第ⅠLⅣ話 死にたがりの少女
この物語は、ただの創成物語である。
アルデート王国北部に位置する中規模農業地帯「オーベル」。肥沃な大地と豊かな自然に囲まれたこの地は古くから農業が盛んで、アルデート内でも高品質な作物が取れることで有名である。
──というのも、近年になって有能な貴族がここを治めるようになり、農業に力を入れることで飛躍的に発展。その影響で有名になったのも、あくまでここ十数年の話である。
並び立つ風車の数々は、ここの名物風景だ。この情景にアクセントを生み出し、豊かに彩っている。それがどこか幻想的だ。
どうやらあの風車を利用して、穀物の籾殻を取り、作業を効率化しているらしい。
「長閑ね」
追われている身だというのに呑気に景色を眺めながらそう呟くベル。
だが、嗚呼、確かに非常に長閑だ。暖かい陽光と落ち着いた雰囲気、爽やかな微風に心地よい小鳥の囀り──これは平穏そのものだ。この景色を見ているとそんな気持ちにもなる。
ここ最近張りつめていた我々からすれば、時間の流れが緩やかなこの景色は羨ましい限りなのは間違いない。
ふと後ろを見ると、私が馬車を操る一方で、後ろの2人と1匹は悠々とのんびりしている。まったく、能天気なものだ。
飛び交う虫、広がる農場、差し込む優しい日差し──来たこともないのに懐かしみさえ覚える。そんな彼女の言葉に私も共感を覚えつつ、麦畑の中、私達一行は馬を走らせる。
──さて、そんな風車の中に一つ、私は目を惹かれた。惹かれたというよりは離せなかったというべきか。
「あれは……」
ふと一つの影が私の目に入る。
少女が1人、風車の屋根の上に立っていたのだ。
距離が少しある為、詳しい状況や彼女の様子は分からないが、傍から見ればどう考えても不安だ。もしかしたら、ただ景色を眺めているだけかもしれない。高台で休んでいるだけかもしれない。
しかし、私の頭の中ではとある予想が募っていた。
穀農地域というのもあり、周りに人は少ない。そんな数少ない人々も、農作業で彼女には気が付いていない様子だった。いや、気付かれていないと言った方がよいだろう。彼女がそうあってほしいように見える。
嗚呼、嫌な予感がする。
私はその予感が的中しないよう祈りつつ、私はパトリシアの脚を速めた。
後ろから「どうしたの」という疑問の台詞が飛ぶ。
身を乗り出したベルは私の向かっている方向を見やると、何かを察したようで黙って元いた位置に戻る。
そして、遂に、その予感は現実のものとなる。
少女が──飛び降りた。
「まずい」
その様子を見届けた私は、思わず手綱を手放し、馬車を駆け降りた。
風車のてっぺん、高さはゆうに周囲の家の屋根を超えている。
頭から地面に激突すれば間違いなく──死。
誰の物かも知らぬ麦畑に足を踏み入れ、麦の穂を避けて向かっていく。
急げ、一瞬でも躊躇すれば間に合わないぞ。
「ベル!」
「分かっている」
阿吽の呼吸で私の意図を読み取ったベルは、私が協力を仰ぐ前に直ぐさま血切り刃を取り出し魔法を発言させる。
第3級陽属性魔法──変速
マナは効果を帯び、私の脚を助ける。脚が、いや全身が軽くなったようになって、速力に全神経が無意識に注がれる。
だが、これでは足りない。
間に合え
間に合え
間に合え
間に合え
間に合え
脚が悲鳴を上げる。だが気にしない。
しかし、これでは間に合わない。
それが分かった私は咄嗟に魔法を発動させる。
第3級水属性魔法
基本的に派生属性の魔法はその源流でもある派生元の魔法も扱える。それは使用するマナの属性が同じであることに所以する。私の身体を流れるマナの属性は「水」──故に氷属性魔法を扱う者は水属性魔法を扱える。
基本的に氷属性魔法が得意な私ではあるが、第3級までであれば私でも水属性魔法を使うことは可能だ。水を生成し、それを凍らせることで氷属性魔法を生成することを考えると、要はその凍らせる作業を省けばいい。まあ、空気中の水分を直接凍らせている私からすればそこまで得意ではないが、水の塊を形成するくらいなら容易なものだ。
私の命令で形成された水は人1人なら包み込めるものに一瞬で成長し、落下する少女の真下に配置される。
そして、
ジャバン!
