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聖女と魔女  作者: 立青之
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6話 時がそっと睨んでいる


 聖女の巡礼を終えた無悪さかなし乙輪おとわが科学準備室の前に立つと、安倍晴子をするより早く、ドアが開いた。

「おはようございます。待っていました」

 明子の顔は青白く、声は上ずっており、切羽詰まっているのがすぐに分かった。

 乙輪はクンと鼻を鳴らす。昔懐かしい匂いがする。前世で日常的だった匂い―――血の匂いだ。

 顔をしかめながら、足早に部屋に入る。

 そのまま奥へ進み、実験台を回り込む。丘上おかうえ輝夜かぐやの気まずそうな視線の先に、小柄で髪の長い女生徒が倒れていた。服に血がべったりとつき、顔は真っ青で、ピクリとも動かない。


「なんで連絡しないの?」

 乙輪は輝夜にストレートに噛みつく。

「乙のルーチンを壊したくなかったんだ。何かあったと勘づかれたくない」

「はぁ?人のせいにする?あんたが巻き込んだんでしょ。この子が死んだら責任取れるの?」

「それは……ダメだけど。でも、乙なら大丈夫だろ?」

「それを信頼とは受け取らないわよ」

 乙輪はふーと息を吐き、怒りを鎮めて倒れている少女を見下ろす。


「どうなってるの?」

「傷はかなり深いけど、魔法で凍らせてある」

「生きてるんですか?」

 晴子が覗き込んでくる。

「医者じゃないから生死は分からないわ。生きているなら回復させるだけ。解凍して」

「お願いします」

 輝夜はぎこちなく頭を下げ、手に持った長さ二十センチほどの魔杖を構えた。

 普段、輝夜の髪の毛は編み込まれて左右に三本ずつ垂らされている。しかし今は二本ずつしかない。乙輪はそれに気付いたが、何も言わなかった。

 輝夜が魔杖を振り、小声で呪文を唱えた。空中に浮かび上がった魔法陣が倒れている少女を包み込む。すぐにこわばりが溶けていくのが目に見えて分かる。

 続いて乙輪が手を伸ばす。すぐに生気のなかった少女の顔に赤みがさし、健やかな寝息を立て始める。

「終わったわ」

 乙輪は厳しい顔で輝夜を見ながらも確認する。

「あんたと明子ちゃんはケガない?」

「うん。大丈夫」

「そう」

 乙輪は少し安心するが、厳しい声で訊ねる。

「これは誰?」

「三年の出水いずみさんだ。同志の一人だ。IT関連で手伝ってもらってる」

「この人が?パソコンに詳しそうには見えないけど」

「相当のエキスパートだよ」

「ふうん」

 血色の良くなった出水の顔は、先輩なのに晴子よりも幼く見える。乙輪はその寝顔を見て、不愉快そうにする。

「ん……」

 出水が目を覚まして瞬きをした。

「私は……え、聖女?」

 出水は自分の身体の様子を確認した後、すぐ横に乙輪が立っているのに驚く。

「体の調子はどうだい?」

 輝夜が訊ねる。

「あ……、大丈夫っぽい」

 のんびりとした関西弁で答える。

「先輩、良かったー」

 明子が勢いよく出水に抱きついて、わんわん泣き始めた。

「心配したんですから!」

「うん、ごめん。もう大丈夫やから。……あの、聖女様が助けてくれたん?」

 乙輪が治癒能力を持っているのをはっきりと知っているのは、輝夜と安倍姉妹だけだが『乙輪の近くにいると体調が良くなる』というのは桃陰とういん高校関係者の共通認識だ。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 乙輪は肩をすくめながら実験台を回り込んで、いつもの丸椅子に座った。

