第六十五話 サイン
トイレからなんてことないといった感じで戻ると、俺が触れてほしくないことを察してくれたのか、気遣われるような言葉をかけられることはなかった。ポールさんから大丈夫なのかなという目では見られていたのは感じたけど。
そのあとのカラオケはいい感じに盛り上がり、入って二時間ほどたった頃にはカラオケ屋から出ていた。
「どうだ、カラオケは楽しかっただろ!」
「はい。今まで全く聞いたことがないような曲が多くて興味深かったです」
自由奔放なところとか好奇心が強いところで似通っているからなのか、カラオケ屋の中にいた時から楽しそうに会話をしていたフィリス様とミヤタ様を横目で見ていたら、死体が民家の扉を開けて現れた。
その死体は動いており、別の家からも続くようにして似たような死体が現れて、一斉にこっちに襲い掛かってくる。
「陛下をお守りするわよ!」
クローディアさんはそう言うと皇帝陛下を狙っている動く死体を狙い、ポールさんはガチガチに固まりながら杖を構え呪文を唱えていた。
皇帝陛下はクローディアさんが守ってくれるみたいだから、俺は殲滅に回った方がいいのかな?
どういう立ち回りにしようかと考えていたら、犬耳でライトゴールドの髪色をした男が動く死体の群がっている中心地に降り立った。誰なんだろうと思った瞬間、動く死体の頭が一斉にとんだ。
頭がなくなったことで地面に倒れ込んだ動く死体は動かなくなった。
「陛下!大丈夫ですか!」
犬耳の男は皇帝陛下のもとに掛けよる。
「大丈夫、大丈夫。あいつらが守ってくれたから」
「……でしたらよかったです。あなた達もありがとうございます」
犬耳の男は俺たちに微笑みかけながら頭を下げた。
おごったところのない好青年って言った感じだな。
「あの、どなたか伺っても?」
クローディアさんが緊張した様子で尋ねた。
「申し遅れました。私はトニー・ブラウン。皇帝陛下の護衛を承っています」
「ついでに言えば、六天将の一人だぜ」
六天将か……。
だとしたら、あんな一瞬であの動く死体を倒したのも納得だな。
俺たちは皇帝陛下と一緒にいるわけだし、こういう有名人に会うのは当然の流れか。
「トニーさまですか!?あの、サインください!」
さっきまで魔物がいて危ない状況だったのに、すぐに駆け付けて来るとかそうとうなファンだなとか思って振り返ってみたら、いたのは目を輝かせ声のトーンがいつもよりも高いクローディアさんだった。
……クローディアさんってこういうタイプを冷たい目で見るタイプだと思っていたけど。
「え?サイン?僕の?」
「はい!」
「いやでも……」
「このハンカチにお願いします!」
クローディアさんはポケットからペンと一回も使われてなさそうな布製の白色ハンカチを取り出し、ブラウンさまに渡そうとする。
ブラウン様は勢いが凄いためかたじろぎながら皇帝陛下の方を見た。
え?もしかして、わざわざサイン用のハンカチとペンを用意していたのか?
錬金術とかでハンカチを今この場で作ったわけでもないだろうし……。
「ほら、書いてやれよ。こんなに可愛い女の子がねだってるんだから」
「陛下がそうおっしゃるのであれば……」
ブラウン様は慣れない様子で、クローディアさんの渡したハンカチにサインを書いた。
そして、そのハンカチをクローディアさんに返す。
スキップでもしそうな勢いのクローディアさんは俺と目が合うと時が止まり、動き出すとこっちに向かってきた。
「……なによ」
「いえ、別に」
「……言っとくけど、トニーさまは六天将の中でも最強とうたわれている方なんだからね」
「へえ、そうなんですね」
「何その興味のなさそうな言い方……。むしろなんであんたは何も用意してないのよ!こんなチャンスめったにないんだから!」
「……すいません」
「分かればいいのよ、分かれば」
クローディアさんはうんうんと頷くとブラウン様の所に行き、どうやってそんなに強くなったんですかとか、いつもどんな修行をしているんですかと質問攻めをしていた。
……なんで俺が謝らされているんだろうか。
質問の内容的に有名人だからサインをもらっているというわけじゃなくて、尊敬できる相手だからああいうテンションなんだろうな。
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