少女が私の生成した水の塊に着水する。
しかし、たかだか急ごしらえで形成した水の塊。落下する少女を抱えられるほどの役割は果たせず、そのまま擦り抜けて落下し続けてしまう。
──だが、着水の影響で多少勢いが殺されている。少し余裕ができた。
──これなら、間に合うかもしれない。
対象に近づいた私は地を思い切り蹴り上げ、身体を宙に委ねる。
間に──合った。
差し出した掌に伝わる人の感触。重さを帯びたそれは、私の腕の中に納まり、そのまま頭を守るように抱え込み、私が少女を包み込む。
しかし、今の私の身体は自由が利かない。不自由だ。地から離れた両足を再び地につける暇などなく、勢いは失われず、そのまま地面に不時着する。不発の砲弾のように、身体が地面を削り取り、私の身に傷を作っていく。
暫く地に擦り付けられ徐々にその勢いは削がれていき、そして最終的に完全に勢いは殺された。服の背や腕の生地は跡形もなく破けてしまい、そこからは滲むような血が滴っている。痛みが後からじわじわ利いてくる──が、そんなことはどうでもいい。
手の中の少女は大丈夫か。
急いで確認する。
「おい、無事か」
そう彼女に向かって話しかけるも、気を失っているようで呼びかけには全く反応しない。しかし、どうやら息がある。目立った外傷もなく、何とか無事のようだ。
砂埃を被り、綺麗な白い肌が汚れてしまっているが、彼女自体には傷のひとつもついていない。
良かった──そう安堵を覚えると、後ろからベルとリリスの声が聞こえてくる。
無事を確認すると、思わず息が漏れる。緊張の糸が解けたように全身が脱力し、さっきまで感じなかった腕の痛みがジワジワと溢れ出てくる。
遅れてベルとリリスもやってくる。今思えば、こういう時はベルが速度強化魔法をリリスにかけてリリスが救出に迎えばよかったと思うのだが、そう考える前に身体が動いてしまっていた。
私に回復魔法をかけて傷を癒すベルと、心配そうに少女を眺めるリリス。
考えなしに行った為、迷った挙句に「この後、どうすればいい」と2人に相談すると、ベルが「取り敢えず宿屋に連れて行って様子を見ましょう」ということに相成った。
■■■
見た目は──10代前半だろうか。肌は色白く、比較的綺麗な顔立ちをしている。
そして、その背中からは、身の丈程の白い翼が生えていて、良く目立っている。
恐らく天人だろう。
そう、彼には翼が片方しか存在しない。これでは、空は飛べない。
さながら、羽を捥がれた神の遣いのようだ。真っ逆さまに地に堕ちていき、その身を滅ぼす──成程、これが差別の原因か。
そう一人で納得しながらも、私は宿屋の寝床で横にしている彼女を見てそう思った。
「変わるよ」
「こ~た~い」
「嗚呼、ありがとう」
部屋に入ってきたベルとリリスが私にそう話しかける。
あれから時間が経ち、真上にあった陽も空を橙色に染め上げる程になっていた。
「どう」
「呼吸は安定しているが、まだ目は覚ましていない」
「う、うぅ……」
後ろから唸る声が聞こえた。
ふと、振り向くと、あの少女が目を覚ましていた。
「おお、ようやく起きたのか」
そう声を掛けると、少女は上半身をむくりと上げる。
「調子はどうだい? 何処か痛むところとか……」
少しの間が開いた後、彼女はこう続ける。
「此処は……」
「宿屋だよ」
ふうんと興味なさげに彼女は私の回答を受け流す。君が聞いてきたのだろ、と言いたいところだが、致し方ない。彼女は別のことで今を受け入れられないのだ。私のことも後ろの2人のことも、此処が何処かどうかなんかも、本当はどうでもいい。
「ボク、死ねなかったんですね」
しゅんと気を落とす彼女に、私も2人も声を掛けられなかった。
