第11話 母の微笑み、そして不穏な再会
後日。私はリビングで母さんと、ふたりきりになるタイミングがあった。
「バイオレットとふたりきりで話すの、久しぶりね」
母さんはそう言って、淹れたての紅茶を差し出してくれる。
最初は何気ない世間話をしていたが、私は思い切って、ずっと胸に引っかかっていたことを聞いてみることにした。
「ねぇ、母さんは……私が騎士になったこと、どう思う?」
「えっ。なによ、突然?」
唐突な問いに、母さんは目を丸くする。
一瞬ぽかんとした顔をしていたが、私が真剣な眼差しで見つめると「そうねぇ」と小さく笑った。
「……素直に嬉しかったわよ。バイオレットが誰より努力していたの、知っていたもの。努力が実って、本当に良かったと思った」
「……本当に?」
「ええ。でもね、少し複雑でもあったかな」
「えっ、なんで?」
「だって、バイオレットが騎士になったのって――母さんのためでしょ?」
その言葉に、私は一瞬、時間が止まったように感じた。
「……知ってたの?」
「当たり前でしょ。何年、あなたの親をやってると思ってるの」
母さんは、紅茶を一口すすって微笑む。
「母さんね、最初は後悔していたのよ。あなたに、昔は騎士を目指してたなんて話をしたことを。あの話で、あなたの人生を縛ってしまったんじゃないかって」
でも――と、母さんは続ける。
「途中から、直感してた。動機はどうあれ、あなたは騎士に向いているって。だから母さん、ずっと応援してた」
誇らしげに微笑む母さんに、私はドキドキしながら一番聞きたいことを口にした。
「母さんは……やっぱり、騎士になりたかった? 今の人生、後悔してる?」
……私はなんてことを聞いているのだろう。
そんな質問をされたら、困るに決まってる。後悔してるなんて、娘の前で言えるはずがない――そう思っていたのに。
「騎士になりたかったかって? そんなの嫌に決まってるじゃない」
「……へ?」
てっきり困った顔をされると思っていたが、母さんはまるで嫌いなピーマンでも見せられたかのような顔をした。
「正直、落ちて良かったわよ。最初は確かに凹んだけど……よく考えたら、騎士なんてむさ苦しい人達の集まりでしょ? バイオレットは根が真面目だから向いてると思うけど、適当な母さんには絶対無理よ」
「……本当に?」
気を使っているだけじゃないか――そう疑って、私は母さんを凝視した。
しかし、嘘か本当かを見抜く洞察力なんて、私にはなかった。
そんな私を見て、母さんはプッと吹き出す。
「なに、あなた……もしかして、ずっとそんなこと気にしてたわけ?」
からかわれて、私はバツが悪くなり目を逸らす。すると母さんは、優しく私の頭に手を置いた。
「お父さんと結婚したこと。バイオレットとシャーロットが生まれてきてくれたこと。母さん、人生をやり直せるとしても、きっとまた同じ道を選ぶわ――だって、今すごく幸せだから」
微笑みながら断言する母さん。
その言葉が本心かどうかは正直わからない。でも、今見せたその笑顔は、私たち家族にいつも向けてくれる優しい笑顔と同じだった。
だから私は、この言葉を素直に信じることにした。
「母さん、ありがとう。私、立派な騎士になるから」
そう伝えると、母さんは少し驚いた顔をして目を丸くした。
「バイオレット。あなた……最近、ずいぶん穏やかになったわね。なにかあった?」
「な、なにもない!」
「悠真君やアテナちゃんが来てからよね。……もしかして、あなた悠真君と――」
「ち、違う!!」
急に母さんがいらぬ詮索をしてきたので、私は慌てて否定し、「用事を思い出した」と言って逃げるように部屋を出た。
ドアを閉めたあと、私は背中を預け、大きく息を吐く。
……危なかった。母さんは鋭いから、あれ以上詮索されたら面倒だ。
でも、よかった。
母さんは騎士になれなかったことを、後悔していなかった。
……いや。違う。きっと私は、本当は最初からそれをわかっていたのかもしれない。
思えば、母さんが、昔、騎士を目指していた。という話をしたのは、私が七歳のときに一度きり。
しかも未練が残っているような口ぶりでもなかった。
ただ、そのとき、父さんが
『当時は男女差別も酷かった。だから騎士になれなかったのかもな』
と呟いた言葉だけが、幼い私の心に深く残ってしまった。
それを、世界の真実だと決めつけて、
私は騎士になって母さんの無念を晴らすんだと、一人で勝手に突っ走って、孤独な道を選んでしまったのだ。
でも、騎士になったことを後悔してはいない。
確かに職場はむさ苦しいし、大変な仕事ではある。
けれど、困っている人を助けられたときは素直に嬉しいし、生きがいも感じる。
……ただ、少し気を張りすぎていたのだと思う。
これからは――悠真が言っていた通り、少し肩の力を抜いていこう。
だって私は、けして一人じゃないのだから。
闘技大会当日。
ついに、この日がやってきた。
参加者は百人に満たない。バイオレットの言っていた通り、出場者は俺も含めて九十六名。それに対し、会場となる闘技場は桁違いに大きい。
灰色の巨石で築かれた円形闘技場は、まるで古代遺跡をそのままくり抜いて作ったようだった。
観客席は何層にも積み重なり、ぐるりと三百六十度を取り囲んでいる。
頭上には巨大な旗がいくつも翻り、王家の紋章と各部隊の旗印が陽光に煌めいていた。
すり鉢状の闘技場の中心――。
