第七十二話 森の中に逃げて
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。
恐怖に支配されて足場の悪い道をただ必死に駆ける。
「セオドアさん、一回立ち止まりましょう」
肩を掴まれて振り向くとあり得ない提案をされた。
あんな化け物と戦って勝てるわけがないのに、逃げる選択肢しかないはずなのに、悠長に立ち止まろうなんていうことを言ってきたフィリス様に苛立ちが募る。
「何言ってんだ!少しでもあいつから距離を取らないと!」
「声を抑えてください」
しーっと人差し指を口元に持っていくフィリス様を見て、騒げばあの化け物が見つかる可能性が高まることに気づき、苛立ちを抑えることに努めた。
「このまま闇雲に逃げていても何も解決しませんよ」
「だとしても逃げる以外ないでしょ。……それに、救援がくるかもしれないし」
「確かにこのまま逃げていれば、囚われていた人たちが助けを呼んでくれる時間を稼げるかも知れませんが、この森の中にいては見つけてくることはほとんどないでしょう。それに、あれの相手は六天将レベルの方でないと務まらないでしょうから、仮に救援に来てくれたとしても無駄な犠牲が増えるだけです」
だとしても逃げるべきだと思ったが、フィリス様の必死な表情と頬に伝っている汗を見てハッとした。
今置かれている状況に焦っているのは自分だけではないのだと。そのおかげで少し冷静になり、フィリス様の言っていることを咀嚼する。
そして、さっき言っていたむやみに逃げても解決しないという意味を理解して、とりあえず逃げるという考えは良くないことに気づく。
「すみません」
「いえ、私も神経を逆なでしてしまうと分かっていて口にしましたから」
フィリス様に大人な対応をされて、自分が癇癪を起した子供みたいなことをしていたのに気づいて恥ずかしくなる。
また、フィリス様がこんな状況でも冷静な判断を下せていることで、本当に見た目通りの年齢なのかと思った。
「まず私たちが考えるべきは、立ち向かうべきか、逃げるべきか、ということだと思います」
「……フィリス様はあの獣人と戦って勝てると思いますか?」
「無理だと思います」
「……そうですよね」
冷静そうに見えるから、もしかしたらと思ったけど……、やっぱり無理なのか。
「なら、逃げるしかないと思います」
「そうですね。ただ、さっき言ったように何も考えずに逃げてもお互い助かることはないでしょう」
そうだよな……。
俺達を見つけられなくて、諦めてくれるのが一番いいんだけど……。
ただ、そんな希望的観測に賭けるわけには……。
どうせああいう化け物は人の気配とかが分かっちゃうだろうから、見つからないことに賭けるのは分が悪そうだし。
いやでも、諦めてくれないかな……。なわけないよな……。どうせ今頃、俺たちを探して森の中を彷徨っているだろ――、
「あの、いっそ森から出るというのはどうですかね?あの獣人、多分森の中を探し回っているだろうし」
「……ありかもしれません。ですが、仲間があの鳥人の魔物だけとは限らないかも……。それに、私たちが森から出てくるところを獣人の仲間が待っているなんてこともありえます」
「……確かに」
組織的な犯行だろうから、あの化け物だけしかいないとは考えづらいか……。
仮にあの場にはあの化け物しかいなかったとしても、応援を呼ばれているかもしれないし。
この最悪な状況にしては悪くない考えだと思ったんだけど……。
「でも、悪くないかもしれませんね。仮にあの獣人に見つからずに森を出て他の仲間に見つかったとしても、あの獣人ほどの脅威はないでしょうから」
「……そうですね」
「ただ、おそらくセオドアさんが懸念されている通り、あの獣人の仲間に見つかった場合は応援を呼ばれてしまうでしょう。ですが、あの獣人が応援に駆け付けられない状況であったのなら、逃げ切れる可能性は十分あり得ます」
「応援を駆け付けられない状況って……、まさか!?」
「はい、一人が囮になればいいのです」
それなら……。でも、それって一人しか……。
「……あの、どっちが」
「もちろん、言い出した私が囮を務めます。……それに、セオドアさんでは囮としても役割を果たせないでしょうから」
フィリス様は冗談っぽく言いながら笑みを向けてきた。
実力的に俺より上だし、一対一の戦いに向いているフィリス様が囮を務めるというのは確かに理にかなっている。
それに、冷静に状況判断をしている頼もしさと余裕がありそうな笑みを浮かべていることから、もしかしたら上手いことやって戻って来てくれるかもしれないと。
