第22話 右手のぬくもり
「今日は祝勝会ね」
洞窟から出て街の門へ入るやいなや、アテナが開口一番、そんなことを言い出した。こいつの祝勝会は、だいたい飲む口実だ。
「悪い。俺は帰って寝る」
「あら、どうしたのよ。ノリが悪いわね」
「大丈夫か、悠真。顔色が悪いぞ」
バイオレットが心配そうに覗き込む。
「大丈夫だ……逆にバイオレット、お前は? 竜に吹っ飛ばされてただろ」
「私か? 私は全然大丈夫だ。頑丈さだけが取り柄だからな。――まあ、すぐにニナが回復魔法をかけてくれたおかげでもあるが」
胸に手を当て、ちょっと自慢げ。
「メスゴリラ」
「貴様ぁ! なんてことを言う! しかも頭のクールビューティーが抜けているじゃないか!」
つい口が滑った。バイオレットが顔を真っ赤にして俺の胸ぐらを掴み、ガクガク揺さぶる。
痛い痛い、揺らすな。肋骨がギシギシ言ってるんだってば。
「ニナは大丈夫か?」
ニナも直撃を食らった一人だ。バイオレットと違って華奢だし、ダメージが心配だ。
「平気よ。自分にも防御魔法かけてたし、シールド越しだったから威力は落ちてたわ。最後は当たる瞬間に後ろへ跳んで、ダメージを最小限にしたし」
なるほど。俺よりよほど実戦慣れしてる。
――結果、深刻なのは俺だけか。いいことなんだけど、ちょっとだけ虚しい。
「悠真、どこか痛いの?」
珍しくニナまで心配そうに覗き込んでくる。
「大丈夫だ。一日寝れば治る」
本当はめちゃくちゃ痛いけど、こういう時に素直になれないのが悪い癖だ。
「祝勝会は三人。女子会で盛り上がってくれ。……俺は休ませてもらう」
気を遣わせないようそう告げて、俺は一人、宿へと歩き出した。
宿に戻るなり、俺は布団に潜り込んだ。
安宿の寝台は、低反発だとか羽毛だとか、そんな贅沢とは無縁だが――疲労は最高の安眠枕だ。布団の温度が体に馴染むより早く、意識は闇に落ちた。
どれくらい眠っただろう。目を開けると部屋はまだ暗い。窓の隙間から夜風がひゅうと鳴り、魔導灯も落としてある。
――右手に、ぬくもり。暗がりでも、誰かはわかる。
「……ニナ」
俺の右手を、彼女の小さな両手が包んでいる。不思議と、寝る前にうずいていた肋の痛みが引いていた。まさか――ずっと回復魔法を?
呼びかけると、椅子に座ったままうたた寝していたニナが、はっと目を覚ました。
「ゆ、悠真……起きたの?」
ぼんやりした声。自分が手を握っていたことに気づくと、慌ててぱっと離す。
「セ、セクハラ! ば、バカ、えっち!」
なぜか逆ギレで俺の脇腹をぺしっと叩く。治してくれたのに悪化させる気か。
俺は身を起こし、魔導灯に火を入れた。壁掛けの時計は二十三時過ぎを指している。宿に戻ったのが十六時だから、五時間は眠っていたらしい。
「どうした、ニナ」
「どうしたはこっちのセリフよ」
「てっきり、アテナとバイオレットとで女子会でもしてるのかと」
「……仕方なかったのよ」
「アテナがいきなり『悠真、肋にヒビ入ってるから早く処置しないと悪化するわね』とか言うし、そのあとバイオレットが『悠真を頼む』って、私の手、ぎゅって掴むし。だから――し、仕方なく来たの」
アテナ、知ってて祝勝会とか言ってたのか。ほんと性格悪い。ドS女神め。
「いい仲間よね」
「え?」
「バイオレットは不器用だけど面倒見がいいし、優しい。アテナは自己中でムカつくけど……なんだかんだ、みんなを見てる」
ニナは小さく頷いた。
「知ってた? アテナ、竜の時は姿を隠してたけど、岩陰からずっと見てたの。多分、危なくなったら飛んでくるつもりだったんだと思う」
だから、倒した後に俺がアテナを責めた時、ニナが庇ったのか。
「悠真もさ――不器用よね。悠真、自分のこと……嫌いでしょ?」
思わぬ角度の矢に、言葉が詰まる。取り繕うこともできたが――
「……好きではないな」
部屋の灯が、ニナの瞳に小さな光を落とす。
「うん。そんな気がしてた。でも、周りは違うと思うよ。アテナもバイオレットも、悠真のこと大好きだもん」
ニナは一拍置いて、俺をまっすぐ見た。
「私がスリのターゲットに悠真を選んだの、理由があるの」
「なんだ?」
「――羨ましかったからだよ」
その一言は、強がりの少ない声だった。
「三人が楽しそうで、あったかそうで……その、ちょっと入ってみたかったの」
沈黙。
すぐに、彼女はぷいっと顔をそらし、いつもの調子に戻す。
「――なーんて、嘘。そんなわけないでしょ」
引き出しの奥から取り出したみたいな作り笑顔。立ち上がる背中は、少しだけ名残惜しそうだ。
「一日だけのパーティーだったけど、悪くなかった。……もうあんな怖いのはゴメンだけどね。久々に生きてるって感じがした。ありがと、悠真」
取っ手に手をかける――そこで半歩だけ戻り、もじもじと靴先で床をつつく。
「……その、手、あったかかったし。魔法……効きやすくなる気が、ちょっとだけ、したから。だから、握ってただけ。べ、別に、他意はないから」
最後の一文は、早口で。ニナは振り返らずに部屋を出て行った。
静けさが戻る。扉の向こうで足音が小さく遠ざかっていく。
俺はしばらく、その扉を見つめていた――右手のぬくもりが、まだ残っていた。