或る少女の夏休み
このどうしようもない孤独をどこへ捨てようか。
スマホでネットに縋っても、残るのは虚無感だけだと私はもう知っている。
ふらふらと街中に繰り出しても、世界を変える出会いなんてありやしない。
張り裂けそうな胸を引きずって、青春小説を途中から開く。ゆるやかな幸福。初夏の疾走感。かつて心を寄せた主人公の苦悩さえ、どこか異質に見えて耐えられなかった。
顔を洗った。鏡に映る酷い顔の自分がいる。鏡を殴る勇気もなくて、伸びすぎた前髪が鬱陶しくて、ため息を一つ。
幸福なんて求めないし、わからない。私が満たしたいのは、この指を震わす人恋しさだけ。
きみの笑顔が見られたら。きみの近くに居られたら。
夢想する百パーセントの相手はいつか陽炎に消えて、義憶はいずれ痛みに変わる。
そこには優しい嘘なんてないし、物語もない。単なる日常。独り灰色に流れる、無機質な日常だ。
隣の部屋から笑い声が聞こえた。
うるさいよ。呟いた声が、自分の声だとしばらく気づかなかった。
逆に安心するほど、無感情な声。まるで、機械の声みたいな。
初めて気づいた。無機質な声は、孤独を少しだけ和らげてくれる。リアルで本物の、優しい声よりも、ずっと。
夕焼け小焼けに日が暮れる。胸焼け吐き気で目が覚める。
昼過ぎに目を覚ましてもまだ私は私のままで、自分以外の世界だけが先へ先へと進んでいるようで。
怖いというより、やはりそれは寂寥に似ている。
冷蔵庫の水をラッパ飲みして、こぼした水でTシャツを濡らして、貯めっぱなしの浴槽へ頭を突っ込んだ。冷たくなっている。少しだけ気持ちいい。
なかなか乾かない髪に諦めをつけ、バイトに向かう。満員電車の中、隣の乗客に肩が触れたのさえうれしく思う自分が情けなくて、目的地の一つ前で降りてしまった。
バックから通知音が聞こえる。期待せずにスマホを見たら、ニュース更新のお知らせだった。期待してなかったから、心にダメージはない。ダメージは、ない。
人のいない河原を歩いていく。おもむろに石を拾って、川へ投げ込んだ。少し楽しくて、もう一つ。少し悲しくて、もう一つ。最後についでに、スマホも思いっきり投げてやった。少しだけすっきりした。
靴擦れが痛かったから靴を脱ぐ。靴なしで歩くのはもっと痛かったから、また履いた。道端の野良猫が、つまらなそうにこっちを見ていた。
家に帰って、パソコンを開く。
こんな文章、なんの意味もない。
こんな感情、なんの価値もない。
こんな自分、まるで生きてない?
えぇそうです。私は透明人間です。だれからも見られたくなくて、だけどずっと私だけ見ててほしくて、どうしていいかわからずに部屋の隅でずっと泣いている。いや、涙は出ないな。嘘ついた。
涙を出すのは、美しい悲しみだ。満ち足りた悲しみと言ってもいい。そこには気づかなくても驕りがあって、誇りがあって、どこか自分に酔っている。どこか世界とつながっている。
親から捨てられた赤子は、いずれ泣くのをやめる。
無価値なことはすべきじゃない。無意味なことはすべきじゃない。全部、世界が教えてくれた。全部、あなたが教えてくれた。
涙は自分の心が悲しんでいることを確認するツールだ。儀礼だ。遊びだ。世界から嫌われた人間は、それを使うことさえ許されていない。許されていない気がして、泣けない。
空腹を忘れた腹に食パンを詰め込む。水分がなくて、水道水を口に含んだ。カルキの匂いが鼻についたから、チョコレートも一枚口に放りこんでおく。
夜の匂いを感じて、おもむろにカーテンを開ける。
星は見えない。すべては都会の光に隠されている。だれかがすべてを隠している。
花火が上がった。くぐもった破裂音と微かな空気の振動。建物の隙間に見える小金の花。しだれ柳は、まばたきの間に消えていった。
やきそばのソースの匂い、りんご飴の甘ったるい匂い。
はしゃぐ子供の声、響く客寄せの声。喧騒。
脳裏に感じたそれらはやはり懐かしくて、いつかの記憶が呼び覚まされそうだから嫌いだ。やはり、夏は嫌いだ。
だけど、夏休みはまだ続く。残念だけど、あとしばらくは。
私の声なんて無視して、少しだけ意地悪に笑ってから、のろのろと歩みを進めていくのだろう。
そして、気づいたときにはもうどこにもいない。
きっと今年は、「あぁやっと終わった」。そう思える夏にできるはずだ。
空砲が鳴る。