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かつての記憶(仮題)  作者: 山崎退都
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冬のルズ湖にて。

日下田朝生ヒカダ アサオに対する取材。

転移者。戦中、冒険者ギルド「カルーゼ」所属。

 日下田朝生は日の出とともに生まれた。十分に両手が暖められた産婆に抱きかかえられて元気に産声を上げ、立ち会った人たちを安心させた。誕生と日の出に感謝と意味を見出した父親から「朝生」と名付けられて彼の人生が始まった。

 朝生の両親も雪国で生まれ、一年の多くを凍てつく寒さの畑で過ごした。父である敏夫の両手は不出来な彫刻のようにごつごつとしていた。日々の力仕事と手袋を突き抜ける冷気に皮膚が耐えた為だ。母の有美子の両手も女性らしさが影を潜め、肌質からか手先のひび割れに悩まされていた。

 朝生の最も古い記憶は、両親に挟まれて歩いた散歩道の一幕だった。右に敏夫、左に有美子。寡黙を絵に書いたような父。こちらに向かって笑顔で夕飯の献立について話す母。左右の手を握る両親の違うようで同質の手。血肉の通った暖かさ。鼻に感じる泥臭さと布団の中のような匂い。朝だったのか、夜であったのか。夕焼けだったのか、はっきりとしない。けれど朝生は生涯、この一場面を忘れることはなかった。

 付け加えるならば、一度目の走馬灯の中でもひときわ望郷の念を掻き立てたのは、紛れもなくこの一場面であった。

 学校に上がると、朝生はいじめられっ子の立場となった。悪く言えば愚鈍、良く言って愚直な質の子供だった。教育熱心とは言えない父親が息子に伝えたことは数少ない。他人を傷付けるな、女には優しくしろ、裏切りは許されない。集約すれば道徳的であり、敏夫に刻まれて育まれてきた哲学の一片だ。朝生はそれを素直に受け入れた。ただし幼いがゆえに頭で理解したのではなかった。心の底の、やけに強固な骨組みの材料として受け取ったのである。

 田舎の閉鎖性、放任主義、幼稚な暴力。横暴なガキ大将に反発したために朝生のいじめは始まっていた。しかし、それはいじめと呼ぶには可愛らしいものではあったし、どの時代のどんな子どもたちにも共通するような些細なものと言えなくもなかった。じゃれ合い、いがみ合い、仲直り。その繰り返し。幾年か経つと、華奢な身体に父の血が表出し始めた。

 ある熱帯夜の翌日。バランスの崩れたグループのいざこざから朝生は父の教えにも間違いがあるのだと気づくことになった。右手にできた傷が、暴力の後ろめたさ長引かせた。擦り切れた床に鮮やかな血痕。朝生の背後で涙をこらえる少女。彼女と後に夫婦となるとは、彼の想像力の範疇に存在しなかった。


 ――あの戦争ではじめて戦ったのは三十二歳のときでした。それまでは多くの冒険者のひとりとして仲間と集い、仕事をこなしていました。軍隊の一員として戦うことはいままでしたことがありません。規模としてもそうですし、戦う目的がこれまでとはまるっきり違うことが大きかった。それまで生活の為に魔物に立ち向かっていたのが、あそこから全く違うものに変わったように思います。義務感というべきか、イデオロギー的なものです。これは私だけはありません。周りの人たちもそういった変化を感じていたと思います。ただ、私はこの世界では生まれ育っていませんから、そういった考えに対して距離がありました。

 集団的な意識の変化は彼らの中では主流で、大勢が世論の流れの中に疑いなく身を投じていたように見えました。どうしても外野の私はそれには馴染めなくて、でもやっぱり仕事としてはやらなくちゃならない。疑問を持って戦い続けるのは苦しかったです。まだ若かった証拠ですね。なにせ二十九歳の時にやってきた私は、この世界では三歳児です。ずいぶん大きな子どもです。(笑う)

