第ⅩⅩⅩⅧ話 蛇の王
この物語は、ただの創成物語である。
タナンタ=シェーシャ──ナルガ=ラジャの上位種、突然変異種。通称「蛇の王」。通常のナルガを大きく上回る体躯とナルガとは違い、上半身までもが蛇の見た目をしている蛇の怪物。特徴的なのは7本の首。それぞれに自我があり、四方八方を見渡すその眼光からは逃れることが出来ない。中でも中心にある一回り大きな首の頭には冠のように変異した皮膚があり、奴が「王」という異名を持つに相応しい形相を醸し出している。とある部族ではこのタナンタを「神」として崇める風習があるほど神々しく、恐ろしい。
そうか、こいつか。洞窟内で道が塞がっていたり、ナルガの行動が活発だったりしたのは、こいつが原因だったのか。
洞窟内の崩落は蛇の王がその巨体で空間を広げた際に起きたものであり、ナルガの行動が活発だったのは王の誕生による食糧の調達と縄張りの拡大だろう。
「引き返そう」
そう私は提案する。
これは私達の手に負える相手では無いとそう判断したのだ。
魔物にはそれぞれ「階位」が設けられている。
その凶暴性や人類に対する被害を踏まえて危険度を表す指標として設定されているものである。全9段階に別れており、色の濃淡が深くなるほど危険度が増すように区分されている。
例えば、先程まで対処していたナルガは下から3番目の「雄黄位」という階位にあたる。単体での脅威は比較的低いものの、広く分布、若しくは高い繁殖力を持っており、積極的に討伐する必要性のある魔物がここに区分される。
一方でタナンタの階級は「真紅位」──上から4番目の危険度にあたり、都市に現れれば大きな被害を齎す可能性がある。同じ階位だと、一般的な龍もここに分類されていると言えばその危険度が分かるだろう。
討伐には「最上層である翠玉級ギルダーによる対処」が推奨されているというほどの脅威である。対して、私達の階級は最下層の「天藍級」──最早挑むと考えることさえ無謀なほどの圧倒的格上なのである。
それに、私達の役割はあくまで「遭難者の救出」であり、討伐ではない。無駄な戦闘を避けるという意味でもここは退くのが賢い判断だろう。奴のことは後でギルドに報告し、私達よりも階級が上のギルダーに任せた方がいい。
私とベルは引き返したその時、リリスはとある方向を指刺す。
「あそこ」
そう言った彼女の指す先には、岩陰に隠れる一人の人間の姿があった。
精人の男性──服装や顔の特徴、背丈等、ガーベの言っていた容姿と似ている。
間違いない。彼が救出対象だろう。
どうやら脚を怪我しているのか、服を千切って包帯代わりにし、そこを手で押さえている。
その所為で大きな危険が迫りつつありながらも、上手く身動きが取れずにいるようだ。
幸い今はまだ気づかれていないが、それも時間の問題だろう。
「リリスは対象の救助を、私とベルで奴を惹きつける」
そう判断するのに時間はかからなかった。いや、そもそもかけていられなかった。
近くにいる相手がどれ程強大なものだろうと、救うという選択肢しか私の頭には無かったのだ。
「「了解」」
私の意思に答えるように2人も返事が早かった。
そう言ったリリスはすぐさま、崖を下っていく。全く足音を立てずに──最早職人芸だ。
彼女が私達から離れるのを見計らい、次に私は空間内に響き渡るような大声でこう叫んだ
「救助に来ましたぁぁ!! 今から向かいますので、その場で待機してくださぁぁい!!」
この声掛けの目的は2つ。
