22話 誰を勇者と呼ぶのだろう
聖女の巡礼を終えた無悪乙輪は、気の抜けた顔で大きく口を開けた。
「寝不足ですか?」
先を歩く晴子が振り返りもせずに訊いてくる。
「……なんで分かったの?」
「聖女様のことですから」
「あんたが怖くなってきた」
「恐縮です」
「褒めてないのよねー」
「私が一緒にいるときは、遠慮せずにあくびして下さい。誰にも撮らせませんから」
「撮るって?」
「聖女様は思っている以上に見られていますから」
ツーショットを求められることはあるし、盗撮まがいのことを企む不埒な者がいることは乙輪も気が付いている。
「今も……なの?」
さりげなく周囲に目を向けるが、不審者の姿は捕らえられない。
「私が一緒のときは、映りが悪い写真は撮らせませんから安心してください」
時々不思議な動きをするのはそのためだったのか。しかし引っかかることを言っていた。
「全部邪魔してくれているんじゃないの?」
「そりゃ、私も聖女様のお写真は欲しいですから」
「……あんたは私の写真撮れるでしょ」
「撮っても良いんですか?」
晴子は立ち止まって勢いよく振り返り、満面の笑みを見せた。
「盗撮されるよりは良いわ。だから、もう写真を買うのは止めなさい」
「了解です!もう、盗撮は断固阻止します!犯罪は許しません!」
「……よろしくね」
過去の所業を責めても無駄だろうと諦める。
立ち止まったのはちょうど科学準備室の前だったので、乙輪はドアをノックして開いた。
「だから勝手に開けるなって――うわっ!」
勢いよく飛び出してきた明子は、目の前にいるのが双子の姉ではないことに驚き、のけぞってそのまま後ろにひっくり返った。
「な、な、なんで聖女様が入ってくるんですか!」
体勢を立て直し、床に片膝を付きながら明子は抗議する。
「毎朝来ているでしょ」
「そうですけどそうじゃなくて、なんでハルが開けないのかってことです!」
「聖女様が開けたからだよ」
晴子はヤレヤレと軽く両手を上げる。
「あんたがノロマだから聖女様に先を越されるんでしょ!」
「私は聖女様のご意思に従っただけ。従者たるもの、命令がなくても、主の考えが分からないとね」
「じゃあ、あんたは聖女様の考えは何でも分かるってこと」
「分かるわけないじゃん」
「なによそれ!」
じゃれ合う双子を放って、乙輪は実験台の前の丸椅子に座る。隣の席に座っていたマクラーレン舞彩がにかっと笑う。
「おっはよー」
「おはよう。ねえ、私の写真が売られてるって知ってた?」
「あー売ってるね」
「まさか、あんたも買ってるんじゃないでしょうね」
「買わなくてもいっぱい撮ってるじゃん。晴子ちゃんは買ってるの?」
「はい。でも、これからは撮っても良いって言ってもらったので、盗撮は撲滅します」
「ははは、心強いじゃない」
「笑い事じゃないわ。あんたは知ってたの?」
乙輪はコーヒーの入ったマグカップを差し出してくれた輝夜に訊ねる。
「ああ。むしろ、君が知らないとは思わなかった。有名税として公認しているんだと思っていた」
「公認も黙認もしてない!」
乙輪は憤りながらコーヒーを一口含み、にがっと舌を出した。
「前世では、聖女様の肖像画が売られたりはしていなかったのですか?」
明子が訊ねる。
「そういうのもあったわね」
げんなりと乙輪は答える。
「版画の技術はあったから、いっぱい売られてたわね。あんまり似てなかったけど。ありがたがられていたし、あんまり気にしていなかったわ。ちゃんと許可を……取られた覚えがないわね。まぁ、私が知らないところで教会が絡んでいたんでしょう」
「浮世絵みたいなものですか」
「そうね。でも、聖女よりも勇者の方が圧倒的に人気があったなー」
「絶対聖女様の方が欲しいです!」
手を上げて主張する晴子に、舞彩が同調する。
「うちも見てみたい」
「ありがと。ま、私がいた世界は、勇者と魔王がいることが前提だったのもあるんでしょうね、勇者人気は凄かったわ」
乙輪はまたコーヒーを飲んで、舌を出す。
「勇者と魔王が対になっている設定のお話はラノベや漫画や、ゲームでもありますけど、ご都合主義なところがありますよね」
明子が遠慮がちに口を挟む。
