第ⅩⅩⅩⅤ話 3つ目
この物語は、ただ創成物語のである。
果たして何度目だろうか。この気味悪くも居心地は悪くない空間に訪れるのは。
藍の静寂が周囲を包む、あの世界──意識の空間。
かつての自身の部屋よりも、過ごした時間は圧倒的に短いはずなのに、もう見飽きている私がいる。──前世の人格達の所為なのだろうか。
そんなことを考えていると、また不意に、自身の背後に気配を感じる。
しかし今度は、明らかに気配が違う。セトやカイムとは桁違いの、この圧倒的緊迫感──。
「主ガ、今世ノ我カ……」
怪訝な声色でこちらに問いかける、私の人格。今の私とは違ってかなり低く、生きてきた時代を感じさせる物言いで、流暢ながらも何処か不自然に感じる。
それもそうだろう。彼……もとい、この時の私は生きてきた環境も、その年数も、あらゆることが違う。
「此度モ、ヤハリ人間カ」
思わず黙り込む。断片的なキオクの回想によって、その事実は知っていたが、いざ目の前にすると思わず目を疑いたくなってくる。
「如何シタ」
「いや。やっぱり、この姿が自身のかつてあった姿だとこうも直に突きつけられると、未だに信じられなくて」
閻魔様曰く、魂が転生した際というのは元の器の要素を引き継いで生まれ変わることが基本的らしい。例えば人間の男が転生した際は、その器が再度人間の男になることが殆どのことだ。生物学的要素だけでなく例えば性格だったり、容姿だったり、境遇だったり、転生後は原点に影響を大きく受ける。
しかし、何事にも例外があるのが世の理。時には全く別の生物に転生することもある。
私も11回という異例の転生を行った身。その11回の中で人外に転生した経験が2回存在している。
そう、今回解放された私の人格はその例外のうちの一つ──「人」ならざる存在である。
見上げないと目が合わないほどの巨体。
全身を覆う特徴的な鱗。
背から生えた視界を覆うほどの翼。
一部の世界では幻想上の生物とも揶揄される、まさに「生ける伝説」。
紛れもない、一体の白い“龍”と呼ばれる存在がそこにはいた。
■ ■ ■
龍──この世界のありとあらゆる生物の頂点に君臨する存在。生物学的には蜥蜴等の近縁種らしく、体表を覆う鱗には常に固有の硬化魔法がかけられている為、頑強で龍の強さの一端となっている。プライドが高く、本能的に強き者を常に求めており、同族間でも争いが絶えないという。度々人類社会に多大な被害を及ぼすため、「人類の天敵」と表されたり「神の化身」として崇める一族もいたりするとのこと。その為、人類的には討伐の対象とされているものの、最上位の討伐難易度を誇ることからコアや鱗といった素材は高値で取引され、武具や装飾品の一部として重宝されている。
そんな龍には翼をもつ翼龍と羽を持たない地龍の2種が存在するが、私の前世は前者に値する。
龍という種族は常に争いを求める性分である為、生物としての寿命は300年以上と長いが、闘争によって自ら散らす者が多く、基本的にその平均寿命は20年から50年ほどと短命である。
一方で私の前世は闘争をあまり好まない性格だったために、享年は255歳と長寿の部類だった。それもそのはず、私には人間としての前世がある。龍に転生したとはいえ、人間の心を持つ私には人間を襲うというのは気が引けるものだった。
ましてや、龍でありながら宿敵とされる人間と友好的に接しようとするのだから、龍からも人間からも異端扱いされたのは言うまでもないだろう。
しかし、何だ……、こうもまじまじと自分の姿を見たことがなかった為、改めてみると我ながら美麗な見た目をした龍であると感じる。無駄な戦闘が少なかった為に傷の少ない身体、艶のある鱗に威厳のある髭──最早、神々しさまで感じる程だ。
喋り方に少し違和感があるのは仕方ない。龍の発声器官と人間の発声器官ではそもそも仕組みが違う。これでも人間が分かる程度に発生出来るまでに数十年かかったのだ。
少し偉そうな言い草なのは龍としての最低限の見栄だ。
「ソウ身構エルナ。我ハ主、主ハ我。気遣イ等不要ダ」
