第ⅠLⅤ話 片翼廃絶
この物語は、ただの創成物語である。
「ジルフォードって、誰?」
後方からリリスはそう話しかける。
「ここの領主、オーベルで一番偉い人」
その質問にベルは簡潔に答える。
そんな我々は今、そのジルフォード子爵の屋敷に向かっているところである。
フォルテ=ジルフォードと名乗る彼は、奇しくもこの領地の息子だと名乗ったのである。
流石の私達も耳を疑った。幾ら身なりの良い少年とは言え、そんな大物の名前が出るとは思ってもみなかったのだ。
だが、そんな中、領主の名前を聞いたベルは何故か自信ありげだった。
「ベル、任せてって言ってたけど、何かあるのかい」
「いいから──あ、そこの角を右」
私は彼女の指示通りに馬を走らせていた。彼女からは理由は「着けば分かる」とだけ言われ、ただ操られるように私は馬を操っているが……正直、心配だ。
というのも、彼は自殺未遂をしていたのだ。理由は話したがらない。それにあれから彼が家に帰ろうとする様子もなかったところを見ると、もしかしたら自殺の原因はその家にあるかもしれない。
だとすると、容易に彼を家に返すのは危険だろう。
後ろの彼の方を見やるも、俯いて何も言わずに座っている。リリスも不思議そうに見ているが、本当にこれでいいのかと心配になってしまう。
だが、事情を知らない私達には、これ以外方法が無かった。
「あそこよ」
彼女の指差す方向に、大きな屋敷が見えてきた。
高い塀に囲まれた立派な家──無論、そこはジルフォード子爵の屋敷に他ならなかった。
■ ■ ■
近くに馬を停めると、ベルが何も言わずに降りて屋敷に向かった。
勿論、屋敷の門の前には門番が立っており、容易には入れない。
何をするのかと彼女を見ていると、ベルは門の前に立つ門番に話かけると、直ぐに戻ってきた。
まさか、今から会うように取り付けたのか。
いや、流石に貴族の人間となれば領地の経営等で忙しい筈だ。確かに行方不明となっていたであろうの生命の恩人とは言え、いきなり約束も無しに会うなんて難しいだろう。
彼女の言伝を聞いた門番は慌てた様子でそのまま中に入っていき、暫くすると帰ってきた。
すると使いの人に案内され、あっさりと通された。
犬の獣人である男性。黒い毛並みは丁寧に整えられており、その出で立ちは品位を感じる。
片眼鏡が非常に似合っており、正に紳士たる立ち振る舞いだ。
間違いない、彼がジルフォード子爵だろう。
すると、ベルが進んで前に出る。
そして、右足を1歩下げ、腰を低くして子爵に一礼を交わした。
「久しぶりだね、マナベル君」
「お久しぶりです、ジルフォード男爵……いや、今はもう子爵でしたね。お元気そうで何より」
■ ■ ■
「おかえり、フォルテ」
「只今、帰りました……」
「心配したんだぞ……」
「申し訳……ございません」
ずっと俯いた儘、何も話さなかった彼も子爵の言葉には反応する。だが、様子は未だ変わらず、場は何とも言えない雰囲気が支配する。
微妙な空気のままいると、彼の気持ちを察した子爵が「部屋で休んでおいで」と促した。
フォルテも、素直に従ってそのまま部屋へと向かっていった。
一方で私達は子爵の計らいで客間へと案内される。
そこは落ち着いた雰囲気で、広さを感じることが出来る空間だった。個人的にはもっと絢爛なものを想定していたが……、まあ、私の勝手な偏見だったのだろう。
「どうぞ座って」と子爵に言われ、素直に従うと早速ベルと子爵による会話が始まった。
「君が来たと聞いて、驚いたよ」
「お忙しい中、お時間をいただきありがとうございます」
「いや、今日は大事な予定も無かったし、問題ないよ。それに僕の息子を助けて貰ったんだ。事情も聞きたいし、お礼もしたい」
「いえ、お礼だなんて……それ程でもありません。私達はすべきことをしたまでです」
ところでだが、私は1つ失念していたことがある。それは普段の彼女の振る舞いから忘れていたが、彼女の父親は爵位を賜った地方の名家──つまり貴族の令嬢であることだ。子爵であるジルフォード様と面識があってもおかしくはない。
いつもの彼女は令嬢らしからぬフランクな馴れ合いと迫力のある戦いっぷりを見せる彼女。所々から育ちの良さは垣間見えていたが、しかし、こうも改めて彼女の立ち振る舞いを見ると、やはり貴族の娘なのだなと実感する。
