第ⅠLⅥ話 死にたい理由
この物語は、ただの創成物語である。
フォルテはいつも物静かな子だった。
本をよく読み、自分の本心をあまり答えようとせず、接するのが中々難しい子だった。
僕自身、あまり子供との接し方が苦手な人間だからかもしれないけど、それでも、初めて家に来た時からはかなり関係が良くなった筈なんだ。
当時は常に泣きじゃくって、碌に話も出来なかったからね。会話が出来るだけで僕は嬉しかった。
でも、今考えると、僕はちゃんと、彼の心の内を無理矢理にでも聞くべきだったかもしれない。
彼は親の愛に飢えていた。
僕では親に成り得なかったのだろう。いや、例え僕が親代わりに成り得たとしても、本当の親の顔を、声を、温もりを求めてしまっていただろう。
そう考えれば、これは必然だったのかもしれない。
2週間程前のことだ、彼が屋敷を飛び出した。
書き置きも何もなく、突然屋敷から居なくなったんだ。使用人も誰も気づかない内に。
僕は必死に探した。
もしかすれば、誘拐されたかもしれない。奴隷として、人を拐い売り捌かれる可能性も十分有り得る。
フォルテが行方不明になってから3日後──彼は帰ってきた。門番が夜明けに屋敷の門の付近で保護したんだ。
帰ってきた彼は随分と疲弊していた。俯き、何かに絶望した雰囲気で、ずっと泣いていた。そして帰ってきて1日は何も話してくれなかった。
流石に私も心配したんだ。彼を問い質した。一体何があったのか、どうして抜け出したのか。
何度も、何度も、何度も問い掛けた。
もう回数は覚えていないが、暫くすると彼はようやく震える声で話し始めてくれた。
もう、分かると思うが、彼は本当の家族に会いに行ったんだ。
恐らく、止められることは分かっていたのだろう。だから、内緒で誰にも見つからないように、屋敷を抜け出した。
彼の親は──
「貴方……」
「誰?」
彼の親は、彼のことを忘れてしまっていた。いや、忘れたというよりは、彼女の中で彼は居なかったことになっていたのだ。
そう、彼の母は完全に心が壊れ、そして遂には全ての記憶を失った。
後日、彼の兄が僕の元に訪ねてきた。
彼は親の跡を継ぎ、若くして領主となっていた。立派だったよ。半真半天故にまだ見た目も精神年齢も幼いだろうに、亡き父親の、疲弊した母親の代わりとしてその使命を全うしていた。
話の内容は、挨拶と領主としての心構えの教授──そして、弟についての話。
端的に言うと「もう、会いに来ないでほしい」というものだった。
弟が養子として家族の元を去ってからも、母親の心の病は悪化する一方だったそうだ。徐々に衰弱していく母親に心を痛める兄。そして、それから半年後に記憶を失ったそうだ。
あれから20年──彼の兄は一から家族をやり直した。過去を無かったことにして、敢えて嘘の過去を話した。自分は元々一人っ子だったんだと、自分すらも騙して。
結果、何とか普通の人のように接することが出来るようになった。家族としての形を取り戻すことが出来た。
だからこそ、兄は弟を拒んだ。
弟が原因で、過去の記憶を呼び起こしてしまうかもしれない。そしたら、また壊れてしまうかもしれない。再度手に入れた家庭を、彼は失いたくなかったんだ。
彼の兄も苦渋の決断だったそうだ。
別に弟のことは嫌いではない。寧ろ、あれからどうなったか心配すら覚えていた。
このようなことになってしまったことに、兄として、罪悪感も抱いている様子だったよ。
■ ■ ■
「まあ、事実は分からない。まだ彼から何も聞けていないからね。だが、恐らく、彼が死にたくなった理由はこれだろう……」
言葉が、出なかった。
私達には想像も出ない話だったからだ。
そもそも私達は差別すら受けたこともなければ、親に、家族に完全に拒絶されたこともない。そんな私達には同情なんて言葉すら烏滸がましいと思わせる真実だった。
これは、誰かが悪い訳では無い。
フォルテはただ、親に会いたかっただけ。
彼の母親は意図して彼を忘れたい訳ではない。
彼の兄はお互いの為に、距離をとる選択を取らざるを得なかった。
子爵に至っては何かをする隙間すらない。
それは過去の負の遺産が起こした悲劇の連鎖だった。
そう、彼らはただの被害者だったのだ。
「そう、だったんですね……。言い辛い話を話させてしまい、申し訳ございません……」
「いいんだ、僕が決めて話したことだから」
