第 Ⅴ 話 夢と青年
この物語はただの創成物語である。
白い空間──壁や天井や床の概念の無いような、この世のものではないような景色。辺りには無機質な箱らしきものがそこら中に転がっており、人も動物もいない静かな空間。
そう、まるで天国のような──
気がつけばそんな場所に独り立っていた。
感覚も不思議だ。浮遊感があるというか、そんな感じがする。
「やっぱり、私は死んだのか……」
思わず、そう呟く。
この景色を見て真っ先に浮かんだのが『天国』だった為か、その言葉が出てしまったのだろう。無論、意識が薄れ気を失ったところを覚えているのもあり、自分は死んだものだとそう思い込んでしまっていたのだ。
独り言──になるはずだったこの言葉に返答が返ってくる。
〘いいや、キミはまだ死んでいない〙
そこには誰もいなかった。誰もいなかった、はずだった。
声のする方へ目線をやると、そこには
「やあ、初めまして……とは、いかないのかな?」
見知らぬ金髪の青年が無機質な物体の上に座っていた。
■ ■ ■
白い服を纏った金髪の見知らぬ青年。眼は蒼く、肌も白い。
歳は私よりも上だろう。若々しくも、どこか大人の雰囲気がし、私より背が高い。服装は真っ白なシャツとズボンで清潔感を感じる。
そして、何よりも彼の格好で目立つのが、手足に嵌められた重々しい"枷"である。引き千切られた跡なのか楔が少し残っており、動く度にジャラジャラと音が鳴る。違和感が漂っており、白い服装に全く似合っていない。
彼は一体誰なのか、何故枷がついているのか──彼を見れば見るほど謎と好奇心が深まっていく。
しかし、何だろうこの感覚は──この人を見つめていると不思議な気分になる。懐かしさというか、なんというか……。
「貴方は一体……」
私のこの問い掛けに彼は腕を組んで唸っている。
「う〜ん、それなんだがねぇ……それが1番返答に難しいんだけども……」
難しいも何も、自身の名を答えるのに難易度なんてないだろ、その時はそう思っていた。もしくは言えない事情でもあるのだろうか……。というか、初対面の筈なのにやけに口調が馴れ馴れしく感じる。
少々悩む時間が続いたが、何か思いついたかのように名乗り始める。
「まあ、私は私さ。とりあえず、名乗るなら"ヌネ"とでも言っておこうか
ヌネ? 変わった名前だ。聞いたこともない。
それにさっきの答えるまでの間は何なのだ。まるで本名ではなく、今取ってつけたかのようにも聞こえる。
「まあ、ピンとこないだろうなぁ。だが、いずれ分かるさ」
私が返事をする前に、男は勝手に1人で自己完結していた。さっきから私に知らないことを自分だけに留めるような発言でもどかしい。一体この人は何を知っているのだろうか……。ますます興味が湧くと同時に少し不気味だ。
「まずは、そうだなぁ……、君の今の状況から説明しようか」
──!?
「キミは生きている。それは間違いない事実だ。あの赤い龍に苦戦を強いられながらも──」
流石の私も飄々と自分の身に起きた出来事を語り出す彼を、止めずにはいられなかった。
「ちょっと待て下さい、何故貴方があの龍のことを知っているんですか?」
あの時、私は龍に気を取られ、辺りの状況にまで気を配ることは出来なかったが、あの場に私以外の生存者なんていただろうか……。もしいたなら、もっと気付いていてもおかしくないはずなのだが。
だが、そんな私の問いかけにも「それはさておき」と軽く流されてしまった。
「今、君は気を失っている。ここは君の"意識の世界"──簡単に言えば夢の中の空間だ」
「意識の世界……」
何故だろうか、彼の意見に対して疑念が一切湧かない。すんなりとその言葉が真実だと受け入れ、納得してしまう自分がいる。これまでで散々、前世の記憶だの何だのでそういった事象に対する耐性でもついたのだろうか……。
「分かりました。ヌネさん……でしたっけ?」
「ヌネでいい。呼び捨てでもタメ口でも構わんよ」
だが、そうは言われても、自然と敬語が離れない。
「仮にヌネさん、貴方の言う通り、ここが『意識の世界』だったとしても、私が今までこの世界に訪れることの無かった理由って……」
「さぁね。それは私にも分からない」
その答えは嘘臭かった。明らかに答えを知っている──、そんな裏があるような言い方だった。ニヤけた顔で、いかにも言いたそうというか、質問してくるのを待っているのかと思ってしまう。
「貴方は何を知っているんだ……」
「知っている? ハハハ……、私はなんにも知らないよ」
これまた彼の言葉から嘘の臭いがした。
「だが──」
「キミになら、分かるはずのことさ」
私になら、分かる?
一体どういう意味なのだろうか。いちいち核心をつかない言い回しがモヤモヤする。
だが、この言葉以上に何か伝わって欲しいことがあるのだろう。それだけは感じ取れた。
そこから考えを張り巡らせるが、皆目見当もつかない。その言葉の真意が理解出来ないでいた。
そして、彼との別れは唐突にやってくる。
「おっと、そろそろ時間切れのようだな」
その言葉を耳にすると、私は思わず自分の周りを見回す。だが、何も変化がない。
彼は私のその様子を見て、自身の掌を指差す動作をする。
思わず私は自分の手を見た。少し赤みがかった白っぽい手。
そんな手が、少し透けていたのである。
動揺する私に、青年は説明を入れる。
「ここは、夢の世界。意識が弱まっている時だけ訪れることのできる空間だ。つまり、君の身体は今、目覚めようとしている」
その言葉でようやく自分の状態を理解した。
しかし、納得がいかない。
「ちょっと待って下さい、貴方にはまだ色々聞きたい事が……」
だが、そんな私の思いとは逆に、今度は私の視界が薄れ始めた。
まだ何も分かっていないのに、まだ聞き足りないことが山ほどあるのに。
「残念だが、ワタシとゆっくり話せるのはキミが意識の世界に来る時だけだ」
視界が、またぼやける。彼の姿が遠のく。
「次会う時に、ワタシに聞きたいことを幾つか考えておいてくれ」
その言葉を最後に、彼が見えなくなる。
夢の世界が目の前から消え去り、再び白い情景が視界を支配する。
そして、そこから徐々に暗転していく視界に光を求め、瞼を開き取り込む。
双眸が映し出した光景は漆黒に染まった空であった。