第 ⅤⅠ 話 偽りの君がいるだけで
この物語はただの創成物語である。
気付いたら夜になっていた。
あれから何時間経ったかは知らないが、私が目覚めた時に視界に入ってきたのは黒に染まる綺麗な夜空だった。
だが、一方で異変に気付く。
何故か明るい。
その正体が焚き火であることは直ぐに分かったが、しかし、そうだとしても別の疑問が残る。
この火は誰がおこしたのか──。
確か私は龍との戦いの末に、その場に倒れ気を失ってしまったはずで、その間1回も目覚めた記憶はない。
かと言って、あの場に誰かがいたのなら、もっと気づいてもいいはずだ。寧ろ、誰でもいい「人」を求めていた私にとって、あの時人の気配に気づかないことはそうないだろう。瓦礫の崩落音でさえ、人がいると思えた程なのだ。
そんなことを考えていると、スタスタと横から足音が聞こえてきた。
恐らく私を介抱し、この焚き火を灯した人物のものだろうと思いながら、誰だろうかと目を凝らす。
暗闇でシルエットが黒に溶け込んでいる人影が、徐々にその輪郭を露わにし、目に映る。
そして、私の知っている声でこう話しかけた。
「やっと起きたんだね……良かった……」
そこには、腕いっぱいに木の枝と木の実を抱え込んだ、マナベル=レーブルクの姿があつた。
■ ■ ■
彼女はあれから、自宅に辿り着いた。
私の家から近い、町では有名な屋敷だ。町外れにあるからか、辿り着いた時にはまだ龍の魔の手はまだ及んでいなかった様で、町の被害を聞きつけた執事たちが、大慌てで家財をまとめあげ、運び出しているところだったという。
「ベル! 良かった、無事で」
そう呼ぶのはベルの両親だった。
2人を見つけると、彼女は父親の胸に飛び込む。
だが、そんな安心の時も直ぐに消し飛んだ。
ドゴォン!
龍の攻撃で屋根が吹き飛んだのだ。
「お前たちは先に逃げなさい!」
そういうと、彼女の父親は戦闘態勢に入ったという。
その様子を見てベルは母親と裏口から逃げようとするが……
「先に行きなさい!」
「お母様……」
「いいから、貴方だけでも助かるのよ!」
母親も父親の傍らに付き添い、同じく戦闘態勢に入ったという。
それに対して彼女は少し思い悩むも、意を決して裏口へ向かった。
彼女の屋敷の裏には彼女の親が所有している山があり、裏口はそこへと直結している。
彼女は振り向かなかった。
生い茂る木々を掻い潜り、徐々に闇が深くなる山の中に必死の思いで彼女は逃げ込んだ。
しかし、あれから数時間、やはり町の様子が気になって仕方なかった彼女は町に戻ることを決意したという。
親が助けてくれた生命ではあるが、それよりも心配が勝ってしまったようだ。
急いで山を駆け下りた。
だが、町に近づくにつれ、焼け焦げた香りと、火の手が及んだ焦げた木々が、町の様子を警告するように増していく。
そして、広がっていたのは、当然跡形もない町の惨状だったという。
私も彼女の屋敷に赴いてはいたのだが、どうやらすれ違いだったようで、彼女も屋敷に来ていたという。その光景に言葉も出なかったらしい。
そして、しばらく町を彷徨ったようだ。
すると聞こえた、耳を劈く爆発音──私の聞いたものと同じだろう。
そして、そこへ向かったところ、凍りついた1体の龍と倒れ込んだ私を見つけた──。
■ ■ ■
あれからどうやら介抱してくれたようだ。
傷のあったところを触れると、布が巻いてあり、止血されている。
回復系統の魔法によって、傷口の回復が進んでおり、もう薄皮が張っているようである。
だが、骨折や筋肉の疲労は未だに治っておらず、上半身を起こそうとすると身体に激痛が走る。
「痛っ!」
「ちょっと、ダメだよ。まだ治った訳じゃあないんだから……」
ベルに寝ているようにと促されたが、いつまでも寝ている訳にもいかないので、彼女の手借りて身体を起こした。
自分の脚が視界に入る。脚の骨折の方も気づいたようで、木の枝と服の布で応急処置をしてくれていた。
今、色々と起きていることに私が少し戸惑っていると、ベルが見かねて尋ねてきた。
「あの氷漬けの龍って……君がやったんだよね?」
あの氷漬けの龍──ああ、あの時の赤い龍か……。
だが生憎、あの時少しの間意識が飛んでしまった私には何が起きたか説明出来なかった。しかし、少なくとも自分ではないのは確かだ。あんな高精度の魔法は自分には放てない。
彼女にもそれを告げる。
だが、彼女から言われた次の台詞に私は驚愕した。
「でも、キミの『マナ』もう殆ど残ってなかったじゃあないの」
「えっ……!?」
『マナ』は体内に存在する、ある程度の事象変換能力を持ち合わせた物質だ。魔法を発生させるために必要不可欠な物質であり、体内の血液内に存在している。血液を体外に放出し、マナに『命令』を下すことで魔法が発動する。
