13話 羽の生えた小さな象
聖女は今朝も朝のお勤めを終えて科学準備室の前に辿り着いた。
聖者の従者を自称する晴子は、ノックを二回してドアを開ける。
「だから返事を待てよ!」
晴子の双子の妹の明子が怒鳴りながら出てくる。いつものように晴子が怒鳴り返す……前に、
「あれ、舞彩」
乙輪はルーチーンを始めようとしていた双子の横をすり抜けて、部屋に入った。
「乙ピおっはよー」
ガングロメイクのギャル、マクラーレン舞彩が明るく手を振る。
「おはよう。こんなところでどうしたの?」
「こんなところって……」
部屋の奥に座る輝夜がぼそっと呟く。
「これ、返そうと思って」
舞彩が差し出した紙袋の中身を見て、乙輪はぱっと顔を輝かせる。
「もう読んだの!はやい!」
「超面白かった!一気読みしちゃった!寝不足でマジツラよ~」
舞彩はツケマで飾られた目をこする。
「本当に。嬉しい」
「それはなんだい?」
輝夜が興味を見せる。
「星なりの小説」
乙輪は紙袋から単行本四冊を取り出した。
「ああ……」
輝夜は曖昧な返事をする。
星なり……『星座になりたい』は、少し前に最終回を迎えた人気テレビドラマだ。しかし、科学実験室に出入りしているメンバーで観ているのは乙輪だけだった。
「薦めているのに誰も観てくれないんだもん。話が合う人ができて良かった」
嫌味っぽく言う。
「テレビは観てたけど、本を読むのは得意じゃないから小説版は良いかなーって思ってたんだよね。でも、めっちゃ面白かった。小説だけでも読んで欲しい」
「ほんとそれ!どこが良かった?」
「全部良いけど、一番好きなのは三巻の……」
盛り上がる二人に、輝夜が水を差す。
「いつの間にそんなに仲良くなったんだい?」
「この前、パパの店にクラスの子と一緒に来てくれたんだよね」
舞彩の父親はラーメン屋だ。
「あんたと一緒に行った時の話をクラスでしたら、みんな行きたいって言いだしたの。行く途中でちょうど舞彩に会ってね、またサービスしてもらっちゃった」
「あれぐらいお安いもんだよ」
得意気に笑う舞彩に、輝夜は眉をひそめる。
「この間急用ができたから来られないって連絡してきたことがあったけど、もしかして……」
「そう、乙ピに会っちゃったからさー、ごめんね」
「ごめんねって……、 舞彩が来なかったから作戦を変更しなければならなくなったんだ。明子が代わりに囮役になってくれたんだぞ」
「だからごめんて。明子ちゃんもごめんね。代わってもらってサンキュ」
「代わるのは全然良いんですけど! 輝夜様の崇高な活動をさぼるだなんてどういうつもりなんですか!」
明子が強い調子で抗議するが、舞彩はへらへらと受け流す。
「崇高な活動って、うちも聖女様のお相手っていう崇高な活動をしていたんですけど」
「ラーメンを食べていただけですよね」
「それだけじゃないよ~。その後うちの部屋で星なりの鑑賞会をしたんだ~」
「聖女様を部屋にお迎えするなんてずるいです」
今度は晴子が抗議する。
「良いでしょー」
「う、う、う、う、羨ましい~。聖女様、是非私の部屋にも来てください」
「ちょっと!私の部屋でもあるんだから勝手に決めないで」
「うるさい!」
輝夜の珍しく怒気をはらんだ声に、言い争っていた三人の口がぴたっと閉じた。
「ボクの部屋で騒ぐな」
輝夜の迫力に部屋の空気が凍ったが、乙輪は一人白けた顔でいつもの丸椅子をガタガタ引いて座った。
「ボクの部屋……ねぇ」
「……ごめん」
乙輪の冷ややかな視線に、輝夜はバツが悪そうに謝った。
「別に良いんですけどー。そういえば、この部屋ってなんであんたが好きに使ってるの?」
