詩織と両親と由香里
「行ってきます」
玄関から少々小さ目な沙織の声が聞こえてくる。
「まったく沙織は、何時まで経っても根暗なままだ。だから陰湿なイジメなんてするのだろうな」
「本当よ。それに引き換え詩織は偉かったわね。沙織のイジメに耐えてここまで明るくできるのだから、素晴らしいわよ」
「ウフフ、お父さん、お母さん、ありがとう!クラスでも友達が沢山いるから、修学旅行、楽しみなんだ」
かなり歪んでいる高岡家。
そもそも今の状態が劣悪なイジメに他ならないのだが、両親を始めとして、その事実に気が付いている者はいない。
いや、諸悪の根源である詩織は気が付いているのかもしれないが、修正する気は更々ない。
高岡家がこのような状態になってしまったのは詩織の態度にある。
詩織と共に産まれた双子の姉である沙織。
幼い頃から愛らしい二人は、周囲からも暖かい目で見守りたくなるほどの存在だった。
しかし、元来の性格は小さな頃から出始めていたようで、沙織は大人しく、詩織は活発だったのだ。
そんな中で起きた小さな出来事。
小さい子にはよくある玩具のトラブルだ。
両親の目の届かない所で遊んでいた二人だが、詩織が沙織の玩具を奪ったのだ。
もちろん沙織は控えめに詩織に対して玩具を返すように、未だ覚束ない言葉で告げるのだが、詩織は泣き叫ぶだけ。
その叫びを聞きつけた母親は、二人に事情を聴く。
この時の対応が違っていれば、詩織がここまで歪む事は無かったのかもしれない。
「二人とも、どうしたのかしら?」
優しく話しかける母親に対し、既にスラスラと話せるようになっていた詩織は泣きながらも事情を告げる。
「お姉ちゃんが玩具を返せって言うの。私が使っているのに」
子供らしい説明で、ある意味嘘は言っていない。
「沙織、お姉ちゃんなんだから、妹には優しくしなくちゃダメよ?」
何故か玩具を奪われて、優しく返してとお願いしているだけの沙織が悪い事になっているのだ。
この事がきっかけで、まだ幼い詩織は悪意と言う物を覚えてしまったのだ。
そこから徐々に成長する度に、詩織の悪意は増幅して行った。
最終的には、なぜか学校や家でも沙織からイジメを受けていると両親に訴えたのだ。
それも涙ながらの迫真の演技で……
「でも、お姉ちゃんには言わないで。私が言ったとわかったら、もっとひどい事をしてくるに違いないから!」
更には事実を覆い隠すような付属の言葉も忘れない。
ここで両親は沙織に対する態度を徐々に硬化させていってしまったのだ。
少なくともこの時点で沙織に話を聞いていれば、事実無根である事位は大人であれば理解できたはずなのだが、愛らしく活発な詩織の涙ながらの訴えによって、その目は大きく曇らされていたのだ。
そこからは速かった。
幼いながら、両親の態度が変わった事を理解している沙織は、大人しいながらも必死で明るく両親や詩織と接するようにしていたのだが、全て跳ね返されてきたのだ。
こうして更に内向的になっていく沙織。
弁明の場は与えられずに、時折真実を話しても、厳しく叱責されるだけになっていた。
更には、両親と接する時間の長い詩織の意見だけが信じられていく悪循環に陥っていた。
こうなると、本当に自分が沙織からイジメられていた上で、そこから立ち直ったと信じ始めてしまう詩織。
学校でも、嘘で塗り固められた沙織の噂を自ら流し、孤立させていった。
高校受験になると、沙織は少々遠い学校に通いたいと両親に告げていた。
沙織としては、詩織と離れて新たに高校生活を送りたいと言う希望があったのだ。
だがその程度は見越していた詩織。逃がすまいと両親にそっと告げ口する。それも事実無根の話を……
「お姉ちゃんは、学校での悪事をなかった事にして遠くに行きたいって言っているだけ。反省させるには、お姉ちゃんの事を知っている人が沢山いる近くの高校に行かせるべきよ」
と、こうして詩織と同じ高校に通う事になったのだ。
だが、詩織の想定外の事が起きた。
それは、中学卒業時に遠くから越してきた由香里の存在。
クラスのほとんどが顔見知りである中で、由香里だけは誰も知らない状態だったため、一人ポツンとしている沙織に自ら話しかけていたのだ。
そしてあっという間に仲良くなる二人。
当然詩織としては面白くなく、詩織の嘘の話を信じ込んでいる中学から顔見知りのクラスの殆ども苦い表情をしている。
そんな視線を感じつつも、沙織は初めてできた友人との学校生活に楽しさを覚えていたのだ。
ところがある朝、いつものように由香里に挨拶をすると、睨むような目で見られて突然の決別を告げられた。
「ねえあなた、妹である詩織にしてきた事、反省していないの?」
「えっ?」
当然沙織は反省するような事は一切していない。
詩織が何か悪意ある事を言っている事は知っているのだが、誰とも話す事の出来ない沙織は、その内容すら把握できていなかったのだ。
「まさかあなたがそこまで腐った人だとは思わなかったわ。もう二度と話しかけないで。私はこれから詩織と仲良くする事にしたから」
唖然とする沙織を一瞥すると、由香里はそのまま踵を返す。
その向かう先は、にやけながら沙織を見ている詩織の元だ。
ここで全てを悟った沙織は、更に心を閉ざしてしまう。
どうせ誰からも話しかけられる事は無く、話しかけても無視される。
初めてできた友人さえも詩織の嘘を信じ、真実を確認する事すらせずに自分を切り捨てたのだから仕方がない。
由香里としても、クラス中が詩織の言っている事を肯定しているので信じてしまったのもあるが、短い時間ではあるが、沙織との付き合いの仲で沙織の性格はある程度把握できていたはずだ。
そうなると、詩織の話に少々どころか、かなりの違和感があったはずなのだが……実は止めは教師が刺していたのだ。
そう、詩織はこのクラスの担任である愛子を巻き込んだのだ。
この愛子、クラスの頂点に位置している詩織の言う事は全て信じると言う、教師にあるまじき性格をしていた。
所謂事なかれ主義なのだろうか?
そんな事から、短い間であるが、学校での楽しさを感じる事が出来ていた沙織の学生生活は、再び悪化して行ったのだ。