第ⅩⅩⅩⅦ話 少女の願い
この物語は、ただの創成物語である。
涙が乾ききった少女──まるで、全てを諦めたかのように消沈している精人の少女。
早朝なのもあって、周囲に気に掛ける者どころかまず人が誰もいないが、そもそもまだ幼気な少女がこんな路地に一人座り込んでいること自体が異質だ。
そんな少女に私達は優しく話しかけた。
「大丈夫? 何があったの?」
何気ない声掛けの台詞。しかし少女にはそれがとてつもなく意味のある言葉だったようで、
「うわあああん!」
枯れた井戸に再び水が沸き上がり、眼から零れ落ちる。
ようやく話しかけてくれる人が現れたからだろう。息が過呼吸で上手く言葉にできず、
「私がね、私が悪いの……」
少女はずっと、その言葉を繰り返していた。そして、ベルがそっと両腕を差し出すと彼女の胸の中で蹲り、泣きじゃくる。
こうなれば、落ち着くまで話が進まない。
そう思った私達は彼女の涙が落ち着くまで待つことにした。
「私の所為で、パパが……」
ようやく落ち着いた少女はポケットに手を突っ込み、何かを探し出す。
彼女が取り出したのは一枚の絵。描かれているのは白い花とそれを持った一人の女性。
そこに描かれている白い花は自ら光り輝いており、それを見て女性は優しい笑みを浮かべていた。
恐らくこの花は光る花として知られている珍しい花──イルフェリア。
「ガーベが見たいって言ったから……」
再び涙を浮かべながら、彼女は経緯を語りだす。
少女の名前はガーベラ。この町に父親と二人で暮らす10歳の精人の少女。
彼女の母親は少女がまだ物心をつく前に亡くなったらしく、彼女自身もこの絵に描かれている容姿と父から聞く昔話でしか母親を知らないという。
彼女の父親は母親の命日に、母親が好きだった花を話した。少女が聞いた話だと暗闇でも輝く変わった花であるとのこと。
無論、そういった話をすると見たくなるのが子供の好奇心。
洞窟内に植生するその花に流石の彼女の父親も、最初は渋っていたものの、どうしてもとごねる少女の為に探しに出掛けたのだというらしい。
しかし、父親は待てども待てども帰ってこない。
「夜には帰ってくる」その言葉を信じて待ってから、もう2日の時が経っていたのである。
戻らない父親を心配に思い、少女は周囲の人やギルドなど、様々な場所を駆け回った。
しかし、金銭的問題や時間的余裕から理由をつけられて断られ続けたそうだ。
──そして今に至る。
何とも言えない。無神経に「大丈夫だよ」とも言えないし……。
私達はただ「そうだったのか」と同情の言葉をかけることしか出来なかった。
すると、少女は真剣な面持ちで震える声で私にこう言った。
「お父さんを助けてください!」
私の裾をか弱い掌で握り締め、縋る思いで少女は私達に頼み込む。
私は泣き付く彼女の手を振り払うことが出来なかった。
話を聞いておいて「はい、そうですか」で終わるわけにもいかない。この話を聞き届けたからには、彼女の「助けて」を聞いてしまったからには、断ることは出来ない。
あの時助けられなかった少女の分──ここで彼女に応えることであの少女が救われる訳でもないが、しかしあの時の後悔が私の心を動かす。
「分かっ──
「駄目っ!!」
私が少女の助けに答えようとすると、大きな声で横やりが入る。
「私、急いでゼノビア、行かないといけない!」
忘れてはいない。寧ろ、それを気にしていた。
そう、あくまでこの旅の目的は「リリスを連邦まで送り届ける」こと。
ただでさえ、追っ手を避けるために遠回りで日にちをかけようとしているのだ。その上、私の都合で彼女の望みを先延ばしにする訳にもいかない。
だから、私は彼女の声にこう答えた。
「分かってる。だから、私を置いて先に行って欲しい」
これは私の我儘だ。ただの自己満足だ。私が彼女を、彼女の父親を探し出せると確信できるわけでもない。もう少し待てば、誰かが代わりに受けてくれるかもしれない。
──だが、放っておけないのだ。今ここで、彼女を見捨てていけば後悔するという予感があるのだ。
「必ず追いつく。彼女の願いには私だけで応じる。だからそれを許して欲しい」
私はそう言って頭を下げた。
リリスも私が頭を下げるとは思ってもなかったようで、流石に戸惑っていた。
「リリス」
そんなどうしていいか分からない彼女に優しく、肩を持ってベルが語り掛ける。
「私からもお願い。1日だけ、彼に時間をあげてくれない?」
