなわけないだろう!」
隣に腰を下ろしてからかうと、バイオレットは露骨に顔を赤らめた。
……どうやら図星らしい。
「わ、私は騎士だからな……周囲に、怖がられているのかもしれん……」
「そんなものか?」
――そんなの、全然関係ないと思うけどな。まあ、可哀想だから深く突っ込むのはやめておこう。
けれど、バイオレットの周りに人が集まらない理由は、わりと早い段階でわかった。
実際、彼女のもとに全く人が来なかったわけではないのだ。
近所の人たちは好意的に声をかけてくれていた。
「バイオレットちゃん、女の子なのに騎士になって大変だね」
「バイオレットちゃん、可愛いんだから、もっと着飾ったらいいのに」
――それは、どれも悪気のない、ごく普通の言葉だった。
なのにバイオレットは、それらをひねくれた受け取り方をしてしまっていた。
「女が騎士になって――何故、大変なのだ?」
「……私が可愛いわけがない。からかうのは、やめてほしい」
――と、空気を読まない返答をしていた。
それを横で見ていた俺は、ようやく状況を理解する。
……ああ、そういうことか。
バイオレットは、時折ひどくひねくれた一面を見せる。
常にそうというわけではない。ただ――どうやら【性別】や【騎士】という言葉に関しては、異常なほど敏感らしい。
きっと彼女は、女という性別の壁を越えて騎士になったのだ。その道中には、想像以上の苦労があったのかもしれない。
そこは汲み取ってやりたいとは思う……思うが、それにしても不器用すぎる。
「バカだな……ああいうときは『そうなんです、力仕事が多くて大変なんですよ』とか、『私なんて可愛くないですよ、でも何を着たら似合いますかね?』って、軽く笑って返せばいいんだよ」
「……わかっている。わかってはいるのだ……だが、この……面倒くさい性格は……どうしようもないのだ……」
俺のアドバイスに対して、バイオレットは小さく肩を落とし、両手で顔を覆ってしまった。
――ああ、面倒くさい奴だって、自覚してるのか。
ちょっと安心したよ。でも……自覚しているなら、なおさら辛いだろうな。
正直、俺は人と深く関わることをやめた人間だ。もう面倒事は沢山だからな。
それでも、バイオレットの不器用で苦しそうな横顔を見ていると――なんとかしてやれないだろうか、という気持ちが、どうしても芽生えてしまうのだった。