第21話 竜討伐
――静かすぎる。
今はモンスターの気配はないが……この奥に何かが潜んでいる、そんな空気が張り詰めていた。
「……おい、悠真」
静かで、どこか緊迫した声。バイオレットが俺の腰を引き、顎で前方を示す。彼女はまばたきひとつせず、奥の闇を射抜いていた。
同じ方角に目を凝らす――バサ、バサ、と空気が裂ける。暗がりの奥から、巨大な影がこちらへ迫る。
――翼。鱗。咢。
生で見るのは初めてだが、見間違えようがない。竜だ。十トントラックはある巨体が羽ばたき、一直線に急接近してくる。口がぐわりと開き――
「バカ! なにボサッとしてるのよ!」
ニナの怒鳴り声と同時、竜の咢から炎が奔った。思ったより速い――避けきれない!
「フォースシールド!」
ニナが両手を突き出す。緑光の盾が目の前に展開、炎がぶつかり、ビキビキとひび割れた。
「もたない! 逃げて!」
パリン――砕ける音。俺は右に身を投げ、直後、さっきまでいた場所を炎が薙いだ。
咳き込みながら周囲を確認。ニナもバイオレットもギリギリ回避。――アテナは?
燃え広がる炎の中から、アテナがひょいと姿を現した。無傷、涼しい顔だ。竜がそのまま突撃、右の鉤爪がアテナを薙ぐ――
ガシ。
体幹ごと持っていくはずの一撃を、アテナは左手一本で受け止め、空いた右手を竜の胴へ向ける。
「ライトニングキャノン」
静かな詠唱。次の瞬間、雷の柱が迸り、竜の巨体は十メートル以上吹き飛んだ。岩床が裂け、粉塵が舞い上がる。
「……しまったわ」
アテナが目を丸くし、こちらを振り向く。
「やばくなる前に逃げる予定だったのに。つい体が動いちゃった」
「いいからそのまま倒してくれ!」
俺が首をぶんぶん振ると、アテナは白けた顔。
「何言ってるの? あんな小物倒せないようじゃ、この先ないわよ」
いや、こっちから見りゃ大物だ。
「アテナの言う通りだ。彼女に頼り切れば、私たちの先はない」
バイオレットが剣を抜き、刃が黒い光を返す。
「ニナ、さっきは助かった。引き続き、私と悠真の援護を頼めるか」
「……あ、当たり前でしょ!」
ニナは頷き、握り拳を作る――足、めっちゃ震えてるけどな。
吹き飛ばされた竜が起き上がり、灼けた瞳で吠える。
洞窟全体が震え、骨片が跳ねた。
「ゴラン、ビジョン!」
ニナの補助魔法が走る。体の内側が熱く、脚が軽い。防御と脚力が一段引き上げられた感覚――持続は十分ってところか。
「……ただ、さっきみたいな炎をまともに受けたら――」
「大丈夫。まずかったら逃げる」
「相変わらず、悠真は格好悪いことしか言わないわね」
「ああ。でも、格好よく死んでも意味ないだろ」
鞘から刀を抜き、バイオレットと目配せ。一、二、三――踏み込む。
炎が来れば終わる。だから左右に散る。ニナの強化で、地面を蹴るたびに世界が後ろへ流れる。
竜の視線が揺れ、標的が俺に決まった。喉が膨らむ。
「フォースシールド!」
ニナの即応。盾は一瞬で割れたが、身を捻る猶予は稼げた。直後、バイオレットが懐へ滑り込み、剣閃――
「ギャオオオオオオオオン!」
竜の悲鳴。鮮血が噴き、しぶきがバイオレットの頬を染めた。
視界が一瞬奪われ――ドン!
横合いからの鉤爪。バイオレットの体が弾かれ、岩床に叩きつけられる。
「バイオレット!」
意識はあるが、足がもつれて立ち上がれない。
「ニナ! 竜は俺が引きつける。回復に回ってくれ!」
「でも今度は悠真が――」
「大丈夫。見切ってる。余裕で避けられる」
親指を立てる――もちろん真っ赤な嘘だ。心臓はうるさいし、膝は笑ってる。でも、今はニナを走らせるのが先だ。
「ショットガン!」
二本指から光弾を連射、竜の背へ叩き込む。ダメージは薄いが、頭を振り向かせるには十分。
――来い。
三度目の炎。首のひねり、肩の張り、喉の膨張――読み通り、身を捻って紙一重で躱す。続けざまの左鉤爪。低い。――スライディングで潜る。
懐、取った。喉元へ刃を――その瞬間、視界が横薙ぎに弾けた。
バキィン! 体が宙に放り出され、地面に叩きつけられる。
な、なんだっ……に、今の――
遅れて理解する。炎、鉤爪――尻尾。竜に尻尾があるのは当たり前だ。だが実戦の少なさが、その当たり前を抜かした。
呼吸が荒い。肋が軋む。立ち上がろうとした俺の目の前で、竜の視線がバイオレットへ移った。
「バイオレット! 来る! 逃げろ!」
ショットガンを二発――が、ふらついて狙いが甘い。光弾は石床を抉るだけ。
バイオレットがふらつきながら立ち上がる。その前へ、ニナが飛び込んだ。
細い身体が、両腕を広げて竜を睨み据える。
「来なさいよ。このトカゲ野郎! バイオットは私が守るんだから!」
震えている。けれど、足は引いていない。
ニナの杖先に、淡い光がぎゅうっと収束していく――。
「ニナ。私のことはいい。早く逃げろ!」
バイオレットが顔をゆがめて叫ぶ。だがニナは一歩も引かず、バイオレットの前に仁王立ちになった。
「嫌よ!」
その声は震えていた。足もガタガタだ。――なのに、前だけを見ている。
策が……あるのか?
