第17話 港町のスリ少女
翌日。
俺たちはマグガーレンの人々に見送られながら、街を後にした。
目的地までのルートはこうだ。まず街からおよそ三十キロ歩いた先にある港まで向かい、そこから船で二日ほど航海する。そして上陸後、さらに約三百キロの道のりを進んだ先に、魔族フリーデンへと繋がるという「門」があるらしい。
過去の歴史を紐解けば、六か国が全面戦争をしたことはないものの、国同士の小競り合いは何度もあったという。
中でもデストリュク王国は、約二百年前に魔族フリーデンと争いを起こした記録が残っている。その戦では、魔族側が奇襲を仕掛けてきたため、デストリュク王国は国土を守るのに精一杯だったそうだ。
――そして今、その争いから約二百年を経た今日。突如デストリュク王国に現れた巨大な魔法陣と共に、一通の手紙が届けられたのだ。
我々は魔族フリーデン。
突然、遠隔魔法を撃ち込むという無礼をどうかお許しください。
まず初めに、我らに戦意がないことをお伝えさせて頂きます。
私たちの世界では数百年前の大戦以降、大規模な争いはなくなりました。
しかし今もなお、平和とは言い難い冷戦状態が続いております。
三年前、私――クレアが王族としての権限を得てから、国を良くするための道を常に考えてまいりました。
私たちは、生まれた場所も種族も異なるだけで、本来は争う必要などないはずです。互いの国をより 良くするためには、六か国すべてが手を取り合い、共に歩むべきだと私は信じています。
とはいえ、一足飛びに全てを成し遂げることは難しいでしょう。
だからこそ、その第一歩として、まずは貴国と同盟を結びたいと考えております。
もちろん、同盟を結ぶには条件もあるでしょうから、一度直接お話をする場を設けさせていただければ幸いです。
お返事につきましては、こちらと同じく遠隔魔法にて手紙をご返送いただければと存じます。
港へ向かう道すがら、バイオレットが手紙を読み上げてくれた。
手紙は漆黒の紙に、鮮やかな赤い文字――まるで血のようで、見た目だけなら不吉そのものだ。だが、書かれた字は妙に丸っこくて可愛らしい。まるで女子高生が書いたような文字だ。
……とても王が直々に書いたとは思えない。
「でも、なんでわざわざ魔族フリーデンにまで行かないといけないんだ? 相手は『返事は手紙でいい』って言ってるんだし、まずは手紙を返せばいいだろ」
俺がそう言うと、バイオレットは顔をしかめた。
「出来るわけないだろう」
「は?」
「二千キロ以上も離れた、行ったこともない場所に遠隔魔法で手紙を届けるなんて――そんな芸当、できるわけない!」
バイオレットは苦虫を噛み潰したような顔で、手にしていた手紙をぐしゃっと握りしめる。
「そんなに難しいことなのか?」
俺は怒りモードに入ったバイオレットはひとまずスルーして、アテナに尋ねた。
「そうね。私も一万キロくらい先なら遠隔魔法で、特定の場所に物を送ることはできるけど……行ったことのない場所に物を届けるのは無理ね」
「……すごいな」
「でしょ? だから、魔族は相当な魔力量を持った種族だと考えた方がいいわね。正直、これは足の裏を舐めてでも同盟を結んだ方が賢明よ。敵対したら絶対に勝ち目はないわ」
――いや、俺は魔族じゃなくて、アテナに対して「すごい」って言ったんだけどな。
こいつ、ただ強いだけじゃなくて、そんなとんでもない魔法まで使えるのか……。
「ああ、私も同意見だ。魔族に会ったことはないが、間違いなく強い。戦いを挑むのは賢い選択ではないだろうな」
俺の言葉に、バイオレットは小さく頷いた。
「あら。賢くないバイオレットにしては冷静な判断ね」
アテナが皮肉めいた笑みを浮かべる。
「ああ。いつもはバカみたいに、『私は騎士として〜』とか言ってるのにな」
俺もつい同調してしまった。
「……お、お前たち。私のことを……そんな目で見ていたのか……」