「着替えが必要だろうし、一度家に帰った方が良いだろうね」

 身体は治ったが、服には血がべったりとついたままだ。

「そうするわ」

 輝夜が黒い実験衣を脱ぎ、空中に放ると、黒い穴が現れる。

「明子ちゃん、もう大丈夫やから。また後でね」

「はい。ゆっくり休んでください」

 立ち上がった出水は、切り揃えられた前髪を引っ張って整える。糸のように細い目を更に細くして微笑みながら乙輪に頭を下げる。

「ほんまにありがとうございます」

 乙輪は無言でひらひらと手を振って答える。

 出水は慣れた様子で黒い穴の中に脚を踏み入れる。

「服はボクが処分するから、穴に入れておいて」

「分かった」

 出水の姿は消え、穴はしばらくすると輝夜の黒い実験衣に姿を戻した。


「改めてありがとう」

 安堵した顔で見送った輝夜は、コーヒーを入れたマグカップを乙輪に差し出した。

「……」

 乙輪は無言で受け取り、一口すすり「にがっ」と舌を出す。暗い水面を見ながら呟く。

「あの子、ほぼ死んでた。――あんたの活動に口を出す気はないけど、ほどほどにしなさい」

「うん。今回は完全にボクのミスだ。反省している」

 素直に落ち込む輝夜を明子が庇う。

「でも、魔女様の機転で先輩は助かったんです」

「ボクがやったのは乙の力をあてにした応急手段でしかない。それじゃあダメだって言ってくれているんだ」

「あてにしちゃダメなんですか?聖女様には人を救う力があるじゃないですか」

「なにか事情があって今朝はここに来ない可能性はあったし、見ず知らずの出水のため力を使ってくれるかも分からない」

「そんなの、聖女様なのにおかしいじゃないですか!」

「乙は自分が聖女だなんて言ったことはないよ」

 輝夜は少し厳しく諭す。

「え、でも、前世で聖女だったって……」

 明子は戸惑いながらも反論する。

「前世が聖女だったからって、転生先でも聖女をやらなければいけないわけじゃない。ボクは、今は好きで魔女をやっているけど、前世では好きで魔女をやっていたわけじゃない」

「私は今も昔も好きで聖女をやっているわけじゃないなぁ」

 しかめ面でコーヒーを啜っていた乙輪が、のんびりと口を挟む。

「あんたと違って自分の意志で手に入れた力じゃなくて、生まれた時から神様に与えられていた力だしね。あっちの世界では物心ついた時から教会の連中に囲まれていて、お前は聖女で勇者を助けるんだって言われたから聖女としての自覚もあったけど、こっちの世界ではそんなのもなかったわね。前世の記憶が蘇るまでは、自分が特別な力を持っているってことをきちんと自覚していなかったし」

「神様のお告げとかなかったのかい?」

 魔法の力を使うために日々の研究を欠かさない輝夜が訊ねる。

「神様のお告げ……ね。そもそも神様に会ったことないな。そう言われると、前世では教会の連中に神様から与えられた力だって言われたからそうだと信じてたけど、本当に神様にもらった力なのかしら?」

 乙輪はじっと手を見る

「ボク等に分かるわけないだろう。なんの代償もなしに力を手に入れているなんて、羨ましい限りだよ」

「そう思うかもしれないけど、誰も使い方を教えてくれないし、不便なもんよ。神様の力じゃないとしたら、何のために持って生まれた力なのか分かんないしね」

「でも、病気や怪我を治せる力なんて凄いじゃないですか」

 軽口を交わしているような二人の会話に、明子が大きな声で訴えた。

「たくさんの人を救うことができるんですよ」

「でも、全部は救えない」

 乙輪は冷たく切り捨てる。

「聖女だって崇められていた前世でだって、たくさんの人を救ったけど、全員を救ったわけじゃない。見捨てた命もいっぱいあった。逆に、魔族の命をたくさん奪った」

 乙輪は淡々と告げる。

「前にも言ったけど、私は善意で祝福しているんじゃない。みんなを健康にすることによって、私が平穏無事に過ごすため。さっきの先輩を助けたのは友達に頼まれたからだし、ここで死なれたら憩いの場所がなくなる可能性があったから。晴子を助けたのは、足元に転がってきた子がこのまま死んじゃったら夢見が悪そうだなって思ったから」


「そういえば私、あの時神様に会いました」

 晴子が唐突に、あっけらかんと打ち明ける。

「えっ、いつ?」

 乙輪は驚きながら訊ねる。

「事故で死にかけた時です。気が付いたら河原にいて、なんかチャラいくせにイケボの男が出てきて、自分は神様だって言ったんです。なんだこいつ?って思ってたら異世界転生させるとかスキルを選べとか言うから、スキルとか分かんないよーって思ってたら、意識が戻って、聖女様がいたんです」