「……去年の高校生科学オリンピックで優勝して、校長に何か希望のものはないかって聞かれたから、自由に使える部屋を頼んだんだ」
「そうだったんだ。すごいじゃない」
「そうです。魔女様は凄いんです」
まだ少し気まずい輝夜に代わって、明子が胸を張る。
そのままの勢いで、舞彩を指差しながら言ってしまう。
「そんな魔女様に逆らう不届き者にこの部屋に来る権利はありません!」
「不届き者ってうちのこと?」
舞彩は驚いた顔で自分を指さす。
「来る権利がないって……、つまり世直し隊を抜けろってこと?」
「そうです!」
「良いよ」
「ええええええ!」
あっさりと同意されてしまって、明子は慌てる。
「なんでそんな簡単に抜けるんですか!」
明子の怒りに、舞彩は軽く肩をすくめる。
「だって、うちは乙ピを紹介してくれるって言うから、丘上の仲間になったんだもん。もう目的は達成しちゃったんだよね」
「魔女様を利用したんですか!」
「利用って言うか、うちと丘上の約束でしょ。乙ピを紹介してもらったから、約束は守る。こないださぼっちゃったのはごめんだけどさ。でも、丘上が私をいらないっていうなら、残る意味はないじゃん」
「でも!」
「あーもう。私のために喧嘩しないで」
乙輪がお芝居っぽく二人の間に割って入る。
「それ、一度は行ってみたいセリフの上位に入るやつですよね」
晴子は嬉しそうに言う。
「そうなの?私はちょいちょい使っている気がする」
「聖女様ならそうでありましょう」
晴子はなぜか得意気に頷く。
乙輪は丸椅子を回して、輝夜の方に身体を向ける。
「あんたはなんで黙ってるの?二人はあんたのために喧嘩してるのよ」
「私のためじゃなくて、乙のためなんだろ」
にやにやと笑っていることが多い輝夜が、珍しく拗ねた態度を見せる。
「あんたのためよ。私が舞彩と遊んでいたのが羨ましいんでしょ。それをはっきり言わないから面倒くさいことになってるの。私と遊びに行きたいならそう言えばいいの。やることがあるとか言って忙しくしているのはあんたじゃない。私はいつだってウェルカムよ」
「……先週の木曜日」
まくしたてた乙輪に、輝夜は目を逸らしながらぼそっと呟いた。
「なに?」
「先週の木曜日、 ボクは空いていたのに乙は用事があったじゃないか」
「木曜日?誘われたっけ?」
「誘ってないけど、晴子ちゃんにかき氷を食べに行こうって誘われたけど、用事があるからって断っていただろ」
「あれは晴子を撒いただけよ」
「ひどい!うそをついたんですか!」
しれっと答える乙輪に、晴子は猛然と抗議する。
「用事があったのは本当よ。 伯母さんに録画予約を頼まれていたの」
「私よりも録画予約が大事なんですか!」
「伯母さんが大事なの。って晴子は黙ってて。だから、あんたもこの子ぐらい厚かましく誘ってくればいいのよ。用事がなければ付き合うし、用事があれば断るわ」
「……断らないで欲しい」
輝夜は俯きながら小さな声で応えた。
「面倒くさい彼女か!録画予約ぐらいならあんたの魔法で私の家に転移すれば良かっただけでしょ。私だってあんたと遊びたいんだから、一緒に色々考えれば良いのよ」
「本当に?」
上目遣いに訊ねる。
「なにが?」
少し苛立ちながら問い返す。
「ボクと遊びたいって」
乙輪はしばらく無言の後、長く深い息をつく。
「あんたは面倒くさい彼女じゃなくて、友達でしょ」
「エウラリアには友達がいなかったんだ」
「友達とどう付き合えばいいか分からなくなったってこと?魔女エウラリアは友達いなかったのかもしれないけど、記憶が戻る前の丘上輝夜には友達いっぱいいたんでしょ。その時にどうやっていたかを思い出しなさいよ」
「あの頃は、考えて友達を作ってたわけじゃないから、どうやっていたとか分からないんだ」