そして『マナ』は生命活動においても必要な物質だ。『マナ』が少なくなると意識が朦朧とし、そして生命維持に必要なマナが体内から無くなってしまうと死亡にまで至ってしまう。
だが、あの時の私にはまだ『マナ』が有り余っていたはずだ。流石にマナ不足で倒れ込む程に無茶苦茶に魔法を放っていた訳ではない。
なら、あの魔法は、私が放った……のか。
だが、もしさっきまでの私がマナ不足に陥っていたのであれば、あの時、急激に意識が朦朧として寝込んでいたのにも説明がいく。まあ、緊張の糸が切れたというのもあるだろうが、その線もあるだろう。
──いや、その前に不可解だ。
なら、今の私がこうやって意識を保てているのはどうしてなのか。
その答えは、ベルを考慮すれば直ぐに分かることだった。
「……もしかして、ベル、君、私に対して"神の恩恵"を……」
それぞれ属性があり、『炎』『水』『土』『雷』『光』『闇』『無』『陽』『陰』の九大属性があり、そこから更に土の派生『岩』、炎の派生『爆発』などの派生魔法がある。私の放った『氷』の属性魔法というのもこの『水』の派生魔法である。
普通は『マナ』の補充を行うには体外から取り入れる必要があり、自分で精製することは出来ない。マナを含む植物、生物からの経口摂取からか、他者からの譲渡でないと、体内のマナを増やすことが出来ないらしく、更にその取り入れるマナの属性が自身の持つマナの属性と同じでなければ高確率で拒絶反応が起きてしまう。
今回であれば私のマナの補充は、私の持っている『水属性マナ』でなればいけなく、一方でベルの持っているマナは『雷属性マナ』、『陽属性マナ』であり、私に分け与えることは出来ない。寝ている私では経口摂取も難しく、私のマナの補充はほぼ不可能なはずなのだ。
しかし、ベルにはそれを可能にする『神の恩恵』がある。
『神の恩恵』──それは、数十万人に1人の確率で授けられる特殊能力。魔法の類とは違った超能力で、同じ能力は存在しない。まるで神から分け与えられたかのような理屈の通用しない能力なので、神の恩恵と呼ばれている。
彼女が授けられたのは『精製』。
その効果は単純明白、体内に存在するマナを自ら精製できる能力だ。自分だけでなく、触れた相手のマナも精製することができる。
だが、『神の恩恵』というものは完璧な能力ではない。あくまで神の力を借りているようなものであり、その使用には限度や代償といった欠点も存在する。各恩恵にはそれぞれ3つの欠点があるという。
彼女の恩恵にある欠点の1つ目は『時間がかかる』というもの。
この能力は常時から発動しているらしく、その精製スピードは1日で自身のマナ保有量全てであり、簡単に言えば、1人分しか1日に精製できない。他者に行使する時も同じで、数分の能力の行使ではあまり意味を成さないようなのだ。
2つ目は『限度がある』というもの。
どうやら1日に精製できるマナには限度があるらしく、それは自身の所持しているマナの量──マナ保有量以上のマナを精製出来ないという条件が存在している。
一応、本人の成長、マナ保有量の増加によって、精製できるマナも増えていくらしいのだが、マナ保有量の過剰な増加は危険である為、やはりある程度までしか保有は出来ない。他者への行使に対しても、適応されるのは自身のマナの量らしい。
そして3つ目は──
「少し息が荒いじゃあないか、私なんかの為に無理なんてするから……」
「何言ってるのよ……私がいないと、キミが、どうなっていたか……」
『体力を大幅に消費する』というものであった。
この能力、他者に対して能力を行使すると、その代価として異常に疲労が増すらしいのだ。
そして、彼女に近づけば分かる通り、恐らく能力使用から時間が経っているからか多少はマシにはなってると思われるが、それでも少々息が荒い。私の応急処置をしている時はもっと酷かっただろう。
そんな彼女に申し訳ない気持ちが溢れてしまった。
しかし、彼女はそんな私の気持ちなど気にも留めない様子だった。
「そんなことより、何か言うことはないの?」
そんな彼女の台詞に、私は言うべきことを思い出した。
「ありがとう」
「どういたしまして」
つい、いつもの雰囲気で流してしまうところだった。
相変わらず、会話は彼女のペースだが、彼女に救われたのだから仕方ない。いや、これでも足りない程だ。
「うっ……ちょっと、悪い……」
そう言って私は途端に目元を手で押えた。
急に涙が込み上げてきたのだ。
彼女という私と同じ仲間がいた安心感から、緊張と孤独の束縛から解放された気分であった。
とにかく嬉しい。人が近くにいるという当たり前がこれほどまでに安心できるだなんて……。しかも、それが知り合いがいるときたものだから余計に込み上げてくる。