それでも申し訳ない気持ちが強い。何も出来なかった子爵にこれを言わせる気持ちを考えるといたたまれない。
だがしかし、ここで私には1つの疑問が生じた。
とてもシンプルで純粋な、ありふれた質問だ。
そしてそれを子爵に問いかける。
「ところでなんですが……」
「何だい」
「彼って、一体幾つなんですか」
すると、子爵は躊躇いなく、普通に答えてくれた。
「今年で26になるよ」
──
そうだ……これも忘れていた。
すっかり幼い見た目と精神年齢で忘れてしまっていたが、彼は半真半天だった。
長寿種の心身の成長は遅い。数十年かけて徐々に成熟していき、我々真人でいう20代くらいの見た目、精神年齢になるのに80~100年の歳月がかかる。そこから数百年間見た目は若さを保ち、晩年は急激に年老いて果てるのが一般的だ。
つまり彼は私達より見た目と精神年齢自体はまだ子供だが、年齢は歳上という奇妙な状態なのだ。半分真人の血が混じっている分、純血の天人よりは成長が早いだろうが、それでも大人かと問われればまだまだ子供と言えるだろう。
無論、学生時代に天人や精人の生徒が居なかった訳では無いが、流石にこのギャップは慣れない。
ベルは気付いていた様子だが、リリスも知らなかったようで、少し面食らっていたのは言うまでもない。
■ ■ ■
また、暫くの気まずい空気がその場を包み、一言子爵が言葉を紡ぎ始めた。
「1ついいかね」
「何でしょう」
「君達に頼みたいことがある」
すると、彼は足を少し広げ、自身の膝に手を置き、そして……
「彼を、君達の旅に連れて行ってやってくれないだろうか」
頭を下げた。
「君達が来たのは、運命だと思っている。これが彼を変えることの出来るチャンスだと、僕は思うんだ」
突然、子爵が頭を下げた事に、私達一同はたじろぐ。
「頭をお上げください」
だが、ベルのその言葉に対して、子爵は頑なに頭をあげようとしない。
それ程までに真剣であることを、子爵の姿勢はまざまざと私達にその誠意を示していた。
「恐らく、僕では無理なんだ。20年経ってようやく築けたのが、この距離のある関係だ。もしかしたら、彼に本当に必要だったのは、僕のような親ではなく君達のような年齢の近い対等な立場の人だったのかもしれない」
子爵は悟っていたのだ。
自身では、自身だけでは、何も変わらないと。
恐らく言外で、私達の預かり知らぬところでも、彼はフォルテに対し、様々なことをしてきたのだろう。その真摯さは計り知れない。
だが、それでも届かなかった。彼の心は最早身内の言葉すら届かぬ程に固く閉ざされている。
だからこそ、彼は無関係な私達に助けを求めているのだ。藁をも掴む思いで、何かが変わると信じて、私達に決して安くは無い頭をわざわざ下げている。
私は、責任がある。
彼を助けてしまった責任が、命を救ってしまったという他人事では済まされない責任が、私には背負う義務がある。
「だから、少しでもいい。彼と暫く一緒に居てくれないだろうか……頼む」
だから、私は、彼のこの誠意を──
そう思い、私は恐る恐る口を開く
「あの、子爵様……」
その時だった。
「ご主人様!」
突然、部屋の中に使用人らしき人が入ってきた。
何やら慌てふためいた様子で、息を荒らげていた。
「何だ、今は取り込み中……」
子爵は彼の言葉を制し、下がらせようとする。
真剣なこの時間を邪魔されたくなかったからだ。
だがしかし、次の言葉でその台詞は即座に撤回されることとなった。
「フォルテ様が、何処にも居らっしゃいません!」
■ ■ ■
使用人の一言に飛び上がるように子爵は立ち上がった。
「何っ!!」
私達も、その使用人の言葉に驚きを隠せず、その使用人の方を見やった。
すると、子爵は間髪入れず使用人に命令を下した。
「今すぐ捜索する! 今、彼を1人にはしておけない」
そうだ。今の彼はとても精神が不安定な状態だ。1人にしておけば、また自殺を図るに違いない。
だとすれば、一刻も早く彼を見つけ出し、落ち着かせなくてはならない。
私達も立ち上がり、その捜索に協力を申し出ようとしたその時──
「失礼いたします」
もう1人使用人が入ってくる。
どうやら別件で何かを知らせに来たようだ。
「ご主人様、お忙しい中申し訳ございませんが……来客が参られております」
「後にしてくれ、今はそれどころでは……」
