21話 魔女の話 後編
街から人の気配がなくなると、私は意識を失った。漆黒の渦から与えられた力は無尽蔵ではなかった。体内に蓄えられる量を使い切ると魔法が使えなくなるばかりか体力もなくなってしまうらしい。
目覚めると七日が経っており、世界は一変していた。大勢の異形のモノが徘徊していた。
「魔物の国を作ってくれ」
それが漆黒の渦の頼みだった。
この異形のモノたちが、魔物なのだろう。
世界は魔物への対応で大騒ぎだった。魔物たちは人を襲い、食らった。
一つの城塞都市を滅ぼした魔女の対処をする余裕は誰にもなかった。私が殺し損ねて街の外へ逃げ延びた者もわずかにいたが、そのほとんどは魔物に殺された。魔女が現れたなんて、誰も知らなかった。
そこから魔物を従えた魔女の無双物語が始まったかと言うとそうではない。
なにより、最初は魔物とは意思疎通ができなかった。私を襲ってくるモノもいた。魔法の力で懲らしめれば襲ってくることはなくなったが、私が味方であることを全ての魔物に知らしめるのには、かなりの時間が必要だった。
魔物には動物と同じようにいくつもの種類があり、同種は群れで行動する。しかし、異なる違う同士が協力することはなく、勝手気ままに人を襲っていた。魔物同士で闘っていることもあった。
魔物一体一体は人間よりも強いが、力を合わせた人間に殺されるぐらいには弱い。
そんなやつらをまとめるのに四苦八苦していたら、一つの国を亡ぼすのに五年かかった。
その頃には魔物たちと少しばかりは意思疎通ができるようになっていたが、彼らの正体は分からなかった。最初はどうやら、私に力を与えてくれた漆黒の渦の世界から来たようであった。自主的にこちらの世界に来たのか、強制的に送り出されたのかは分からないが、繁殖等によって数を増やしていた。
漆黒の渦は私に力を与えはしたが、その後は一切接触してこなかった。力の使い方は頭に刷り込まれていたので困らなかったが、魔物の正体はなんなのか、魔物の国とはどういうものなのか、約束を違えればどうなるのか。全く分からなかった。
意思疎通できるようになったとはいえ、魔物には高い知能を持つものはおらず、基本的には獣であった。普通の動物よりも力が強いだけだ。人間の兵士よりもはるかに強い種族のモノたちもいたが、人間の計略に嵌められて殺されるモノも多かった。
人間の知恵というものは、本当に恐ろしい。見様見まねで魔法を使える者まで現れてきた。
兎にも角にも国を一つ滅ぼして人間を追い出し、魔物をそこに住まわせた。
それでのんびりさせてくれれば良かったのだが、近隣諸国が軍勢を送り込んできたので、それらとの闘いに明け暮れることになった。
魔物の国にいる人間は私一人だ。強力な魔力を持っているとはいえ、元は田舎娘に過ぎない。各国と停戦協約を結ぶなどという高度な交渉術を持っているわけもない。
戦争はずるずると十年も続いた。
その頃には私も魔物たちを家畜のように扱うことができるようになっていた。魔物たちが近隣諸国へ人間たちを襲いに行くのを抑えることができるようになり、生態系を国の中で回せるようになった。
とりあえずの安全が確保されたことを理解した近隣諸国は軍を戻した。十年に及ぶ不毛な戦いで、彼らの国力がすっかり疲弊していた。
ようやく比較的平穏な日々を手に入れた。
人間に対する恨みは、最初の国を滅ぼした時にかなり薄くなっていた。私に直接的に間接的に酷い仕打ちをした者はほぼ全て皆殺しにした。他所の国にまで殺戮の手を伸ばすほどには、恨みの力は足らなかったのだ。
魔物たちを制御するのが大変だったということもある。かつては工夫をして薬を作っていたように、魔物たちを飼い馴らすことに興味が移り、熱中していた。
魔物としか触れ合わない日々にも特に不満はなかった。もともと森の奥で老婆と二人暮らし、老婆が亡くなった後は一人で暮らしていたのだ。一人でいるのには慣れている。
だから、魔物が人間を連れてきたときには、少々の煩わしさを感じていた。
「牛飼いをやっていたことがあるので、動物の扱いには慣れているんです」
訝しんだ目を向けると怪しい人間は飄々とそう答えた。牛飼いをやっていたぐらいで魔物に案内をさせられるとは思えない。
ディ・オクレと名乗ったのは、とらえどころがない男だった。若くはないが、それほど年を取っているようにも見えない。猫背でだらりと立っているが、背を伸ばせばそれなりの上背があるように思える。なにかを探っているような声色だが、思わず聞き入ってしまうテンポがある。目の焦点が合っていないようで、こちらをしっかりと見据えていたりする。
「牛飼いらしくない身なりのようだな」
人間相手の会話は久しぶりだ。緊張しているのがばれないように注意しながら、魔国の女王を演じながら話す。
