高岡 沙織
「はぁ~、皆、明日は修学旅行だよ。行きたくないけど……詩織がいるからどうせ強引に連れ出されるし。憂鬱だよ」
普通は楽しみになってもおかしくない高校二年生の修学旅行を前にして、少し沈んだ声で目の前に並ぶ三体のぬいぐるみに話しかけているのは高岡沙織。
沙織には、呟きの中に出てきた詩織と言う双子の妹がおり、最近の少子化によって一クラスしかない高校に通っているので、同じクラスになっている。
仲が良い姉妹であればこのような沙織のセリフは出てこない。
なぜこれほど沙織が憂鬱になっているかと言うと、学校のみならず、家でも詩織からの攻撃を受けているからだ。
何故か双子であるが、あまり顔は似ていないこの二人。
どちらも美人と言える部類に入っているのは間違いないが、活発なイメージのある妹の詩織と、大人しいイメージのある沙織だ。
両親は活発な詩織だけを可愛がり、沙織に関しては所謂放置子状態になっていたため、沙織は自己主張をする事が無くなって行き、より、大人しいと言うイメージが定着してしまっていた。
どれ程沙織が良い子でいようが、どれ程沙織がテストで良い点を取ろうが、一切の興味を示してくれない両親に対して、何かを期待する事を諦めたのだ。
両親は双子の妹と同じ学校に通わせている以上、衣食住に関して完全に保証しており、流石に外聞を気にしたのかもしれない。
しかしそれだけだ。
過去に何かを欲した事があっても、買い与えられるのはなぜかいつも妹の詩織。
その後、詩織が沙織の前でさんざん使い潰した後にお下がりとして貰う他なかったのだ。
そんな沙織が目覚めた唯一の趣味は裁縫。
流石に裁縫セットは学校で使用するため、両親は何も言わずに準備をしてくれた。
当然妹の詩織の道具はランクが上の高級品、沙織は一番安い物であったのだが……
もちろんお小遣い等は詩織と違い貰えるはずもなく、高校に入った沙織はアルバイトをしつつも、将来を見越して勉強、更には最近自分の食事だけ明らかに手抜きになっているので、自ら料理も勉強していたのだ。
どうせ学校に行っても話しをしてくれる友人はいない。
いや、少し前までは由香里と言う友人がいたのだが、詩織に奪われた形になっている。
友人を奪うと言う表現はどうかと思わなくもないが、実際に強引に奪われ、今では妹である詩織の大親友、つまり沙織を嫌忌する人物の一人となっていたのだ。
そんな状態で、クラス全員と行動を数日共にする修学旅行など行きたがる強者はそうはいないだろう。
見かけ通り大人し目の沙織にとっては猶更だ。
「具合が悪いと言っても信じて貰えないだろうし、どうしようか……亀吉、君に守ってもらおうかな?鳥坊、君と一緒なら空から良い眺めが見られるかな?犬助、君に包まれてみたいな……」
叶うはずのない願望を、目の前の自作のぬいぐるみ三体に沈んだ表情で告げる沙織。
当然三体のぬいぐるみは表情一つ変える事は無い。
最近の沙織はアルバイトで得たお金を貯金しつつも、この三体のぬいぐるみを作るための材料を購入し、せっせと裁縫道具を駆使して作り込んでいたのだ。
しかし、そう大きな物が作れるわけもなく、三体全てを両手で包み込める程度の大きさだ。
……ガチャ
ノックも無しに突然沙織の部屋の扉が開く。
「あぁ、いたんだ。明日、ちゃんと来なさいよ?せっかく楽しい修学旅行なんだから……って、アハハハ何その不細工なぬいぐるみ。買ってもらえないからって自分で作ったの?みじめだね。そんなんだから、お父さんやお母さん、クラスの誰からも相手にされないんだよ。まぁいいわ。明日から、楽しみましょ?きちんと準備は出来ているみたいだし。もし明日起きてこなかったら、私が起こしてあげるわ」
両親から相手にされない理由は分からないが、クラスから相手にされないのは明らかに妹の詩織に原因がある。
ある事ない事、いや、ない事ない事を吹き込み続けた結果だ。
しかも沙織と違って詩織は明るい雰囲気を曝け出している。
そのせいか、詩織はクラスの頂点に立つのも早かった。
その詩織に実の姉である沙織の悪口を言われては、信じてしまうのは仕方がない部分もあるのかもしれない。
その後、沙織と仲が良かった由香里まで公然と沙織を否定し始めたので、教師を含めて沙織の味方は誰一人として存在しなかったのだ。
当然そんな事はそう仕向けている詩織自身は分かっているのだが、わざわざ沙織を煽りに来ていたのだ。
台風のように突然来て、言いたい事を言って扉を閉めずにその場を去っていく詩織。
日当たりは悪く、狭い部屋の布団の上に座っていた沙織は立ち上がり、そっと扉を閉めて再び布団の上に戻る。
「ごめんね、皆。きちんと作ってあげられなくて。今の私ではこれが精一杯なの……」
優しく三体のぬいぐるみを包み込み、自然と涙が溢れてしまう沙織。
詩織の指摘通りに明日の準備は既に終わっており、布団の横には所狭しと少々大き目のバックが置いてある。
もちろん詩織が持っていた物で、既に使い古されている。
中身も、ほとんど全てが詩織のお古だ。
「皆も明日から一緒に行こうね。私だけだと……我慢できそうにないから」
そう告げると、沙織はそっと鞄の隙間に優しく三体のぬいぐるみを入れて、眠りについた。
「おはようございます」
翌朝、いつもより早めにリビングに行き、決して返ってくる事のない挨拶をする。
「あぁ、沙織、いたんだ。でもきちんと行くつもりなのね。良かったわ。これで楽しい修学旅行になりそう」
詩織の悪意ある言葉に少々息苦しくなるが、これもいつもの事。
椅子に座り、自分だけ少々焦げているパンを口にする。
他と比べて品種が少ないのも、もう慣れている。
どうせこうなる事は分かっているので、アルバイトで得たお金で日持ちする食料を鞄に常に仕込んでいるのだ。
今は修学旅行用の鞄にその食糧を移動してあるので、後で食べようと思っている沙織。
「ごちそうさまでした」
これも返ってくる事のない独り言。
淡々と片付けて、一人部屋に戻って荷物の確認を行う。
今は詩織と両親の所在が明らかなので問題ないと思っているのだが、時折荷物をいじられる事があったからだ。
どうしてそこまで悪意ある行動を取られなくてはならないのかが分からないが、家族に対する信頼は既に無くなっている沙織。
高校卒業後は、この家から出られる場所で奨学金を得つつ大学に通おうと決心している。
つまり、後一年少々の我慢だと言い聞かせて何とか生活しているのだ。
当たり前ではあるが、荷物に何も異常がなかったので、安心して家を出る事にする。
三体のぬいぐるみは、小さい事もあって制服のポケットに忍ばせて共に行動する事にしたのだ。
こうして沙織の修学旅行が始まる、いや、始まってしまう。
二度とこの家に戻る事のない修学旅行になるのだが、沙織にとっては良い事なのかもしれない。