第ⅩⅩⅩ話 それでも明日はやってくる
この物語は、ただの創成物語である。
「さて、さっきぶりだな」
飄々しい挨拶は誰が声の主であるかを容易に連想させてくれる。
そして、その声で此処が何処なのかの判別がつく。
嗚呼、またあの陰鬱で憂鬱な青暗い部屋に導かれたのかとへきへきするが、だが同時に安心感も覚える。
白い服を纏った金髪の青年──
つい最近知った……いや、思い出した彼の名は──『セト』
私の前世だった男の名だ。
そして、もう1人、私の前世だった男がこの空間にはもう1人存在する。
「おい、自己紹介しなよ」
そう、ツンとした白髪に、吊り上がった鋭い眼光、そして蒼い瞳の青年──
彼自身は己を『サヴァ』と名乗っていた。
しかし、それが彼の本当の名ではないことは既に分かっている。
まだ、私は彼の……いや、私の本当の名を知らない。
「そうか、俺はまだ自己紹介してなかったなァ」
セトの言葉に応えるようにフッと現れた彼は、嬉しそうな笑みを浮かべていた。
自身が自身を認識出来たことが余程喜ばしかったのだろう。まあ、その気持ちが分からんでもない。
しかし、自己紹介なんて記憶を徐々に取り戻しつつ我々には必要の無いものではないのか。
結局、相手は自分だって分かってるのに……。
そんな疑問を抱いていると、私の内心を察したかのようにセトが説明を入れる。
「これはただの儀式みたいなもんだ。私が私を自認し、互いを信頼し合うためのちょっとした恒例行為だよ」
そうか、儀式みないなものなのか。
私はその言葉を受け入れ、それ以上何も聞かなかった。
「俺の名は『カイム』──ただのカイムだ。もう分かっているだろうが、お前の5つ前の前世の名だ」
■ ■ ■
「さて、唐突だがここで良いニュースと悪いニュースがあるが、どちらから聞く?」
セトが嬉しそうにそう私に質問を投げかけてきた。話すのが楽しそうというか……まあ、ようやく忌憚なく話すことが出来たのだから仕方ない。
2つのうちなら取り敢えず楽しみは後に取っておく派閥の私は後者を先に選ぶ。
「じゃあ、まずは悪いニュースから」
私がそう言うと、コホンと1つ咳払いを行い、セトは本題に入る。
「我々にはどうやらこの入れ替わりについて制限が掛けられているようだ」
「制限……!?」
「呪いの所為だろうな。前世以前なら、制限なんて関係なく入れ替わり出来たのによォ」
「これまで俺は2回、セトは1回、既に切り札は切っている」
セトはあの日、龍に襲われた時に行った入れ替わりで1回──。
カイムの1回目はレイブの路地でチンピラに襲われた時、そして2回目は殺人犯に襲われた時──。
「1回目はともかく、2回目の入れ替わりはかなり体力を消耗したと感じた。力も存分に発揮出来なかったしなァ。こりゃあ無闇矢鱈にやり過ぎると俺達の生命の危機……もとい、人格の危機に関わるかもしれねェ」
人格が消えることは、恐らく彼らが認めないだろう。
無論、私もそれを行いたくない。
自分を失うという恐怖──。
それになにより、記憶を共有できる仲間は手離したくない。
「取り敢えず、現時点で1人につき入れ替わりの回数は5回と留めておこう。呪いの効果がどのようなものか分からない以上、少ない回数に抑えておいた方がいい。頭に入れておこう」
「まあ、そんな頻繁にやるわけでもねぇから、そこまで気にし過ぎんな」
それを聞いてもなお、私は安心出来なかった。あくまで5回は予想であり気休め。もしかしたらそれよりも少ない回数しか出来ないかもしれない。
そう考えると、彼らの直接的な助力は基本的に無いものとして考えておいた方がいいだろう。
私はそう心に留めておくことにした。
「そして、良いニュースだ」
「次の人格の解放が近い」
「本当か!?」
私はその言葉に釘付けになった。と同時に、何故それが分かるのかと疑問に感じた。
その私の疑問を察したかのように、続けて彼は私にこう助言する。
「研ぎ澄ませてみろ、今のお前には分かるはずだ」
目を瞑る。意識を自分の深層心理に落とし込む。
「感じ取るんだ。魂の鼓動を、存在の証明を、まるでそこに存在するかのように感覚を拡張してみろ」
言っていることはまるで超感覚。神の恩恵すら持たないただの私にとっては絵空事だが、しかし今はそれでも確信が持てる。
目を瞑り、神経を研ぎ澄ます。空間に、この私の意識そのものに溶け込ませる。
この場の3人を除き──全部で……9つ。
誰も彼も、何かが邪魔しているようであやふやで気薄だが、でも確かにその存在は認識できる。
──あそこだ。あの檻。その場所が、感覚で把握出来た。
「まあ、アイツの場合、人格って言っていいか分からないけどなァ」
「それもそうだな」