オクレの服は古めかしく色褪せていたが、装飾が入っており、しっかりとした作りだった。
「没落貴族ってやつです。親父がやらかしちゃいましてね。それ以来職を転々としています」
「それで、今日は何を頼まれて来たのだ?」
「俺みたいなモンに頼む奴なんかいません。命じられてきたんです。魔女の様子を見て来いって」
「それでここまで来られたのなら大したものだ。なんと報告する?」
「意外と質素でした。なんてどうです?」
会ったのは城の謁見室だったが、十年も手入れされていなければボロボロだ。
「ハハハ。人間が私一人では豪華にしようがない」
「魔法が使えるんじゃないんですか」
「魔法で豪華にして嬉しいと思うか?」
本当は、田舎娘には豪華な生活と言うものがどういうものか分からない、というのもあった。
「毎日となると……むなしそうですな」
「そういうことだ」
「魔法は万能ではないんですな」
全くだ。豪華な生活は望まないから、掃除や洗濯、食器の片づけと言った細々としたことをやって欲しいのだが、私の魔法は家政婦にはなってくれない。
「ふん……」
少し人と話すのに慣れてきたので、もう少し続けても良いと思った。
「私は魔物の国を作らなければならない。お前はこの国を見たんだろう。どう思った?」
「没落貴族に国作りを聞きますか」
オクレは自虐っぽく笑った。それを見て初めて、この男の本音に触れた、と思った。
「そうですな……。国とは人です。人がいてこそ国になる。この国は、囲いを作ってその内側に魔物を閉じ込めているだけのように見えました」
「それはいることにはならないのです……か?」
意外と真面目な返答に、思わず演技を忘れるところだった。
「人は嫌になれば国から出ていくことができます。もっとも現実は難しいですがね」
「なるほど。しかし魔物はこの国から出ていってどうする?」
「それはなんとも言えません。そもそもあいつらはなんなんです?」
「教えると思うか?」
「哀れな没落貴族への慈悲の心があれば」
「そんなものはない」
戯れの時間はもういいだろう。
手を払って部屋から出ていくように命じると、オクレは素直に立ち上がったが、注文を付けてきた。
「この城に滞在してもよろしいですか?」
「……魔物に食われても知らんぞ」
「お心遣い感謝します。お時間をいただきましてありがとうございました」
慇懃に礼をするのが胡散臭い。
ふと思い立ち、部屋を出ていこうとしている背中に問いかけた。
「お前は神がいると信じているか?」
張り付いた笑顔とはこういうのを言うのだろうな。ゆっくりと振り返った顔を見てそう思った。
「もちろんです」
ディ・オクレは本当に城内に住み着いた。たまに国外に出て行っては食料を調達してきて、それを分けてくれた。この国には人間用の食料がないので非常に有難かった。
これまでは国を抜け出して近くの町に食料や日用品を買いに行っていたのだが、頻繁に行くのは難しい。その内、買い物を頼むようになった。
普段は国内をあちらこちらと歩き回っているようだった。できる限り魔物とは距離を取っていたが、出会ってしまったときでも、彼が魔物に襲われることはなかった。
魔物に理由を聞いてみたところ、うまく説明できないが捕食対象として認識できていない、というような答えが返ってきた。よく分からない。
国外に出た時には政府や軍の人間と会っていた。私が監視の目を付けているのを知ってか知らずか、それほど有用な情報を提供してはいなかった。
私は彼を追い出しはしなかったが、積極的に会おうともしなかった。本能的に、情に絆されてしまうことを恐れていたのだと思う。
捕らえられていた時に受けた仕打ちは忘れていなかったが、魔物相手の忙しい日々に、時折、人を恨む気持ちを忘れかけていることがあった。
そう、私はオクレを信じたりしていなかった。
しっかりと用心もしていた。
だからこそ、背中から胸へと突き刺さったナイフの切っ先を見ても、それが何なのか理解できなかった。
ナイフがぐるりと回転させられる。
激痛が走り、口から悲鳴と血が迸り出る。
「わりとあっけなかったですな」
耳元で声が聞こえた。
魔物が言っていた、捕食対象として認識できない、という意味が分かった気がした。
「なんなんだ、お前は」
血の混じった声を振り絞る。
「哀れな没落貴族です」
「くそが」
「そうだ。あなたはそれで良い」
オクレは笑いながらナイフを引き抜いた。
血をまき散らしながら私は床に倒れた。上半身を起こす力もなくなった私の前に、オクレは立ち塞がった。
「俺の父親は魔女狩りに反対していました。無辜の女を魔女に仕立て上げて何が楽しいんだってね。それで閑職に追いやられました。あんたが魔女になった時には、討伐隊の隊長に仕立て上げられて、あっさりと死んだ」