 レストランで戦争だと聞かされた時はなんのことだか、すぐには分かりませんでした。息を切らした男が飛び込んできて、ほとんど叫んでました。もとの世界でも戦争は縁の無いもので、こちらでも人間同士の戦争はしばらくなかったらしく、久々に聞いた単語でした。戦闘と戦争。大違いです。私はポカンとしていました。ただ、なにか良くないことになるって確信だけはありました。

 そこは冒険者の宿を兼ねていて、冒険者は活気が取り柄みたいなものですから一段と騒がしくなりました。戦う前から祝い酒が飛び交ってました。(笑う)もちろん私も飲ませてもらいました。大きな仕事が舞い込んだって張り切っている人がほとんどです。戦争の何たるかを知らなかった私たちは、いまからすれば呑気で純粋でした。だからこそ、生き残ったのだ、とも考えないわけじゃあないですがね。

 それから戦いに参加するまでは半年ぐらいかかりました。所属していたギルド「カルーゼ」と軍の交渉が長引いたようで、気づけば夏が冬になっていました。ギルド長のマクミルは守銭奴だって陰口を叩かれてましたが、個人的には冒険者の報酬を増やしたかったんだと思います。戦争ですから、いつもの仕事とは違って帰ってこられない者が多く出てくることを見越していたんです。どうしても家族を残して出ていくことになりますから。事実、弔慰金は他のギルドよりも多かった。でも守銭奴ってところは否定しません。戦争が終わった後、カルーゼの建物がどこよりも立派なものに建て替わったことに驚いた人は少ないでしょう。

 戦争に行けるようになるまでは鍛錬やクエストを受けて過ごしていました。ほかのギルドは早々に戦地に行ってしまいましたから、仕事にありつけたってわけです。とはいっても魔物も減っていたので大儲けはできなかった。不思議とバランスが取れていたんです。街に滞在するパーティの数もどんどん減っていきました。

 交渉がまとまってから軍隊を間近で見て、初めて組織というものを意識しました。統制と指揮系統がしっかりした軍というものになじみが無かったので、初めの方は物珍しさが勝っていました。彼らに比べれば冒険者ギルドは放蕩者のあつまりに思えましたね。ご存じのとおり、私達は軍隊のような縦割りの組織ではありません。リーダー格の者はいましたが、大まかな持ち場や作戦を伝えてあとは各自のパーティーに任せっきり。必要最低限の規律さえ守って、戦って戦果を出せばそれで十分だと。

 軍の中にも当然腕利きの人たちがいて、これには驚きました。これまで冒険者同士の付き合いしかなかったので、魔法使いがこんなにいるならいつもの苦労はなんだったんだろうって。はっきり言って冒険者ギルドが参戦しなくても十分と言える戦力があるように見えました。とはいえ、勢い任せの若者たちを兵隊にするよりはマシだろうって考えた人がいたんでしょうね。訓練をするのにも装備を整えるにも、お金と時間が必要です。その点、冒険者なら戦い方を知っているし大半の装備は自前です。だから、いわば傭兵のようなものでした。

 シュターの大草原を皮切りに、エイゲン渓谷、ルズ湖、ダクル高地。他にも各地で戦い続けました。いまの妻との馴れ初めは冬のルズ湖でした。とても寒くて行軍のときは誰もかれもが服で作った雪だるまみたいになっていました。

私の故郷は雪国だったので懐かしさも当然あったと思います。残してきた妻のことは忘れるようにしていたんですが。そのことが辛くて戦いでは随分無茶をしてしまいました。死ぬならここしかないって気持ちでした。私が突っ込んで敵を蹴散らしてなにもかも終わりにしてやるって気分でした。剣士が一人で突撃しても無駄死にするだけですが、そんな私を見かねて仲間が援護してくれました。幸運も味方して、結局私は死なずに済みました。腹を切られて病院に送られましたが一命を取り留め、しばらくは戦場から遠ざかることになりました。当時の仲間たちには感謝しかありません。

 病院は冒険者以外にも傷ついた兵隊たちでごった返していました。腕や足がない人ばかりで、病床が足りずに床や中庭で寝かされている人も多くいました。冒険者は兵隊たちとは扱いが異なり、少なくともベッドは与えられていました。私よりも随分若い兵士が苦しんでいる声を四六時中聞くのはつらかったです。