「いや、そうなんだが……、見た目が見た目だからなぁ……」
「ハッ、違イ無イ」
だが、いざ話すと割と会話はし易いと感じる。それもその筈、生まれてから死ぬまでの255年間かけて人間といかに上手く話せるかを試行錯誤し、その結果がこの雰囲気だ。
「一ツダケ問ウ」
空気が変わった。幾ら察しの悪い私でも、次の展開にどういった類の言葉が飛んでくるかは予想できる。
「主ハ、此レカラ何ヲ成スツモリダ」
これが、彼による『儀式』なのだろう。
今の私を受け入れる為の確認──自身が自身であることの存在証明。
ならばそれに対する答えは、実に率直なものが正なのだろう。
私がこれから成さんとするもの──それは、
「私はただ、私のこの『キオク』を解き明かすだけだ」
心の中の自分自身に問いかけられようが、それは変わらない。この自身に秘めたる謎を解決するという、どこまでも自分本位で自己完結な目標ではあるが、遠回りしようと、寄り道しようと、私は私を知りたい。私は何者だったのかを明らかにしたい。それだけだ。
「余リ、聞コエノ良イモノデハ無イナ」
言い返す言葉がない。だが、必要もない。何故なら、これでいいからだ。
「ダガ、良イ面ダ……此レナラ今ノ所ハ問題或ルマイ」
同じ自分だから判断が緩いのか、はたまた私の覚悟が伝わったのか。まあ、どちらだろうがどう答えようが、彼は心強い味方になってくれる。それはこの質問が来る前から分かっていたことだった。
「我ノ名ハ“ノア”。主ノツ前ノ前世ノ姿デ或ル」
■ ■ ■
「ところで……いるんだろ、2人とも」
私は虚空にそれを問いかける。
私とこの龍以外誰もいないはずの空間──しかし、それ以外の気配を感じ取った私は振り返ってその場所に視線を向ける。
「何だい、折角2人だけの空間にしてやったのにさ」
「ホントだぜ、まったく……」
現れたのはいつもの2人。まるで登場する気がなかったかのように少し気だるげな様子で、彼らはそこにいた。
「済まない、でも、どうしても今は会いたかったんだ」
「ほう、そこまで会いたかっただなんて、いやはや嬉しいものだね」
少し言い回しが気持ち悪いがするが、会いたかったのは事実だし、彼──もとい、私に間接的な物言いは不要だ。
「今回はセト、君に言いたいことがある」
「なんだい?」と少しニヤけた様子で私を見つめるセト。あの顔は何を言おうとしているのか分かっている顔だ。だが、態々言わないとこればかりは始まらない。
「単刀直入に言う。魔法の使い方を教えて欲しい」
私は彼の蒼い眼を真っ直ぐ見つめながらそう言った。
魔法の使い方──そう、セトにはあの赤い龍を一撃で仕留めるほどの第1級氷属性魔法を使える技術がある。それに私はピンときた。彼から教わればいいと。
幾らマナを全て使ってしまったとは言え、あの規模の魔法を、目覚めたばかりかつ不慣れな身体で実行するには相当な技量が必要である。
少なくとも、私が行うよりも、自身の身体に対する負担は格段に少ないはずだ。事実、あの時の私の身体はどこも凍っていなかった。
その私が真剣に教えを乞う姿を見ても、彼は顔を崩さない。答えなんてとうに決まっているからだろう。私もそれを理解した上でこうしている。
「分かっているけど、一応理由を聞いておこうか」
「私は……」
私のこの向上心は決して「武の神髄を極めたい」とか「強い相手と戦いたい」とかそういった闘争に関することではない。
「私はただ、もう目の前で失いたくない」
それだけだ。大層な理由でもない自分勝手な理由だ。だが、私が強くなるためにはそれだけで十分過ぎる理由でもあった。
私を指導してくれるアニキも、今は居ない。だが、アニキが居ない間も、私は強くなる必要がある。大切な人を守れなかった無力感、アニキ達を置いていくことになった罪悪感、自分が戦闘に貢献できていないという疎外感──それらが私の向上心を奮い立たせる。
「いいよ。断る選択肢は、端から無いさ」
何の曇りもない、スッキリとした答えが、彼からは繰り出された。