バイオレットはショックを受けた顔で、胸元をぎゅっと握った。
「にしても、ずいぶん丁寧な文章だな。本人が書いた直筆かはわからんが、文章を見る限り魔族フリーデンの王は――」
「ああ。たぶん、女だろう」
俺が最後まで言い切る前に、バイオレットがいいところを横取りしてきた。
「王もそこにお気付きになったのだろう。話し合うなら女同士の方が穏やかに進む。――というわけで、今回私が派遣されたというわけだ」
誇らしげに胸を張るバイオレット。
王が英断を下したと言わんばかりだが……正直、それをバイオレット一人に一任するのはどうなんだろうか。
それから俺たちは、ほとんど休憩も取らずにひたすら歩き続けた。
ときおり冒険者らしき集団とすれ違うことはあったが、幸いモンスターに襲われることはない。
五時間ほど歩いたころ、風に混じって潮の香りが漂い始めた。
視界が開けると、そこには海沿いの街が広がっていた。
港町は、石畳の大通りを中心に扇状に広がっている。
白い漆喰の壁と木骨の家々が立ち並び、屋根には色とりどりの帆布や網が掛けられていた。露店では干した魚や燻製肉、異国の香辛料や宝石が並び、商人たちの声が絶え間なく響いている。遠くの桟橋では無数の帆船が並び、マストの先で海鳥たちが鳴き交わしていた。
酒場からは陽気な楽器の音が流れ、路地裏には煙草のような甘い香りと、獣脂のような匂いが入り混じっている。活気にあふれてはいるが、整然とした雰囲気はまるでなく、むしろ混沌としていた。
通りを行き交うのは、粗末な革鎧に身を包んだ冒険者や、刃こぼれした剣を腰に吊るした流れ者たちばかりだ。貴族らしい上品な姿はほとんど見かけず、人相の悪い連中が目立つ。
「……あまり治安の良い街とは言えないわね」
俺が胸の中で思っていたことを、アテナはあっさりと口にした。
「ああ、港近くだし、いろんな人間が出入りするから、やむを得ない部分もあるが……貧富の差も激しい。私もパトロールでここに来ることがあるが、スリの被害が一向に絶えないんだ。――悠真も気をつけるんだぞ」
バイオレットが真剣な表情でそう告げる。
「なるほどな」
俺が頷いたその時だった。
バイオレットが説明している最中、背後からわずかな気配を感じ取る。
反射的に腕を伸ばし、その影を捕らえた。
「……こんなふうにか?」
俺は掴んだ腕を引き上げる。
その瞬間、思わず眉をひそめた――想像以上に細く、軽い。
「な、なにするのよ! 離しなさい!」
掴まれた相手は、か細い声で叫んだ。
顔を上げると、そこにいたのは――年端もいかない少女だった。
掴んだ腕を引き上げると、その小さな体ごとふわりと持ち上がってしまった。
あまりにも軽い――まるで鳥の雛でも掴んでいるかのようだった。
シャーロットよりは二、三歳ほど年上だろうか。年端もいかぬ顔立ちながら、輪郭ははっきりと整っており、可愛いというより「小悪魔的な愛嬌」を感じさせる容姿をしている。
赤みを帯びた茶色の髪はふわりと広がり、頭頂で結んだ大きなリボンが目立っていた。華やかな印象を与える反面、その瞳の色――鮮やかな紫の大きな瞳は、こちらを睨みつけるように吊り上がっている。
わずかに膨らませた頬と、ふてぶてしく突き出した唇。その仕草は「捕まってたまるか」と言わんばかりの挑発に満ちており、小さな身体からは信じられないほど強気な空気を放っていた。
――なるほど。可愛らしい見た目に似合わず、典型的な生意気なスリ少女ってやつだ。
「……早速、捕まえたぞ」
俺は少女の抗議を無視し、バイオレットに視線を移す。
「悠真……すごいな。いや、捕まえた腕前もそうだが……まさか、こんなに早く鴨にされるとはな」
「バカね。普段からぼけっとしてるから狙われるのよ」
二人は呆れ顔を揃えて俺に向けてきた。
なんだよ、それ……狙われた俺が悪いのか?