だが、使用人はその振り切りをものともせず、子爵に話を続ける。
「それが、王都からの使者で……」
耳打ちするように使用人は話していた為、私にはその最初の部分しか聞き取れなかった。
しかし、子爵の反応を見るにとても無視できるような来客ではないのだろう。
彼はとても悩んでいた。歯を食いしばり、ぐっと堪え、そして再び使用人に指示を下す。
「直ぐに、来客の準備を。手の空いている者で捜索を頼む」
彼は貴族としての勤めを全うすることにした。彼も苦渋の思いなのだろう。子爵の険しい表情からは、それが感じ取れた。
その思いを聞き届けると、私はさっき伝えられなかった言葉を彼に伝えた。
抱えた思いを隠すことなく、勢いのまま私は子爵に申し出る。
「すみません!」
「私達も、行きます」
「だが」と子爵は恐らく否定しようとしたが、口をつむぎ、そして少し考えた後にこう言った。
「頼めるか」
「はい」
私は自信ありげに即答した。何も言わなかったが、ベルもリリスもそれを承知してくれるだろうと信じて。
「表玄関は来客が来ている。裏口から出て欲しい」
「分かりました」
「君達!」
向かおうとする私達を子爵は呼び止める。
振り返り「はい」と返事をすると、子爵は真剣な眼差しでこう言った。
「済まない、迷惑をかける……」
「子爵様……」
心配そうに私達を見つめる彼を見て、私も1つ心を決めたことがある。
今は土壇場であるのは分かっているが、私は敢えて此処で、子爵にそれを告げることにした。
「先程の申し出について、1つ話したいことがございます」
■ ■ ■
そうは言ったものの、何処にいるか分かっている訳ではない。
「ここは分かれた方がいい。私は町の西を探すから、貴方は町の東をお願い」
ベルはそう言うと、颯爽に西の方へと走っていった。私は彼女の指示に従い、東へ向かおうとする。
すると──
「アベル!」
リリスが私に対して名前を呼び掛けた。
珍しい呼び掛けに私は振り向いて「どうしたんだ」と尋ねる。しかし──
「いや、何でもない」
何かを言おうとしていた様子だったが、彼女はその言葉を飲み込んで、私に背を向ける。
「ベルと一緒、行く」
そう言って、ベルが向かった方向へ走っていった。
その時は「また目的地へ行く予定が遅れること」に不安を示しているのかと思い、後で謝ることを心に決めていたが、そうではなかったことは、私には想像もついていなかった。
■ ■ ■
何処だ。
何処だ。
何処なんだ。
彼の行きそうな場所、今、彼が何を考えているのか。
普通に考えれば、それは高台だろう。
彼はまた自殺を企てる筈。高台からの飛び降りを選ぶ程だ。彼は刃物等の自死には抵抗がある。だが、同じ場所は選ばないだろう。連れ戻されるのは目に見えている。
しかし、高い所なんて、この領地内には山程ある。
一体、何処なのだろうか。
──
此処でもない。
此処でもない。
心の焦りは一層増すばかりなのに、時間はただ刻一刻と過ぎていく一方であった。
駄目だ、このままでは埒が明かない。
何か、何か手掛かりはないだろうか。
──
いや、逆に考えるんだ。
彼は最初、何処に居た。
あそこは此処から離れた郊外の麦畑の中にある風車の上だ。
では、何故あの風車の上に居たんだ。
あそこは屋敷からも距離がある。何故彼はあそこを選んだんだ。
風車に理由があるようには思えない。あったとしたら、私にはもう想像がつかない。
──いや、こんな時にマイナスに考えては駄目だ。
他の条件を探るんだ。
立地条件、彼の死の理由、そして──彼が今、何を考えているか。
──
────
──────
そうか──分かったぞ。
翌々考えれば、至極単純な理由だ。
ならば、そこに向かうだけだ。
時間はなかった。ベル達に共有する時間もない。
だから、私は1人で向かった。
この、どうしようもなく虚しい彼の「死」を止めるために。
■ ■ ■
そこでは、肌を撫でるような風が吹いていた。
小高い丘の上、周りはやはり麦の畑が包み込む。
そして、もう少しで闇が当たりを支配する頃──
「やっと、見つけた」
彼は、そこに居た。
陽の光を背後にし、橙色の逆行によって彼は半ば闇の一部と同化している。
私のその声に、彼は振り返る。
その顔の口角は少し上がっていた。
しかし、何処か物寂しげに見える顔であった。