2話 神に異世界に飛ばされそうになっていたところを、聖女様に助けられた話
晴子は激怒した。
でも本当は大して怒ってない。
怒りの矛先は邪智暴虐の王ではない。双子の妹、明子だ。
腹が立ったのは確かだけれど、いつものじゃれ合いの延長にすぎない。
辛かった受験を終え、桃陰高校への入学を控えたある日、姉妹で買い物に出かけた。
親には「高校で必要なものを買いに行く」と言ったけど、ほんとは乙女ロードでアニメグッズや同人誌を買い漁るのがメインだった。
「はぁー滾る!高校生活は推し活に全てを捧げる!」と心に誓った一日だった。
帰り道、SNSで話題の「異世界転生した時に与えられる特技」診断をやってみたのが、すべてのきっかけだった。
スマホの画面に映った診断結果に、思わず突っ込んだ。
「昼寝って!それ特技じゃないだろ!」
「のび太か!」明子が爆笑する。
確かに、国民的アニメの主人公の特技は昼寝だ。でも、そんな特技、一緒でもぜんぜん嬉しくない。
「ふざけんな!アキもやりなよ」
ぶーたれながら促すと、明子は「はいはーい」と診断を始めた。
「おお!射撃だって」
「射撃いいじゃん!」
と言った瞬間、気づいた。射撃が得意なキャラクターと言えば……
「のび太じゃん!」
突っ込むと、明子は目をパチクリさせてから「本当だ!受ける!」と爆笑した。
「双子だから能力を分け合ったってこと?」
「診断メーカーがそんな気の利いたことをするわけないでしょ」
「二人でのび太一人分なんて嫌なんだけど」
「私だって嫌だよ」
「でもまぁ」明子が意地悪く笑う。「私は昼寝じゃなくて射撃だからな!」
「うるさーい!」そんな風に、いつものようにじゃれあっていた。
激怒した風を装っていただけだ。
ちょっと、はしゃぎすぎてしまっていたかもしれない。
じゃれあって、バランスを崩し、二人揃って車道に転がるように出てしまった。
目の前に、眩しいヘッドライト。
世界を切り裂くようなブレーキ音。
渾身の力で明子を突き飛ばした瞬間―――。
「ん?」
違和感に目を開く。
なんだ?何で目を瞑ってたんだっけ?
なんでこんなところに寝てたんだっけ?
ここはどこ?
辺りは白い霧に包まれ、地面には石がごろごろ。知らない場所だ。
「アキ!」
呼びかけるが、声は霧に吸い込まれるように消える。
何度か呼んでも返事はない。仕方ない。立ち上がって歩き始める。石だらけの地面は歩きにくい。ところどころに積み上げられた石の塔がある。なんだこれ?
「誰かいませんかー?」
呼びかけても、やっぱり返事はない。しばらく歩くと川に辿り着いた。どうやらここは河原らしい。
「どこだぁ?」
こんな河原知らない。十五年間住んできた町だけど、こんな河原はなかった。
「ここは賽の河原」
突然、低く響く声。
「そしてこれは三途の川」
慌てて振り返るとチャラそうな若い男が立っていた。細身の体に着物の前をはだけた、イケボイスとは裏腹な軽薄そうな雰囲気。
「三途の川って……、私、死んだってこと!?」
勢いよく訊くと、男は斜めに頷いた。
「トラックに轢かれたんだ。覚えてるか?」
「えーと、ヘッドライトが眩しくて、ブレーキ音は覚えてる。でも、衝撃とか、痛みは……ない」
「苦しまなかったのなら、不幸中の幸いというやつだな」
幸いなわけないだろ!と突っ込みたいけど、まず確認すべきことがある。
「アキは、妹の明子はどうしたんですか?」
「ここにはいない」
男は両腕を広げて答えた。
「死んでないってことですか?」
「それは分からんが、ここにいないってことは、そういうことなんだろうな」
回りくどい、めんどくさい奴!でも、明子が無事なのそれでいい。
……で、こいつ誰?
「あなた、誰?閻魔大王様?」
あの世と言えば閻魔様だ。
「閻魔がいるのはこの川の向こうだ」
男はバカにしたような顔で答えた。
「私は神だ」
「神……?」
唐突に正体を明かされてもピンとこない。首を傾げると、男は不服そうに顔を歪めた。
「なんで閻魔には『様』を付けるのに、神には付けないんだ」
「え、だって……、閻魔大王様より神様の方が偉いんですか?」
「当たり前だろ!閻魔は地獄を統べているだけだ。神は地獄を含めて全てを統べているんだ」
「そうなんですか。すみません」
そんなこと知らないよ。私が読んだ漫画では、閻魔大王様は一番偉い存在だったし!
