第10話 差別を越えて、誇れるもの
「残念だけどな。どう頑張っても――男女差別はなくならないぞ」
「……なんだと? どういうことだ……?」
俺の冷めた口調に、バイオレットは唖然とした顔をする。
――大体、今の彼女が抱えている悩みが見えてきた。
ここからどう話を持っていくか――俺は、昔やっていたカウンセリングの要領を思い出していた。
人の悩みに対しての対処には、大きく分けて二つの方法がある。
一つは、話をじっくり聞いてあげること。
アドバイスは少なめにし、否定せずに共感してあげる。このパターンの多くは、本人も頭では解決法を分かっているが、自信がなくて行動に移せない状態だ。
実際、カウンセリングを行うときは、この工程が大半を占める。
もう一つは、適切なアドバイスを与えて思考を前向きに導くこと。
「あなたは間違っている」と正面から否定するのではなく、相手の考えを尊重しつつ――「こういう考え方もあるよ」と、そっと視点をずらしてあげるやり方だ。
……ただ、この方法はあまりお勧めできない。
なぜなら、アドバイスを少しでも間違えれば、相手は『この人は自分を理解してくれない』と感じ、心に壁を作ってしまうからだ。
一度、心の壁を作られてしまえば、それを取り払うのは容易ではない。
それでも俺は、あえて――今、バイオレットに対しては二つ目の方法をとることにした。
彼女は、母が受けた男女差別に深く衝撃を受け、その延長線上で「男性」や「国」そのものに強い恨みを抱いている。
だから――まず、その偏った視界を、正してやる必要がある。
「確かにサラさんは可哀想だ。筆記も実技も一位の成績を取って、それで落とされたのなら――それはもう男女差別、疑いようもない」
「そうだろ!」
「でもさ、その実態に異論を唱えたお偉いさんも……きっといたと思うぞ」
「いるわけないだろ! 国の上層部なんて、薄汚れた奴らばかりだ!」
おーお、すごい悪態だな。
……まあ、これがバイオレットの本音なのだろう。
「じゃあ、なんでバイオレットは騎士になれたんだ? しかも今は“隊長”という肩書きまで持っている」
時代がまったく変わっていないなら、バイオレットは騎士どころか、門前払いされていてもおかしくない。
勝手な憶測だが――きっとサラさんが試験に落ちたときも、その理不尽に異を唱えた誰かがいたのだろう。
でなければ、この現状はありえない。
「……それでも、私を見て、女のくせに隊長か。とか、女のくせに偉そうだ。とか、そう言ってくる者もいるぞ」
「そりゃ、いるだろ」
「……えっ?」
「男女差別をやめましょう。って言ったら、男全員が紳士になると思うか? バカか。絶対にならないし、なったら逆に気持ち悪いわ。人間はロボットじゃない。十人十色だ。お前を応援するやつもいれば、ひがむやつもいる」
そんなの、当たり前のことだ。別に世界が汚れているわけじゃない――それが普通なんだ。
「一つアドバイスをやろう。女のくせにって、差別してくる男たちを……味方にする方法がある」
「……なんだ? そんな裏技があるなら、ぜひ教えてくれ」
バイオレットは目を輝かせて、ぐいっと身を乗り出してきた。
すげー食いついてきたな。このまま「どすこい!」って頭突きしてきそうな勢いだ。
「簡単なことだ。もし、女のくせに、って言われたら――そんなこと言わないで、協力してよぉ。って、甘えた声を出すんだ。そこで上目遣いも出来たら完璧だな」
「……悠真、何を言っている?そんなことを言ったら、騎士としての威厳が……それこそ余計に男どもに舐められてしまうだろう」
「バカだな、バイオレット。男なんて、皆単純だぞ。お前、せっかく可愛い顔してるのに、それを活かさないでどうする?」
「……か、可愛い、だと……?」
バイオレットの声が裏返り、今にも後ろにひっくり返りそうな勢いだ。
可哀想に。素材はいいのに、ずっと虚勢ばかり張ってるから、誰もそんなこと言ってくれなかったんだろう。
「確かに男女差別はある。だが、嘆くより、女にしかない強さを武器に変えろ」
「……私に、媚びろと言うのか?」
「媚びろと言ってるんじゃない。うまくやれって言ってるんだ」
このまま虚勢を張り続けていたら――いつか本当に、自分の居場所を失う。
今までは努力だけで、隊長クラスまで這い上がってきたんだろう。