「三途の川まで行ったけど、乙の力で生き返ったってことなのかな?」

 輝夜が首を傾げながら予想する。

「そうです。それで神様には、死んでなかったのか?って、びっくりされました」

 晴子は輝夜の質問に大きく頷く。

「神様に会ったなんて言ってなかったじゃない!」

 色んな情報が飛び交いすぎて、何に対して怒ったら良いのか分からなくなった明子が大きな声を出す。

「そうだったっけ?でも、私としては神様に会ったことよりも聖女様に会ったことの方がよっぽど大きなニュースだったんだもん」

「それはどうも」

 神様に会ったことがない聖女様はひねた顔をする。

 予鈴が鳴る。


「みんなばーか!」

 明子は顔を真っ赤にさせながら言い放つと、部屋から駆け出して行った。

「アキ、鞄忘れてるよー、ってもう。お先に失礼します」

 鞄を二つ抱えた晴子は一礼すると廊下を駆けて行った。

 部屋には聖女と魔女が残されたが、二人ともすぐには席を立たなかった。

「悪かったね、うちの子がうるさくて」

 輝夜は神妙な顔で謝る。

「別にいいんですけど……」

 乙輪は上半身をぐうっと伸ばして実験台の上に横たえる。

「あの子たちから見れば、私たちは一つ年上の人間にしか見えていないのかもしれないけど、実際には倍以上の歳を生きているようなもんなんだから、そりゃ価値観は合わないでしょ。しかもそもそもの価値観が全然違う。あの子たちは、道端に死体がごろごろ転がっているような日常は考えられないでしょ……」

 乙輪は、前世で魔女とも魔王とも呼ばれていた友人にちらっと視線を向ける。

「ねぇ、あんたは何人殺した?」

「途中で数えるのを止めたぐらい」

 輝夜はさらりと答える。

「だよねぇ」

 それきり口を閉ざしてしまった乙輪に、輝夜は苦しそうな目を向けた後、言った。

「……乙は前世の記憶を取り戻してからもう十年以上経つんだろう。ボクはまだ一年半ぐらいだから、まだ丘上輝夜とエウラリアが一緒に生きていくことに慣れていないんだ」

「泣き言ですか?」

「勘弁してよ。出水のことがけっこう堪えているんだ」

「それはそれで、こっちの世界に馴染んできている証拠だから、良いんじゃない」

「そう……だね」

「一つ言っておくなら、さっき妹を泣かせたのは、私でも晴子でもなくて、あんただって言うことは自覚しておきなさい」

「……そうだな」

 輝夜はつらそうに、ふぅっと息をつく。


「健全な肉体には健全な魂が宿る」

「少し前にそんな話をしていたわね。急になに?」

「これって本来の意味とは違うって知っているかい?」

「知らない」

「古代ローマの詩人の言葉らしいんだけど、この世で一番の幸せって何でしょうって問いに「健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである」って答えたのが元らしい」

「健やかな肉体と魂を両立させるのはそれぐらい難しいってこと?」

「だったら、異世界転生者であるボクたちの魂は思いっきり不健全でも仕方がないと思わないか」

「泣き言が過ぎるんじゃない」

 いつになく弱気な輝夜の言葉に、乙輪は呆れながら切り捨てる。しかしそれと同時に、自分の中にぽっかりと浮かんだ感情を自覚したので、素直に打ち明けた。

「でも、私も助かってる。異世界転生したのが私だけじゃなくて。あんたもいてくれて」

「うん、ありがとう」

 本鈴が鳴ったが、乙輪は実験台に身体を預けたまま動こうとしなかった。

「不健全な魂の持ち主である私はさぼりまーす。―――あんたもそうしなさい」

「……ボクもさぼりまーす」

 輝夜は少し迷った後で、乙輪と同じように上半身を実験台の上に横たえて、目を瞑った。

 二人の指先がそっと触れ合う。

 晴子が開けっ放しにしていた科学準備室のドアが、軽い音を立てながら閉まった。


参照:『風刺詩集』デキムス・ユニウス・ユウェナリス著

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