その真意に一瞬は疑問を抱くも、内容を理解し、そうだなと思い直す。
「ちなみに、5番目だ」
4回目の転生の記憶──私のあの頃の記憶。
彼の言葉に思わず、私の目線はその人格が閉じ込められているほうへと向けられる。
檻には番号が振ってある。
檻番号【Ⅴ】
次に解放される予兆か、異質な雰囲気が漂っているのを感じる──いや、そうでなくても、明らかにこの檻だけが他よりも異質なことが分かる。
大きさが……規模が違うのだ。
他の数倍はある檻、奥を覗くと永遠まで続きそうな闇──この檻だけ全容が掴めない。何を閉じ込めているのか、他人が見れば恐怖さえ感じるだろう。
そう、それは他人が見れば……の話──だが、例えこの中の存在を知っている自分でもそれについては身震いを禁じ得ない。
「名前は本人から聞き給え」
儀式の為だろうか、まあ、それくらいなら別に構うまい。
「あと、ニュースとは別に話しておくことがある」
セトは空気を引き締めるようにこう告げる。
「方針は決めておこう」
次の目標は決まっているはすだが……しかし──
「如何せん、今の俺達は情報が足りなさ過ぎる」
そう、手掛かりがない。
この情報を真実だと信じているのは現時点で私だけ。王国お抱えの図書館ですらほとんど確証を得られる情報は無かった。
だから、心配になって私は彼にこう問いかけた。
「でも、アテはあるのか? 書物を探っても、何も核心をつくようなものは……」
しかし、彼からは予想に反して自信を持った返事が返ってくる。
「アテならあったじゃあないか」
「あの日記、転生者がこの世界に私以外にもいる」
そう、あの古びた日記の著者──私が古本屋で見つけ、何年も売れずに残っていた書物の主。
『セルルヴァ=ラスコッチ』或いは『ダレスカス=エスカリオ』だろうか。
私と同じ"謎の頭痛"と"妙な記憶"という共通点を持つ彼が転生者である可能性は高いと言える。
「お前ェも分かってるだろうが、転生者なんてこの世界を探せば何人もいる。特別じゃあねェ。ただ、誰も打ち明けねェだけで……な?」
「もっとも、私たちはそんな中でも、特別だけどな」
まあ、11回も転生した経験のある人間なんて、そりゃあいないだろう。
「欠けた記憶はどれも"転生"に関すること。恐らく、1つ目と11つ目の前世の記憶もそれらに関することなのは想像に容易い」
「だから、知っていそうな人間に聞く……と?」
「そういうこったァ。そもそも転生者がいること自体、どの世界でもにわかには信じられていねェ。お陰で文献とかに留める奴も少なくてなァ。創作を除いてほぼゼロに近ェ。だからこそ、この日記は貴重な手掛かりになるってことよ」
自分の日記に嘘はつけない。あの日記の文面を見ても、精神的に病を持っていたわけでもない。至って真面目に綴られていた。
確かに転生者を信じる人なんていない。神を信じる世界でも、これだけは突拍子もなければ私ですらそう確信するまでは存在することを信じなかっただろう。
だが、転生者は存在する。
そしてあの日記は、その転生者『セルルヴァ』、若しくは『ダレスカス』が書き記した日記──『ダレスカス』の方が後から書かれたものと断定できるところから、恐らく現世での名前は『セルルヴァ』の方だろう。
「なら、私達の一先ずの目標はあの日記の著者『セルルヴァ』を追う」
「まあ、そのセルルヴァがまずどんな奴なのか、何処にいるのか、そもそもまだ生きているのかすら分からないんだけどなァ」
「仕方あるまい。記録がない以上、ほぼゼロからの調査になるんだ。寧ろ、心当たりのある人物の名前だけでも知っているだけまだマシだ」
「前世じゃあ転生の情報ゼロからのスタートだったからなァ。今回はかなりマシの部類だ。良かったなァ、俺」
良かったなと言われても、あまりその良さを実感出来ない。それに……
「その呼び方、ややこしいから、私のことはアベルで呼称してくれ……」
「そうだな。分かったよ、12番」
茶化すカイムに私は何も返さなかった。返すだけ無駄だと気づいたからだ。
「ところで……」
「ん? 何だ?」
「思考が分かるんならこんな会議みたいなこと、する必要無いんじゃあないのか?」
ふと思ったのだ。
彼らは私だ。彼らの言うことは私の考え──。
つまり、こんな話し合いなんて本来は必要の無いことなのだ。
現に、彼らは私の考えを理解している。でも、私は彼らの考えを理解出来ていない。
もしかしたら、こんな会議じみたことをしなくても意思疎通出来る方法があるのでは無いかと思うに至ったのである。
そんな私の質問に彼らは溜め息をつきながら、こう返した。
「お前さァ……じゃあ、俺達が今何を考えているか分かるのか?」
