表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

或る少女の夏休み

作者: 日乃本 奏多

 このどうしようもない孤独をどこへ捨てようか。


 スマホでネットに縋っても、残るのは虚無感だけだと私はもう知っている。

 ふらふらと街中に繰り出しても、世界を変える出会いなんてありやしない。


 張り裂けそうな胸を引きずって、青春小説を途中から開く。ゆるやかな幸福。初夏の疾走感。かつて心を寄せた主人公の苦悩さえ、どこか異質に見えて耐えられなかった。


 顔を洗った。鏡に映る酷い顔の自分がいる。鏡を殴る勇気もなくて、伸びすぎた前髪が鬱陶しくて、ため息を一つ。


 幸福なんて求めないし、わからない。私が満たしたいのは、この指を震わす人恋しさだけ。


 きみの笑顔が見られたら。きみの近くに居られたら。


 夢想する百パーセントの相手はいつか陽炎に消えて、義憶はいずれ痛みに変わる。

 そこには優しい嘘なんてないし、物語もない。単なる日常。独り灰色に流れる、無機質な日常だ。


 隣の部屋から笑い声が聞こえた。


 うるさいよ。呟いた声が、自分の声だとしばらく気づかなかった。

 逆に安心するほど、無感情な声。まるで、機械の声みたいな。


 初めて気づいた。無機質な声は、孤独を少しだけ和らげてくれる。リアルで本物の、優しい声よりも、ずっと。


 夕焼け小焼けに日が暮れる。胸焼け吐き気で目が覚める。


 昼過ぎに目を覚ましてもまだ私は私のままで、自分以外の世界だけが先へ先へと進んでいるようで。

 怖いというより、やはりそれは寂寥に似ている。


 冷蔵庫の水をラッパ飲みして、こぼした水でTシャツを濡らして、貯めっぱなしの浴槽へ頭を突っ込んだ。冷たくなっている。少しだけ気持ちいい。


 なかなか乾かない髪に諦めをつけ、バイトに向かう。満員電車の中、隣の乗客に肩が触れたのさえうれしく思う自分が情けなくて、目的地の一つ前で降りてしまった。


 バックから通知音が聞こえる。期待せずにスマホを見たら、ニュース更新のお知らせだった。期待してなかったから、心にダメージはない。ダメージは、ない。


 人のいない河原を歩いていく。おもむろに石を拾って、川へ投げ込んだ。少し楽しくて、もう一つ。少し悲しくて、もう一つ。最後についでに、スマホも思いっきり投げてやった。少しだけすっきりした。


 靴擦れが痛かったから靴を脱ぐ。靴なしで歩くのはもっと痛かったから、また履いた。道端の野良猫が、つまらなそうにこっちを見ていた。


 家に帰って、パソコンを開く。


 こんな文章、なんの意味もない。

 こんな感情、なんの価値もない。

 こんな自分、まるで生きてない?


 えぇそうです。私は透明人間です。だれからも見られたくなくて、だけどずっと私だけ見ててほしくて、どうしていいかわからずに部屋の隅でずっと泣いている。いや、涙は出ないな。嘘ついた。


 涙を出すのは、美しい悲しみだ。満ち足りた悲しみと言ってもいい。そこには気づかなくても驕りがあって、誇りがあって、どこか自分に酔っている。どこか世界とつながっている。


 親から捨てられた赤子は、いずれ泣くのをやめる。

 無価値なことはすべきじゃない。無意味なことはすべきじゃない。全部、世界が教えてくれた。全部、あなたが教えてくれた。


 涙は自分の心が悲しんでいることを確認するツールだ。儀礼だ。遊びだ。世界から嫌われた人間は、それを使うことさえ許されていない。許されていない気がして、泣けない。


 空腹を忘れた腹に食パンを詰め込む。水分がなくて、水道水を口に含んだ。カルキの匂いが鼻についたから、チョコレートも一枚口に放りこんでおく。


 夜の匂いを感じて、おもむろにカーテンを開ける。

 星は見えない。すべては都会の光に隠されている。だれかがすべてを隠している。


 花火が上がった。くぐもった破裂音と微かな空気の振動。建物の隙間に見える小金の花。しだれ柳は、まばたきの間に消えていった。


 やきそばのソースの匂い、りんご飴の甘ったるい匂い。

 はしゃぐ子供の声、響く客寄せの声。喧騒。


 脳裏に感じたそれらはやはり懐かしくて、いつかの記憶が呼び覚まされそうだから嫌いだ。やはり、夏は嫌いだ。


 だけど、夏休みはまだ続く。残念だけど、あとしばらくは。

 私の声なんて無視して、少しだけ意地悪に笑ってから、のろのろと歩みを進めていくのだろう。


 そして、気づいたときにはもうどこにもいない。


 きっと今年は、「あぁやっと終わった」。そう思える夏にできるはずだ。


 空砲が鳴る。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