第ⅠLⅠ話 紅玉と翠玉
この物語は、ただの創成物語である。
あれから雨が本格的に降ってきた。
しかし、近くの町に行く方が早いということで雨の中も移動する私達一行。馬には申し訳ないが、もう少し頑張ってもらおう。
ふと後ろを見やると、リリスがあの白い鳥を愛でていた。
撫でられている様子を見ると満更でもないようだが、しかし何処か怯えている様子は変わらない。まあ、会ってすぐに心を打ち明けてくれる筈もないか。
「町までもうすぐだぞ」
そう後ろでのんびりとしている2人に話しかけたその時だった。
ドシン……ドシン……
地面に響く物音が聞こえた。距離は少しあるが、かなり大きい。
この感じは何者かの足音だろう。
ドシン!……ドシンッ!
しかも、こちらに近づいてくるときた。
流石に私達は馬車を停め、辺りを警戒する。
町までもう少しだというのに、何ということだ。
周囲は木々に覆われ、その姿はまだ確認できない。
生唾を飲み込み、その時を待つ。
そして──
バキバキバキッ、ズドン!!
巨木が倒れる音と共に、連なる木々の上からその正体が顕わになる。
「こいつは……ディロール!」
巨大な魔物の姿がそこにはあった。
■■■
ディロール──巨大な体躯が特徴の人型の魔物。通称「巨魔」。ゴブリムの突然変異種といわれており、オウガとは違って大型になる進化を遂げている。盾や棍棒といった武器も扱えるが頭はそれほど良いわけではなく、オウガやナルガ=ラジャとは違って集団行動を得意としない。
そうか、こいつか。通り道で会った、あの商人連中を襲ったのは。
「何、この大きさ……」
上を見上げながら、ベルはそう言った。
確かに異常だ。大きさは周囲の木々よりも遥かに大きい。巨体が特徴の巨魔の中でも一回りも二回りも巨大だ。
巨魔の階位は、確か「朱鷺位」──いや、この大きさだとその上に分類されることもあり得る程だ。
ギルド入りして間もない人間が闘うのにはあまりにも手に余る敵だ。いやはや、こうも立て続けに強敵に出くわすとは、私達も運がない。
おまけに、理性を失っている。なりふり構わず、そこら中に当たり散らかす様はまさに狂戦士のそれに近かった。
その理由は直ぐに分かる。
「こいつ、マナ暴走している……」
マナ暴走──体内のコアに蓄えていたマナが許容量を超えてしまったが為に暴走し、痛みで理性を失って暴れ回る症状のことをいう。特徴として、体内から溢れ出たマナの結晶が棘の様に突き出ており、見るも痛々しい見た目になってしまうのだ。
魔法を使わない魔物によく起きる症状であり、人間も定期的に魔法を使って体外に放出しないと稀にああなってしまう可能性がある。臓器が傷つき死に至るケースも少なくない為、我々人間の間でも注意している症状である。
マナ暴走を止める方法は2つ。
殺すか、マナの結晶を破壊し、マナを放出させるかだ。
後者は暴れている対象に対し、的確に結晶を狙わないといけない都合上、難易度は高い。その上、どちらにせよ討伐対象である魔物を助ける義理もないので、今回は前者一択だ。
──しかし、できれば今は出会いたくなかった。
昨日の戦闘によるリリスの怪我がまだ治っておらず、また、ベルも身体の傷が治りきっていない。2人は本調子ではないのだ。
そんな彼女達を前線に出すわけにもいかず、私1人で相手にしないといけないとなると、どうも分が悪い。
リリスは馬を連れて後方へと非難させた。
「私も戦う」と言っていたが、誰かが馬をこの戦闘から離さないといけない都合上、一番怪我の酷いリリスがやるのが最適だ。その為、「駄目だ、君は一旦下がれ」と突き返す。
そんなやり取りをしていると、奴の握る棍棒が、私達目掛けて振り下ろされる。
ドゴンッ!バキッバキッ!
