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聖女と魔女  作者: 立青之
15/21

15話 聖女とちゃっちゃっちゃ


桃陰とういん高校の朝は、いつも清々しい気分で迎えられる。

学校に来るまでは重くどんよりとしていた気分も、始業前には体が軽くなり、心まで晴れてくる。

しかし、その日は多くの者が違和感を受けていた。

登校前よりは活力が湧いている。しかしいつもほどの晴れやかさがない。一日頑張りますか!的な活力が湧いてこない。

その違いは些細なものであったため、教師も学生も、少し首を傾げながら、始業のベルが鳴るまでの時間を思い思いに過ごしていた。


小さな不調の原因は、 桃陰高校の健康の源———聖女、無悪さかなし乙輪おとわにあった。

ノックに応じて科学準備室のドアを開けた明子は、乙輪のどんよりした表情に驚いて「うわっ」と声を上げた。

すらりと伸びていた背筋は、一歩足を進めるたびに丸くなり、足を引きずるようになり、最後には崩れ落ちるようにいつもの丸椅子に座った。

「どうしたの?」

明子は困り顔の晴子に尋ねる。

「たはは」

晴子はぽりぽりと頬をかくだけではっきりした答えを返さない。

「いつものコーヒーで良いのか? それとも気付け薬でも飲むか?」

友人の見慣れない様子に珍しく気遣いを見せた輝夜の言葉に、晴子はパンと手を鳴らす。

「そうですよ。 魔女様にお薬を作ってもらえば良いじゃないですか!」

「……あんたは魔女の薬を飲みたいの?」

嫌味な答えを返す元気はあるらしい。

「魔女の薬と言うと聞こえは悪いですけど、魔女になる前は優秀な薬草師だったらしいじゃないですか。きっと良いお薬を作ってくれますよ」

「待ってくれ。 そもそもなんで乙輪が薬を必要とする状態なんだ?聖女の力でも治せないものを魔法で治せるとは思えないし、どこが悪いのか分からなければ薬の作りようもないぞ」


乙輪の治癒能力は絶大であるし、自身に対しても有効である。


「それはですねぇ……」

言葉を濁す晴子は、実験台に突っ伏している乙輪に確認する。

「私が言っちゃって良いですか?」

「太ったのぉ」

乙輪は、か細く、しかし野太い声で答えた。

「太った?」輝夜はまじまじとスレンダーな身体を見る。「どこが?」

「二キロ」

部位ではなく数量が返ってきた。

「正確には二・二キロです」

晴子が朗らかに補足する。

「なんで知ってるの」

「聖女様を日々観察している、聖女様ウォッチャーの私の目は誤魔化せませんよ!」とどや顔しながら胸を張る。

「この子やばいんですけど」

「今更だな」

「今更です」

輝夜と明子が揃って答える。

「それで、太った原因は分かっているのか?」

輝夜の質問に、晴子がため息をつきながら答えた。

「最近、背油ラーメンにはまったからです」

「背油ラーメン?聞いたことはある。確か、ちゃっちゃってするという……」

「ちゃっちゃなんてもんじゃないです。聖女様は、ちゃっちゃっちゃっちゃっちゃっちゃっちゃっちゃぐらいするんです」

「それはかけすぎ」

「かけすぎです」

「違うの。分かってない、分かってないなあ」

乙輪は急に起き上がって声高に主張し始めた。

「背油は『かけすぎだ』と思うところからがスタートなの。その境界を越えた向こうに、真の油の海が広がっているの。なめらかなスープの海で泳いでいるような気分になれるの」

「なにを言ってるんだ?」

輝夜には全く理解できない世界の話だ。

「背油をかけたら美味しくなるのは分かります。聖女様はかけすぎだとは思いますけど、なめらかスープにはまる気持ちも分かります。でも、油を大量に摂取したら太るのも分かってることじゃないですか」

「正論禁止!」

びしっと指を差され、晴子は「ごめんなさい」と素直に頭を下げた。従者は聖女に対して常に絶対服従なのだ。

「あんたは背油ラーメン食べたことないの?」

次に指差された輝夜は首を横に振る。

「本当に?絶対に一回食べるべきよ。人生損しているわ。食べたら分かるから。今日の放課後行く?行きましょう。よーし、背油ラーメン食べに行くと思ったら、元気が出てきた」