「そ、それは当然『セルルヴァという人物は、一体何処にいるか』についてじゃあないのか?」
当たり前の如く私はそう言った。後々から考えれば、なんて捻りのないお堅い考えだとは思うが、しかしそう考えるのが普通だろう。
しかし、彼はニヤニヤとしながらそれに答えた。
「残念だったな。俺は今、朝飯には何になるのかを考えていた」
あまりにも突拍子のない答えに気が抜ける。気が抜け、思わず「はぁ?」と疑問符が飛び出てしまった。
「そんなの、今考えついただけじゃあないかよ」
「でも、分からなかった……だろ?」
そう言われればそうだ。しかし、そんなの幾らでも嘘をつけば……いや、『その嘘をつく』という答えすら導けなかったのが私が彼らの思考をまだ理解出来ていない証明なのだろう。
私はそう瞬時に把握した。
「じゃあ、何で……分かるんだ?」
私の思考は直ぐにそちらに移った。彼らが私の思考を読める理由──そちらが気になって仕方なくなった。
「私達のような多重人格は、あくまで同じ魂の片割れ。例えるなら私達は12人の兄弟みたいなもんだ。原点から派生して生まれた存在だから、その根本は変わらない。だが、生きる環境によって独自の思考を構築し、それぞれに変化する」
「つまりだ、記憶の共有はしても、俺達はコイツの思考回路までは完全に分かるわけねェんだよ。そしてお前達も俺の思考回路が完全に分かるわけじゃあねェ。こうやってお前の考えを読んでいるかのように喋っているのは、あくまで自身の経験則からくる予想──そしてもう1つ」
「私は私達を」
「「『信じている』からだ」」
「俺は俺達を」
重なる言葉、響く言霊。その力はあまりにも私の奥深くを揺さぶり、疑念を欠片残らず吹き飛ばしていく。
「伊達に何回も転生してねェよ。自分のこと、あんまり舐めるなよ? そいつの人格さえどんなのか把握出来れば、あとは自分の根本の考えと照らし合わせて予想するだけ……」
「例え世界が、容れ物が、名前が、人格が変わっても、私が持つ魂に刻まれた根本の考え方、生き方は変わらない。だから私は私として存在できる。君も、私でいられる」
「お前は人格が形成されてから俺達より日が浅いからなァ。ましてやまだ本当の自分を知らねェ。まあ、記憶を封印されている俺達が言うのもなんだが、少なくともお前より俺は俺を知っている。俺という人間を、魂を知っている」
「安心し給え。君はまだ、自分が分かっていないだけだ。……だから──」
「私達は、君が君を知るまで全面的に協力する。信用出来なければそれでいい。勝手に私達が手伝うだけだ」
彼らのその言葉は、下手に「信じてくれ」と言うよりも余っ程信用出来るものだった。
流石は私……自信を納得させる方法を、よく心得ている。
ならば、私もそれに応えるだけだ。
信じてみよう。いや、信じるしかない。
それが、己に出来る唯一のことだからだ。
■ ■ ■
朝が来た。
目が開けられないほど眩しい日差し──まるで誰かを祝福しているかの如く、とても強く明るく私達を照らす。
だが、私はそれを喜べない。
それがとても私達に向けられてるものはとても思えなかったからだ。あれは対比──今の私達の状況との対局の明かり。
今の私は右も左もまだハッキリしていない。
目的は分かっていても、この選択肢が本当に正しかったのか、今の私には分からない。
さて……どう動くか……。
私はムクリと起き上がると、周りを見やる。付けた焚き火は既に消えており、馬もベルもリリスもまだぐっすりと眠っている。
ここは王都から少し外れた高台の森の中。幸い衛兵からの追手からは今のところ見つかっておらず、あの騒動の後でも睡眠が取れている。
周りを起こさないようにゆっくりと立った私は王都の方角を見やる。
小さいが、まだ王都が見える距離。あそこから来たと思うと結構逃げてきたんだなと思うが、まだまだ目的地には程遠い。
果たして、アニキ達無しでゼノビアまで辿り着けるのだろうか。遠出も殆どした事の無い私からすれば不安でしかなかった。
そんな心配に駆られた時、私はかつてのアニキの言葉を思い出した。
「お前はいつも考え過ぎだ。迷いに迷って、深みに嵌って、ずっとそこから抜け出せないでいる。お前の悪い癖だぞ」
私の悪い癖──それは自分でも分かっている。他の自分ですらそう言っている。
「忘れるな、それでも明日はやってくるんだ」
そうだ、そうなんだ。
起きてしまった過去を、今を憂いても仕方ない。事実は変えられない。人は皆、今を、そして何れ来る明日を生きるしかないのだ。
「アニキなら……アニキならなんとか、あの局面を乗り切って、私達と合流できるはずだ……」
そう信じるしかない。少なくとも、今は──。
朝日に照らされる王都を眺め、その景色を背にした。