リリスもベルからもお願いされるとも思わず、遂に押し負ける。
「……分かった」
小さく頷いた彼女を見て、私は再び「済まない、ありがとう」とさっきよりも深々と頭を下げた。
■ ■ ■
カルタージャ魔石鉱山──カルタージャという人物が発見したタタリバ北西部に位置する大きな鉱山。かつてアルデートで発掘される鉱石の大部分がここで発掘されており、特に光属性の魔石である「テルライト」が良く取れた為、アルデート有数の魔石鉱山として栄えていたという。
しかし、それも数十年前までの話。時代の流れに沿って採掘数が減少し始めたこの鉱山も、遂には利益が出ないと判断され事業を撤退。現在は手つかずの廃坑となっており、当時の様子がそのまま放置されている。
その為、当時作られた地図がそのまま探索に使用でき、今回も当時の地図を使うことと相成った。
彼女の父親が向かった場所は恐らく、廃坑の深部。光の少なく、水辺のある場所に植生するイルフェリアの特徴から、かつて休憩地点として使われていたところだろう。
「ベル」
「何?」
足音だけが響き渡る空間で、私とベルの会話が反響する。
「さっきは助かった」
彼女にどうしても伝えておきたかった。先程のやり取り、私の嘆願だけではリリスは踏ん切りがつかなかっただろう。別にはなから2人が賛同してくれることを前提にしていたわけではないが、私1人でこの依頼を受けられたかというと正直不安だったのだ。
私の感謝の言葉に少しの間が空いて
「今回だけよ」
そう彼女は言った。
すると突然、リリスが足を止め、そして構える。
「どうした?」
私はそう尋ねるが、返答よりも先に目の前に何かがいることを察した。
私もベルも急いで戦闘態勢に入る。
向こうも私達の姿を発見し、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
まさに臨戦態勢。
5体の蛇の姿をした敵の影が顕になる。
ナルガ=ラジャ──蛇が変異した魔物。上半身は人型で人間の様に腕を持ち下半身は蛇の特徴的な長い胴体で構成されている。武器を使う魔物で槍や盾を装備している固体も存在するほど頭もいい部類にあたる。群居性で集団で行動し、洞窟などの日の当たらない場所を|塒≪ねぐら≫とする、世界の広い範囲に分布する魔物である。
奴らはとにかく縄張り意識が強い。自身が塒と決めた場所の周囲を近づこうものなら、容赦なく襲う性質がある。これだけだと通常の生物にも存在する生態だが、問題はその縄張りの侵食速度にある。
魔物というのはその生殖速度が高く、魔王が生み出して100年以上もの間、未だに根絶出来ていないのはそれが理由である。ナルガも例外ではない。彼らは自身の塒を決めると、その洞窟を掘り進め、その範囲を拡大していく。そしてあっという間に山1つを内側から乗っ取ってしまうなんてのはざらで、それでも個体数が増え過ぎると一定数が次の塒へと移動していくのだ。
穴だらけとなった山は陥没や土砂崩れが起きやすくなり、その被害も後を絶えない。
縄張りに近づかなければ余り積極的に人間を襲う魔物ではなく、人間には例外なく敵対意識を持つ魔物の中でも比較的人類への敵意が少ない魔物ではあるが、人間に対しての被害を考えると討伐しなければいけない魔物であることには違いない。
どうやらこの廃坑はナルガの巣になっているようで、私達を見つけるや否や手持ちの武器を構え戦闘態勢に入る。
しかし、その内の1体は逃げ出すように背を向けて奥へと向かっていく。
私は直ぐにその理由を察し、すぐさまその個体に向かって氷属性魔法を狙い撃った。だが、放たれた氷の塊は別の固体によって防がれ、私の妨害を阻む。やはりそうだ。あの固体は仲間を呼びに行っている。
ナルガ単体ではそこまで脅威になるような魔物ではない。だが、ナルガはその集団行動いよる統率が他の魔物と比べて優れており、1つの巣穴には100体以上の固体が集団で生息していると言われている。もし、ここで奴を逃がしてしまえば、より大勢のナルガが私達に襲ってくることになるだろう。流石にそれは対処しきれない。それにこれからこの廃坑内を行動するにも、敵に存在を知られているよりは、知れられていない方が行動しやすいだろう。
「ここで仕留めなくては」──そう思った私は再び氷属性魔法を放つも、やはり阻まれる。1体のナルガを3体のナルガが立ち塞がり、厳重に死守している。私の氷属性魔法では押しきれない。