真新しい白砂が敷き詰められた円形の土俵では、既に剣士たちが軽い素振りを繰り返し、金属が打ち鳴らされる音が空気を震わせていた。
観客もざっと見て、千人は軽く超えているだろう。
開会前だというのに、熱気はすでに最高潮に近い。
「……すごい観客だな」
出場エントリーを済ませたあと、俺は観客の圧倒的な盛り上がりに、少しばかり怯んでいた。
「まあ、この大会は国の人達からしても、大イベントだからな」
隣に立つバイオレットは、俺とは対照的に観客の喧騒を楽しむように微笑んでいる。
さすが隊長。肝が据わってやがる。
「でも、大イベントにしては……参加人数、少なくないか?」
これだけの盛り上がりを見せる大会なら、もっと参加者が殺到してもおかしくないと思うのだが。
「この大会の優勝者は、魔族フリーデンに赴かねばならない。ただ賞金をもらって終わり、というわけにはいかないからな」
「……魔族って、そんなに危険なのか?」
「以前も話しただろう。確かに彼らの力は強大だ。だが、本来は無益な争いを嫌う種族だ。……だが、それを正しく知っているのはごく一部の人間だけだ」
バイオレットは少しだけ視線を伏せ、続けた。
「実際には、凶悪な種族という根拠のない噂が市民の間に広まってしまっている。残念なことだが――種族が異なるというだけで、人は簡単に色眼鏡をかけてしまうものなのだ」
だから――と、彼女は俺を一瞥した。
「この大会に出る者は、危険を顧みず挑む勇気ある者か――あるいは、自分の力を過大評価しているバカ者か。大体、そのどちらかだろうな」
なるほど。
確かに賞金は金貨五百枚と高額だが、支払いは交渉成功後の後払いだ。魔族の国へ行き、命の危険を感じる者が多いのも当然か。
「ま、精々頑張ってくれ。……悠真なら、結構いい線いくと思うぞ」
バイオレットはさらりと言った。……完全に他人事だな。
「……優勝は、やっぱり厳しいか?」
「うーん……なんとも言えないな。出場者がどんな連中か、蓋を開けるまでわからない以上は」
――ずいぶん、淡白な回答だな。
「バイオレットは……俺と一緒に旅したくないの?」
俺って、もしかして嫌われてる……?
そう思い、思い切って直球で尋ねてみた。
「なっ……馬鹿か! 私は騎士として同行するのだぞ! 別に悠真である必要はない。この試合に優勝した猛者であれば、誰であっても構わない!」
バイオレットは、ふざけるな――と言わんばかりの口調。
……なんだよ、釣れない奴だな。
「あれ、バイオレットじゃないか」
二人で言い合っていると、少し離れた場所から声がかかった。
視線を向けると、顔立ちが整ったイケメンが立っていた。
バイオレットと同い年くらいだろうか。服装から見るに冒険者らしい。鍛えられた体をしていて、腰には剣を差している。
「……ルイス!? な、なぜ貴様がここに……!」
バイオレットは動揺した声を漏らし、思わず一歩後ずさった。
「なんだよ、三年ぶりだってのに、ずいぶんつれないな。昔、一緒に汗を流した仲じゃないか」
ルイスと呼ばれた男はにやりと笑い、バイオレットの肩に手を置いた。
「……馴れ馴れしく触るな! よくものうのうと、この私の前に顔を出せたものだな!」
肩に置かれた手をバシッと振り払うと、バイオレットはあからさまに不愉快そうな顔をした。
……なんだ、一体。いきなり険悪ムードになったな。
元カレ登場か? あれ、でもバイオレットって処女じゃなかったっけ……?
「仕方ないだろ。あのまま騎士を続けても、きついだけで大した金にもならなかったし。冒険者になった方が稼げるって気づいたんだよ」
「……金だと? 貴様……騎士としての誇りはなかったのか」
「バイオレット、お前、隊長にまで昇格したってのに、まだそんな感じなのかよ。いい加減、大人になれよな。……でも、俺が抜けて良かったじゃん? 俺があのまま部隊に残ってたら、今のお前は隊長じゃなかったかもよ?」
ルイスがいやらしい笑みを浮かべると、バイオレットは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ま、仲良くしようぜ。今回、魔族フリーデンに行く騎士はお前だって聞いてる。これから一緒に旅をするんだからさ」
「……ちょっと待て。貴様、まさかこの試合に出場するつもりか?」
「ああ、そうだ。今の魔族はかなり友好的だと聞いている。そいつら相手に交渉して帰ってくるなんて余裕だろ? その後は金貨五百枚。……一年は仕事しないで済みそうだ」
ルイスはにやにや笑いながら続けた。
「それに、性格はともかく……お前と二人旅。悪くない仕事だと思ってるぜ?」
……すげぇな、こいつ。
たった二、三分の会話で「俺はゲス野郎です」ってアピールできるなんて、ある意味才能かもしれん。
「それに俺だって遊んでたわけじゃない。冒険者として三年間やってきたんだ。精々、強くなった俺を見ていてくれよ」
そう言って、ルイスは横にいた俺には一瞥もくれず、その場を去っていった。
「……元カレか?」
「そんなわけあるかっ!!」
冗談のつもりが、思いのほかガチな顔で怒られた。
どうやら、奴との溝はかなり深いらしい。
「……悪い、悠真。少し……気分が悪くなった。その……試合、頑張ってくれ」
バイオレットの額には汗がにじみ、顔色も真っ青になっていた。大丈夫かと声をかける前に――バイオレットはふらふらと背を向け、そのまま去っていった。