1つは救出対象に救助が来たことを知らせる為。
この緊迫した状況下で救助が来たという安心感は救出対象にとって、とても心の支えになるものだ。それに、こちらに気づかずに勝手に動かれて作戦が破綻しても双方が困る。動かず、救助を待ってもらう方がこちらとしても立ち回りやすい。
そしてもう1つは蛇の王の意識をこちらに向けさせる為だ。流石にこの魔物に人類の言葉の意味を理解できる筈もない。意味を悟られず、狙いがこちらに向き、リリスが立ち回りやすくする為の大声でもある。
蛇の王の目線がこちらに向いたのを確認すると、私とベルは崖を下り、二手に分かれる。
私は走りながら、蛇の王に向かって第2級氷属性魔法を放つ。形成された氷は塊となり、対象に向かって飛ばされる。だが無情にも通常のナルガとは違い、表皮の硬度が段違いの蛇の王には届かない。奴を攻撃するにはもっと高精度の魔法で対抗するしかないが──しかし、今回はこれでいい。私とベルはあくまで囮。
無理に戦わない。惹きつけ、攻撃を避けることに徹する。
ベルも同じように、標的に向かって魔法を放つ。
無論、蛇の王の致命傷にはならず、攻撃を受けてもなお、ピンピンとしている。
しかし、流石に私とベルだけでは役不足なようでリリスを追うように1本の首が私達から視線を外す。何かに気づいたのか、はたまたただ獲物を得たいだけなのか、彼女に忍び寄る首は勢いのままリリスに襲い掛かる。
開かれた顎。鋭い牙。喰らいつかれればまず命はない一撃。
しかし、閉じられた口にはあろうことか空しか捕えられておらず、奴の口内には虚しさだけが残る。
彼女の身のこなし──この3人の中でも……いや、アニキ達を含んでさえも飛び抜けた身体能力の持ち主である彼女ならば、奴の攻撃を躱すことなど容易なことだった。気配だけで蛇の王の攻撃を察知し、ただ一心不乱に救出対象に向かって走っていく。
飛び越え、滑り込み、いなして、踏みつける──さながら、そういった競技か何かをしているような、そんな鮮やかさだった。
猛攻を搔い潜り、あっという間に対象の元に辿り着いたリリスは何かを話す暇もなく、すぐさま対象を背負いこむ。流石の彼も自身よりも一回りも小さい年下の少女が、自身を軽々と持ち上げる様には困惑したようで、淡々と救助作業と行う彼女をただ見ているだけだった。
普通であれば、救出対象の怪我の応急処置を済ませるのがセオリーなのだが……いや、この場で何かを指導するのはこの際野暮だろう。
そのまま、一直線に出口に向かって走るリリス。
彼女が救護したのを確認すると、私とベルも蛇の王に攻撃を加えながら後退していく。
撤退──目的を達成した今、これ以上奴に構う必要も無い。
合流し、どんどん蛇の王から遠ざかる私達4人。
すると蛇の王は不自然にその大きな体躯を捻り始めた。
何をしようというのか──そう考えながら奴の異様な行動に警戒していると、その軋んでいた巨体が箍を外したかの様に、勢いよく回転する。
その動作は周囲の地面を抉り、巻き上げ、投石となって私達を襲う。まるで岩雪崩のように威力も規模も今まで戦ってきた魔物達とは段違いだ。
私とベルはすぐさま振り向き、魔法で障壁を作り出す。リリスも、それを察知してすぐさま私達2人の後ろに身を潜めた。
ガキン、ガキンと即興で作り出した障壁が音を立てて削れていくのを感じる。
耐えられそうだが、こんなのをまともに受ければひとたまりもない。
ゴドン、ガラガッシャーン!