……でも、その生き方は、いつか壊れる。
人間は、孤独に弱い生き物だ。一人で頑張り続けた挙句、心を壊した患者を……俺は何人も見てきた。
「バイオレット。お前……普段から、笑っているか?」
唐突な問いに、バイオレットはバツの悪そうな顔をして、視線を逸らした。
「あのな……男女平等だと声を上げているお前自身が一番、男女差別をしているのかもしれないぞ」
「……どういう意味だ?」
「男は皆、女を下に見ている――そう、勝手に思い込んでないか? お前、普段から部下の顔をちゃんと見てるか? 実際は……何の下心もなく、純粋にお前を慕ってる男の手まで――全部、振り払ってきたんじゃないか?」
俺の言葉に、バイオレットは俯いたまま沈黙した。
どうやら図星らしい。
「……私は、間違っていたのか……」
落胆したように呟き、考え込むバイオレット。気づけば、俺はそっと彼女の頭に手を乗せていた。
それは、無意識の行動だった。バイオレットは驚いたように目を見開き、俺を見上げる。
「――間違ってなんかいない」
俺は迷いなく、強い口調で言い切った。
その言葉に込めたのは、ただの慰めじゃない。心からの本音だ。
「確かに……お前のやり方は、不器用すぎる。親の無念を晴らしたい――たったそれだけの一心で、普通は騎士になんてなれやしない。もっと要領のいいやり方なんて、いくらでもあったはずだ」
それでも――それでも、お前は。
「血の滲むような努力をして、立ち上がり続けて……騎士になり……隊長にまで、上り詰めた」
言葉に、自然と力がこもる。
「その道がどれだけ険しかったか、俺には想像もできない。でも……ひとつだけ、はっきり言える」
視線を逸らさず、まっすぐに告げる。
「それは――誇っていいことだ」
俺は知っている。
不器用で、人に誤解されやすくて、それでも真っ直ぐに努力してきたお前を。
その全部を、俺は肯定したかった。
不器用さがあったからこそ、今ここにいる、優しいバイオレットが存在している。
無駄だったなんてことは、絶対にない。
「……今まで、よく頑張ったな」
そう言いながら、無意識に乗せた手で、子どもを慰めるようにそっと頭を撫でる。
その瞬間――バイオレットは無言のまま、俺の胸に顔を埋めてきた。
「……バイオレット?」
「……悠真……すまない。しばらく、このままでいさせてくれ」
泣いているのだろうか。どうやら顔を上げられない状態らしい。
まあ、いい。騎士たる者、涙は見せられぬ――そう思っているのだろう。
俺は安堵の溜息を吐き、静かに夜空を見上げた。
……ん? 誰かいる?
背後に気配を感じて振り返ると、そこにはアテナが立っていた。
「アテナ。どうした?」
俺がそう声をかけた途端、バイオレットはビクッとして慌てて顔を上げる。
アテナは口を半開きにして、冷めた目で俺たちを見つめていた。
「……ごめんなさい。取り込み中だったわね」
「ち、違うぞ! 私は別に、その……悠真にだな……っ!」
バイオレットは顔を真っ赤に染め、慌ただしく手を振りながらジェスチャーを繰り出している。
……ほんと、忙しい奴だな。
「二人とも、今来たのが私だから良かったけど……これ、ジョンさんやサラさんだったら、トラウマものだったわよ。あと、余計なお世話かもしれないけど――するなら宿屋に行きなさい。実家だと出来なくて性欲が溜まるのは理解するけどね、野外プレイはやめなさい」
「ば、馬鹿者っ!! 私と悠真はそんな関係じゃないっ!!」
「まあ、二人の問題だから、とやかく言わないわ。ジョンさん達には私がうまく言っておくから、早く済ませなさいよ」
「だから違うと――言ってるではないかぁぁぁ!!」
アテナが回れ右をして立ち去ると、バイオレットは耳まで真っ赤にしながら「ま、待てっ……!」と、その後ろを慌てて追いかけていった。
「……ふう、やれやれ」
一人取り残された俺は、再び夜空を見上げる。
……いやぁ、危ないところだったぜ。
バイオレットの奴、いきなり抱きついてくるんだもんな。しかも、なんかいい匂いするし……あの柔らかさ、反則だろ……。
もしアテナが来てなかったら、今頃――バイオレットに気付かれて、悲惨な末路を迎えていたかもしれん。
ありがとう、アテナ。
お前は……命の恩人だ。
俺は立ち去っていくアテナの背中に向かって、グッジョブ、と親指を立てていた。