「ダメだぞ。子どものうちからスリなど……許されるものではない」
バイオレットは少女の顔を真っすぐに見つめ、まるで躾けるような口調で諭す。
「そうよ。やるなら、もっと上手くやりなさい」
その隣でアテナは腕を組み、とんでもないことを言っていた。
……ほんとにこいつ、女神か?
「はあっ? なに言ってんのよ! わ、私、なにもしてないんだけど!?」
少女は、俺の手を振りほどくと、ぷいっと顔をそむけてシラを切った。
声は甲高く、早口でまくしたてる。まさに気の強い小動物そのものだ。
「証拠でもあるのっ!? 私、ただ歩いてただけよ! それをいきなりこの人が手ぇ掴んできたの! むしろ私が被害者! ねぇ、この人、変態よ!!」
……反省の色ゼロ。しかも無実を主張したうえで、俺に罪を擦り付けてきた。
――ああ、怖い怖い。こうして冤罪って起きるんだな。
だが、残念だったな。俺には心強い味方がいる――。
「お前な、そんな言い訳が通ると思って……って、えぇぇー、なにその顔」
まさかの逆転劇。少女が放った一言に、アテナとバイオットは同時に眉をひそめ、そっと俺から距離を取った。
「相手をスリ呼ばわりして少女の体に触るとは……悠真、あんた発想だけは天才ね。新手のセクハラの発明ね」
「悠真、私は見損なったぞ。女に興味がないと思っていたが……そうか、実は年下好きだったか。言われてみれば、我やアテナには塩対応なのに、シャーロットにだけは妙に優しかったな」
俺どんだけ信用ないの? でも、ここまで言われると逆に清々しいな。
「ちょっと待ちなさい! 私は十四歳よ! 勝手に犯罪者扱いしないで!」
少女がぷくっと頬をふくらませる。
「十四歳だと? 我が妹は九歳だが、お主顔立ちが……」
「な、なによそれ! ちゃんと見なさい、このボンッ、キュッ、ボンッを!」
「キュ、キュ、キュ、の間違いだろ」
俺がつい口走った瞬間、少女のローキックが俺の膝に炸裂した。
「ははは。ナイスロー」
少女のローキックを膝に受けた俺は涼しい顔で笑ってみせたが、地味に痛ぇし。蹴られた俺を見て、バイオットは困った顔をする。
「悠真。今のはあんまりだぞ。この子が可哀相だ」
「いや、お前が一番の火種だからな」
「私はこの子の顔立ちが十歳ぐらい見えると、むしろ童顔だと褒めたのだ。でも、悠真は違うだろ。完全にこの子を女として見ていた。もうロリコン決定だ」
「酷い言われ様だな。俺、お前になんかしたか?」
もしかして、前の処女発言、まだ根に持っているのかな。
「悠真、ロリコンは悪いことじゃないわよ。世の中、いろんな性癖があるのは仕方ない事だから。でも、手を出してはダメよ。この子、まだ九歳なんだから。観賞だけにしなさい!」
「だから、十四歳って言ってるでしょ!」
アテナが諭すような目で話しをしていると、少女は突っ込みを入れてきた。
良いノリツッコミだ。コンビ組んじゃえばいいのに。
「なんなのよ、あんた達。ロリコン、ロリコンって。覚えてなさいよ!」
顔を真っ赤にした少女は捨て台詞を吐き、駆け足で人込みの中へ消えていった。
「あーあ、逃げらちゃったよ」
その背中を見送りながら、俺は小さく溜息をつく。
「良かったのか? 捕まえなくて」
俺が問うと、バイオットはしばし黙し、やがて複雑そうに答えた。
「……あの子のスリはきっと自分のためじゃない。生きるためか、誰かに命じられているのだろう。そんな者を捕えても、同じことを繰り返すだけだ」
「バイオットの言う通りね。スリはなくならないわ。彼女が背負ってるものの方が問題なのよ」
アテナの横顔は真剣だった。俺は何も言えず、もう一度少女が消えた人込みを見つめた。
悪は悪だ――でも正論だけじゃ人は救えない。俺が一番嫌う言葉だ。口で言ったところで何も変わらないのだから。