「分かる。友達って考えて作るもんじゃないからね」
舞彩が軽い感じで口を挟んでくる。
「ギャルは友達作るの得意なんでしょ」
「そんな単純じゃないよ。友達がいっぱいいるように見えるギャルも、周りに合わせているだけで、本当の友達ってわけじゃなかったりするしね」
「深い話ね」
「乙ピもうちと友達になろうって考えたわけじゃないでしょ」
「こんなに話が合うとは思ってなかったからね。でも、舞彩は私と友達になりたくて、輝夜に頼んだんでしょ」
「うーん。私にとって聖女様って憧れの存在だったんだよね。だから、お近づきにはなりたいと思ってたけど、友達までは考えてなかったかもなー。もちろん、友達に慣れたら嬉しいってちょこっとは思ってたけど」
舞彩は恥ずかしそうにもじもじと告白する。
「はいはい」
晴子が元気よく手を上げる。
「なに?あんたとは友達にならないわよ」
乙輪は先に宣言する。
「いいえ。私にとって聖女様は憧れであり尊敬であり敬愛の対象ですから、友達になりたいだなんて全く思っていません。安倍晴子、一生聖女様の従者で在るつもりです」
「だったらなに?」
「この人が聖女様と友達になるのは良いんですけど、乙ピって呼び方はどうかと思うんです。聖女様に対する敬意が感じられません」
「かわいいじゃん、乙ピ。ねぇ?」
「正直なことを言うと私も微妙だと思ってる」
「そうだったの?言ってよ~。じゃあ、なんか考えるね」
「お願いね」
予鈴のチャイムが鳴った。
教室が遠い一年生の双子が駆け足で出て行く。その後に続こうとした舞彩を、輝夜は呼び止める。
「それで、君は抜けるのかい?」
「丘上が抜けて欲しいならね」
「ボクはそんなこと言っていない」
「良かった。うちは丘上のことも好きだよ。じゃあ、今までどおりよろしく」
輝夜はわずかに目を見開き、それから小さく頷いた。
「……なら、これからも手伝って」
「うん、よろしく!」
舞彩はぱっと明るい笑顔を見せ、ウインクを残して出て行った。
二人は部屋を出て並んで歩く。乙輪は、何かを思い出しているように遠い目をしている輝夜に訊ねた。
「何を考えているの?」
「……魔王だった時、今日みたいな感じで魔物たちが揉めていたことがあったんだ。あれはもしかしたら、ボクが原因だったのかもしれない」
「どんなふうに揉めていたの?」
「魔物たちはしょっちゅう喧嘩していたからあまり気にしていなかったけど……。羽の生えた小さな象みたいな魔物がいたんだ。そいつはいつもボクにまとわりついてきていて、そのたびに後で別の魔物たちにいじめられていた」
「理由を訊かなかったの?」
「下級の魔物の言葉は分からなかった」
「そうなんだ。残念ね」
「うん」
「言葉が分からないなんて些末な問題だ」
輝夜は魔物たちのことを思い浮かべる。
「小さな象も、魔物たちも、僕ともっと触れ合いたかったのかもしれない。もしかしたら、友達になりたかったのかもしれない。でも僕は、魔王をやるのが精一杯で、彼らを魔物として接することしかできなかった」
そう思うと、次から次へと魔物たちの姿が浮かんできた。
「あの子に、名前ぐらい付けてあげれば良かったかもしれない」
教室間際で乙輪はあることに気が付いた。
「そういえば、今日はコーヒーがなかった」
「そんな暇なかっただろ」
輝夜は憮然と答える。
「えーーー。放課後、グロッグ&ベレッタで奢ってくれたら許してあげる」
乙輪のわざとらしい明るさに、輝夜は苦笑しながら答える。
「喜んで」
「じゃあまた放課後に」
乙輪は優雅に一回転した後、目の前の教室に滑り込んでいった。
輝夜はその優雅な振る舞いに目をしばたかせた後、少し軽い足取りで自分の教室に向かった。