だから、フィリス様の厚意に甘えようと心が傾いていたところで……、頬に汗を伝っているのが見えた。
さっきから汗を流していたしなとは思ったのだが、今度は浮かべている笑みが無理やり作ったようなものに見えてしまう。
そして視線を動かすと、フィリス様は押さえつけるように右腕を左手で掴んでいた。
……そりゃ、怖くないわけないよな。一人であんな化け物と戦わせられることになるのに。
よくよく考えれば、こんな状況で心からの笑みを浮かべられるわけがないし……。
それに、どっちが囮になるかって聞くのも卑怯だったな。
俺は本当に……。
「早く、見つかる前に――」
「一緒に戦いましょう」
フィリス様は目を丸くする。
言っちゃったよ……。
しかも、俺が囮になると言えないところが中途半端でかっこもついてないし……。
まあ、さっきフィリス様が俺じゃ囮にはならないと言っていた通り、あの化け物と対峙して十秒すら持つか怪しいから、一緒に戦うというのが正しい選択なんだけどさ。
でも、話の流れ的に俺が囮になるって言う場面だったでしょ、今の。
「それがお前らの選択か」
高揚してきた気分が野太い声によって冷める。
あの恐怖が襲ってきて逃げたくなる。が、フィリス様の横顔を見て立ち向かうべきだと思った。
「後ろは任せます」
「分かりました。イグニッションバレット」
魔弾は犬族の大男が片手で持っている馬鹿でかい大剣で薙ぎ払らわれる。
今まで避けられたりそもそも魔法が効かないやつがいたことから、思い通りに行かないことは予想通りではあった。
まあ、予想通り過ぎて舌打ちをしたくなるが。
ただ、犬族の大男が剣を振った一瞬の隙を利用してフィリス様は懐に潜り込んでくれた。
「悪くない」
犬族の大男はぽつりと口にし大剣を短剣でも扱うかのような速さで扱い、フィリス様の剣を受け止める。
そして、何振りも打ち合い剣がかち合ったタイミングで、空いている左手でフィリス様の顔に裏拳を入れた。
「プロテクト!」
フィリス様が吹き飛ばされ、受け身を取れないと判断し防御魔法で保護する。
そのおかげか、フィリス様は木に叩きつけられてもしっかりとした足取りだ。
「よそ見しないで!」
フィリス様がめったに上げない大声が聞こえて前を向くと、犬族の大男が迫っていた。
事前に張ってある防御壁は少しの抵抗だけして破れ、とっさに防御壁で覆った右腕で剛剣を受ける。
「ぐぅぅ!?」
受け止めきれないことは分かっているので、右腕を斜めにして受け流す。
しかし、たった一撃で終わるはずもなく、体勢を崩して避けれなかった連撃をフィリス様が受け止めてくれた。
「クイックバレットッ!!」
魔弾を顔面に狙いを定め放ったが、顔を逸らされて頬をかすめるだけで終わってしまう。
続けてフィリス様が一太刀入れようとするが受け止められてしまい、犬族の大男は左手で首元を掴み持ち上げる。
そして、足をバタバタとさせているフィリス様を体の後ろにまで腕を持っていきぶん投げた。
フィリス様は何本もの木を折りながら飛んでいき、勢いが止まり木に叩きつけられる。
どう考えても最悪な状況だったが、フィリス様が投げ飛ばされた先にあるものから一筋の光明が見えた。
「クイックバレット」
犬族の大男がさっきと同じように顔を逸らして避けた先に爆発魔法を発動させる。
見た目の割に威力はたいしたことがないので痛手とはならないだろうが、爆発によって視界を奪うことが目的だったから問題ない。
俺は死ぬ気で走り、倒れているフィリス様を拾って先にある崖に飛び込んだ。
風が切るのを感じながら目の前は真っ暗で先が見えず、怖くて防御壁を張りながら目を閉じていると水が流れる音が聞こえてきた。
バシャーン!!
いきなり呼吸が出来なくなって口に大量の水が入り込み、必死に足をバタバタさせて手で水をかき分ける。
水面から顔が出せて水を吐き出し息が吸えるようになったところで、フィリス様を抱えていないことに気づく。
どうしようと頭が真っ白になっていたら、フィリス様が浮き上がってきて俺と同じように水を吐いた。
可憐なお嬢様とった容姿のフィリス様が口から水を吹いて頭がぺちゃんこになっているのが見てて、良くないと思いながらもちょっと面白くて吹いてしまうと、
「何を笑っているんですか」
「……すみません」
少し頬を染めるフィリス様に謝った。
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