あれは武器じゃあない。最早、棍棒と呼ぶにはあまりにも大きなそれは、丸太と言う方が適当だった。我々人間でいう「木の棒」。それが奴にとっての木そのものだった。
それがあの巨体の筋肉を以て振り下ろされる。上から巨木が落ちてくる様は、暴風雨や土砂崩れのような災害に近いだろう。折れた木々と抉れた地面を見て私はそう思った。
第2級氷属性魔法──『氷ノ槍』
咄嗟に形成した氷柱の塊が、あの巨体を標的として飛んでいく。
あの巨体では外す筈もなく、身体に突き刺さり、内部から紅い血液が噴出する。更に襲う痛みには巨魔叫んだ。
間違いなく効いている。効いている筈だが、致命傷には繋がらない。
勢いはあった。鋭い形状で放った。しかし、あの巨体を覆う脂肪と筋肉が、内臓を保護し身体の奥まで届いていないのだ。
一方のベルも第2級雷属性魔法で応戦するがこれも有効打にはなっていない模様。
私と同じく、確かに効いてはいるのだが、動きに全く変化が無いのだ。
そんな攻撃よりも、自身を取り巻くマナの暴走が痛覚として勝っているのだろう。
そしてそのベルも、昨日の傷が痛み、動きが覚束ない様子だ。
ひたすら暴れ回る巨魔。八つ当たりの様に当たりの木々を殴りつけたり、度々マナ暴走に痛がる素振りを見せたりしている。戦闘としては異質に感じた。
正直、読めない。何をしてくるか分からない。低い知能で単純な思考回路をもとに形成される攻撃パターンの方がよっぽど分かりやすい。
だが、そんな中でも私は隙を見逃さなかった。
巨魔が再度、マナ暴走の痛みで悶えている時、私は奴の懐に飛び込んでいった。腕に飛びつき、木登りの要領で上がると、頭に向けて一直線に走っていく。
首筋に形成した氷の剣を思いっきり突き立て、
普通の魔物ならこの時点で仕留められるだろう。だが、肉壁の要塞となっているこの巨魔の首はこの程度じゃあ決定打になり得ない。
そんなことは分かっている。だからこそ、私は自身の血液注ぎ込み、内部に氷塊を形成──身体を突き破って、内側から肉体を破壊する。
まだ、第1級氷属性魔法による完全冷凍が出来ない私にとって、今出来る最大限の行動がこれだった。
だが、巨魔もやられたままではない。
痛みで身体を大きく揺さぶり、私を振り落とそうとする。大きくかかる遠心力は馬に振り回される非でもない。流石のその勢いに私は思わず剣から手を放してしまった。
振り払われた際に勢いよく地面に激突し、身体に激痛が走る。受け身が間に合うが、上半身が悲鳴を上げている。打撲で済めばいいが、これはそうもいかないだろう。
見上げると空を覆う破壊の塊。抗うにも力が足りない。
そんな時だった。
白金貨10枚──
そんな呟きと共に、
ドスッ!!