自分の涙を彼女に見られて恥ずかしい気持ちもあったが、それでも涙は止まらなかった。声こそ出さなかったが、私はその後ひとり泣き続けた。
■ ■ ■
暫くして、ようやく涙が止まった。
私は彼女が全く泣いていないことに気付いた。
「君は、泣かないんだな……」
「もう涙なんて乾いちゃった……」
虚ろな目をしていつつも、その目に涙はない。
その姿は何処か力強く、美しさまで感じる。
こうなると、なんか自分がかっこ悪い。
男だからとかというのもあるが、しかしそれを抜きにしても、彼女の方が大人びていて、とても同い歳とは思えないほどだった。
「ベル……君は凄いよ」
「別に凄くはないわよ」
だが、ベルはそれを否定する。
「キミも知ってると思うけど、私は昔から感情が薄い人間なの。激しく怒りを覚えたこともないし、酷く悲しんだことも、心の底から楽しんだことも、はしゃぐほど喜んだこともない──ましてや感情の昂りで泣いたことも無いわ」
そう言われればそうだ。私と彼女は10年以上の付き合いだが、彼女が泣いてる姿、彼女が涙を流して笑っている姿なんて1度も見たことがなかった。そんな姿を見て、私は彼女に劣等感を感じていたのだが……、彼女の方が大人びているというか、私がまだ稚拙だというかそんな劣等感が。
「ただ、それだけよ。でもそれが問題なのよね……父と母ですらこんな私を不気味がってたわ」
私はそんな彼女に憧れというものを抱いていた為に、あまり気にしていなかったが、よくよく考えれば人間として、確かに不気味かもしれない。考えが読めない、ミステリアスな人物──多くの人にはそう見えるだろう。
「だから、嘘をついた」
「自分を偽って、笑ってみせた。自分を偽って、悲しんでみせた。そうやってキミたちと関わってきた。演技でなんとか誤魔化してきたのよ」
彼女とは学校に通う前からの付き合いではあるが、学校に通うようになってからの彼女は明らかに変わっていた。それまでは少し暗めの人物だったのだが、学校に通いだしてから、少し感情豊かになった時の違和感は今でも覚えている。
そして、それを内心では理解もしていた。恐らく、彼女は『変わりたかった』のだろうと。事実、変わった。偽りではあったが、ミステリアスな雰囲気は影を潜め、以前の彼女はあまり見られなくなってしまった。そんな変わり様に周りは、これで良かったと思っていた。だが、彼女はそうではなかったようだ。
「こんな偽りなんて、何の価値もないのよ」
俯くベル。自信なさげな顔立ち。
普通ならここは声をかけるべきではないのかもしれない。
だが、私はそんな彼女に奥底から沸き立つものがあった。
「そんな事ないっ!」
唐突な私の叫びに驚いたように彼女はこちらを見やった。
「現に今、私は君がいるだけで満足だ。君がいてくれるだけで嬉しい、私は心の底からそう思っている」
確かに彼女の言う通りかもしれない。
だが────
「『偽り』だっていいじゃあないか。例え君がそうでなくとも、私はそうは思えなかった。そして、今もその気持ちは変わらない。例え『偽り』でも、それに価値は少しでもあるんじゃあないか! 無価値なはずがない!」
しかし、それは私の憧れを否定することに等しい。私が彼女に抱いた劣等感は何だったんだ、君が空っぽならそれ以下の私はどうなってしまうんだ、そう言いたくなってしまう。
だから、私はそれを認めたくなかった。私は、あまり今の自分が好きではない。だからこそ、私はより良くなりたいと思っている。そしてその目標が彼女でもあった。そんな彼女が自分を否定し始めたら、私は何を目指していたのだと、そう思ってしまう。
これは八つ当たりにも近い。私の思うがままにならない彼女に、勝手に私が期待して勝手に苛立っているだけなのだ。そんなのは分かっている。
だが、この期に及んで、半ば私を救った救世主のようなことをしておいて、それを否定するのは許せない。事実を「偽り」として、どこか逃げている彼女を、どうしても見逃すことが出来なかった。
「フフッ……、ハハハハハ」
抑え込んでいたものが解放されたかのように、彼女から笑いが零れた。
「キミといると、何だか深く考え込んでいた私が……馬鹿らしくなってくるわ」
さっきまでの雰囲気が吹き飛んだかのように一転した。
「なんか、雰囲気悪くしたね……。ごめんなさい」
彼女の謝罪に、どうしてかこっちまで申し訳なくなってしまった。
慌てて言葉を取り繕う。
「いや、私もベルの本心が伺えて良かったというか……」
微笑む彼女。恐らくこれも作り笑顔なのだろう。
だが、それでも私は良かった。何故か安心が出来た。
これでいい。偽りでも何でも、別に大した変わりはないのだから。
そして、私はより一層、彼女との偽りの絆が深まった気がした。