でも面倒くさい人みたいだから、一応謝って頭を下げておく。
「それで、偉い神様はどうしてここに?」
「質問の多い娘だな」
「分からないことはすぐに聞きなさいって言われているんです」
「少しは自分で考えた方が良いぞ。―――私はお前を転生させるために来たのだ」
「転生って……異世界転生ですか?」
えっ!ちょっと待って!激熱展開なんだけど!死んだのはショックだけど、こんなこと本当にあるの?
「なんで転生先が異世界限定なんだ?」
こだわるのそこ?一気にテンションが下がっちゃう。
「流行ってるから」
「異世界転生が流行るってなんだ?確かに異世界転生だが、流行に乗ったわけでは決してない」
変なところでプライドが高いな、この神。
「さて、転生させるにあたってお前にボーナススキルを一つ授ける。どんなスキルが良いか決めろ」
ボーナススキル!異世界転生物の定番キター!
「どんなスキルでも良いんですか?」
「構わん」
「じゃあ、神様になりたいです」
「……それはスキルではない」
なにその微妙な顔!
「できないんですか?」
「できるできないじゃなくて、スキルじゃないと言っているんだ」
そんなに怒らないでよ。神様と同じように力が使えれば便利じゃん、最強じゃん!って思っただけじゃん。
さっきから怒ってばかりでイヤな感じ。
「神様って、なんか怖いです」
「お前は神をなんだと思っているんだ」
「うーん……、お願いを聞いてくれるけど、叶えてくれるわけじゃない、みたいな?」
「そのお願いを今、叶えてやろうと言っているんだ!」
だからそんなにイライラしないでよ。
急に死んだって言われて、異世界転生だ、ボーナススキルだ言われたって分かんない。
ボーナススキル、スキル、スキルって特技か。私の特技は……昼寝?
え?まさかさっきの診断メーカーってここに繋がっていたの?
そんなことある?
『昼寝をしていたら隣国の王子に求婚されたんですけど~果報は寝て待て~』みたいな話?
いやいや。それにしたって昼寝はない。射撃はアキの特技を取るみたいでイヤだし、うーん……
「あっ、そうだ」
前にアキと話していた、異世界で無双できるスキルを思い出した!
それを告げようと顔を上げると―――、神様の姿が霞んでいた。
「え、どうした?」
次の瞬間、物凄い勢いで体が後ろに引っ張られた。あっという間に川も神の姿も白い霧の中に消えてしまった。
「え、え、なになにこれなに?」
「お前、まだ死んでいなかったのか?」
神の声が遠くから聞こえてくる。なんであんたが驚いているんだ!
「知らないよ!死んだって言ったのはあんただろ!」
「あの状態から生き返るとは……」
ぼそぼそ呟く声も、すぐに聞こえなくなった。
「ガハッ!」
激しい衝撃。
とても息苦しくて、胸に詰まっていたなにかを吐き出す。
身体中に激痛が走っていたような感覚。でも、痛みはどこにもない。
「もう大丈夫ね」
頭の上から、静かで落ち着いた女性の声。
「ここは?」
体中に違和感があるし、頭もぼんやりしている。とても大丈夫だと言えるような状況ではないと思いながら、横たわっていた身体を起こそうとすると、肩を抑えられた。
「もう少し寝てなさい」
ぼんやりとした視界の中で女性の顔が見える。
とても奇麗な人だ。
奇麗で、優しさに満ちている。
この人が助けてくれたんだ!間違いない!
身体を寝かしつけた女性は、立ち上がってその場を去ろうとした。
「あなたは誰ですか?」そう訊きたいけれど、それより前に確認しなくちゃいけないことがある。
「アキは、妹は大丈夫ですか?」
「そうね……」
女性は頭上を確認してからゆっくりと答えた。
「多分、大丈夫でしょ」
女性の視線を追うと、暗い空の中に、何かが浮かんでいるように見えた。
女性はいつの間にかいなくなっていた。
救急車のサイレンが聞こえてきた。
トラックに轢かれたはずなのに、私は無傷だった。精密検査や事情聴取で春休みの残りが潰れたのは残念だけど、命があったからよし。
明子も無事だった。ただあれからなにか隠し事をしているようだ。
それより、今の私にはそれよりも気になることがある。
助けてくれた女性を見つけ出してお礼をする!そのためにはどんな苦労だってする!
……と意気込んでいたのだけど、高校入学初日にあっさりと見つけた。
その人は高校で聖女と呼ばれていた。無悪 乙輪様!
やっぱり、特別な人だったんだ!
嬉しくなって、胸が熱くなって、聖女様に向かって一直線に駆け出した。
私の頬は、期待で赤く染まっていた。