そこに、ナルガを横切る稲妻が走った。その稲妻は後方にいるナルガに命中し、強力な電撃を受けた対象は痺れてその場に倒れ込む。そう、ベルの雷属性魔法だ。雷属性魔法はその性質上、発動から命中までの速度が速い。私の意を汲んだ彼女が代わりに仕留めてくれたのである。
一方のリリスはというと、私が手こずっている間にどうやら1体対処していたようで、振り向いた時には既に止めを刺しているところだった。
残り個体数──3体。
飛び込んできたナルガは武器による連撃を繰り出す。蛇の柔軟性のある独特な動きに翻弄され、敵の武器による突きで頬が掠る。
まだ近距離戦は不慣れな私にとって、この状態は分が悪い。
私は距離を取って、血切り刃を取り出す。
しかし、同じ様にしては先程のように対処されるだけ。
そこで私が繰り出したのは
第4級氷属性魔法──
所謂、氷属性魔法の中でも最小規模の魔法であった。
■ ■ ■
先のノアの解放の時の話である。
セトに第1級氷属性魔法の方法をレクチャーしてもらっている最中、ノアが私にこう話しかけてきた。
「強キヲ志スノ成ラバ、我モ助力シヨウ」
ありがたい話ではあるが、しかし、龍と人間とでは体構造もその価値観も何から何まで違う。
「どうやって力を貸してくれるのか」そうノアに問いかけると、ノアは自身を持った表情でこう答える。
「然ラバ……我カラハ、『知』ニヨル戦イ方ヲ授ケヨウ」
それに続けて、ノアは「例エバ」と話し始めた。
ノア曰く、魔物という存在はその性質や習性が魔物化する前のものを引き継ぐという。例えば蛇や蜥蜴といった爬虫類──これらは周囲の気温にあわせて体温が変化する生物としての特性を持ち合わせており、ノアの世界では「変温動物」と呼ばれている。爬虫類達はそうやって体温を調整することで使用するエネルギーを節約し、長く食糧に有りつけなくても生きていけるような体構造をしているらしい。だが、この特性にも欠点がある。それは極端な気温の変化、つまり体温の変動は身体能力のパフォーマンスを著しく低下させるということである。要するに「動きが緩慢になる」のである。
これは無論、魔物にも適応される為、爬虫類を素体とした魔物は氷属性魔法や火属性魔法での対処するのが有効打であるという。
中には、暑さや寒さを克服した個体もいたらしいが、それでもどちらかには耐性がないのが普通であり、完全に対処できる者は彼の知る限りでは数えるほどしかいなかったらしい。
また、蜥蜴等の近縁種である龍もその例外ではない。彼も極端な低温度には弱いそうで、基本的に温度の高い地域で活動していたという。季節や天候の変化には悩まされたと、昔話を赤裸々に語っていた。
そう、彼の強みはこれだ。
仮に、セトが魔法による私への援助だとするならば、ノアは生物の知識による私への援助だろう。長寿生物故の長きにわたる他生物との交流や観察──その知識の結晶が彼の強みだ。
そして偶然、今回の相手は蛇を素体とした魔物のナルガ=ラジャ──ノアの理屈が正しいのなら、この魔物にも有効なのだろう。
まさか、こんなにも早く生かす場面に出くわすとは思いもよらぬ行幸だ。このチャンス活かさざるを得ない。──ノアには感謝しなければ。
今回も私はサポートにはなるだろうが、これなら足を引っ張らずに貢献できる。
私の第4級氷属性魔法によってマナが冷気を纏った風となり、直撃した身体に急激な温度変化が発生する。我々人間からしたら冬期で当たる冷たい風程度の温度感だが、ナルガ=ラジャからすれば違う。夏季冬季に関わらず、雨が降ろうが日照りが続こうが、温度や湿度が一定の洞窟内は正に絶好の住処だろう。そんな彼らに襲う外気温の急激な低下はナルガ=ラジャ達の体温を奪い、その動きを鈍らせる。
この魔法に殺傷性は全くない。本当に周囲の空気を冷たくするだけの、それだけの効果。
だが、この魔物に限ってはそれが弱点を突く攻撃になりうる。
敵の攻撃は当たらず、逆にこちらの攻撃は先出しでも命中する。あの、蛇の独特な動きがまるでなかったかのように遅くなっている。
一方のナルガ達もこのまま黙ってやられるわけにもいかず、原因の発生源が私にあると察したナルガ達は挙って私を襲いに掛かるが、ゆっくりになったナルガ達の動きは見てからでも対処が可能で、余裕で避けられる。3対1でもまるで対等になっていないくらいに。
私にばかり構っていていいのか──そんな心配が頭を過ぎるほど、奴らは失念していた。