一瞬、期待したが、ニナの顔を見て悟る。策なんてない。ただ、怖くても背を向けたくないだけだ。
「仲間が目の前で倒れてるのに、逃げるなんてできない! 私が役に立たないのは自分が一番わかってる。でも、それは――見捨てていい理由にはならない! 生きて帰るなら全員で帰る。それが私の、絶対条件よ!」
ニナは自分を叱咤するように叫び、杖を構えた。
「フォースシールド!」
竜の踏みつけが降る。緑の盾が受け止め、ひび割れ、砕け飛ぶ。
「フォースシールド! フォースシールド! フォース――!」
連打。だが圧が強すぎる。盾が破れ、衝撃がニナの身体をさらう。軽い悲鳴、細い体が弾かれて岩床に叩きつけられた。
マズい。今度は竜の標的がバイオレットから、ニナに切り替わった。
立ち上がろうとした俺の肋に、ギリ、と刃を差し込むみたいな痛み。視界が歪む。
「――――ッ!」
吠えて痛みを押し流す。足を叩き起こし、走る。刀を振りかぶる。
「どけえええぇぇぇぇ!」
刃が竜の背を裂き、濃い血が散る。竜が咆哮――しかし動きが止まった。
あれ……?
回り込んで顔を見る。竜の額に、バイオレットの剣が深々と突き立っていた。
いつの間に――。
竜は白目を剥き、巨体がどさりと崩れる。
膝から力が抜けた。俺が何もしなくても倒せた、という悔しさより、二人が無事だった安堵が先に来る。
「二人とも、大丈夫か?」
「ああ。――完全に、ニナに救われたがな」
バイオレットは肩を押さえつつ、穏やかに笑う。傷は浅そうだ――良かった。
「ニナは――」
声をかけようとした瞬間、ニナがへなへなと尻もちをついた。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫じゃないわよ!」
「し、死ぬかと思ったわよぉ……!」
涙目。腰が抜けてる。でも、その目は逃げなかった自分を、ちゃんと見ている。
「俺も死ぬかと思った」
「さっき、余裕で避けられるって言ったでしょ! もろに食らってるじゃない、この役立たず! このままバイオレットが起きなかったらどうするつもりだったのよ!」
言葉は刺さる。でも、それだけ怖かったのだ。――その恐怖を抱えたまま、前に立ったんだ。すごいよ、お前は。
「いや、悠真は役立たずではないぞ」
バイオレットが静かに言う。
「悠真が稼いだ時間で、ニナは私のもとへ来られた。悠真が背を斬ったから、竜の首が落ち、私は額を狙えた。……三人で獲った勝利だ」
ニナが口をつぐみ、頬をふくらませてそっぽを向く。
「……知ってるわよ、そんなの。――言い過ぎた。ごめん」
「いいさ。結果として全員、よくやった。……でも、MVPはニナだ」
「え、私?」
「ああ、同意見だ。ニナがいなければ、私たちは今ここにいない。ありがとう、ニナ」
「べ、別に……褒めたって何も出ないわよ」
口を尖らせるが、耳の先がほんのり赤い。
「なによ、みんなで盛り上がって。ずるいわ、私だけ除け者にして」
いつの間にかアテナがひょっこり顔を出す。
「出たな、駄女神」
「あら、失礼ね」
「アテナ、俺たちマジで死ぬところだったんだぞ」
「そうね。でも、死ななかったんだから結果オーライでしょ?」
軽い。けれど、ニナが俺の腕をそっと掴んだ。
「やめなよ、悠真。いいじゃない。全員無事だったんだから」
……そうだな。お前がそう言うなら、今日はそれでいい。
その後、俺たちは常備していたノコギリで竜の角を採取した。ギコギコ――硬い角を引くたび、俺の肋もギコギコ痛む。多分、ひびは入ってる。
けれど、バイオレットもニナも同じように痛みを抱えている。男が先に弱音を吐くわけにはいかない。
俺は黙って息を整え、角をもう一段、押し切った。