第15話 ロック隊長の影
「ああ……やはり、緊張するな」
城の門を出た途端、バイオレットは胸元をパタパタさせて大きく息を吐いた。
さっきまでの張り詰めた表情が、ふっと緩み――いつもの柔らかい顔に戻っている。
柔らかい顔といえば、最近のバイオレットは随分と丸くなった気がする。前は人前で隙を見せるなんて絶対にしないタイプだったのに。
ジョンさんが「バイオレットは愛想が悪いから、将来嫁の貰い手があるか心配だ」とぼやいていたが、この調子なら、未来は案外明るいかもしれん。
後は、こいつが女の顔になるような理想の男が現れればいいのだが――
「ああ、ここにいたのか。バイオレット」
「きゃふんっ!?」
……きゃふん? アテナの「おったまげる」以来に聞いたぞ、その言葉。
正面から歩いてきたのは、一人の男性。その姿を見た瞬間、バイオレットは変な悲鳴を上げ、目をまん丸にして固まった。
そして俺は、一目で悟る――イケメンだと。
ルイスもイケメンだったが、ルイスがやんちゃ系だとしたら、こっちは清潔感に満ちた正統派。優しげな笑顔はどこか育ちの良さを感じさせ、見ているだけで癒されるような雰囲気。
その男を前にしたバイオレットは――完全に「女の顔」になっていた。
「ろ、ロック隊長……ど、どうなされたのですか?」
声、裏返ってるぞ。てか隊長って言ったか今。顔良し・性格良さそう・地位あり……なんなんだ、この完璧超人。
「明日が、魔族フリーデンへの旅立ちだろう。出発前に、どうしても君の顔を見ておきたくてね」
ロック・ヴィンセントと呼ばれた男は、穏やかに目を細めて笑った。
バイオレットはギネス記録でも狙えそうなくらいの高速瞬きを披露している。やめろ、見てるこっちが緊張してくる。
「ああ、あなたが優勝者の悠真さんですね。試合は拝見しましたよ。……あのルイスをここまで圧倒するとは。見事でした。できることなら、私の口から王に進言し、騎士として迎え入れたいほどです」
爽やかな笑顔をこちらに向けるロック。……なんだこの人、完璧すぎる。
ルイスとは真逆で、隙という隙がまったくない。むしろここまで良い人だと、裏の顔が凄まじいんじゃないかと深読みしてしまう俺の性根がひねくれてるのか。
「ありがとうございます。えっと……あなたは」
「ああ、申し遅れました。私はロック・ヴィンセント」
「悠真! ロック隊長はただの騎士じゃないぞ! 一番隊の隊長でありながら、一番隊から二番隊までを総括する立場にある。剣術の実力も騎士内では群を抜いていて……わ、私なんか足元にも及ばないくらい強いんだ!」
バイオレットは顔を真っ赤にして、鼻をフガフガさせながら熱弁をふるっている。
……お前がそんなに興奮してどうする? 鼻の穴に指でも突っ込んでやろうか。
もっとも、バイオレットの憧れが多少、誇張を混ぜていたとしても、「一番隊隊長」という肩書きは伊達じゃない。
今後のことを考えるなら、この人は、間違っても敵に回さない方が良さそうだ。
「そんな畏まらなくていい。バイオレット、君だって任務を無事に終えれば――総隊長に昇進する話も出ている。五番隊から六番隊までを統べる役目だ。同じ立場に立つ者として、君を見ていたい」
「そ、そんな……私が総隊長だなんて……。実力に伴わない席を用意されても……困ります……」
「いいや。君の努力を私は知っている。これは正当な評価だよ」
ロックがにこっと微笑むと、バイオレットは顔を赤らめて視線を逸らした。
……あのさ、イチャイチャするのはいいけど、俺がここにいるの忘れてない? 無茶苦茶に気まずいんだけど。
「――バイオレット。君はフリーデンと同盟を結ぶことに、賛成か?」
不意に、ロックは柔和な笑みを消し、低く、澄んだ声で問いかけた。
「……私は賛成です。魔族は優しいと聞きますし、最近王女になられた方も平和主義者だと伺っています。……私達は争うのではなく、共存するべきだと思います」
バイオレットはきっぱりと答えた。だがロックの瞳は、淡々とした言葉の奥に冷ややかな闇を宿していた。
「……そうか。だが、私は反対だ」
「……え?」