この戦闘はあくまで3対3であること、それが奴らの敗因であった。
■ ■ ■
「この先の筈なんだが……」
炭鉱の地図を参照しながら、かなり奥まで進んできた私達一行。道中、何回もナルガと遭遇しては撃退しを繰り返し、現在イルフェリアの群生地付近まで進んできた筈なのだが……そこにはあるべき道はなかった。崩れた土砂で道が塞がっていたのだ。
「間違ってない?」
「いや、地図の通りに進んできたんだ。間違いはない筈だ」
私が四苦八苦している後ろで、リリスは欠伸を浮かべる。
魔法で破壊し、無理矢理抉じ開けることもできなくはないが……狭い洞窟内でそれは悪手だ。下手をすれば、我々まで生き埋めになりかねない。しかし、このままではいたずらに時間を潰すだけだ。
「仕方ない、他の道を進むか……」
遠回りにはなるが仕方ないと、すぐさま別のルートへと切り替える。私達は辿ってきた道を引き返すのであった。
しかし、またしても私達は思わぬ小石に躓くこととなった。
別ルートも先ほどと同じように、土砂崩れで進めなくなっていたのである。
「本当にあってる?」
「あっているさ、見てみなよ」
そう言ってベルに地図を見せる。今まで辿ってきたルートをなぞりながら説明し、私の方向感覚に狂いが無いことを証明する。
ベルも納得したようで、何とか「方向音痴」という汚名を被らずに済んだ。
「まあ、廃坑になってから時間が経っているし、この地図も古いから……」
「いや、ちょっと待って」
私の話を遮り、ベルが崩れた箇所に近づく。
「さっきの崩落もだけど、この崩落……結構、新しいわね」
ベルが何でそう判断したかは知らないが、恐らく崩れたところの地質や周りの状況からそう結論付けたのだろう。
しかし、その話が正しいのなら、この廃坑内で土砂が崩れるほどの何かが起きていることになる。地殻変動──いや、だとしたら町がもっと騒ぎになっているはずだ。ナルガ達の仕業だとしても、わざわざ道を塞ぐ理由が見つからない。かと言ってこれを自然現象と簡単に片づけるには複数個所で、しかも同じくらいの期間で起きていることに違和感が生じる。
それにこれまでを振り返ってふと思ったこともあった。
「そう言えば、何か、ナルガの動きが活発じゃあないか?」
通常は洞窟の中でひっそりと息を潜め、発情期や居住地の移動となった際にその活動が活発となるナルガではあるが、しかし、今回はそのどちらにも当て嵌まらない。にも拘わらず、やたらと洞窟内を行動している──これがこのような崩落に関わっているかは不明であるが……。
だが、悩んでいても解決しない。
「取り敢えず、別の道を進もう」
私達は再び引き返すことになった。
■ ■ ■
別のルートで深部へと向かう道中、不自然な穴を見つけた。
「なんだ……、この穴は……」
地図にない横穴──ナルガ達が作ったには高さがあるその横穴は異質な雰囲気を醸し出していた。何かがある──確信は無いが、そう思った。
先へと進む2人を呼び止め、この穴の探索を勧める。先ほどの崩落といい、この廃坑で何かが起きていることを考慮したベルは私の意見に賛同した。リリスも同じように頷くも、「何か嫌な臭い、する」と足を止めてぽつりとそう呟いた。それが何なのか、彼女自身も理解できていない状況ではあったが、しかし先に行かなければそれも分からない為、仕方なく歩を進める。
暗い洞窟にベルの持つ松明だけが明るく照らす。
少しの緊張と少しの興味が私の頭を支配していた。
程なくして、そこは行き止まりに通じた。
しかし、先程の様にただの行き止まりというわけでもなく、そこは崖になっており、一つの大きな場所に繋がっていた。
そこには大きな空間が広がっていた。土に混じる少量のテルライトの影響か、少し明るく感じる広間──しかし、どう見ても自然に形成された空間ではないように見えた。
だが、炭鉱から離れたここは明らかに人工的に作られたそれではなかった。
しかし、考えるまでもなく、この空間が誰によって形成されたものなのかは明らかであった。
それはその原因が目の前にいたからである。
「こ……コイツは……」
ナルガなど比べ物にならない、龍種のように巨大な体躯。
他の生物を寄せ付けない、生命の危険を感じさせるほどの威圧。
複数本に枝分かれし、禍々しくも神々しく見える7つの首。
蛇の王と呼ぶに相応しき存在が、堂々とそこに鎮座していたのである。