「私にとっては現実だったんだけどね」
「それはご愁傷様ですけど、最初から正義と悪の二極対立があるって分かりやすい世界観じゃないですか」
「その世界にいる人は、そんな考え方はしなかったけどね」
「それはそうだと思います。そもそも『勇者』って何なんでしょうね。『勇ましい者』って書いて『勇者』ですけど、生まれた時から『勇者』なんですよね」
「そうね。私が生まれた時から聖女だったように、あいつも生まれた時から勇者だったらしいわ」
「なるほど。生まれた時には、その子が勇ましいかどうかなんて分かりっこないってことか」
舞彩はパチンと指を鳴らす。
「そうです。勇ましいかどうかはともかく、魔王と闘って勝つことが決まっているんです。言い換えれば、勇ましくならなければならない者、でしょうか」
「変なの」
「しかし、勝つと分かっている闘いに行く者を、勇ましいと言えるのかな」
輝夜はロッキングチェアに悠然と座りながら口を挟む。
「そうなんですよね。勇者が勝つと分かっている世界観も、なんかガバガバなんですよね」
「ガバガバって……」
乙輪は顔をしかめながらも考える。
「でも、言われてみればそうね。魔王に勝つことが決まっている勇者って変ね。旅は大変だったし、人も魔物もいっぱい死んだし、苦戦したし、私だって死んだんだからね。――実は生きてたみたいだけど」
サバサバと言う乙輪に、晴子が珍しく重々しく口を挟む。
「本当に生きていたんでしょうか?」
「まぁ、夢の中の話だから、本当かどうかは分からないけどね」
「そうじゃなくって、聖女様も勇者や魔王と同じように、その世界の理を護るために、必要とされた存在なんです。きっと。だから聖女様が死んだらダメなんです。魔王は倒せないんです」
「なにが言いたいの?」
乙輪は晴子が言いたいことを理解できなかったが、明子は閃いた。
「ループってことか!」
「ループ?」
「はい。失敗したら過去に戻ってやり直すんです。成功するまで、何度も戻ってやり直すので、ループするって言うんです」
「ええっと、つまり……、死んじゃいけない聖女が死んじゃったから、勇者は過去に戻って、私が生き延びるようにしたってこと?」
「そういうことです」
「勇者大変じゃん」
「大変だけど、あいつがそんなことを……。ちょっと待って。じゃあ、あの時やあの時ももしかしたら……」
乙輪は悲壮な顔をして、俯きながらぶつぶつと呟き始める。
「つまり、晴子ちゃんの考えが正しければ、勇者が魔王に勝つことが決まっているのではなく、勇者は魔王に勝つまで、何度もやり直しをさせられる世界だってことだ。聖女でも知らなかったということは、勇者はそれを一人で抱え込んでいたんだろう。そんな苦難と闘い続けていたと考えれば、勇者と言う称号にふさわしいと言える。大丈夫かい、乙」
輝夜は頭を抱え込んでいる乙輪を気遣う。
「そんなことなら、もう少し優しくしてやれば良かったと思っているとこ」
「仮定の話だ」
「それでもよ」
「次に会ったときに優しくしてやれば良いって」
舞彩は明るく励ます。
「次って……」
「ループしてるんだろ?」
くるくると指を回す。
「……そうする」
乙輪はマグカップを口元まで運んだが、コーヒーは飲まなかった。
黒い液体が、底でさざ波を作る。
「やっぱ勇者ってすごいんだな」
「そうとも言えません」
舞彩の感想を、明子は冷静に切り返す。
「聖女様の世界の勇者様は、『勇者』の肩書にふさわしい方のようですが、今現在、勇者には多種多様なバリエーションがあって、一概に『すごい』とは言えません」
「多種多様なバリエーションってどういうこと」
「はい。聖女様の世界の勇者は、神託・選ばれし系と言えるでしょう。昔からあるタイプです。最近のはやりは、異世界転生・召喚系です。自称勇者もいますし、失格系勇者ってこともあります。出発点はどこでも良いですけど、やはり何かを、世界を救うとかを、成し遂げた者こそが勇者と呼ばれるにふさわしいと思いますけど、そのパターンは少ないですね。もっとも、なにかを成し遂げるのはたいてい話の最後ですから、勇者を主人公にするためには、先ほど言ったようなパターンが必要なんですけど」