いつもの彼女からはあまり想像し難い姿だ。
「ノーレス領の記念式典以来か。あれから随分と大きくなったものだ」
「ありがとうございます」
「……お父上の件は……残念だったね……」
「お気遣い痛み入ります」
「あの方には随分と贔屓にしてもらっていたからね……僕も心が痛むよ。君だけが生き残ったと、報告は受けていたが、取り敢えず、その無事な姿を見られただけでも良かったよ」
子爵と会うのは初めてだが、言葉からも彼の優しさが伝わってくる。表情も非常に穏やかだ。こんな人が虐待といった非道な行為を行っているとはとても思えない。
成程、彼女が「任せて」と言っていたのはこれが理由だったのか。
彼がそんなことをする筈がない──そう知っていての自信だったのだ。
「ところで、そちらのお連れは」
「こちらは……」
子爵に尋ねられ、ベルが1人1人紹介する。そして、ここに至るまでの経緯と旅の目的を話した。
流石に指名手配されていることは伏せてはいるが。
「成程、君もあの災害の被害者だったのか……心中察するよ」
「いえいえ、そんな……」
「ああ、あまり緊張しなくていいよ。僕は元々平民の人間だから、もう少しリラックスしてもらって構わない」
一般的な謙遜の言葉でその場を凌ぐ。貴族社会をあまり知らない私にとって、言葉を紡ぎ過ぎるのはいつ何時失言するか分からない。なので、発言は最低限に心掛ける。
幾ら子爵に「リラックスして構わない」と言われても、緊張するものは緊張するし、堅苦しくなるのも致し方ない。貴族様と話すのはベルの親を除くと初めてだからだ。
「それにしてもご結婚なされていたのですね。お耳にしなかったのでつい……」
どうやら、子爵に子供がいることを彼女も知らなかったようでベルは子爵にその話題を振る。
確かにフォルテがジルフォードの家の人間であることを話した時、彼女も驚いていた様子を考えると、当然の質問だった。
子爵は使いの人から出された紅茶をひと口飲み、そしてこう言う。
「いや、恥ずかしながら僕はまだ独身の儘だよ」
「えっ……」
予想だにしなかった回答に、一同が呆気にとられる。その様子を分かっていた子爵はそのまま話を続けた。
「まあ、当然そうなるだろうね。ちゃんと説明しよう」
子爵は手を組み、私達の目をしっかりと見てそれを告げる。
「先ず、彼は僕の本当の息子じゃあない。血の繋がっていない義理の息子だよ」
「成程、通りで……」
「似てないだろ。まあ、そもそも種族が違うからね」
基本的に子は親の種族の特徴を引き継いで生まれる。子爵は獣人、フォルテは半真半天。隔世遺伝で稀に祖先の特徴を引き継ぐこともあるが、にしても子爵の特徴がまるでないのは、確かに違和感しか無かった。
「では、彼は一体……」
どう考えてもここから先は聞きづらい内容だろうが、疑問を解決したい一心で彼女は子爵に尋ねる。
「そうだな……言葉選びに困るが……強いて一言で言うなら」
すると、悩みながらも、子爵は素直に話し始めてくれた。
「彼は──『忌み子』だよ」
優しそうな子爵の口からは出ないような発言が零れる。そして、そのまま説明は続いた。
「君達は『片翼廃絶』という言葉を知っているかい」
■ ■ ■
片翼廃絶──天人の間で古くから信じられている、所謂「人種差別」の一種だ。通常は対として存在する筈の翼が1つしかない為、古くの天人はこれを「前世の業」とし、人種ぐるみで社会的差別・人民的不平等を行使していた負の歴史である。
無論、片翼が「前世の業によるもの」といった根拠はなく、寧ろ現代では「劣等遺伝子によるもの」として研究によって証明されており、
──しかし、それを全ての人が直ぐに受け入れられるかは全く別の話だ。数百年、数千年信じてきたものが、拒絶され、否定され、一新されるとなると、流石に反発が生まれる。特に長寿種である天人と精人はそれが顕著だった。1000年の時を生きるとされる天人がたった100年余りでその根底思想が覆される程、人類は素直ではない。
私も、彼の姿を見た時、薄々感じていた。恐らく、これが自殺の原因なのだろうと。
それが、今回は嫌なことに的中する形となってしまった。
「彼は元々、隣接する領地である『アヴェリィ領』の嫡男だった。しかし片翼だった為、忌み子として扱われた」