乙輪は立ち上がってガッツポーズを見せる。

「背油ラーメンと言うのは麻薬かそれに類するものなのか?」

「聖女様にとってはその効果があるようです」

「止めた方が良いんじゃないの?」

「私が言ったって止まるわけないじゃん」

盛り上がる乙輪を前に、引き気味の三人はひそひそと相談する。


「ラーメンを食べに行くかどうかはともかく……、体重増加はキミの力では治せないのか?」

輝夜が訊ねる。

「治るの?」

「分からないが、試してみても良いんじゃないか?」

「そうね」

乙輪がその場でぐっと力を込める。普段、治癒の力を使うときはそれっぽい演出は全くないのに、身体が淡い光で包まれた。本気だ。

「どうかな?」と腕を広げて訊かれても、輝夜と明子は全く分からない。しかし、

「変わってません」と聖女様ウォッチャーは即答した。

「はあぁ」盛大なため息をつく。

「食べ過ぎで太るのは病気ではないですからね」明子が突っ込む。

「そこをなんとか」

「乙の治癒能力は怪我や病気に限定されているのか。いや、解毒の能力もあったね」

「お祓いもできるって言ってましたよ」

「お祓いじゃなくて、呪いを打ち消すの」

「何が違うんですか?」

「……なんだろう?」

「キミは本当に自分の力に無頓着だな」

頭を捻る乙輪に輝夜は呆れる。

「ともかく、今まで『治癒能力』と大雑把に言っていたけど、色んな能力を持っているということだな。興味深い。もっとよく調べたいね」

「モルモットを見るような目をするな!」

「はい!ハゲは治せるんですか!」

「知らん!」

「ハゲにも遺伝的なもの、病気や怪我によるもの、老化によるものと色んな要因があるから、要因によって効果に差があるかもしれない。まずはハゲの人を大勢集めよう」

晴子の質問に、輝夜は大まじめで検討を始める。

「集めるな!」

「冗談はさておき」

「冗談だったんですか?」となぜか明子ががっかりする。


「乙の力を検証するのはまたの機会として、体重が増えたのが嫌なら減らせばいいだろう」

「良い薬があるの?」

「魔女の薬は嫌なんだろう?」

「背に腹は代えられないわ」

薬をくれ、と手を差し出す。

「嬉しい言葉だが、飲むだけで簡単に痩せられるなんて薬はない。そんなものがあるなら、それは毒だよ。身体を壊しているだけだ」

「でも色んな痩せ薬が売ってますよね」明子が訊ねる。

「ほとんどが便秘解消と血行を良くしているだけだ。出せば体重は減るし、新陳代謝を上げればカロリーの消費が速くなる。多少体重は減るだろうが、劇的に改善するものではない」

「魔法で何とかならないの」

「そんな魔法あったかな?」

険しい顔で考え込む輝夜を見て、乙輪は手を振って取り消した。

「やっぱ良いです」

「そうだな。痩せはするが身体を壊すような魔法しか思いつかなかった」

「治癒の力も魔法も万能ではないということですね」

なぜかキレイにまとめた晴子を、乙輪は悔しそうに見る。

「あんたも私と同じように食べているのに、太らないわね」

「はい。私はどんなに食べても太らないんです」

「体温めっちゃ高いよね。基礎代謝がすごいのね」

「聖女様も高いほうだと思いますけどね」

「体重は摂取したカロリーと消費したカロリーのバランスだからな。どんなに基礎代謝が高くても、摂取したカロリーが上回っていたら太る。晴子ちゃんも明子も気を付けないといけないぞ」

「分かりました」双子が声を揃えた。

「それで、私のことはどうしてくれるのよ」

「ラーメンを控えればいいだろう」

「正論禁止って言ったでしょ!」

「では運動をしましょう」

「それも正論!」

「駄々をこねていても痩せませんよ。とはいえ、痩せるための運動って何をしたらいいんですかね?」

「舞彩さんとか詳しいんじゃない」

「確かに」

「舞彩は知ってても教えてくれるわけないじゃない。いつも太れ太れってうるさいんだから。そうよ、黒鍵に行ったらいつもめっちゃサービスしてくれるのも太った原因の一つよ」

