第ⅩⅩⅨ話 夜を往く馬車に揺られて
この物語は、ただの創成物語である。
ガタガタと揺られ、けたたましい音が耳を襲い、居心地が悪くも妙な安心感が私を包み込んでいた。
これは……移動中なのか。
目を開けると知らない屋根。木製の天井だけが視界にユラユラと写り込んでいた。
時刻は……まだ夜だろう。街灯りの橙色が薄暗い周囲を照らしている。
「ようやく起きたか、アベル!」
ああ、また聞いたことのあるアニキの声。いつも目覚めるのはこの人の声だったなと、そう思いながら、私は声の方を見た。
アニキが安心そうな顔でこちらを見ている。
上体を起こそうとすると背中が変に痛む。そうか、私は背中から斬られて気を失ったんだったな。
心配そうに声を掛けるアニキに、あまり大丈夫ではなかったのだけれど「大丈夫だ」と取り敢えず返しておく。
「ここは……?」
「馬車の中だ」
馬車────そうか。そう言えば明日が中央連邦に向けての出立日だったな。どうやらその為に既に借りていたようで、急いでそれを引っ張り出してきたらしい。ルークが手網を握って操縦している。
アニキはこんな状況にも関わず「ちょっと出発が早くなっただけだ」と笑い飛ばしていた。まったく、強い人だ。
「俺達はこれから中央連邦に向かう」
「話は全てベルから聞いたわよ、アベル」
「ベルから?」
ふとベルを見やるとベルはスヤスヤ眠りについていた。
まあ、あの戦いの後なのだ。何があったかは知らないが、相当疲労が溜まっているに違いない。
「まったく、そう言うのは俺達に説明してから出ていけばいいものを……」
確かに、説明すればもっとマシな展開になったのかもしれない。でも、実際は口よりも足が先に出た。
それに、説明していたら間に合っていなかったかもしれないことを考えると、結果論にはなるが、これで良かったと思っている。後悔はしていない────けど……
「ごめん、ルーク」
ぐぅのねも出ない。アニキが後を追いかけていなければあそこで連行されていたのも事実だ。
説教を覚悟で身構えた。が、しかし───
「ったく……良くやった」
そう言うと、アニキは私の頭を撫でた。
小動物でもあやすかの様にしていて、あまり嬉しくは無いが……悪くは無い。
「だが、話している暇は無い。何があったかは、後でベルに聞いてくれ」
そうだ。確かに今は、こんな与太話に浸っている場合では無い。国中から殺人犯として狙われている最中なのだ。
「アニキ、ここは今一度王都内で大人しくしておいた方がいいんじゃあ……」
そう提案した矢先、アニキは私の言葉を制するように、こう返した。
「リリスの"願い"なんだ」
「リリスの……願い……」
私はその言葉に今度はふとリリスを見やる。
今は体力を使い切って眠りについている。
馬車に揺られながらも、どうやら流血も塞がっているようで取り敢えず一安心する。
────あれから、気を失った後の話。
色々あってアニキに助けられ、1度寮に戻った私達一行はこれからどうするか、今後の方針を固める為にアンジュとルークの意見も募ったらしい。
結論は勿論「安静」。様子を伺い、事がある程度沈静化したところで行動する。
それもそうだ。現時点で逆転できる保証もないのに動いても首を絞めるだけだ。
しかし────
「それじゃあ……間に、合わない……」
その言葉を聞いて、いつもは怪力のはずの手が、今回ばかりはか弱い手でアニキの服の裾を握ったそうだ。
「何が間に合わないのかは詳しく聞けていないが、あんな目で言われちゃあなぁ」
アニキは他人の頼みを断り辛い。いわゆるお人好し。
それがましてや知り合いの言葉となれば、断るなんて私の知るアニキには出来ない。
だが、しかし……
「でも、衛兵を敵にして……この街から出るなんて……」
不安そうにそう呟いた私の言葉に、アニキはさも当然かのようにこう言い放った。
「その為に俺達が居るんだろ?」
私はその言葉と、見上げた時に写ったアニキ達の顔で全てを察した。
嗚呼、彼らは衛兵達を足止めするのだと。私達を逃がす為に、ここで犠牲になるのだと、ハッキリ理解した。
勝てる訳がない。幾ら彼等が魔獣と戦ってきた玄人でも、この圧倒的な戦力差の前には無力であることは子供でも把握出来る。
何処からその顔は湧いて出てくるのだろう。
何処からその言葉が紡ぎ出せるのだろう。
でも、私はアニキ達を止めることも出来ないと悟った。
彼等の覚悟は、もう既に決まっている。
「安心しな。アンタ達だけじゃあ不安だから、ちょいと騒いだら直ぐに追いつくわよ」
頼り甲斐のある言葉だった。アニキたちなら本当に何とかしてしまう気概がそこにはあった。
でも、それが寧ろ私の心配を強める。
「それはそうと、アベル、こっちに来い」
真意が分からず、私はルークにそう言われるままに、私はルークの隣に座った。すると────
「じゃあ、ほい」
「えっ……!?」
ルークからいきなり馬の手網を渡された。
ほれと言われても、私は馬の操り方を知らない。馬車なんて乗ったことすら殆どないというのに……。
だが、ベルもリリスも動けない以上、私に選択肢は無かった。
「じゃあ、頼んだぞ! アベル」
「次会う時は中央連邦でな!」
そう言って3人は飛び降りた。
場所は門の前、勢いよく突っ込む馬車に当然群がる衛兵達。あの事件があったのだ。突然警備も厳しくなっていて、いつもの数倍の衛兵が立ち塞がっている。
アニキが神の恩恵で作り出した土の触手が、この馬車よりも速く彼ら衛兵の集団に伸びていき、アニキ達はその中に飛び込んでいく。
せいぜいこの中で安心なのは、私を倒したという総隊長がここにはいないことだろう。
激しく暴れ回る3人────アニキは火属性魔法で派手に立ち回り、ルークは闇属性魔法の足枷で動きを止める。アンジュは無属性魔法で衛兵を吹き飛ばしている。
突如襲われた衛兵達は統率が取れず、アニキ達に対抗出来ていない。
道が開けた。
3人は離れて徐々に小さくなっていく。彼等が見えなくなるまで見ていたいが、しかし馬車に煽られ、急いで前に向き直す。
駄目だ、振り返ってはいけない。
私達は、アニキ達の言う通りに前を向いて進まないといけない。そう思ったのだ。
こうして私は、私達は、王都を後にすることとなった。
これから私達はどうなってしまうのだろうか。流されるままに、計画性のないまま、私達は馬車に揺られ、暗い街道を突き進んでいく。
王都に大きな置き土産を残したまま────。