オクレはナイフに付いた血を眺めながら淡々と語る。
「あんたの怒りも分かるし、別に恨んでもいない。殺せって命じられてましたけど、その気もなかった。どうしてこうなったかな。こういうのを神の思し召しって言うんですかね?」
神のことを私に訊くな。
「神とはなんだ」
「人間ですよ」
霞む視界の中でオクレは即答した。
「神は人間が自分の弱さを誤魔化すために作った幻想。つまり、神は人間です」
だったら、やはり私は人間を恨み続ける。
「……」
もう言葉を発することはできなかった。
私の死を引き金にした魔法が発動し、城内にいるモノ全てを焼き尽くした。
エウラリアが次に見たのは聖女の少し照れた顔だった。
桃陰高校のオープンキャンパスで、萌夏とふざけて追いかけっこをしている最中にゴミ箱をひっくり返した。
「大丈夫ですか?」
ゴミを拾っていると、涼やかな声の少女が手伝ってくれた。柔らかな笑みは慈愛に満ちていて、見惚れて、一瞬手が止まった。
指と指が少し触れ合った。
その瞬間、エウラリアの意識が沸き上がった。
「ごめんなさい」
少女の照れた顔に、沸き上がる魔女の怒りは一瞬で鎮火されてしまった。
「あ、ありがとうございます。あの!あなたは、この学校を受けるんですか!」
「そのつもり」
「じゃ、じゃあまた」
手に持ったゴミをゴミ箱に投げ込むと、様子を見に戻ってきた萌夏を引きずりながらその場を離れた。
「またね」
背中にかけてくれた言葉は、しっかり耳に残っていた。
「なのに忘れていたんだもんな」
夕闇に独り言を呟く。気分は落ち着いてきた。
オープンキャンパスから帰った後、丘上輝夜は学校を三日休んだ。自分の中にエウラリアというもう一つの人格がいることにひどく混乱した。自分が異世界転生してきたなんて理解できなかった。
エウラリアもまた混乱していた。自分は人間を恨み続けると誓って死んだ。異世界であっても再び命を得たことは僥倖だ。再び人間に復讐する。そう思っても、少女の照れた顔を思い出すたびに、意思が急速に揺らいでしまうのだ。
なんとか気を落ち着かせるのに三日かかった。
試してみたら魔法が使えた。
正義と善良な心を持った輝夜は、魔法の力を世のため人のために使い始めた。
新しい身体と世界に慣れるのに時間がかかり、なにより照れた少女の顔の呪縛に捕らわれたエウラリアは、輝夜の意思に従うことを余儀なくされた。
最初のミッションは、身の丈に合わない高校に合格するための猛勉強の手助けだった。
無事に桃陰高校に入学することができた。
あの時の少女もそこにいた。
しかし、何度かすれ違ってもこちらに気が付いてはくれなかった。色々あって、話しかけるまでに一年かかってしまった。
無悪乙輪もまた異世界転生者だった。前世では聖女として勇者と共に魔王と闘っていた。自分とは真逆な立場だ。
絶対的な治癒能力を持っているが、それを世のため人のために使う気はなく、自らの平穏な日常のために使っている。「聖女」という、神の御使いのような立場だが、神に会ったことはないし、あまり信じてもいない。周囲への気遣いを見せはするが、自分の利益が優秀な人間だ。友達付き合いをしていれば、とても聖女だなんて思えない。
そうだ、ボクには友達ができた。前世では得られなかった友達が。前世では望むことすら知らなかった友達が。
必死で生き抜いた前世に後悔はない。しかし、どこかで「友達」というものを知っていれば、何か変わったのかもしれない。そんなことを思うこともある。
視界の中で光が揺れる。
街の雑踏が耳に戻ってくる。
「こんなところでどうしたん?」
関西弁でのんびりと声を掛けてきたのは遠野出水。小柄な彼女の身体の周りに青い光が見える。ボクがかけているのはヴァルドの眼鏡、相手の魔力量を視ることができる。出水の魔力量は出会った頃よりもかなり大きくなり、今では周囲の通行人とは比べ物にならない。
ちなみにヴァルドの眼鏡はボクが作ったのではなく、この世界にあったものだ。
「ちょっと休んでただけ。そっちこそどうしたの?」
出水は柔らかい物腰とは裏腹に、個人主義が強い人だ。用がなければ、ボクを見かけても黙って通り過ぎただろう。
「ちょっと気になる情報が入ってん」
街灯が瞬いたのちに灯り、出水の顔が照らされる。
「あんたの大事な聖女様のね」
「それは大変だ」
こんな時になぜ、口元がにやりと動くのだろうか?立ち上がってパッパとスカートを払う。
「場所を変えよう」
取り出した黒衣で二人の身体を包み、ボクたちの姿はそこから消え去った。
次回、最終回です。
のつもりだったのですが、諸事情によりもう1話追加することになりそうです。
改めて構想中ですのでお待ちくださいませ(2025/12/10追記)