黒鍵は舞彩の父親が経営しているラーメン屋の名前だ。舞彩はここに出入りしているメンバーの中では珍しくグラマラスな身体をしている。

「聖女様はそもそも痩せてますもんね。二キロ太っても標準体重には全然届かないでしょ」

「それはそうなんだけれども」

「せめて背油系は止めましょう」

「そ、そんな……」

「でないと、聖女アブラマミレになりますよ」

「エッチな動画のタイトルみたいですね」

「そ、それは嫌だ」

明子のツッコミに乙輪は顔色を変えた。

「あちらの世界には良いダイエットはなかったんですか?」

「あっちではダイエットなんか必要なかったもの」

「太っている人はいなかったんですか?」

「デブはいっぱいいたわよ。裕福な貴族や商家にはいっぱいいたわ。教会も清貧を尊ぶとかじゃなかったから、デブもいたわ。でも私は自由に食べたり飲んだりできる立場じゃなかったし、ダイエットが必要になるような体形じゃなかった。そもそもある程度太っているのは裕福であることの象徴だから、むしろ良いことだったのよ」

「そうなんですね」

「魔王討伐の旅に出てからは毎日結構な距離を歩いていたから、筋肉はついたけど、太ったりはしなかったわね」

「聖女様も歩いて旅をするんですね」

「聖女様も歩いて旅をしたのよ」

「じゃあ、歩けば良いじゃないですか」

晴子に見事に誘導されたことに気づいて乙輪は顔をしかめたが、あっさり同意したりはしない。

「毎日毎日歩いています。今日も歩いて学校に来たのを知ってるでしょ」

「そういうことではなくて、電車を降りて一駅分歩いたりするんです」

「道に迷ったらどうするのよ」

「私が一緒に歩きます」

「……グーグルマップがあるから良いわよ」

「聖女様が一駅歩く気になりました」

晴子がパチパチと拍手すると、それに合わせて輝夜と明子も拍手する。乙輪は憮然とした表情のままだ。

「逆に考えたら良いんじゃないですか?ダイエットのために歩くんじゃなくて、背油ラーメンのために歩くんです」

「それだ!」

明子の提案に晴子が大きな声で賛成する。

「聖女様、アキが良いことを言いましたよ!今度は魔王を倒すために旅をするんじゃなくて、背油ラーメンを手に入れるために旅をするんです。背油求めて一万歩です」

「一万歩!」

乙輪は盛りすぎた数字に突っ伏したが、すぐに起き上がった。

「私、背油のためなら頑張る」

聖女の背油への執念に、三人は苦笑しながら再び拍手した。


「魔女様はダイエットなんか必要なかったんでしょうね」

乙輪の話が一段落したので、明子は輝夜に話を振った。

「王様だったんだから、意外と太ってたんじゃない」

乙輪はすっかり元気になっている。

「そうでもなかった……」

元魔王は遠い目で過去を思い出す。

「魔物と人間は味覚が違うんだろうね。正直あの子たちが作ってくれるご飯は美味しくなかった。我慢して食べたこともあったけど、ほとんど残してた。とはいえ、忙しくて自分で作るような時間はなかったし、執務や研究に没頭しているときは食べるのを忘れることも多かった。食べても、買い置きの固いパンだけとかね。今以上に痩せていたわね」

黒い実験着の袖から伸びる、細くて白い指を透かし見る。

「ダメじゃん!」

「そうね。殺されたときに意識が朦朧としていたのは、栄養失調が原因だったのかもしれない」

「その頃のあんたにちゃっちゃっちゃしに行きたい」

乙輪が軽やかに網をふる仕草をしたところで、そのリズムに合わせるかのように予鈴が鳴った。


ちゃっ ちゃっ ちゃっ ちゃーん


「放課後のラーメンのために、今日も勉強を頑張る!」

乙輪は拳を作った右腕を突き上げながら、一番に部屋から出て行った。憔悴していた十五分前とはまるで別人だ。

輝夜たちはその後姿を微妙な顔で見送った。晴子ですら呆れ果てている。

「あれはもう、病気だな」

輝夜は呟く。

「まさに聖女アブラマミレ」

明子の言葉に、二人は大きく頷くのであった。



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