金髪オールバックに白スーツの男性が、横から殴りつけたのだ。
あの巨体を、素手で一撃。たった一撃で、巨魔の体躯が吹き飛ぶ。そして大袈裟な音と共に呆気なく倒れ込んでしまった。
化け物を殴り飛ばす化け物のような力──そんな力を持つ男はこちらに向けてこう言った。
「大丈夫かね?」
「あ、貴方は……」
「安心しろ、直ぐに終わらせる」
見たことのある顔だった。
一見、あの巨魔を殴り飛ばしたほどの力があるのに、「本当にこの人がやったのか」と思う程身体はすらりと細身で私よりも少し筋肉質──思っていた以上に普通の体格をしているが、しかし、彼が誰なのか分かっている者からすれば、そんなのはどうでもいいことくらいに安心感が強かった。
立ち上がる巨魔。標的を彼に変え、動き始める。
そのギロリと結晶の棘の隙間から覗かせる眼光は、魔物ながら強者の風格を感じるものだった。
だが、そんな相手にたった1人で立ち向かう彼の姿は、まさに救世主そのもののよう。
走ってくる巨魔はその手に持つ大きな棍棒を振り上げる。
「白金貨15枚」
そう言うと彼は地面を蹴り上げ、巨魔に飛び込んでいく。目が追い付くのがやっとの速度。
対するは当たれば死の馬鹿力。
彼はその死を前にして一切の恐怖を感じず──そして、殴りつけた。
魔法を使った様子は無かった。特別な武器も持っていなかった。
それなのに、あの贅肉と筋肉で包み込まれた頑丈な首が──吹き飛ぶ。
それも通常の固体よりも数段大きな巨魔──首の太さなんてまるで巨木の幹くらいある筈。
しかし、それをものともせず、さも当然の結果かのようにしてのけるそれに、私達は唖然とする他なかった。
身体の指揮系統を失ってなお、そのしぶとい生命力で1歩、そしてまた1歩、バランスを保つ為に前に進む巨魔。
しかし、それも無駄な足掻きに終わり、遂には正面から倒れ込み、地に伏せた。
彼の名はゴルド=ドルトスキー──ギルドにおける最上位層「翠玉級」にあたるギルダーの1人である。
「やはり金だ、金は全てを解決する」
■ ■ ■
ゴルド=ドルトスキー──ギルドの階級最上位層である翠玉級ギルダーの1人である。アルデートでは有名なギルダーであり、私も新聞でその功績を目にしたことが何度もあるほどの実力者だ。
有名人に興奮するようなミーハーな人間ではないが、しかしこうも目の前で会うとなると感慨深いものがある。こう……「実在するんだ」と、分かっているのに感じてしまったのだ。
ふと、倒された魔物の様子を見る。
後から来た彼の部下達が、その素材を剥ぎ取り、処理を行っていた。
数人がかりでも素材採取に手こずる大きさ──それを1人で退治してしまう実力。
これが──翠玉級ギルダー。
その圧倒的実力の差に打ちのめされ、思わず呆気にとられてしまう。
ベルに回復魔法をかけてもらい、起き上がれるようになった私は彼の元へ駆け寄る。
「ありがとうございました」
「構わない。これも仕事のうちだ」
そう言いながら握手を交わす。私と同じくらいの大きさながらもしっかりと筋肉を感じる手──歴戦の証というか、これまで積み上げてきた何かを感じるくらいゴツゴツとしていた。
「マガウディアへ向かう道中かね?」
「今夜はそこで泊まるつもりです」
「あの町に来るのは初めてかね?」
「はい」
「なら、宿まで案内しよう。この雨の中、あの魔物を相手に大変だったろう、そこでゆっくり休むといいさ」
そう言うと彼は後始末を部下達に指示し、私達を誘導する。ようやく安心出来る場所に行ける──私達はそう安堵した。
だが、雨はまだ止みそうにない。
■ ■ ■
戦闘のあった場所からマガウディアの入り口まではそう離れていない場所にあった。
それが不幸中の幸いだろう。お陰で彼に助けられた。
町に着いた私達は馬小屋へと赴く。
馬車を預け、大きな荷物も一緒に預けたはいいものの……。
「で、この白い鳥はどうする」
さて、問題はこの白い鳥だ。流石にここに荷物と一緒に置いていくわけにもいくまい。
かと言って堂々と連れ歩けば目立ってしまう。しかし、移動する為の檻もないし、どうするべきか──
そんな風に悩んでいると、
「なら、ここ、隠しとく」
リリスはそう言うと、手に取った鞄の中に白い鳥を隠す。窮屈の為、流石に暴れるも、リリスが宥めて何とか大人しくなった。