 そんな折に私を見舞ってくれたのが彼女でした。彼女は補給部隊にいて、物資の管理と記録をやっていました。それまで幾つかの戦線で一緒になっていて、顔見知り程度ではありました。ふと目を覚ました時に、なぜか彼女がすぐそばで泣いていて「なんで泣いてるんだ」って聞くと「生きてて嬉しいからだ」って答えるんです。一生忘れないでしょうね。これがきっかけで結婚することになりました。

 復帰したときは、まず仲間たちに謝りました。自分を見失っていたこともですが、その時の戦いで我々は結果的に大きな戦果を挙げていて、それが私の功績だってことになっていたからです。勇敢な英雄が身ひとつで突撃したんだって。そんなことは嘘だって広報部に言いに行ったんですが取り合ってもらえませんでした。すでに事実として伝わり始めていて、冒険者ギルド所属の人間としては珍しく、表彰までされました。みんなで戦ったはずなのに、メダルは私にだけしか貰えませんでした。それが心苦しくて、表彰されたときはどんな顔をしてよいのか分かりませんでした。たぶん変な顔をしてたからでしょうが、兵士に交じって並ぶギルドの面々はにやにや笑ってましたね。あとになって仲間たちは酒一杯でチャラにしてやる、なんて言ってくれて翌日私は財布を空っぽにしました。戦いはしばらく続いて、前線を移動する際にあらためて見たルズ湖はとても神秘的でした。

 ――あそこに飾られているのがそのメダルですか?

 そうです。ちっぽけなものです。当時は複雑な気持ちで持ち続けてましたが、いまとなっては良くも悪くも思い出の品の一つです。10年近く戦争して、手に入れた勲章はこれだけです。もちろん報酬も貰っていますが、私たち冒険者のこういった品物は少ないでしょう。私以外に正式に表彰を受けた人間は数えるほどしかいないはずです。

 思い返せばあのルズ湖が私の転換点でした。あのあと妻と婚約し、戦争中は形だけの夫婦でした。私も彼女も、いつ死ぬか分かりませんでしたから。なにもかもが終わったら、式を挙げようって話し合っていました。それから私は生きるために戦うようになりました。生き残るためです。もともと死ぬつもりなんてなかったですが、仲間に対しても死なないでほしいという気持ちが強くなりました。

 それと……魔物に対してもです。不思議に思われるかもしれませんが、長く戦い続けているといろんなことが起こります。ある時、敵の将校クラスの魔物が捕虜となりました。ゴブリンだったので魔人というべきでしょう。背が高くて、一見してはゴブリンには見えません。彼は言葉を話せて、かなり知的に見えました。こちらの軍隊のお偉いさんよりかは話が通じそうな雰囲気もありましたね。その時は前線の近くで捕虜交換の交渉があったので、私は護衛のひとりとして彼についていました。わざわざ護衛なんかつけたりするなんて大げさに思えますが当時はよくありました。報復として捕虜を手荒に扱ったり、事故を装ったりして殺したり。私はそういった輩から彼を守る立場にいました。当然、前線なのでなにが起こるか分かりませんから、いざというときは盾になれってわけです。