「魔族は強大だ。今は微笑をたたえているが――同盟を結んだ途端、牙を剥くかもしれない。油断すれば、一夜にしてすべてを失う……地獄を見ることになるだろう」
その声音は静かで穏やか。だが底知れぬ冷徹さが滲み出ていた。
バイオレットは一瞬息を呑み、動揺を隠せない。
……やっぱりな。温厚で優しい優等生――そんな第一印象だったが、この男は違う。目の奥が修羅場を潜った者のそれだ。
「ああ、すまない。これから同盟を結ぶというのに、不安になるような話をしてしまったね」
ロックは一瞬で冷徹な顔を消し、再び爽やかな笑顔を浮かべた。
けれど、その笑みは――ほんの一瞬、氷のように無機質に見えた。
「……そうだ。バイオレットに渡したいものがある」
ロックはポケットを探り、小さな物を取り出した。覗き込むと、美しい腕輪が光を反射していた。
「これは、我が家に代々伝わるものだ。幸運を呼ぶとされ、魔を祓うとも言われている。……気休めかもしれないが、君に身につけていてほしい」
「……私に、ですか?」
「ああ。必ず、無事に帰ってきてほしいからね」
ロックは穏やかに微笑むと、腕輪をバイオレットに手渡し、「また会おう」と颯爽に背を向けて歩き去った。その完璧な後ろ姿を――俺とバイオレットは、しばらく呆然と見送ることしかできなかった。
「なんだよ……ずっと男嫌いかと思ってたけど。ちゃんと好きな人いるじゃないか」
「ち、違うっ! わ、私はロック隊長のことを……そんな目で見ていない!」
「否定しなくてもいいだろ。別に悪いことじゃないし」
――まあ、決勝戦前に語ってた理想像は完全に嘘ってことになるけどな。何が「顔にこだわりはない」だよ。めちゃくちゃイケメンじゃないか。
「はぁ……でも、なんかガッカリだな。結局、顔なのかぁ……」
なんだろう、この敗北感。
バイオレットみたいに「顔なんて二の次、性格が一番」と言うやつに限って、美男美女ばっか追いかけるんだよな。きっと、どの世界でも同じなんだろう。
「ふふっ……そんなふて腐れるな。私は悠真の顔も好きだぞ?」
「……えっ、マジで? ど、どのあたりが?」
「えっ……ど、どのあたり……? そ、そうだな……全体的な雰囲気、かな……?」
すげぇ、抽象的……。無いなら無いってハッキリ言ってほしい。無駄に期待するモテない男の身にもなってくれ。
「というか前にも言っただろ。顔など二の次だ。悠真は少し捻くれたところはあるが、本当は誰よりも優しい人だ。……私の悩みにも真っ向から向き合ってくれたじゃないか。あの時は……本当に嬉しかった。顔なんかじゃなく、私は――悠真が好きなのだ」
「……いや、その……そんな真面目な顔で。好きって言わないでくれる? 告白だと勘違いしちゃうから」
それに、あんまり「顔じゃない」って連呼しないでね。俺、顔が悪いって言われてるみたいじゃん。
「勘違いではない」
「……は?」
バイオレットの一言に俺はポカンとしてしまった。途端、バイオレットの顔はみるみる真っ赤になり、無言でポカポカと俺の肩を叩く。いや、ポカポカではない。ボコボコだ。やめて、バイオレットさん。肩の骨、折れるから。
「……ま、まあいい。ところで――出発は明日の朝か?」
肩が粉砕される前に話題を変えると、バイオレットはホッとした顔でこくりと頷いた。
「ああ。フリーデンに行くには、まず港まで出て船に乗らねばならん。順調にいっても四日はかかる。交渉の進み具合によっては、他国で何日か過ごす可能性もあるだろう」
「じゃあ……かかっても二週間くらいか」
「ああ……うまく交渉が進めば」
「そうだよな。手ぶらで帰ったら――ロック隊長に褒めてもらえないもんな?」
「なっ!? ろ、ロック隊長は……関係ないだろっ!」
さりげなく毒を吐くと、バイオレットは耳まで真っ赤にして慌てふためく。
……うん。やっぱり、こいつ――完全に惚れてるだろ。
「とにかく、今日は悠真の優勝を祝いたいと家族の皆が言っているんだ。今日くらいは稽古なしで、お互い羽を伸ばそうじゃないか」
ほう。バイオレットには珍しい提案だ。……まあ、ここ最近ずっと休みなしで稽古してたからな。俺もさすがに休みたいとは思っていた。