第16話 旅立ちの前夜
その日の夜――。
祝いたいと言うだけあって、サラさんが豪勢な御馳走を用意して待っていた。
最初は楽しく賑やかだったが、ジョンさんもサラさんも、どこかバイオレットを案じているのが伝わってくる。
「悠真君も、アテナさんも……バイオレットのこと、どうか宜しくお願いします」
真っ直ぐな目で、ジョンさんは、俺達に頭を下げた。交渉とはいえ、他国に足を踏み入れるのだ。心配になる気持ちもわかる。
「バイオレット。任務なんてどうだっていいから、危なくなったら逃げなさい。いつもみたいに騎士としての心得とか、そういうのはいいから」
サラさんはバイオレットの手を握り、声を震わせる。
「……そんな、逃げるわけには――」
「バカね。逃げるが勝ちって言葉もあるのよ。格好悪くて、無様で、泥に塗れても……生きて帰ってきてちょうだい。母さんはあなたに英雄なんて望んでない。ただ――笑って、生きていてくれたら、それだけでいいの」
「……わかった、母さん。必ず生きて帰るから」
サラさんの強い想いに対し、バイオレットは困ったように、それでも嬉しそうに微笑んだ。
「ねぇ、悠真ちゃんも、アテナちゃんも……帰ってきてね。どこかに行かないでね」
事情をあまり理解できていないシャーロットは、任務のことよりも、俺やアテナがいなくなることを心配していた。
「大丈夫だよ」
俺はそう言って、シャーロットの頭をそっと撫でた。
――ただ、内心は複雑だ。
任務が終わったら一度はここに戻るが、この街に長く居るかはわからない。
俺がやらなければならない本来の使命は、六か国の暴走を阻止し、戦争を避けながら、一つに統べること。
冷たい言い方だが、場合によってはこの人間国を切り捨てる選択も迫られるかもしれない。
……いや、本当に、そんなことが俺に出来るのか? 未来ある国々をまとめあげ、人々の命運を背負うだなんて――。
いや、出来るはずがない。現世で俺は、カウンセラーとして患者を支えきれず……たった一人の命さえ、救うことが出来なかった。その後も、責める声から逃げるように職を辞し、人と関わることすら避け続けてきた。
――そんな俺に、国を一つに束ねる資格なんてあるのだろうか。
当然……あるはずがない。
「どうした、悠真? そんな暗い顔して」
俺の様子に気づいたバイオレットが、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ふん。どうせ、エッチな妄想でもしていたんでしょ」
ワインをがぶ飲みしていたアテナが、目をトロンとさせながらヘラヘラと笑う。
「なっ! ダメだぞ悠真。旅の途中で、膝枕などしてやらんからな!」
……なぜ膝枕で胸を隠す。完全に酔ってるな、こいつ。
「なによ。膝枕くらいしてあげなさいよ。減るものじゃないでしょ」
「だ、ダメだ! 減るんだ、膝枕は!」
「はぁ……何言ってんのよ。じゃあ、私が膝枕してあげるわ」
「なっ、なっ……! そんなのダメだ! お、お前たち……そういう関係だったのか!? そ、そんなの……私は信じないぞぉ!」
バイオレットは顔を真っ赤にしながら、駄々を捏ねるように両手をバタバタさせる。
「……は? 誰もそんな話してないけど? てか膝枕の話だったわよね。なんで急に卑猥な話になってんの?」
アテナとバイオレットはその後もしばらく、子供みたいな言い合いを続けていた。
そんな二人を、ジョンさんとサラさんとシャーロットは、どこか嬉しそうに微笑んで見つめていた。
……ああ、きっと、やっと友達を連れてきた娘を見守る気持ちってやつだな。
最初は真逆すぎて絶対に合わないと思っていたが、今はもう互いを信頼しているのが見て取れる。
アテナとバイオレット――不思議なコンビだけど、きっともう立派な「仲間」なんだろう。
まあいい。世界を一つにするなんて難題は、今はひとまず脇に置いておこう。
不本意ながらも、この世界に来たのだから――せめてこの旅くらいは、こいつらと一緒に笑っていたい。
じゃれ合う二人を見ながら、俺は静かにグラスを傾けた。
第一章 完