アヴェリィ領──地方都市「リズレブ」を中心とするアルデート王国でも有数の雄大な領地だ。
「彼の父親は真人なんだが、母親が天王国の上流階級の生まれでね。無論、『片翼廃絶』文化も親から教育されている」
天王国とは天人達が治める国家『エジェル=ヘイヴン』のことであり、彼の母親はそこの出のようだ。
貴族や上流階級は慣わしを深く重んじる。一族の誇りや歴史を守るために仕方のない事ではあるが、その反面、負の部分も引き継いでしまうのが難点だ。無論、差別もその負の部分にあたる。
そしてその例が、彼の母親と言えるのだろう。
「彼の父『アヴェリィ伯爵』に嫁ぎ、2人の子供を授かった。彼は双子だったんだ。同い歳の兄が彼にいる。兄は両翼、弟の彼は片翼だった」
「しかし、流石の彼の母親も自身と愛する夫の子供として2人とも平等に扱った。そうすることで暫くは平和な家庭が続いた」
「だが、その時は突然訪れたんだ。アヴェリィ伯爵が若くして病気によって亡くなられた。彼が3歳の時の話だ」
どうやらアヴェリィ伯爵は昔から身体の弱い方だったらしい。そこに流行病が重なり、ただでさえ虚弱体質なのが祟って、42歳という若さでこの世を去ったそうだ。
「夫の死をきっかけとして、彼女は病んでしまった。幾晩も幾晩も悲しみに落ち込み、やがて、その空いた隙間の埋め合わせとして愛する夫の死は忌み子である彼の仕業であるとし、距離を取った。その差別は日を追う事にエスカレートすることになり、そして彼が5歳の時、彼の存在に遂に耐えられなくなった彼女は一族から追放することを決意した」
恐らく、当時の彼の母親はそうする他なかったのだろう。
それ程、彼女は傷心仕切っており、視野が狭くなってしまっていたのだ。理解し難いが、無理もない。
それに彼の兄が両翼だったのも大きいだろう。どうしても比べてしまう。長男は両翼なのに、何故次男は片翼なのだろう。何か理由があるに違いない──そういうマイナスの思考回路が、嫌にも想像出来てしまった。
「だが、他の貴族への示し合わせもある。追放したとなれば良からぬ噂が出かねない。そこで『養子』という形式で一族から突き放すことを思い付いたんだ」
「そこで当時、白羽の矢が立ったのが僕だった」
「僕は過去にアヴェリィ伯爵にもお世話になっていたんだ。僕を貴族として取り立てしてもらったのもアヴェリィ伯爵だし、隣接する領地ということで貴族のいろはを教えて貰った恩義もあった。それに僕には跡継ぎとなる息子がいない。その追放を成功させるにはうってつけだったんだ」
「それに当時、僕はまだ男爵になったばかりだった。貴族としては最下層にあたる。権力もない半端者だ。だから、僕は伯爵婦人として、代理で領主を努める彼女の申し出を断ることが出来なかった。後ろ盾も無かったし、何より衰退したこの領地を護る為にも、当時の僕は首を縦に振るしかなかったんだ」
──
「とまあ、これが彼が僕の義息となった経緯だよ」
「成程、そのようなことが……」
「我ながら、数奇な巡り合わせだと思うよ」
言葉が出なかった。こういう時、なんと言えばいいのか、私には分からなかったのだ。
「でも、僕は家族が増えて嬉しかったよ。僕には身内も居ないしね」
それは彼の本心だった。
私は頭にとある疑問が思い浮かんだ。
それは伺うにはあまりにも重苦しいことだ。子爵が話したがらないことは容易に想像出来る。聞かない方が吉かもしれない。
しかし──
「子爵様は、彼が自殺しようとした理由に、何か心当たりはありますでしょうか」
私はそれでも尋ねたくなった。知りたくなった。
何故彼があのようなことをしようとしていたのか、私は知る必要がある──助けてしまった身として、それはある意味、義務のようなものだった。
例えそれが、差別による惨いものだとしても。
「心当たりはある……そしてその内容も、君達には知る権利がある」
少し、子爵の口が篭り、そしてゆっくりとその口を開く。
「済まないが、もう少し長くなるよ」
知っていながら言うのは、子爵にとってはさぞ重かろう。しかし、子爵は躊躇せずに私達にそれを打ち明けてくれた。
さて、ここからが本題である。
アルデート王国では貴族制が導入されています。
基本的には「公爵>侯爵>伯爵>子爵>男爵」の順となっています。