大きな轟音と共に、背後で何かが起きているのを察した。
背後に飛んだ石が壁にぶつかり、落石を起こしてしまったようだ。
お陰で出口となる穴が塞がれ、撤退は不可能となった。
成程、返すつもりはないらしい。
まさに背水の陣──戻る道は閉ざされた。
この岩さえ魔法で破壊すれば何とかなるのだが……しかし、そんな悠長に脱出する暇を蛇の王が与えてくれるはずもなく、私達は流れるように戦闘に引きずり込まれることになった。
巨大な体躯で勢いよく突っ込んできた蛇の王によって、私とベル達は分断される。
「大丈夫か!」と大声で尋ねると「平気」とベルの声が返ってき、3人が無事に攻撃を避けられたことが確認できた。
倒さなければ、出ることは出来ない──。
そう思った私は続けざまにこう叫んだ。
「もう、こいつを倒すしかない! その為に首を1つずつ落とす!」
「「了解」」
その掛け声と共に私達は散開し、それぞれの役割を把握する。
すぐさま私は第4級氷属性魔法で周囲の温度を下げ、敵の動きを鈍らせようとする。
奴がナルガと同じならば、この魔法も有効だろう。そう考え私は少し離れた位置から敵の攻撃を捌きながら援護に徹していた。
一方のベルもこの隊形ではサポートに徹する。この場における彼女の役割は「鱗の除去」と「首の注目を集めること」。
彼女は一つの首元に対して執拗に第2級雷属性魔法を繰り出していた。生成された雷の一撃はあの巨体を怯ませる程度の威力を以て、肉体を覆う頑強な鎧を次々と剥ぎ取っていく。
剥がれ落ちた鱗はまるで硝子のような音を立てながら、綺麗に光を反射しつつ落下していった。1枚1枚が掌ほどもある大きな鱗──これが爬虫類を素体とした大型の魔物や龍などを討伐することにおける最大の障壁である。剣や魔法すら弾いてしまうこの厄介な鱗の除去こそ、この戦闘における鍵の一つだ。
そしてもう一つ重要なのは「ヘイトの管理」──この蛇の王の特筆すべき点は何といってもその7本の首による手数の多さだろう。首が複数本ある魔物は幾つか存在するが、7本という数はその中でも多い方に分類される。その上、それぞれの首に自我があり、その長い首を以てバラバラに行動かつ広い視野を確保することが可能だ。
つまり、この戦いは決して3対1ではない。3対7の数的不利な戦いなのである。
しかし、それを言い換えれば、あくまで別々の7人と相手をしているようなもので、更に首同士は互いが協力しあっているわけではない。こういった魔物は意思の疎通は出来ているわけではなく、同じ胴体ながらも首の仲が悪いこともしばしば存在する。だからこそ、こういった的には「戦力を分散させることが可能」だ。
流石に今の私達に正面から7本の首を同時に相手取るほどの力はない。だからこそ、可能な限り相手のヘイトを分散させ、攻撃の隙を作ることが求められるのである。
リリスは救出対象を岩陰に避難させ、直ぐさま戦闘に参加。攻撃を回避しつつ、機会を探る。彼女が攻撃の要であり、彼女を中心として蛇の王に挑む以上、動きは彼女に合わせざるを得ない。
「いまっ!」
その合図と共に私は、傍らに作り上げた氷の剣をリリスに放り投げ、一方のベルはリリスに肉体強化魔法をかけ、リリスの身体能力を底上げする。
私が投げた氷の剣を身体を翻しながら見事に受け取り、リリスはそのまま蛇の王の胴体に飛び乗った。蛇の王は大きく身体を動かし、彼女を振り落とそうとするが、華麗に乗りこなし、首の攻撃も難なく躱す彼女。そしてまるで階段を駆け上がるように、首元まで走っていき、あっという間に近くまで辿り着いく。そのまま彼女は大きく飛び上がり、蛇の王の首筋に剣を振り下ろした。ベルが鱗を削いでいたこともあり、深々と刺さった氷の刃はそのままリリスの腕の動きに合わせて斬れていく。さながら魚を捌くかの如く。そして遂に首の一つを切り落とした。
蛇の王は走る激痛に声を荒げてのたうち回る。
周囲には砂埃が立ち上がり、その様子が奴に対するダメージの大きさを体現しているようであった。
その姿を好機と踏んだのか、リリスは「端の首、狙って!」と私達を指示した。
希望に沿うべく、私達は1つの首に向かって集中砲火を喰らわせる。第2級氷属性魔法で形成された氷柱と第2級雷属性魔法によって生成された雷撃が鱗を剥がす。
畝ねる身体をすり抜けるように駆けていくリリス。
キラリと光を放つ獲物で、再度その寝首を狙う。
振り抜いた刃は、筋肉質で硬いはずの肉を削ぎ取り、冗談のような大きさの首を真っ二つに切り裂く。
続けて身体を迸る苦痛に、劈く悲鳴が湧き出る。
血飛沫が周囲に撒き散らされ、辺りを紅く染め上げた。
グオオォォォォオオオ!!