「闇落ち系もあるぞ」
「そうそう、最初から何かを成し遂げて勇者と呼ばれている人は、闇落ちするパターンが多いです」
明子は晴子の意見をすくい上げて、長文の説明をまとめた。
「勇者の偉大さがよく分かった」
舞彩が拍手を送る。
「偉大なのは勇者じゃなくて、魔女様なんですけど」
「なんだそりゃ」
大袈裟にずっこける舞彩に目を向けず、明子は険しい顔になった。
「どうした?」
輝夜に訊ねられた晴子は、少し言いにくそうにしながら答えた。
「魔女様を殺した人って、勇者として讃えられたりしているのかなって思ったんです」
「ああ、なるほど」
輝夜はニヤリと笑う。
「私が死ぬのと同時に城が爆発する魔法を仕掛けておいたから、あいつも死んだはずだ。私を殺したのがあいつだってことは誰も知らない。あいつを差し向けていた連中はなんとなく気が付いているかもしれないが、あいつにそんな名誉を与えるような輩じゃない」
「それはお気の毒ね」
「お気の毒なのは私だよ。そもそもあの男は勇者なんて呼ばれるのにふさわしい奴じゃなかった。愛想と調子は良いけど、得体が知れなくて、なにを考えているのかさっぱり分からない、気味が悪い男だった」
「でも、魔王の城に一人で乗り込むなんて、勇ましいじゃん!」
「乗り込んだなんてかっこのいいもんじゃない。いつの間にか入り込んできたんだ。ゴキブリみたいにね」
輝夜は笑いを消して、顔を歪める。
「ゴキブリって!酷いな!」
舞彩がケラケラ笑いながら突っ込む。
「いや。我ながら的確な表現だ。いつの間にか入り込んできて、いつもは姿を現さないくせに、一度見てしまうとその存在感は大きい……」
輝夜は言葉を途中で止めて、考え事を始めた。そして何かを思いついたように、じっと舞彩の顔を見つめた。
「え、なになに?私の顔が黒いからゴキブリ見たいって言うの?それはさすがに傷つくぞ」
舞彩は軽い感じを崩さない。
「そんなことは思ってない」
輝夜は慌てて目を逸らしながら否定する。
「ちょっと気になったことがあったんだが、思い違いだろう。……そんなはずはない」
呟く輝夜への質問を拒むように、予鈴が鳴った。
「結局勇者ってなんなんでしょう」
明子が支度をしながら、誰に訊ねるでもなく呟く。
「マオトコだろ」
隣に立つ晴子が即答した。
「マオトコ?」
「カタカナの「マ」に漢字の「男」でしょ。マオトコ」
「あっはっはっはっはー。間男だって。勇者が間男。面白い!」
突然、乙輪が大笑いした。晴子以外の全員が引いてしまうほどの大笑いだ。
「晴子、あんた最高!」
「聖女様に喜んでいただけてなによりです」
誇らしげに顔を赤らめる。
「そんなに面白いか?そもそも晴子ちゃんは間男が何なのか知ってんの?」
「知ってます。浮気相手のことです」
「ここにはマジョ様もいますからね!」
「明子、ここで張り合ってもらっても嬉しくない。それに間男と対する言葉は間女だ」
「間女って!」
乙輪はまた大笑いする。
「はまってんなー」
舞彩はドン引きだ。
「だって、困難なことだって分かっているのに、あえてやってしまうのは、ある意味、勇気があると言えるじゃない」
「それは勇気があるんじゃなくて、考え無しなんじゃない」
「バカと天才は紙一重、と同じでしょ」
「そっかなー。乙ピは浮気を許すタイプなの?」
「許すわけないでしょ」
「だよね。じゃね」
舞彩は肩をすくめながら出て行った。
「私は聖女様一筋ですから!」
「私は魔女様一筋です!」
双子が廊下の向こうから叫んでくる。
「ハイハイ」
乙輪は軽く手を振る。
科学準備室の鍵を閉めた輝夜は、乙輪の顔を見て訊ねる。
「浮気が見つかったみたいな気まずそうな顔をしてどうしたんだ?」
「えー、うん……」言葉を濁しながら答える。
「浮気されるとか、考えたことないな、と思って」
「ククク、聖女らしい考えだ。全ての者を愛し、全ての者に愛されるか」
「そんなんじゃないよ」
天井を見上げながら廊下を歩く。
「……まずは誰かを好きにならないとね」
「そうだな」
輝夜は乙輪の脚の動きを見ながら、後ろをついて行った。
本鈴が鳴っても、この時間を確かめるように、二人はゆっくりと歩いた。