そう、彼女はそれだけが気がかりなのだ。
「何故、ボクを助けたんですか……」
私に対する彼女の第一声はそれだった。恩知らずと言われれば聞こえは悪いが、しかし、私も少し覚悟していた部分はある。
何故なら、あれはどう考えても事故ではなく意図的に起きたことだったからだ。
「ボクは、死にたかったんです」
正直な話、私も彼女を助けて良かったものかと頭を過ぎらないでもない。
彼女は死にたがっている。それを救うことは果たして「正しいこと」なのだろうか──と。
命を助けること自体は尊いものだと私は思っている。例え好感度稼ぎの為だろうがその行為自体に恥じることは何もない。
しかしそれはあくまで個人の価値観による救済に過ぎない。相手の意見、相手の境遇、相手の状況──それらを完全に無視した独善的なものだろうというのはどうしても否定できないのが事実だ。何処までいっても、これは『偽善』なのだ。
だからこそ、私は彼女の意見にいい加減なことは言えなかった。私は彼女のことを何も知らない。会ったのだって今日が初めてだ。そんな見ず知らずの少女を私は一時の反射的な偽善で救った──責任を負う覚悟もない、それが今の私だったからだ。
しかし、私はそれでも彼女に手を差し伸べたかった。とんでもないお人好しだ。自分でもそう思う。
暫くの重苦しい沈黙が続いた後、私は踏み出した。心の内にとある感情を潜めながら。
「どうして、飛び降りたんだ」
「話したく、ありません」
「しかし、君のような若い女性が──」
「ボクは……男です」
か細い声で、先程よりもガッカリした雰囲気で、彼女はそう言った。
その言葉に私は耳を疑い、眼を擦った。
そして咄嗟に「済まない」の言葉が出てきた。
いや、これに関しては間違えないほうが難しいだろう。
白く透き通った肌に小さく整った輪郭、睫毛の長く美しい眼に艶のあるセミロングの髪──身体の肉付きだって細身で、仕草もどこか女性的だ。
これにはベルやリリスも驚いたかと思いふと彼女らの方を見ると、ベルは哀れみのような眼を、一方のリリスは不思議そうな眼でこちらを見ていた。
「どう見ても肉付きや骨格が男性じゃあない」
そうベルは言うが、いや、誰も他人を肉付きや骨格で他人の性別を判断してなどいないだろう。肉付きも比較的細身な上に、骨格なんて眼に見えるものでもないし……。
「臭いで分かった」
そうリリスは言うが、いや、臭いで判断できるって──それは流石に私には不可能だ。そもそも男性的な臭いってそんなにはっきりするものなのだろうか。これに関してはリリスにしかできないと心の中で結論づけた。
2対1の状況で自分がアウェーの中、流石に自分の人を見る眼に疑いが湧き出るが……なんとか自分は間違っていないと暗示をかけようやく落ち着く。
いや、そんなことよりもだ。
「君のような若い人が飛び降りるだなんて……」
そう返す彼に私はそれ以上何も言えなかった。
こういったことはずけずけと立ち入るものじゃあない。
気まずい空気だけが部屋の雰囲気を支配していた。
■■■
「ところで、君は何処の家の人間だ?」
暗い雰囲気を払拭しようと、私は話を逸らす。
空気が読めないと思われてもいい。ここはとにかく話題を変えて、ここを何とか乗り切るのが最優先だ。
さて、平民にしては身なりはかなり綺麗な方だ。髪質はなめらかだし、服や髪留めの装飾は控えめながらも美麗だ。そこそこのいいところのお嬢……お坊ちゃんに見える。
少しの間が開く。話そうかどうか悩んでいるようだ。
そして、覚悟を決めたのか私達に話を始める。
「ジルフォード家」
「何っ!? ジルフォード家だとっ」
思ってもみない大物の名前が彼女の口から出てきた。