これで鳥は大丈夫なのかとリリスに問うも、「我慢してもらう」と彼女は答える。……まあ、少し危なげないが、これなら何とかなるだろう。そう言い聞かせることにした。
■ ■ ■
外ではゴルドさんが待っていた。
私達は移動しながら、彼に自己紹介を始める。
「私はアベルと言います。こっちはマナベル、そしてリリス」
2人共々軽く会釈し、挨拶を交わす。
「俺の名前は──言わなくても分かっている様子だな」
リリスは世情に疎い為、ピンと来ていない様子であったが、まあ、私とベルの様子で彼が偉い人だということでも伝わればそれでいいだろうと説明を省く。
それが終わると、早速宿屋まで案内してくれた。
しかし、疑問に思うことがある。移動しながら、私はその疑問を彼にぶつけた。
「ゴルドさんは何故こんなところに」
こんな辺鄙な土地に翠玉級ギルダーがいることは、何かしらの大きな仕事があることを連想させる。強い魔物でも出たのか、はたまた何か他の任務で来たのか……。
しかし、私の思いとは裏腹に軽い気持ちで彼は返してくれる。
「この周辺は階位の高い魔物が特に多くてね。所謂『魔集点』という奴さ。だからこの町は本部から翠玉級ギルダーの常駐が義務付けられているんだ」
魔集点とは、その名の通り「魔物が集まりやすい場所、発生しやすい場所」のことを指す。
何故集まりやすいのかといった理由はまだ判明していないが、世界には所々にこういった場所が点在し、ギルドはそこに拠点を設置。積極的にギルダーを派遣して魔物を討伐し、日々研究・対策を行っている。まあ、ここの場合は対魔戦前から存在していた街の付近がたまたま魔集点となった後天的な例ではあるようだが……。
そう。ここマガウディアはギルダーの防衛によって安寧が確保されている町──だからこそ、この町は他の町よりもギルダー達は歓迎され、ギルダー達によって賑わっているのだ。
その話に成程と理解しつつ、彼は話を続ける。
「それに俺はギルダーの傍ら商売もやっていてね、ここにその支部があるのも俺がここにいる理由としては大きいだろう」
ギルドでは実は副業が許されている。ただでさえ人員不足のギルドが人員を確保する為の措置なのだろう。彼の様にギルドに所属している傍ら、経営を行ったり、道場を管理したり、研究を行ったりしている人間も少なくはない。
ギルダーという側面でしか彼のことは知らないが、どうやら大きな会社の経営も行っているようで商売の世界でも名を馳せているらしい。なんとも、羨ましい才能の宝庫だ。
「あ、そうだ」
何かを思い出したかのように、ゴルドさんはこちらに問いかける。
「ところで、君達──」
「ここに来るまでで行商人を乗せた馬車は見なかったかね?」
私とベルはその言葉に凍り付いた。何気ない平穏の会話が突然、悟られてはいけないという緊張へと変化する。
馬車というと、もうあの「闇商人を乗せた馬車」しか考えられない。
それをお互いに察した私達は目線でその真意を理解し、話を誤魔化す。
「もう既にこの町には辿り着いている筈なのだけどね」
「いえ、私達は見ていませんが……」
「そうか……、何かあったのかねぇ」
彼の言葉を上手く躱せているかは分からない。だが、確実に「この人とは関わってはいけない」という信号が、私の頭の中で激しく発信されていた。
もう、彼の言動一つ一つが意味深に聞こえてくる。
すると、その時だった。
「大人しくして」
リリスの持つ鞄から姿を現す白い鳥。またあの白い鳥が暴れ出したのだ。
よりによってこんな時に──そう思った頃には、もう遅かった。
ドスッ!
「──っ!?」
その姿を見たゴルドさんは、私の腹を思いっきり殴ったのだ。あの巨魔すらも一撃で斃した拳は、アニキから何度も喰らったそれよりも重く、自力の差をここでも如実に感じる。痛みで意識が朦朧とし、そして遂にはその場に倒れ込んでしまった。
早い対応に、私の脳が追い付かない。
「おい、そいつらも捕らえろ」
薄れゆく意識の中、声が聞こえる。恐らく、ベル達が抵抗しているのだろう。
「逃げ…ぞ、追え、……が……な!」
最後にそんな言葉が聞こえて、私の意識は黒の中に溶けていったのだった。