 捕虜将校たちの世話をする兵士が何人かいて、その中にアーサーって男がいました。まだ二十歳になったぐらいの少年で、目が悪く、生真面目でした。将校には部屋があてがわれていて、いつも夕食は彼が運んできます。前線にしては豪華なもので、と言っても鶏肉のシチューと白パンです。兵士たちは豆とクズ野菜のシチューにパンらしきものを食べていたので、豪華に見えたんです。ある日、いつものようにアーサーがトレイを運んできて、部屋を出ようとしたとき将校が「一緒に食べないか」って言ったんです。アーサーは見るからに迷っていました。将校とはいえ魔物で、彼は敵です。しかしながら食事の誘惑も強かった。私はその光景を部屋の外から見てしまいました。うろたえるアーサーがこちらを見返すので頷いてやりました。それから私は厨房へ行って「今夜はアーサーの代わりに私が食事を運ぶ」って言って、もう一食分手に入れました。担当官は怪訝な顔をしてましたがタバコを差し出して見逃してもらいました。戻る途中で個人的に隠していた葡萄酒をひっぱり出してきて、部屋に入りました。アーサーは椅子から飛び上がって私に向かって敬礼をしました。あんなに見事な敬礼は見たことないです。(笑う)テーブルに料理を置いて、椅子を持ってきて、三人で食卓を囲みました。アーサーが水をこぼしていたので私が持ってきた酒を注ぐと将校はまじまじと眺めて、私たちはささやかに乾杯をしました。シチューとパンを分け合いながら、家族や故郷の話をしました。

 そこでわずかにですが、私はいままで戦ってきた相手について知りました。これまでは冒険者として魔物をたくさん殺してきました。言い訳がましいかもしれませんが、私にはそれしか生きる方法が無かった。魔物と言っても野生動物の一種で、言葉の通じる魔人に出会ったのも彼が初めてでした。それまでに前線で相対していたかもしれませんが、そんなことに気づく余裕はありませんでした。

 この戦争も仕事の延長線。国の為だの家族を守るの為だのといった考えのもとに参戦している兵士も多くいましたが、私はそうではなかった。けれどやってきたことは兵士と変わりません。ただの戦いと殺しです。後悔が無いと言い切れませんが、少なくとも生きるためには必要なことでした。彼の言葉を聞くうちに、私の信念は揺るぎました。

 家族のこと、部下のこと、戦友のこと。思いもかけない個人的なことを私も彼もアーサーも、打ち明けていました。彼は最後に我々には馴染みのない故郷の歌を静かに歌って、私達の晩餐は終わりました。戦後に彼を見かけことがあります。終戦の調停式の一員の中にたしかに彼がいました。私が思っていた上に位が高かったようです。

 終戦の知らせは行軍中に届きました。空に何百っていう手紙鳥が飛んでいて、幾つか拾ってみると終戦が決定した、と書かれていました。「そんなわけない、誰かのいたずらだ」って何人かの将校か言い張って、私も信じていいのか分からず、戸惑いました。結局、宙ぶらりんの気持ちで、そのまま補給のための街に向かいました。

 街はもうお祭り騒ぎでした。そこかしこで知らない人同士が抱き合って、おめでとうと言いあってました。その光景を見ただけで、ああ本当に戦争が終わったんだってみんなが信じました。街にはゲートがあって、情報がいち早く伝わっていたんです。だから他の街に知らせようってことで手紙を書いて飛ばしてくれていたギルドがあったんです。あまりにも急いでたものですからギルドの証印を押し忘れたってわけです。みんな嬉しくて気づかなかった。

 広場では街のギルドが隠し持っていた酒樽を十やそこらを振る舞っていました。どこに隠してたんだって気にする人はいませんでした。酒保からも勝手に酒が出ていたようで、へべれけに歌って踊って、そんな日が三日ほど続いていました。

 二日目に酔っぱらい過ぎた魔法師の何人かが花火式を打ち上げて、それが鐘楼に当たってしまいました。威力の調整がされていなくて、その鐘楼は半壊しちゃいました。運悪くがれきに巻き込まれて下敷きになった商人がいましたが、大事に至らず、回復術師が駆けつけて事なきを得ました。助けられた本人は「おれはついてる!」と言っていて、そのあともケロッとした顔で宴に加わっていました。いまでこそ笑い種ですが、無茶苦茶です。いろんな騒ぎがどさくさに紛れて不問になっていて、そういった事故や事件はこれだけじゃないはずです。

 終戦後に私たちはやっと結婚式を挙げられました。ささやかでしたが十分です。ルズ湖で宿を始めるのも悩みませんでした。生きるための戦いも終わりにしたかったのです。この地に骨をうずめるのも悪くないと思っています。初めて訪れた時と変わらず、ここの湖は神秘的に見えますよ。


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