続いて3つ目と、彼女は前へと踏み込むが、流石の蛇の王もそう単純ではない。
身体を大きく旋回させ、尾を鞭のようにしならせてリリスを襲う。
急な反撃にリリスも対処できず、結果正面からこの攻撃を受けることになった。一瞬の出来事に目が追い付かず、「リリス!」と呼びかけた頃には既に壁に打ち付けられ、彼女の背後には大きなクレーターが出来てしまっていた。私の魔法によって動きが緩慢になっているはずなのにこの動きとは──どうやら、私達はとんでもない化け物と相対しているのかもしれない。
幸い、受け身は間に合ったものの、自分の何倍も体重差のある敵からの攻撃をもろに喰らったとなればひとたまりもなく、地面に落ちた彼女は思わずその場に跪く。意識があるのがやっとな様子だ。
すぐさま、第3級氷属性魔法で私は周囲に霧を発生させ、目眩しを計る。
ベルはリリスの元に駆け寄り、彼女を抱いて岩陰へと走り出す。
咄嗟の行動は功を奏し、発生した霧によって蛇の王の視界を遮り、私達は何とか立て直しの時間を設けることに成功した。
岩陰から奴を覗き込むと、キョロキョロと辺りを見渡しながら私達を探していた。魔法の効果時間を考えるとこの状況も長くは続かないだろう。
そう思った私は早速次の一手のことを打ち合わせる。
「リリスの様子は?」
「内臓をやられているかもしれない。骨は確実に何本か折れてるでしょうね」
回復魔法をかけながらベルはそう言った。聞くに絶えないほどあまりにも痛々しい内容に、私は目を背けたくなる。
「じゃあ、リリスはここで安静に──」
私がそう言いかけると、
「まだ……行ける」
ベルの服を掴みながら、弱々しい声でそう言った。
リリスはベルの回復で何とか痛みは和らぎ、意識も徐々にはっきりしてきただようだが、それでも十分なパフォーマンスを発揮できる状況にはない。お腹を押さえ、痛々しそうな彼女を見て、私は素直に「じゃあ任せる」とは流石に言えなかった。
「駄目だ、そんな状態で動けるわけが──」
「私、戦える……私、強くないと、いけない」
半開きながらも、鋭い眼光でそう訴えかけるリリス。そうは言うものの、彼女は徐に咳き込み、抑えた掌には吐血の痕が見られた。
何が彼女をここまで突き動かすのか──この時はそんなことすら考える余裕すら無かったが。
だが、そんな彼女の必死な様子を見て、何かを感じたのかベルが口を開く。
「──分かった」
その言葉に私はベルに聞き返す。
「本気か?」
「幾ら何でも、私達2人じゃあ勝てない」
「だが、この状態じゃあ……」
「可能な限り回復させる。もう少し、時間を頂戴」
そう言うと、心を落ち着け魔法に専念するベル。どうやら本気らしい。
しかし、ここまでやって残り5本──息も上がり具合や残存マナの使用加減を考えると、仮に同じ戦法で戦ってもこのままでは倒せるかどうかも怪しい。ここは、別の手段を考えるべきだろう。
──なら、一か八か。未完成だが、やってみる価値はあるかもしれない。
「ベル、リリス。頼みがある」
私はベルとリリスにとある話を持ちかけた。
※魔物、及び危険生物に対する危険度の指標は以下の通りです。
漆黒位>紫苑位>紫紺位>真紅位>朱鷺位>雌黄位>雄黄位>鉛白位>純白位
黒>紫>赤>黄>白の順で設定しており、色が濃くなるにつれ危険度が増します。参考は災害警戒情報色より。




